2011年10月13日木曜日

macとの思い出

先日、アメリカアップル社の 前CEO Steve Johb氏が 他界されたとの報道がありました。

まだ50代の若さということで、とても残念でなりません。

20世紀後半に、全世界中に、パーソナルコンピュータを普及させ、その後の
ネットワークとの相互接続、インターネット、音楽プレーヤーとの連携など、
次々の人類の生活スタイルに革新的な影響を与えてくれた人物であると
私は感じております。

もちろん、同時期に Windowsを普及させたMicroSoft社の Bill Gates氏 とは市場競争の
対局となったわけですが、

アイコン画面を、マウスポインターで、クリック、ドロップ、スクロールなどの直観的なユーザーインターフェースは
 私も含めて、当時、画面にキーボード入力が主流で敷居が高かった、PC機器のイメージを衝撃的に一新しました。

 その後、マウスポインターの操作系は、マイクロソフト社のMS-DOSからWindows95、
ワークステーションでおなじみの、UNIXのXWINDOWという、グラフィカルユーザーインターフェースにも発展されてきました。いち

 ちなみに、私が初めてMACに出会ったのは、大学の卒業研究や論文作成の頃でした。
MACには、当時のクラリスやADOBEなどのソフトウエア会社が、文書作成ソフトや、表計算、図面描画ソフトが揃っており、一台のPCで、同時に、計算してグラフを作成しながら、論文の文章を作成するという、今でいうマルチタスクができるということで、誠に重宝しておりました。

当時、デスクトップの値段は、まだ数十万円、ソフトウエアが数万円という高価なもので、
当然私のように、奨学金を充てにしている貧乏学生には、とても個人で変える代物ではなかったです。

ですから、卒業論文など、同じ同級生や、先輩のマスターの院生と、1台のPCで交代で使っていました。 当時は、Windows3.1や、UNIXの日本語エディタ(TEX)もありましたが、
一度使い勝手の良さを知ってしまうと、扱いが違いましたね。

今では当たり前である、アプリケーションの起動時の砂時計というのも、時間待ちを楽しい気分にやわらげていたかもしれません。
(メモリーを使いすぎて、強制シャットダウンする前に、爆弾マークというのも、急ぎの時も苦笑いで済んだのかもしれません)

その後、マイクロソフトとの互換性や、PC本体をお好みにカスタマイズしにくい、さらに価格がどうしてもということで、一時マイクロソフトに、市場が傾きましたが、

独自のインテリアに負けない外観や、音楽プレーヤとの親和性、さらにWindowsとのファイル互換など
かつてMACユーザーから他へ流れたユーザーを取り戻してきました。

が、しかし、私が一番衝撃だったのが、マウスポインターから、人間の指を触れるという、さらに直観的な操作系に発展してきたことです。
 もちろん、指の前には、PDA(palm OS)や、任天堂DSのような、タッチペンの操作系も、画期的でしたが、それ以上に活用の自由度が変わったのではないでしょうか?
 
 私も学生同時にMACを使っていた頃、約10数年後は、端末は薄型タッチパネル一枚で、操作は指を触ってなど、まったく想像できませんでした。
 私は、現在PCはWindowsを使っていますが、モバイル端末として誘惑に負けて、i-Phone4を使っています。
 最初はちょっと使いにくいと思いましたが、慣れてくると不思議なもので、しっくりきます。

おそらくですが、人間も赤ちゃんのころ、最初はペンも握れないし、砂場に指一本で何か落書きを書き始めたと思います。
 なんとなくですが、言葉に表現できない、遺伝的な触覚などの感覚を呼び覚ますという部分で、受け入れられるようになったのかと思います。

今からさらに10年後、いったいどのような未来の文化が生まれるのだろうか?

