JAXAの科学観測衛星、「あかつき」、残念ながら今回の、金星周回軌道に
入ることはできませんでした。
何よりも、プロジェクトのリーダーは、私がかつて学生時代に3年間程、お世話になった方々、無念な表情を浮かべられていたことが、一番悔しく思っています。
その方々は、私にとって、「ガリレオ」や「ニュートン」のような存在でした。
単に理論物理学者だけでなく、地球の外で起きている物理現象を、どのような観測手段で
実証するかまで、実際にやられていた方々だからです。
ご存知の通り、地球から金星は、太陽系の惑星で、一番近くの距離であります。
ただし、近いといっても、光の速さで、4から5分もかかる距離です。
想像もつかない距離ですが、光は、一秒間に地球を7周半する距離で進みます。
そんな中で、実際に金星の近くに行って、観測するとなると、時期によりますが、数年かかります。
衛星を打ち上げても、金星の近くに来た時に、衛星と通信をすると、往復10分近くかかるそうです。
だから、その場で何かがあっても、地球で気がついた時には手遅れになってしまいます。
もちろん、それに備えて、自律自動制御機能をされているそうです。
今まで、人工衛星では、遠くへ少ないエネルギーで到達させるために、月の重力を使って、ぎりぎり接近するまで、重力で加速させて遠くに移動させる、スイングバイということはやってきました。
今回は、逆で、金星に接近するところで、ブレーキをかけて、金星の重力にトラップするといった計画でした。
そんな離れ業の一発勝負、ずっと前から作戦を立てて、万全の準備で進められていたことですから
、結果は残念ではあります。
異常を検出し、逆噴射をストップしたのは、それも、ある意味準備された中のことなので
救いは、衛星の行方が掴め、通信が可能で、制御ができる状態にあることです。
だから、本来のミッションのリカバーできる可能性が残っているわけです。
次の挽回策は、太陽系惑星軌道とのタイミングで、数年後になるかもしれません。
いろいろ、予算的な事情もあり、今後についてはどうなるかわかりません。
日本の科学技術の予算枠は、欧米に比べると非常に少ない訳ですから
ただ、一度満身創痍になってしまった「はやぶさ」との復活劇のこともあり、
まだ、何かに期待は持っています。
想定外が想定外を生んで、新たなことが発見できれば、それを信じて
2010年12月12日日曜日
2010年12月7日火曜日
今更ながら、言葉にならない。
ここ数年、私の友人や先輩方から、暮れになると、喪中のご連絡を頂くことが増えました。
私自身の年齢からすると、同年代の方の親族にご不幸がある場合が殆どです。
こればかりは、生きている以上、どうしても避けられないことではあります。
私も、自分の親族について、以前から、日常生活に支障をきたす厳しい状況は
覚悟はしておりましたが、いざ事になると
やはり、、、。言葉にならない。
辛いけど、今はじっと現実を受け止めるしかない。
私自身の年齢からすると、同年代の方の親族にご不幸がある場合が殆どです。
こればかりは、生きている以上、どうしても避けられないことではあります。
私も、自分の親族について、以前から、日常生活に支障をきたす厳しい状況は
覚悟はしておりましたが、いざ事になると
やはり、、、。言葉にならない。
辛いけど、今はじっと現実を受け止めるしかない。
2010年12月3日金曜日
血圧上昇と、堪忍袋の緒が切れたとき
師走になると、やっぱり寒いし、どうしても身体が固くなりやすくなります。
私も、首や腰をストレッチしないと、一日苦しい日もあります。
年末となって、年内になんとか蹴りをつけておきたい、そんな急く気持ちが高まる時期でもあります。
そんな状況でしょうか、何かと血圧が上がる機会も多くなってきます。
もともと気の短い性分ではありました。
まあ、以前にいろいろ、急いて突っ走って、気が参ってしまったのも、そんなところも
一つの理由でしょう。
そんなことを繰り返さないように、復帰をする際には、怒りで物事が解決できるなら楽ですよね!って、ストレスを、冷静にユーモアをもって寛大に対応するようにしていました。
決して、消極的な泣き寝入りや諦めの気持ちではないつもりでした。
でも、明らかに間違っていることを、何度も押付けがましく言われたら、これはドライに、冷静に厳しく言うべきだと思います。
