2010年8月10日火曜日

原爆投下の日、エンジニアとしての戒め

今年もそろそろ、太平洋戦争の終戦記念日が近づいてきました。

その前に、広島、長崎の地で原爆が投下されたことは、子供の頃からずっと
式典を含めて、知らされております。
 1945年当時の実体験を知る人々も、60年以上も過ぎて段々伝えられる人も
少なくなってきていることも事実です。

私は、広島に一度、長崎に2度行っていまして、原爆資料館にて、被害の大きさが
どんなものかを、改めて知らされたことを記憶しております。

原子力や、核反応技術の利用については、様々な意見があるかと思います。
私は決して全てを否定するつもりはありません。

ただ、事実として、本来この研究が進められた目的は、武器としてではなく
産業革命など、人類が生活するために、電力や動力などエネルギーが必要になってきた
状況下、より効率よくエネルギーを得る手段として研究がされたはずであります。
 またその、基本となる科学的要素は、物理学の本質を追求する目的での過程
そのなかの一つであったことは事実であります。

私のようにメーカーのエンジニアとしての立場は、世の中の生活をよりよい付加価値として提供すること。
 その結果、付加価値を使われる方々からの評価として、信頼を得られるのではないでしょうか?

そういう意味では、どんなに素晴らしいものであっても、扱い方を間違った方向に向けてしまうと、付加価値を提供するどころか、人々の生活を阻害するものにもなりえるという、2つの面を持っている。
 このことを、この時期になると、いつも、ある戒めとして考えさせられます。
仏教では、人が生きることは、必ず魂あるものの犠牲なくてはありえない。
それが生まれながらにもつ罪の部分である。
との教えがあります。

 ある意味、人間のエゴや奢りが強くなってくると、もともと持っている2つの側面のうちのどちらかしか、考えられなくなってしまうのかもしれません。
少なくとも、今できることは、エゴや奢りが正当化させてしまったことは事実であるし、同じ間違えを繰り返さないように、2つの側面を理解して、きちんと伝えていくことなのかもしれません。

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