エンジニアの端くれである、私でさえ、まったく想像できないと思います。それこそ22世紀から
20世紀にタイムマシンでやってきた、ドラえもんの秘密道具が完成するかもしれません。

ただ、ドラえもんの漫画でも度々、便利な道具は、万能ではなく、欠点があることを理解して使わないと、仕返しを受けてしまうことも見せています。

キーボードが、マウスポインタ、指となったように、自然や、人間が本来もっていた感覚というのを

協調していく形になっていくのかもしれませんね。

10年後の未来は、急には出来てこないですが、一日一日、何か少しでも、前向きに課題をみつけて試行錯誤して発見、創造を積み重ねていったなら、アップル社のような、大きな文化の波が生まれるのかもしれません。

2011年9月18日日曜日

日本の首相が交代、日本の真のリーダーシップと真摯さを出してお願いしたい

なんとか、夏の電力危機を、国全体で協力して乗り越えたというところです。

ただ、そうは言っても、東北地方の津波被害の影響、福島原子力発電所の状況は、
まだまだ、緊急を要する対策が必要なのは代わりません。

個人で協力できること、自治体でまとまってアクションをすること、政府の力が必要なアクション
様々なアクションの規模、段階など混在している状況かと思います。

それでも、3月11日から半年が過ぎ、かなり自治体、住民、支援者の小単位での協力があって
被災地のがれき撤去や、生活インフラの復旧など、少しずつですが前進しております。

これらの成果、パニックにならずに、一つずつできることを前進していくのは、被災者が、被害者意識だけでなく、自分達が協力してなんとか立て直すという当事者意識がなければここまで
復旧できなかったかもしれません。

 支援する側も、人事ではなく、東北を立て直すことが、日本を立て直すために必要なことと思われているはずです。

 事実、日本の農業、漁業、産業において、東北地方の貢献というものを、改めて国民が現実を知らされた訳ですから。

 日本の政府リーダーが、刷新しました。
野田さん、若いリーダーですが、津波や液状化で大きな被害があった、千葉県の有権者から指示を得て、政界で活躍された方です。

 派手でも、地味でもいい、政府の一番本質の役割を肝に銘じて、真摯な姿勢で、日本のリーダーシップとして立て直しに、全力で取り組むことに、有権者として期待したい。

 私共も、有権者の一人として、政府の批判だけでなく、日本を立て直すにはどうして欲しいかと前向きな考えをもつ必要はあると、改めて思う。

2011年7月14日木曜日

冷静に、目的とその手段の関係を考えて

日本国内では、原子力発電所の事故復旧を始めとした、地震、津波災害復旧という
大きな克服すべき課題と試練に立たされております。

結果として想定外であったとしても、現実には、応急処置、そして恒久的な処置としても
時間を急ぐ状況になっております。

これは、災害地だけの問題ではなく、東北から離れた、関東地方でも、様々な問題に
直面しております。
 対岸の火事的な考え、事なかれで済まされることが、一番日本の再建に向けての障害で
あると考えます。
 
 私もそうですが、時間を迫られると、視野が狭くなり、最終的な目的を考えずに、目の前の
手段をすることが目的と、誤認してしまうことが多くあります。

とかく、文句はいいからとにかくやれっというのは、このような場合に陥る傾向であります。
この場合、指示を出す方が、何のためにという本質を理解していないことが往々にしてあります。

そして、指示=目的=手段と勘違いし、何でだというと、「今までよいと思って当たり前のように
やってきたから」、と現状との乖離度合いを無視して、手段をすることが結果を出したと
勘違いする。

災害の問題については、日々刻々と厳しい現場で命がけの対応がされている中、報道でのクローズアップの視点や、立法、行政側の国として代表権のある方たちは、現場での対応をされている方との意識の温度差というものは、どうしても感じます。
 どうしても場当たり的になってしまうのは、自分達が手を汚さず、遠隔操作でことが済んでという
意識があるからかと、私は思います。

 今の問題は、専門家、行政、国民含めて、お互いの立場で、一つの目的意識を共有化して
それぞれの立場でできることを優先順位をつけて積極的にやっていかなければならない。
そのためには、正直ベースで、何がわかっていて、何が推論でどうしているか、しようとするかを
それはどうゆう理由でを、真摯な態度で伝えていかなければならないし、耳を傾けなければならない。

私も立場でできる協力が必要な状況は知っているし、協力を躊躇うつもりもない。
だけど、何のためにという冷静な突っ込みと、考え直す冷静さは失ってはいけないと
肝に銘じて、これは今私が冷静に思うところです。