この場合は、ガツンと言わなければわからないのだから。
場合によっては、喧嘩口調の口論になる場合もあるでしょう。いわゆる堪忍袋の緒が切れたと思われるかもしれません。
任侠の世界では「喧嘩上等」と言って、口より体でねじ伏せるかもしれませんが、一社会人としては、そうはいかない事情があります。
こうゆう時、流石に瞬間湯沸かし器の如く、血の気が上がってしまうんですよね。
でも、気をつけないと、ここ最近こうゆう時に、息苦しくなって、
くらっと立ちくらみになることがあります。
元々血圧が高めなので、毎年産業医からも注意と改善を促されて、
気をつけないとまずいんですが。
復帰したあとも、精神安定剤も服用していました。
一時は、量を減らしても大丈夫なようになってきました。がしかし、ここ数ヶ月、どうも不安定になり
安定剤も欠かせなくなってきました。
そのためか、一日の中で、気分のムラと、突然の睡魔に悩まされることが多くなってきました。
最近はどちらかと言うと、朝と、夕方は、気分が高まって、昼間は何言われても、上の空に
近い状態になることが多いです。
家に帰る頃は、何故かぐったり状態です。鏡を見ると表情が固いと気付かされました。
もう一回リセットが必要なのか? 自分でもよくわからない。どうなってしまったのか、、、。
私も、首や腰をストレッチしないと、一日苦しい日もあります。
年末となって、年内になんとか蹴りをつけておきたい、そんな急く気持ちが高まる時期でもあります。
そんな状況でしょうか、何かと血圧が上がる機会も多くなってきます。
もともと気の短い性分ではありました。
まあ、以前にいろいろ、急いて突っ走って、気が参ってしまったのも、そんなところも
一つの理由でしょう。
そんなことを繰り返さないように、復帰をする際には、怒りで物事が解決できるなら楽ですよね!って、ストレスを、冷静にユーモアをもって寛大に対応するようにしていました。
決して、消極的な泣き寝入りや諦めの気持ちではないつもりでした。
でも、明らかに間違っていることを、何度も押付けがましく言われたら、これはドライに、冷静に厳しく言うべきだと思います。
この場合は、ガツンと言わなければわからないのだから。
場合によっては、喧嘩口調の口論になる場合もあるでしょう。いわゆる堪忍袋の緒が切れたと思われるかもしれません。
任侠の世界では「喧嘩上等」と言って、口より体でねじ伏せるかもしれませんが、一社会人としては、そうはいかない事情があります。
こうゆう時、流石に瞬間湯沸かし器の如く、血の気が上がってしまうんですよね。
でも、気をつけないと、ここ最近こうゆう時に、息苦しくなって、
くらっと立ちくらみになることがあります。
元々血圧が高めなので、毎年産業医からも注意と改善を促されて、
気をつけないとまずいんですが。
復帰したあとも、精神安定剤も服用していました。
一時は、量を減らしても大丈夫なようになってきました。がしかし、ここ数ヶ月、どうも不安定になり
安定剤も欠かせなくなってきました。
そのためか、一日の中で、気分のムラと、突然の睡魔に悩まされることが多くなってきました。
最近はどちらかと言うと、朝と、夕方は、気分が高まって、昼間は何言われても、上の空に
近い状態になることが多いです。
家に帰る頃は、何故かぐったり状態です。鏡を見ると表情が固いと気付かされました。
もう一回リセットが必要なのか? 自分でもよくわからない。どうなってしまったのか、、、。
プロの中の一流のプロ
私は、今年、元ロッテオリオンズのエースピッチャー 村田兆治さんの講演を拝聴する機会がありました。
野球に詳しい方ならば、ご存知かと思いますが、プロ野球投手として、現役時代、一度肘を故障し、選手生命の危機を迎えられたこと。
当時日本人選手では、初めて筋肉移植手術にトライされ、見事リハビリを経て、マウンドの登板に復帰され、名球界入りとなる、通算200勝利を成し遂げたアスリートであります。
現在、50歳を超えても、時速140kmのスピードで投球ができるということで、マスターズリーグのエースとしても知られております。
その講演を拝聴して、改めて思いました。この人は、選手として、人としてプロの中の一流のプロだと。
独特の広島訛りの口調で、ユーモアも毒舌もあり、実際のまさかり投法もありの講演でした。
