2010年2月26日金曜日

議員さんよ、しっかりしてくれい!

本日、アメリカ市場での、トヨタ車品質クレームに対する公聴会に、社長が答弁されました。

 単なる一日本の自動車メーカーではなく、地球環境や、世界中で人や物資の輸送に大きく貢献してきた業界ですので、どのような対応を取られるのかによって、日本の産業の行く末に影響するとも思われております。

厳しい結論になることも覚悟はしておりましたが、逃げ腰になることなく、現在わかっていることと
、自動車メーカーとして、何を優先していくかと言う事を明確に伝えたこと、カイゼンするためにすすめているアクションを明確に述べられていたことは、正しい対処だったのではないでしょうか?

 以前、リーマンショック直前頃に、渡辺前社長が、「われわれは業界で一番になることが目的ではないですし、まだもっとやるべきことがある」と、謙虚に述べられたことを思い出しました。
 
 かつて、自動車が普及して、移動が便利になる反面、副作用として大気汚染や、交通事故死者の増加などがありました。現在の自動車も、社会のニーズに一歩一歩考えて、進歩して、応えてきたところもありますし、かつてのアメリカ自動車ビッグ3が陥ったように、過当な消費社会の儲け主義になってはいけないということの見本だったかもしれません。

 そんな、厳しい状況の中、議員バッチをつけた人達は、一体なにを議論したいのか?
議会の目的の本質は、水掛け論で批判することではなく、この国をよりよくするために何をすべきかを、議論し方向付けする場所ではないでしょうか?
 議員内での揚げ足取りや、審議拒否とか情けない。
日本だけならず、地球上のことも考えているメーカーの社長が、逃げずにリーダーシップを
発揮している中で、対照的です。

日本は技術、産業は一流だけど、政治は3流以下というのを象徴です。
だけど、一番悪いのは、こんな議員を選んだ有権者なんですよ。
 

2010年2月20日土曜日

プリウスにエールを

私は、メーカーのエンジニアの立場として思うことです。

トヨタ自動車のハイブリッド車の不具合事項がありました。
急な路面状態変化時、ブレーキ作動タイムラグが発生するという件です。

 私もエンジニアの立場として、公表されている現象と原因を聞いて、なるほどと
思うと共に、エンジニアの使命を考えさせられました。
 ただこれは、ネガティブな考えではありません。
世の中のニーズに合った、革新的なものを生み出す上でついてくる、リスク、副作用を
 短期間で、きちんと原因の特定と、対策を 提供していたからです。

 マスコミの報道では、あたかもメーカーが欠点を隠蔽していたかのように、伝えられて
しまっているのが、残念でなりません。
 自動車や車両、航空機等は、100%完璧なものではないですが、その中で
安全性、信頼性を優先して、様々な条件でテストを繰り返した上で、かつ、新車を
売ったらそれで終わりでなく、オーナーの使用状況などをフィードバックして
より良くするためにはと言う事を、常に考えられているからです。
 だから、今回の対策も、決して言われたからという、付け焼刃的な対策ではなく
オーナーに影響を最小源にしたうえで、きちんとした対策を短期間でやっていたことは
決して手抜きではありませんし、私もどうやったらと思う気持ちであります。

 今回のプリウスは、従来車よりも電気モーターで駆動する割合が増えるといった、
環境対策の革新的なものの副作用なのかもしれません。
 モーターを発電することで、タイヤや摩擦ブレーキに負担を減らすことができるし
電池の充電もできるといったメリットがありますが、以前のブレーキシステムとの使い分け
動作で副作用があったわけです。

 以前のオートマチック変速機車や、ABSブレーキ車も、以前の車両と同じ運転方法の
つもりでいると、副作用があったことと似ております。
 オートマチックの場合は、アクセルペダルを戻した時のエンジンブレーキの効力が弱いことや、ABSの場合は、滑りやすい路面でタイヤがロックする程度に強めに踏み込まないと効果がないことが、JAF等では公表されております。

 私はむしろ、真摯に原因検討と、対策フォローに評価してもよいと思いますし、メーカーだけの責任にしている、国土交通省や通商産業省の対応のほうが疑問に思います。
 環境性能に国を上げて取り組む姿勢があるのであれば、貢献しているメーカーに対して、人事のように非難勧告するのではなく、よりよくするために協力しようとするべきではないでしょうか。
 エンジニアの使命して、オーナーに100%満足なのものは今できなくても、近づけるために日々やりがいを持って努力されている訳ですので、モチベーションを下げるだけのような扱いして欲しくないところです。