2011年7月13日水曜日

とにかく暑い!体調管理には注意を

今年も暑いです。
昼間あまりクーラーを使えないこともありますが、
それだけではありません。やはり密集したところに人が集まりすぎなのかもしれません。

少なくともクーラーだけでなく、日陰と風の流れがあれば、随分違います。

夜も暑くて、熟睡できないかと思います。
確かに、節電には気をつけないといけませんが、熱中症になってしまっては
どうにもなりません。
 とにかく、あまり無理しないことが大事だと思います。
私も冷房は苦手ではありますが、扇風機のそよ風があれば、大分楽になります。

疲れを溜めないように

2011年6月2日木曜日

事件は会議室で起こっているのではない、現場で起こっている!

タイトルは、以前、映画「踊る大捜査線」で主演の青島刑事が、現場報告の有名な台詞です。

ここ数日、ニュースを見ていますが、やはり3月11日に起きてしまった

未曾有の危機的大規模被害からの復興が、一進一退の状態であることが、

ずっと気になっております。

これから東北地方も梅雨に入りますので、土砂崩れなどの2次的被害の恐れもあります。

もちろん、他人事ではなく、某CMのように、日本国民が一つのチームとなって支えていかなければ
復興はできない大きな被害であると考えていますし、自分の立場で協力できることを考えて、やっていかなければという意志は、毎日ずっと持ち続けております。

そんな中、連日のニュースでは、代議士の皆様達や政府関係者の行動について、当事者意識の欠如を感じざるを得ない状況が続いております。

国会や政府内で、政府の対応を駄目だし、批判し合っている場合ではないんです。

日本の政治家は総論賛成、各論反対とよく言いますが、今は手段と目的を入れ違えている場合ではない。

まずやらなければならないこと、それは 
1)きちんと、復興の大目標の意思統一を図った上で、
2)事実に基づいた問題点の情報収集と課題の洗い出すこと。
3)いつまでに、どのような目標をたて、どのように進めて行く、
4)どのような段階で状況をチェック、見直しするなどのアクションプランを共有化し、
5)アクションプランを分担し、どの組織が、当事者意識をもって責任をもって実行するか

以上の段階的なアクションを、政府、国民の代表である代議士さんが、建設的な提案を出して、国民の先頭をきって速やかにやっていかなければならない。

政府の対応が良くないからといって、

議会が復興に向けた建設的な方向付けを決める行為を止めてまで、
内輪もめをするというのは、国民の代表である代議士さんたちの、当事者意識の欠如が
疑われてしかたがない。

せめて、うまくいっていない状況を打開するために、建設的な意見や行動は精力的に行われていただろうか? 

大体、内閣不信任案をだすから、俺が今の政府に変わって、このように進めて行くと具体的に明言されている議員さんがどれだけいるだろうか、この手の話は、全く話題にもならない。

また、仮に議会解散をして選挙となったとしても、現状被害に合った地域では、有権者数の把握まで不完全な状態が続いており、選挙そのものができるかもわからない状況である。

当事者意識の欠如したメンバーだけの議論は、問題解決に向けては時間の無駄でしかならない。

まさに、事件は会議室で起きているのではなく、現場で起こっているという台詞がふさわしい。

また、自分にとっても、有権者としての責任や当事者意識の問題を問われていると感じる。

私の提案ではあるが、国会や内閣政府機能の当事者を、一時的に、問題解決に向けたアクションが完遂するまで、東北地方の被災地域近辺で実施したらどうだろうか?と思う。

それだけでなく、議員宿舎は、避難所と同じ条件で、食事は配給、議員報酬の中から食費を出す。
議員報酬の半分を、復興支援基金に当てるなど。

これは、議員さんに対する中てつけではなく、

議員さんの立場でやれる範囲を踏まえた上で、現場をよくみて当事者意識をもてば、

適切なアクションを速やかに努力実施するしかないだろうし、

被害に遭われた地域からも、情報が正しく伝わりやすいし、的確な行動によて、お互いの信頼をもってもらえるようになるのではという、期待もこめてである。

現状、被害に遭われた当事者からは、政府関係者は悪代官という色眼鏡でみられていると感じる。

そうゆう状況から信頼を取り戻すのは、いかに問題意識をもって課題に取り組んでいるかを、自分の立場で最大限実践し続けることしかないだろう。

実際、被害を受けた自治体では、被災された人達が、協力して復興に尽力をつくされている。
そんな中で、一番復興に向けた大きなアクションを立案実施する権利を持つものが、
内輪もめで、審議を遅らせてというのは、非常に腹立たしく思う。