あの年齢で、まさかり投法ができ、きちんと投げる球がコントロールできるというのは、もちろん身体をきちんと鍛えて、継続したケアがなければできないことです。
私が、この人は違うと感じるのは、ただ野球が上手い、野球馬鹿ではないとことです。
同じ様に、同時期に活躍された、野村克也さんや、故稲尾和久さん、福本豊さんも、共通点があるかと思います。
この人も、逆境を克服するに当たって、頭と技を駆使し、戦略を立てて成功されたといういきさつを、講演ではユーモアを交えて、客観的に語られておりました。
肘の故障から復活された後、当然リハビリ期間も長期間あります。
当然、相手はプロ選手同士の対戦ですから、気合だけで直球勝負は通用しないし、
先発で登板して9回まで完投することも難しい。
そんな中で、どうしたらということで考え付いた結果、身体全体をばねにして重心移動する、まさかり投法を生み出し、肘の負担を少なく球威のある投球術を武器にしました。
そして、直球だけではなく、打者の手前でストンと急降下する、フォークボールを新たな武器として取得し、直球とうまく組み合わせて、打者をかく乱する戦略を上手く考え出しました。
当時のロッテオリオンズでは、リリーフ投手の数が少ないチーム事情ということもあり、一人の投手で完投できることは、チームにとっても長期戦に有利になります。
これだけを聞くと、身体で覚えたというイメージを持ちますが、実はそうではないことが講演でわかりました。
肘の故障で、ボールすら投げられない時期がありました。今の村田さんからすれば信じがたいですが、本業のマウンドに立てないことが続き、精神的にも追い詰められてしまった時期もあったそうです。
転機になったのは、あるお寺の住職さんの言葉だったそうです。当時リスクの大きかった肘の手術に、前向きに踏み切った切っ掛けにもなったそうです。
手術後のリハビリで、まず、肘や肩の負担を少なく、きちんと狙ったところにまっすぐ投げるにはどうすればいいか?というのを、いろいろ、考えて、試して、ビデオで撮影して、スポーツ医学の先生の客観的な意見を聞いて、すべてノートに記録していたそうです。
当然、投手の体型やバランスはそれぞれ違いますので、どれが一番適しているかというのは、ひとそれぞれです。
その中で、きちんと体重移動での勢いを、肘に負担をかけず、ボールに伝えるということで、あの独特の方法に行き着いたそうです。
次に、まさかり投法は、足腰の重心バランスがしっかりしていないと、ボールをリリースする位置がぶれ、思ったところにボールが行かなくなります。
そのために、身体の土台となる足腰を、バランスよく鍛える準備は欠かせなかったと言います。
練習で、まさかり投法で遠投をするのも、きちんと球威のある球を投げられるようにするためだったそうです。
もう一つの武器フォークボールも、ボールに力がぶれずに伝わる投球ができるからこそ、
変化球の回転がよく伝わり、打者の手前ですっと変化する球が、安定して投げられるようになったそうです。
それも客観的に、頭をつかって考えて、変化球を武器にしようと取得されたとのこと。
それを上手く組み合わせれば、打者は打つタイミングをかく乱されますので、投手が優位の
ペースで投球ができるようになります。
頭を使って、次に何を投げるかわからないように出来るわけですから。
実際、村田さんは、投球数が少なくて、完投勝利が多い投手でした。バッテリーとして受ける
袴田捕手も、村田さんとはあうんの呼吸で欠かせない存在で、チームプレイに生かされていました。
この人が素晴らしいというのは、講演を拝聴した素人の人と、キャッチボールをする際に、
きちんと、ボールを受ける相手に、自分の言葉で、ここに投げるから、客観的にどの位置に手を構えればよいというのをわかりやすく伝える。
例えば、両手を胸の位置に、まっすぐ伸ばしたところで、受けるように投げるので、そのままの位置で動かずに構えてと。
また、相手が投げ返すときに、コントロールがずれると、腕の位置をもう10cm、手のひら一つ右に、というように伝えて、もう一回やってできるように、適切な説明でアドバイスができること、それをできるまで、付き合って投げさせることです。
プロ野球の解説者の大半は、感覚的、主観的な解説が多いイメージがありましたが、
この人は自分の言葉で、きちんと、相手にわかるように、客観的にアドバイスができるプロ中のプロ選手。