2010年2月13日土曜日

なんか今年は寒いです。

2月に入り、寒い日が続いております。
東京も昼間の最高気温が、10度以下と堪える寒さです。
日本列島には寒気団が停滞し、昨年の暖冬からは全く想像できないくらいです。

 さて、私は学校を卒業し、就職した最初の赴任先は、東京よりもずっと雪が降る地域
信州におりました。
 冬場はとにかく外は寒かったですが、寒い地方ならではの備えというのでしょうか
外の寒さがあっても、人付き合いなど含めて、温かさを感じる感覚がありました。

 もちろん、寒い地方ならではの、冬場のスキー、スケート等の娯楽、屋内での暖房など
温かさがあったことも事実です。
 私もその辺は、住めば都と言う言葉の通り、楽しんだつもりです。

 私がいた頃は、地元でオリンピック冬季大会があったりして、都会から人が集まってもり上がる
機会も多かったのですが、
 現在は冬のリゾート地は以前ほど、人が集まらなくなってしまったそうです。 
スキー客で、夜明けの高速道路が渋滞していたことが、嘘のようです。

なんとなく、不況で、金銭や心の余裕も無くなってしまったのか、それとも、価値観の違いなのかわかりません。
 でも、昨年外に出るのも億劫になってしまったことを思い出すと
現在住んでいる東京の冬のほうが、寒く感じてしまい、朝早く起きて
外で遊ぶ気が失せて来る気持ちも、わからなくもないと感じるようになりました。

 このままでは、、、。という気持ちも多少残して、体力的に無理しない範囲で楽しめばよいと
 思っています。 スキーもゆっくり、景色を楽しむくらいに滑って、後は温泉で温める。
おいしいものを食べる、やっぱりこれですよ。

2010年2月10日水曜日

朝青龍関の引退、なんとも言えないもどかしさ

横綱 朝青龍関の突然の引退発表には驚かされました。
万全な取り組みで、先月の初場所優勝したばかりなのに、、、。

以前、曙関も優勝した次の場所で引退されたというケースもありましたが、
その時は、満身創痍の状況だったことを考えると、今回は想像もできないです。

冷静に考えて、社会人として、相撲で飯を食っていくプロなのだから、場所中での
場外乱闘というのは、決して許されることではないですが、事実上引退を勧告され
自ら身を引くか、追放にされるかの選択肢というのは、本業の土俵の上でやる相撲を
盛り上げてくれた横綱に対して、もうすこしねぎらいの対処があってもよいのではと
感じます。

 最初は、モンゴルで素質を認められ、日本の学校にスカウトされて、単身留学で来日してきた朝青龍関。言葉や文化の違い等で、決して楽な道を進んできた訳ではありません。
体格も力士としては、決して大柄な方ではない訳です、ですから相撲で勝つにはそれなりの工夫と
努力がなければ強い力士にはなれなかったはずです。

 マスコミも最初は、横暴なイメージを強調する訳ではなかったのですが、どうしても一人横綱で長い間、無敵になると、だんだん憎たらしく感じてきてしまうものかもしれません。
 決して普段から横暴な行動をしているわけではないのですが、日本人からみれば欠点ばかり
取り上げたくなるものかもしれません。

 ただただ横暴なだけでは、ファンからは嫌われ者にしかならないですが、普段の人当たりのよい雰囲気と、土俵での気合の入った様子とのギャップもファンからは、良い面として認められていたと思います。

 それを思うと、かつて横綱北の海(前理事長)が、そんなふてぶてしさを感じる力士であったことを、思い出します。理事長の時も変わりませんでしたね。

 以前から、スポーツとしてのアマチュア相撲と、相撲協会主催の大相撲とのギャップというものは、感じてはいました。
 
 何度も優勝しても、横綱になれなかった力士、逆に一度も優勝しなかった横綱ということもありました。
 国技だから、第3者が横綱の品格とかを審議のなら、もっと密室的ではなくフェアな形で
やってはどうだろうか?
 横綱はこうあるべきとは、いったい何なのか?ただ勝負に強いだけではだめ、言いたいことは
わかりますが、過去に横綱に任命された力士は、体格も取り組みも画一的ではなく、かなり個性があったと思います。
 だから、優勝決定戦なので横綱同士の対戦というのは、魅力があるわけです。

 いっそ、横綱審議会というのをオープンにして、ファン投票というのもやってみては
どうでしょうか?