2011年5月28日土曜日

褒めるところは褒める、叱るべきところは叱るじゃないですか?

関東でも、梅雨入りしました。

なんとなく、この時期は気分がネガティブ思考になりがちです。

特に、今年は3月11日の大きな出来事があったから。

でも、すべてがネガティブ思考になってしまうと、今度は被害者意識が強くなって

本来進まなければならないことに対しても、足の引っ張り合いになってしまうことが

よくあります。

特に、大勢の組織として、力を合わせていかなければならないことって

生きていく以上、一杯ありますよね。

報道では、政府や東京電力の幹部への批判が集中しております。

おまけに、政府の足の引っ張り合い議論まで始まる始末。情けない。

まだ、問題は解決していないし、日々刻々と状況が厳しくなっている。

お互いの立場で、しなければならないことは沢山ある。

当事者意識というものが、伝わってこない。

もっと情けないのは、そんな連中を選挙で選んでしまった、我々有権者でしょう。

これも、当事者意識が問われることです。

さて、とは言っても、どのように打開するか?が本題です。

基本は、どうしたいのかの大目標と、目標を達成する上での過程での小目標つまり

どのような形で、目標を達成していくかの過程としての目標とアクションを

きちんと当事者意識をもって、自分の立場で考えてやることに尽きます。

もちとん、物事を進める上で、目標通りにいかないこともありますし、思わぬミスをして
しまうこともあります。

あめとムチという言い方もありますが、まず冷静に、目標に対して、何が事実としてできて

何が、出来ていないかをオーソライズできる信頼関係を作っていかなければなりません。

その基本は、私の経験からすると、褒めるところは褒める、叱るところは叱る。

叱ったときは、一方的に責めるのではなく、どのようにしていけばという課題を考えて、
お互いに共有化する。

褒めるべきところは、ほめて、更にどのような形で、より継続できるように、課題を共有して
取り組む。

これなんじゃないですかね。

2011年5月1日日曜日

改めて見直す事

ここ1ヶ月、大変な事が、起きてしまいました。

 改めて、自然界でおこる事の脅威、そして、人間の科学技術に対する過信
の脅威を事実で実感する機会だと感じました。

 そして、かなわないものが、有るからこそ、自然界の恩恵を尊重しなければ
ならないし、認め合うことで文化の中で共存していかなければならない。

 今回改めて、人同士の共存と協力が、自然に機能した事に、少しでも救い
を感じております。

 被害規模は違いますが、昨年起きたチリ鉱山での事故、
そして、閉じ込められた作業員達が、極環境下でも、冷静な判断をされたことで
救出をする側、待つ側と、お互いに、一つ一つ信頼関係を築き、積み重ねた結果
無事に救出されたことを思い出します。