それを、相手の投げる動作の中で、一瞬の中で、一つ一つの動作を、客観的にきちんとみて、
どうすればよいかを言えるのだから、一味違う。
だから、あれだけの実績を、長期間にわたって活躍できたのも納得です。
実際、現在、村田さんは、野球を見に来る機会が難しい、離島の少年達に、野球というチーム競技の楽しさを教えることを、ライフワークとされています。
以前、NHKの番組で拝見したことがありますが、今回の講演同様に、自分の言葉でわかりやすく
、相手ができるまで、付き合うというのが基本でした。
もちろんその活動は、手弁当のみでボランティア的な活動で、非営利でやっているそうです。
当然、村田さんの活動に賛同された、元プロ選手も同行するようになられたそうです。
その成果として、祈願であった、離島同士の野球チーム大会が開催できるようになったことを、大変喜ばれておりました。
現在も、ライフワークは、講演も含めて、また、マスターズリーグの投手として継続されております。私も一度、マスターズリーグで村田さんの投球を拝見して、改めて驚いた身です。
もちろん、教えるにも、きちんと自分の準備や練習は怠らないそうですし、行き先のことも
相手のことも、事前によく頭に入れて準備されているそうです。
村田さんは、プロ選手 イコール 職人というのとは格が違う、
壁にぶつかった時に、頭を使って、乗り越える戦略を考えて成功した一流のプロ。
引退後も、自分の利点や実績を、上から目線でなく、相手目線でみて、つきあって、
社会に上手く貢献できないか、そこも戦略を考えてやってこられた人。
やっぱりプロ中のプロ、人生の先輩としての偉大さを感じます。
私にとって、有意義な講演会でした。
野球に詳しい方ならば、ご存知かと思いますが、プロ野球投手として、現役時代、一度肘を故障し、選手生命の危機を迎えられたこと。
当時日本人選手では、初めて筋肉移植手術にトライされ、見事リハビリを経て、マウンドの登板に復帰され、名球界入りとなる、通算200勝利を成し遂げたアスリートであります。
現在、50歳を超えても、時速140kmのスピードで投球ができるということで、マスターズリーグのエースとしても知られております。
その講演を拝聴して、改めて思いました。この人は、選手として、人としてプロの中の一流のプロだと。
独特の広島訛りの口調で、ユーモアも毒舌もあり、実際のまさかり投法もありの講演でした。
あの年齢で、まさかり投法ができ、きちんと投げる球がコントロールできるというのは、もちろん身体をきちんと鍛えて、継続したケアがなければできないことです。
私が、この人は違うと感じるのは、ただ野球が上手い、野球馬鹿ではないとことです。
同じ様に、同時期に活躍された、野村克也さんや、故稲尾和久さん、福本豊さんも、共通点があるかと思います。
この人も、逆境を克服するに当たって、頭と技を駆使し、戦略を立てて成功されたといういきさつを、講演ではユーモアを交えて、客観的に語られておりました。
肘の故障から復活された後、当然リハビリ期間も長期間あります。
当然、相手はプロ選手同士の対戦ですから、気合だけで直球勝負は通用しないし、
先発で登板して9回まで完投することも難しい。
そんな中で、どうしたらということで考え付いた結果、身体全体をばねにして重心移動する、まさかり投法を生み出し、肘の負担を少なく球威のある投球術を武器にしました。
そして、直球だけではなく、打者の手前でストンと急降下する、フォークボールを新たな武器として取得し、直球とうまく組み合わせて、打者をかく乱する戦略を上手く考え出しました。
当時のロッテオリオンズでは、リリーフ投手の数が少ないチーム事情ということもあり、一人の投手で完投できることは、チームにとっても長期戦に有利になります。
これだけを聞くと、身体で覚えたというイメージを持ちますが、実はそうではないことが講演でわかりました。
肘の故障で、ボールすら投げられない時期がありました。今の村田さんからすれば信じがたいですが、本業のマウンドに立てないことが続き、精神的にも追い詰められてしまった時期もあったそうです。
転機になったのは、あるお寺の住職さんの言葉だったそうです。当時リスクの大きかった肘の手術に、前向きに踏み切った切っ掛けにもなったそうです。
