2010年10月27日水曜日

スポーツで見る、信頼関係

私は、スポーツをするのも、観るのも好きです。
どちらかというと、個人戦よりも、チームでゲームをする球技の方が好きです。

球技といえば、野球、サッカー、ラグビー、アメフト、バスケットボール、バレーボール等
いろいろ浮かぶものがあるかと思います。
 それぞれ、お互いに公平になるようにルールがあり、それぞれの面白さがあるかと
思います。

 私は、野球をやっていた訳ではないですが、最近、テレビだけで飽き足らず、球場に観戦することもしばしばあります。
 応援しているチームが、結果的に負けてしまうこともあります。
もちろん悔しいですが、でも明らかに手抜きして負けているっという試合は、あまり経験なく
接戦で手に汗にぎり、最後のゲームセットまで応援に力が入るということが多かったと思います。

どこに惹かれたか?と言うと、守備の時、ピッチャーがピンチを迎える場面があります。
その時、私がピッチャーだったら、頭がかっとして、冷静さを失う場面になるでしょう。

 そんな時、内野手やキャッチャーが、そっと寄ってきて、一言声かけて冷静さを取り戻すという場面ですね。

 投手の性格にもよるとは思いますが、どんなことを言っているのでしょうか?
基本は手短にですが、

 例えばキャッチャーだったら「とにかく構えたミットめがけて、思いっきり投げてこい、それで打たれても仕方ないから」とか
 
 内野手だったら、「強い打球でも打たれても外野に逸らさず守りきるから任せろ」とか
 そういう話はよく聞きます。

 実際にピッチャーがピンチで強いあたりを、野手がファインプレイで救って来たとき、
ピッチャーが野手を迎えて、ハイタッチという場面も良く見ます。

 なんというか、チームプレイだから当たり前かもしれないけど、お互い信頼を持ち、
自信をもってやれる雰囲気というのは大事ですね。
 スポーツは、いろんな特徴ある人同士が、一つのチームでやるわけだから、
そんな中で、信頼というチームの見えない強い力は、長期的にも良い結果に結びつくことだと
思います。

 もちろん選手は、チームとして信頼に応える力をつけるために、普段からきちんと練習と
準備は整えます。
 プロだから当たり前かもしれませんが、一見プロ契約というと、個人という主張も強くなり勝ち
かもしれません。
 でも、お互いに同じチームとして最善を尽くすため、という一つの目標に向かってやれるのも
プロ選手としての信頼なのでしょう。
 そのために、本音でぶつかることもありますし、チームの勝利のために、犠牲的な行動もあるでしょう。
 でも、それはチームとしてよい結果を生み出すための、必要な一つ一つのプロセスとして重要なことであり、それらプロセスを一つ一つ積み上げていくことによって、チームとしての根の強さになるのではないでしょうか?
 目先の結果だけに捉えて、異を唱えるものに蓋をしてしまうと、そういった信頼をつくることができる余裕すら失い、結果としてチームでの信頼がギクシャクしてしまうでしょう。

 名選手、名監督であった野村克也さん曰く 「リーダーの素量以上に、チームは強くなれない」といわれます。
 試合中に、監督があれしろこれしろとは、基本は言わない。(練習では必要あればそうかもしれませんが)、選手の監督への信頼と、選手がチームとして最善を尽くすために、お互いに信頼をつくる
行動をする。
 そうゆうよい相乗効果を生むように、信頼をもって接するし、逆に監督の立場として選手に、真の信頼をもってもらう行動をする。時にはリーダーとして失敗のリスクを取る。
 そういう選手同士、選手-監督との信頼関係を作り上げる素量が、リーダーの力だと仰っていると理解しておりますし、その素量が足りなければ、チームの根は薄く弱いものにしかならないでしょう。
 確かに、野村さんの場合は、お互いの立場で、最善をつくすために必要なことを、頭を使って考えなさい、お互いにそれを生かしなさい、というやり方ですね。

 私は個人的には、短期的なタスクフォースでその場しのぎばかりやっていては、だめで、タスクフォースのアクションをマル投げ的ではなく、お互いに理解をして、チーム全体として、長期的に根を太く頑丈につくりあげるというやり方の方が好きです。

 プロだから、個人を金で呼んでというチームが、必ずしも上手くいっていませんよね。
呼んで上手く行ったチームは、呼ばれた選手がが、個人の力以外に、チームとして周りによい影響を与えるといった場合ですね。

 チームの補強というと、その場しのぎと、長期的に樹を頑強にしていくためでは、一見アクションは似て、本質は大きく非なるものであります。
 最近思いますが、世の中の考え方としてこの辺を勘違いされていないかです。

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