 日本でも、都市部を中心に、人間関係の希薄化が、指摘されていました。

しかし、今回特に東北地方の方を始めとして、信頼の強い絆をキチンと共存されていたことを
改めて賞賛する機会でありました。

 と同時に、一番パニックになったのは首都圏の人間であって、結果災害支援に、迷惑をかけてしまう事になった事実に対して、憂いを感じました。

 私の推論ですが、おそらくチリ鉱山での当事者も、東北地方の方々も、
普段から、人と人の強い信頼関係を、一つ一つ積み重ねて築かれた事が、

 未曾有な規模で起こってしまった自然災害の被害から、
人災が切っ掛けで引き起こす2次災害を最小限に、踏ん張る事が出来ていたことなのかと感じました。

 色々な被害の事実が、明らかになり、
東北地方の方々の日本全体への貢献の大きさを改めて実感します。

 私も他人事ではなく、真摯に事実を認識し、自分自身何ができるのか?
少しでも貢献出来る事を協力していこう。そういう気持ちでいます。

 東北地方は、自然豊かな場所が、沢山あります。
連休は、脚を運んで、つまらぬ風評被害の払拭に協力して行く予定です。

2011年3月1日火曜日

青森まで超特急

昨年、東北新幹線が八戸から青森まで延伸開業しました。

そして、この3月に最速の新幹線、はやぶさ号では、時速300km運転で、

東京から青森まで、最速3時間30分という旅路になります。

東北新幹線が、盛岡まで開業する前は、午前中へ青森へ行こうとなると、
前日夜、上野駅からの夜行列車とで、次の朝に到着というのがイメージとして
定着しておりました。

東北本線を北上する、寝台特急「はくつる」「ゆうづる」。
山形、秋田経由の「あけぼの」号が代表的でして、
貧乏学生には、割安な急行「八甲田」や「津軽」なんていうのもありました。

それ程、陸奥は遠い道のりだけど、夜行列車に揺れて。
前の席の初対面の客と、いろいろ談笑して。

それは、過去のものになりつつあります。
(まだ「あけぼの」号は、長岡、秋田経由の寝台特急でありますが)

3時間半といったら、東京から日帰りも可能な時間になります。
飛行機のファーストクラスのような、1等席もあるのです。

新幹線の名称も、最初は「やまびこ」から、「はやて」、そして「はやぶさ」へ

名称のようにスピードアップして、より東北地方が身近になっていくのでしょうか?

ただ、私には、「はやぶさ」の名称は、どうしても、東京から九州へ向かう、寝台特急の
イメージがあって、なんで東北新幹線なの?という、ちょっと複雑な気分もあります。


ブルートレインの「はやぶさ」は、学生時代にはお世話になりました。
なにせ、学割+周遊券がありましたし、飛行機よりも早い時間に到着できるためでも
ありました。


年齢がばれますが、東北新幹線も、青森行き昼間の特急「はつかり」のほうが、なんとなく親しみやすいかしら。

まあ、JR東日本も新幹線で、東北地方をゆったり旅するという、コンセプトを表わしていますので
平日の東海道新幹線のような、ビジネスマンがしきりにノートPCで仕事して、という殺伐さは
少ないかもしれませんし、それを期待しているところもあります。

2011年2月16日水曜日

更に昨日も大雪、積雪

関東も雪が積もりました。

連休中に続いて、昨晩、一気に大雪でした。

確かに寒いけど、雪が降ると、乾燥とは違う、湿気をもった温かさを
感じます。

また、自動車の走行音も、雪で一際静かに、独特です。

2011年2月11日金曜日

カラカラ一転、雪景色に

どうも3連休は、関東地方でも雪が降りつもるようです。

乾燥には、恵みではありますが、雪になるとは、、、。

2011年2月7日月曜日

雨降らないですね。

東京は、正月から連続して乾燥注意報が出ています。

そのためか、周りの小学校等では、インフルエンザの感染が蔓延してきています。

私も、正月の3ヶ日に受けてしまったですし、今も時々喉がおかしいときもあります。

日本海側では、大雪で大変なことになっていますが、関東地方は、日本の地形上
湿った空気は、上越国境の山々で遮られ、乾いた北風だけが降りてきます。

それにしても、例年ですと一度は雪に見舞われることもありましたが、ここまで
雨も降らないというのは、異常気象なのかしら?