手術後のリハビリで、まず、肘や肩の負担を少なく、きちんと狙ったところにまっすぐ投げるにはどうすればいいか?というのを、いろいろ、考えて、試して、ビデオで撮影して、スポーツ医学の先生の客観的な意見を聞いて、すべてノートに記録していたそうです。
当然、投手の体型やバランスはそれぞれ違いますので、どれが一番適しているかというのは、ひとそれぞれです。
その中で、きちんと体重移動での勢いを、肘に負担をかけず、ボールに伝えるということで、あの独特の方法に行き着いたそうです。
次に、まさかり投法は、足腰の重心バランスがしっかりしていないと、ボールをリリースする位置がぶれ、思ったところにボールが行かなくなります。
そのために、身体の土台となる足腰を、バランスよく鍛える準備は欠かせなかったと言います。
練習で、まさかり投法で遠投をするのも、きちんと球威のある球を投げられるようにするためだったそうです。
もう一つの武器フォークボールも、ボールに力がぶれずに伝わる投球ができるからこそ、
変化球の回転がよく伝わり、打者の手前ですっと変化する球が、安定して投げられるようになったそうです。
それも客観的に、頭をつかって考えて、変化球を武器にしようと取得されたとのこと。
それを上手く組み合わせれば、打者は打つタイミングをかく乱されますので、投手が優位の
ペースで投球ができるようになります。
頭を使って、次に何を投げるかわからないように出来るわけですから。
実際、村田さんは、投球数が少なくて、完投勝利が多い投手でした。バッテリーとして受ける
袴田捕手も、村田さんとはあうんの呼吸で欠かせない存在で、チームプレイに生かされていました。
この人が素晴らしいというのは、講演を拝聴した素人の人と、キャッチボールをする際に、
きちんと、ボールを受ける相手に、自分の言葉で、ここに投げるから、客観的にどの位置に手を構えればよいというのをわかりやすく伝える。
例えば、両手を胸の位置に、まっすぐ伸ばしたところで、受けるように投げるので、そのままの位置で動かずに構えてと。
また、相手が投げ返すときに、コントロールがずれると、腕の位置をもう10cm、手のひら一つ右に、というように伝えて、もう一回やってできるように、適切な説明でアドバイスができること、それをできるまで、付き合って投げさせることです。
プロ野球の解説者の大半は、感覚的、主観的な解説が多いイメージがありましたが、
この人は自分の言葉で、きちんと、相手にわかるように、客観的にアドバイスができるプロ中のプロ選手。
それを、相手の投げる動作の中で、一瞬の中で、一つ一つの動作を、客観的にきちんとみて、
どうすればよいかを言えるのだから、一味違う。
だから、あれだけの実績を、長期間にわたって活躍できたのも納得です。
実際、現在、村田さんは、野球を見に来る機会が難しい、離島の少年達に、野球というチーム競技の楽しさを教えることを、ライフワークとされています。
以前、NHKの番組で拝見したことがありますが、今回の講演同様に、自分の言葉でわかりやすく
、相手ができるまで、付き合うというのが基本でした。
もちろんその活動は、手弁当のみでボランティア的な活動で、非営利でやっているそうです。
当然、村田さんの活動に賛同された、元プロ選手も同行するようになられたそうです。
その成果として、祈願であった、離島同士の野球チーム大会が開催できるようになったことを、大変喜ばれておりました。
現在も、ライフワークは、講演も含めて、また、マスターズリーグの投手として継続されております。私も一度、マスターズリーグで村田さんの投球を拝見して、改めて驚いた身です。
もちろん、教えるにも、きちんと自分の準備や練習は怠らないそうですし、行き先のことも
相手のことも、事前によく頭に入れて準備されているそうです。
村田さんは、プロ選手 イコール 職人というのとは格が違う、
壁にぶつかった時に、頭を使って、乗り越える戦略を考えて成功した一流のプロ。
引退後も、自分の利点や実績を、上から目線でなく、相手目線でみて、つきあって、
社会に上手く貢献できないか、そこも戦略を考えてやってこられた人。
やっぱりプロ中のプロ、人生の先輩としての偉大さを感じます。
私にとって、有意義な講演会でした。
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