年末になると、部屋掃除をします。
その時に、いつも思うことではありますが、何でこんなに物が多いの!?って
私の悪い癖ですが、本屋でちょっと立ち読みした文庫本や、雑誌を衝動買いして
しまうところがあります。
文庫本は、後で読まないままのことは無いですが、雑誌の場合、後で読むからが
ずっとほったらかしになる場合があります。
しかも週間誌や、季節柄タイムリーな情報誌の場合、時が過ぎると役に立たない情報に
なってしまう訳ですので、実に無駄を作ってしまいます。
マメな人ならば、必要な部分をスクラップで切り抜いたり、スキャナで保存したりするでしょう。
しかし、今の私にはそんな気が廻らないのも事実です。
休職などで、収入が落ちる中このままではいけないと思い、新聞、週間誌は止めて、市の図書館に閲覧しに行っています。
最近は、同じような状況の方が多いのでしょうか、休日や午後は結構混んでいます。
インターネットが携帯電話などでユビキタス性能が上がっても、やっぱり自分のペースで
大きな文字で、情報を見たいというのが、私の正直な気持ちです。
ただ公共のものなので、重要なところに線を入れるとか、書き込みすることはできませんし
折り目を入れることも出来ない部分はあります。
図書館の本は、みんなのものだから、必要なルールがあるし、みんなが使えるように
大事にすべきことと考えて、対処しています。
本当に必要だったら、ノートにメモをしておけば良いことですし、文庫本で必要なら古本屋に
ある場合もあります。
私も、こんな調子でいろいろ本は持っています。自分の主観で役に立つもの、これはちょっと
というものもありますが、「書から英知の共有」の主張は、私も賛成ですし、いずれ必要な方や
学校や図書館へ寄付してもいいかと思っております。
何かを始める時に、直ぐに解決できる本が見つかるわけではないですが、ヒントとなる切っ掛けを
書から得たことが多いです。
だから自由研究や、大学の論文やレポートは、自分の言葉や文章で示す必要があり、いい加減な知識だけでは対応できないので、いろいろ本を調べたり探したりして、理解を深めるのです。
WEB検索で、簡単に調べることができるようになったことは、有り難い面も多いです。
しかし、もう少し本質に突っ込んで考えたいとか、自分の考えと比較したいといった面では、まだまだ書物を読むこと程深い情報にはなっていないと考えます。
文庫本や雑誌の休刊が相次いでいますが、歴史的に書というのものは、後世に情報を残す意味もあります。
それを考えるとまだまだ文化として消え去るものではないと思いますし、私自身そうであって欲しいとおもうこの頃です。
0 件のコメント:
コメントを投稿