うがい、手洗いでの予防、栄養を補給して、良く寝ることで、免疫を強くするのが
一番の策かもしれません。

もう少しすると、杉の花粉が舞い始める時期になります。このまま乾燥が続くと、
黄砂、杉花粉、インフルエンザのトリプルパンチ、沿え恐ろしい。
しばらく、マスクとのど飴は欠かせないものになりそうです。

時間の余裕は心の余裕かも

今年初めから、エンジニアの一線から離れることになりました。

今までいろいろやってきたこともあるので、多少心残りはありますが、

やっぱり、心技体のバランス、特に総力戦となりうる時の体力が備わっていないと、

他のエンジニアと同等に、続けるのは、使う側としても使われる側としても苦しいかも

しれません。

でも、それでもまだ、エンジニアの方々と密接に関われる機会が続けられるのは、
微力ながらも、エンジニアとしての存在価値はあったのかもしれません。

そんな中ですが、決して後ろ向きな気持ちではありません。
確かに、報酬の面では下がります。

でも、時間に余裕をもってとりかかれることで、

今まで時間に追われていたことで、気持ちに余裕がなく、気がつかなかったことがありましたし、

時間がなくて、やり損ねたことにも挑戦できる時間ができたと思う面も多いです。

決して、時間の期限が無いわけではなく、のんびりやれる訳ではないですが、

時間の計画の立て方に、今日のポイントはここまでやろう、時間があったら、ここを
先に抑えておこう。そんな風に考える心の余裕もできつつあります。

それは、仕事だけでなく、自分の時間で何かをやってみようという部分も同じです。

よく自己啓発とも言いますが、追われてノルマとして考えるより、前向きな目標を立てて
一日1ページだけでも、続けてみよう。そんな心構えでやっていたら面白いし、身につくのでは
そう考えます。

2011年1月19日水曜日

1995年1月17日の出来事

今から16年前の1月17日。
阪神淡路大震災が起こった日であります。


私が就職する1年前の頃で、当時学生での親交があった方も被災された方もいました。
その時、私は震災とは全く影響のない、関東にいましたが、その日のことは良く覚えております。


前日に、来京していた同級生と、神田でスキーを選んで、その晩に飲み屋でみたテレビ放送で
当時ラグビーで、社会人チームの神戸製鋼スティーラーズが連覇をしたのを見ていました。


 あくる日、いつも目覚ましとして使っている、FMラジオ番組が、朝から慌しい放送だったことです。
まだ朝の6時頃で、まだ速報の状態で、被災地とは連絡が十分でなく、全体が分かっていない
状況だったのです。
 
 慌てて、テレビのニュース映像を見たところ、時間が経つに連れて、大きな建物や、
高速道路が横倒しになる非日常的な光景が、、、。
一体何が起こったんだ。
 当時、地震が起き難いといわれていた、阪神地区で、まさかの直下型大地震がおきていたのだった。


神戸という、県庁所在地の大都市が、まるで戦争で襲撃を受けたの如く、そんな信じられない光景が現実にあった。
 それから、完全復興まで数年掛かったのを覚えていますし、1年後、学校を卒業する最後の年に
まだ、震災の傷が残る、三宮地区の様子は現場に行って覚えています。


もう、10年以上も経つのかと、改めて思うし、その復興の際、市民や外部からボランティアが向かい復興に尽力をつくされたこと。
 そういう気持ちや心がけでの、信頼というのを、人々がずっと持ち続けて欲しい。
もちろん自分自身も、、、。
 

2011年1月5日水曜日

2011年いきなりのハプニング

昨年、日本中でインフルエンザの脅威を感じました。
まあ、いろいろ予防策などが知られるようになっては来ましたが、

正月3ヶ日とくれば、どうしても人混みが避けられない事態があります。
初詣などの参拝となれば、それも、公共交通機関を使うとなれば
それなりに、マスクなどで予防していても、限界があるかと思いました。

そうです、私は3ヶ日最終日に、インフルエンザに襲われてしまったのです。
ほんの電車で40分間の間でしたが、突然寒気や喉が痛くなってきまして、
家に着いた頃には、歩くのも辛いほど、関節が痛くなってしまっていました。

思えば、電車で座っていた前の人が、やたら咳き込んでいたのを思い出しました。
その人はマスクはしていましたが、相当苦しそうに何度も咳き込んでいたので。
密集している電車、そして停車駅の間隔が長い電車では、なかなか厳しいかもしれません。

体温も家についたとき38度を超えていて、解熱剤でなんとか症候は落ち着きましたが、
インフルエンザで、意識がもうろうとするのは本当だと、改めて感じました。

気をつけないと