2010年8月10日火曜日

原爆投下の日、エンジニアとしての戒め

今年もそろそろ、太平洋戦争の終戦記念日が近づいてきました。

その前に、広島、長崎の地で原爆が投下されたことは、子供の頃からずっと
式典を含めて、知らされております。
 1945年当時の実体験を知る人々も、60年以上も過ぎて段々伝えられる人も
少なくなってきていることも事実です。

私は、広島に一度、長崎に2度行っていまして、原爆資料館にて、被害の大きさが
どんなものかを、改めて知らされたことを記憶しております。

原子力や、核反応技術の利用については、様々な意見があるかと思います。
私は決して全てを否定するつもりはありません。

ただ、事実として、本来この研究が進められた目的は、武器としてではなく
産業革命など、人類が生活するために、電力や動力などエネルギーが必要になってきた
状況下、より効率よくエネルギーを得る手段として研究がされたはずであります。
 またその、基本となる科学的要素は、物理学の本質を追求する目的での過程
そのなかの一つであったことは事実であります。

私のようにメーカーのエンジニアとしての立場は、世の中の生活をよりよい付加価値として提供すること。
 その結果、付加価値を使われる方々からの評価として、信頼を得られるのではないでしょうか?

そういう意味では、どんなに素晴らしいものであっても、扱い方を間違った方向に向けてしまうと、付加価値を提供するどころか、人々の生活を阻害するものにもなりえるという、2つの面を持っている。
 このことを、この時期になると、いつも、ある戒めとして考えさせられます。
仏教では、人が生きることは、必ず魂あるものの犠牲なくてはありえない。
それが生まれながらにもつ罪の部分である。
との教えがあります。

 ある意味、人間のエゴや奢りが強くなってくると、もともと持っている2つの側面のうちのどちらかしか、考えられなくなってしまうのかもしれません。
少なくとも、今できることは、エゴや奢りが正当化させてしまったことは事実であるし、同じ間違えを繰り返さないように、2つの側面を理解して、きちんと伝えていくことなのかもしれません。

2010年8月7日土曜日

初の大腸内視鏡検査に挑戦

私は、いわゆる胃カメラ(上部消化器内視鏡)は、何度か検査を受けたことがあります。

過去に不調の要因の一つでもあった、胃潰瘍の発見などで助かったことが多くあります。

胃や食道などは、異常があるとなんらかしらのサインが、すぐに自覚症状として
わかりやすいとも考えられます。

ただ、日本人の癌で命を落とすケースで、最も多いのが大腸がんだそうです。
というのも、自覚症状があまりないまま進行、転移してしまい、手遅れになるケースが
多いからだそうです。

そんなこともありまして、自分も長く健康を維持するために、気をつけないとと
いう訳で、初の大腸内視鏡検査を受診しました。

当たり前のことですが、検査の前に腸内を空っぽにする必要があります。
当然朝食は抜きですが、更に朝から下剤で喉からからになる状況にしなければなりません。

検査は午後からですが、空腹と喉の渇き、今の時期の暑さといい、病院に行くまでふらふら状態と
なかなか辛いものがありますね。(病院が近所でないので、電車で行くことでした)

いざ検診、まずは、胃からですが、これは何度か経験もありますし、麻酔によって何も苦もなく
終わりました。
 今度は大腸の方ですが、麻酔をしていても、明らかにおなかが張って苦しくなる状況は
感じました。
 それだけ大腸というのが、長いものである(身長の何倍もの長さとも言います)というのを
実感します。
 実際いろんな話を聞くと、医師も腸内の壁に内視鏡をぶつけないように、移動していくのは
いろいろ訓練が必要なようです。
 
 検査が無事終わって、麻酔が解けるまで休息となるわけですが、麻酔が解けたとき
思いっきりおなかが張って苦しいのと、何かおなかの中で、ちくちくする痛みの感触を感じました。

おなかが張るのは、前述の通り、腸内に空気を送り込んだ結果ということで、
がまんせずおならを出してくださいとのこと。
 ちくちくする痛みは、どうやら一箇所腸内ポリープがあり、切除したとのことでした。
止血剤がありますが、しばらくは傷が残る状態とのこと。

ポリープの組織は、良性悪性は、後日検査でわかるとのこと。
検査で治療行為の可能性があれば、それなりに費用がかかるということでしたが
なにより、早めにわかってよかったと考えることでしょう。

正直なところ、早めの検診で早期発見できることが大事ですが、そう何回もとは行く気には
まだ成れないところ。

この結果を元に、普段から不摂生を見直し、適度な運動と、バランスとれた食事、きちんと睡眠をとる、衛生面に気をつけることで、予防するのが一番かと、そう思います。

 私は受けたことはありませんが、最近はカプセル内視鏡という、薬大の大きさの胃カメラがあります。
 ただ、カプセルの位置は、体内の流れに任せるしかないと聞きますので、じっくり観たいところが
きちんと記録できるのかと言うことはよく聞きます。

 健康の一番に効くことは、予防ですね。 

まだまだ完全復調とは言えないけど

うつとは、心の風邪とも言われます。
 だけど、実際心にあたる、判断、思考などは、脳の中の働きが作用している
のだと思っております。

 だから、脳神経を休みなくフル活動させすぎて、疲れてしまっている状態と
一般には言われますし、治療には心身の休養が、まず大事なことだと言われます。

 これは、何も考えずに行動することができないのが人間という生き物だから、
だから、治療に時間がかかるのかもしれません。

 私もそうですが、休養して元気を取り戻すまでに、一つ大きな壁があります。
それは、いつも忙しい中で、急に、何も考えるなと言われても、このままでいいの?
という葛藤があるからです。

 これは、自分独りで解決できるものではなく、周りの理解を得られるまでの壁があります。

 次の壁は、回復したら、どうするか? ある意味社会復帰への壁があります。

 一社会人として復帰するわけですから、ある期間ブランクがあると、それなりに
思考や判断、行動など、一つ一つ取り戻していく訓練が必要なのです。

 ここでは、「以前はすぐにできたのに、、、。」「なんでこんなことが、、、。」というもどかしさ
との葛藤があります。
 当然周りも以前を知っている側から見れば、厳しい見方もされます。

 大きな組織となれば、社会復帰は自分の意志で決めたことだから、健全者と同じ土俵で
パフォーマンスが比較されるのは当然のことですし、それなりの評価を貰うのは
ある意味公平なことと、今冷静になって、自分では理解しております。

 なぜならば、企業というのは、社会復帰訓練の場ではない、それが本質だからです。

 ただ、やはり社会復帰は急にはできない、少しずつ元に戻して進めるというのが必要だ
ということを、自分から組織へ状況を正直に伝えること、組織の中で、それを認めあうこと、
それが一番大事なことだと思います。

 確かに生活がかかっている訳で、焦る自分もありますし、組織として求められるものと
いうものもあり、そのへんの折り合いがつかないケースもよく聞きます。

そこにも、個人と組織の間でのクリアしなければならない壁があります。
 
 元に戻るのに時間がかかるけど、それでも社会復帰したい個人の意志を、組織が尊重するか
ということが重要なのかもしれません。

 それにはパフォーマンスが元の半分ならそれなりの公平な評価でも、個人が、公平なリスクとして受け入れるべきことなのかもしれません。

 ある意味、個人、組織がお互い話合いをして、メリットとリスクで合意できない状況ならば、
無理に元の仕事に、戻るという決断をしないほうがよいかもしれません。

 バブル景気の頃は、別に代わりが幾らでもあるからという、俗にいうブラック組織というものが
ありましたが、まさにそんな組織は長続きしないわけです。

 ちなみに私は、元の開発職というものに戻って一年半ほど、続いています。
確かに、求められている成果と言う意味では、同年代に比べても、元どうりとは言えない状況です。

 でも、それで評価が低くても、自分自身で認めなくてはいけませんし、自分自身の状況、どこまでやれるかを伝えなければなりません。

 そんな中でも任せられる任務がある訳だから、長い目でそれなりの価値はあるのかもしれません。
 
 自分では、大分復帰したつもりですが、なかなか、まだまだ至らない部分があります。
それは、誰もが難しいですが、マネージメントや判断する思考などです。

 いろんなメンバーがいるわけですし、忙しくなると、毎日のように、複数の作業の優先順位を
判断してアクションを求められることもあります。

 こればかりは、なかなかヤマをはるような博打的判断でないかぎり、自信もって即断即決には
できない部分があります。

 私は聖徳太子のように、いっぺんに複数のことを、聞き分けて行動はできません。

 でも、そんなとき一番すべきことは、焦ってパニック状態へ混乱しないように冷静に考えることです。

 それを焦って頭の中で全部やろうとすると、自分でパニック状態に陥るのですから、それを
補う、自分なりの最適な手段を考えなければなりません。

 私の場合は、必ず「ちょっとまって!」と言って、メモを取るようにしています。

また、逆に相手の言うことは、こうゆう事ですか?とメモに書いたことを合わせて、聞き返すように
しています。

 急いでいる相手には、もどかしく思われることもありますが、お互いの勘違いでパニックになること
や、誤った判断への防止にもなります。

 また、自分や相手の発言の中で、事実と推論を分けて、メモをとるようにします。
もちろん、事実程、どんなに素晴らしい推論にも勝るものはないわけです。

 決して定量的な結果だけではありません、そのなかで表現が難しい定性的な事実もあります。

でもそこで急いて、推論だけで結論を出すのは失敗の素。

 一番確実なのは、同じ現場を見てみて、状況について質問しながらメモして把握することです。

 確かに創造スピード競争がパフォーマンスに求められる時代ではあります。

でも、上手にスピードアップできるのには、それなりの理由として、地に足がついた
作戦と根拠があるわけです。

 急いては事を仕損じる。急がば廻れ。失敗は成功の素。
古くから、偉人たちが残した教訓や明言が、今だに語られるのは何故か?

 それは、建物を立てる際に例えれば、基礎を支える地面を固めることをしないで、家屋を
立てれば、不安定なものになってしまいます。

 遠くの目的地に行くにも、最終地点という大きな目標位置と、途中経過の目標とする
経由地を決めていきますね。途中で間違ったら、慌てず
どこまで正しい地点かを振り返ればいいのです。

 その中で、途中でどう失敗したのか、それを克服するにはって、考えて記録して、後で
もう一度生かせるようにすればよいのです。

 地味なことですが、基本がなければ、根拠ある逆転の発想は生まれない。
決して、手堅いとか挑戦しないという消極的な考えではありません。

何かを挑戦してには、それなりの作戦や備えを、一つ一つ積み上げて、見直していくこと
それを繰り返しやっていくことで、新たな発想が生まれるのかもしれません。