 それ以前に、大相撲は国技だからとか、神聖だからという以前に、他のプロ選手と同様に、一社会人として相撲の力士として飯を食うという覚悟や自覚というものを、教えることが必要なのではないでしょうか?
 場所中は、次の取り組みに備えるやり方は、人それぞれですが、少なくとも前夜に、ベロベロになるまで飲酒するなどは、最高の取り組みをする備えとしては、周囲がさせてはならないことかと
思います。
 特に前科もあるわけですから、それが大相撲の当たり前の風習だったとすれば、品格とか以前に
プロとしての意識レベルが低いとも思われます。
横綱も、相撲協会に奔走されたある意味被害者ですね。
 おそらく横綱になってから、だれもフォローできなかったのでしょうよ。

一ファンとして、来場所取り組みが見れないのが残念に思いますし、次の元気な姿で活躍を
期待したいところです。



 

2010年2月6日土曜日

人と人の間は、「作用-反作用」の法則かもしれません

新年明けてから不摂生もあり、なかなかこの投稿ネタにもありつけませんでした。
昨年までの暖冬とは打って変わり、連日の外の寒さも日増しに堪え、気分も体力も
やや低下気味でした。
とはいっても、このまま、布団から外に出るのも億劫になってしまったら、元の木阿弥。

このままではいけないと感じ、寒い中でも、心身を温めることを考えている日々です。

さて、何かに終われ、もがき苦しみ、心身が疲れてくると、最悪は自分からSOSをも
訴える気力まで無くなってしまいます。
 よく、満身創痍で残る力と気力でなんとか乗り切ったという話しはありますが、それは
苦しい状況ながら、目の前に達成目標が見えて、最後のひとふんばりという状況だからこそ
かもしれません。
 ゴールが見えない、どうしたらよいかがわからない不安で、ただただ時間だけが迫ってくる
状況だったらどうでしょうか? SOSのアテンションを出しても、「何言ってんだ、気合で乗り切れ」と言われてしまったら?
 最初は、解決の糸口をひたすら探し、不安の解消に努めます。
でも、だんだん策が尽くなくなって、悪あがきも通じなくなってくると、開き直るしかありません。

 この時に、いかに冷静にかつ正直に、自分の状況を周りに伝えることが大事だと思います。
人間関係の深さにもよりますが、独りでもがき苦しんでいる状況は、他人からみればそれ程
大したことと気がつかない場合が大半です。
 どんな形であっても、自分から冷静に発信することを諦めてはいけません。
きちんと冷静に発信すれば、それなりに冷静なリアクションが帰ってきます。
 それに対して、何度も発信-受信のアクションをしていけば、一人で完全に解決できないことでも
何かしら安心できることにつながるはずです。

 よく心の整理とも言いますが、冷静にお互いの状況を、正直に話す-聞く、相談する、
分かち合う。
これは、独りで抱えるストレスから、安心する方向に向かうはずです。
 ただ、決して感情的や人格否定的な発信はしないことが鉄則です。
発信の仕方によって、相手からのリアクションも、それなりの対応になってしまうからです。

 物理のニュートン力学には、「作用-反作用の法則」とあります。
これは、何か物に力を作用させると、同時に物からも反作用として力を受けます。
 地球上では、万有引力による重力が働きます。
人が地面に埋まることなくたっていられるのは、人が地面に作用する重力に対して、
地面が人につりあう力を作用しているからです。

 人と人の間は、それ程単純では決してないかもしれませんが、何か作用をしなければ
何も返って来ず、心の動揺を抑えることはないものだと思います。
 また作用の仕方によっても、相手に不安やストレスを与え、かえって自分の不安を
増幅させてしまう対応になってしまう場合もあります。
 
 物理と言う学問は、客観的な現象を対象としておりますが、実に人が生きることと
非常に似ている現象が多くあるかと思っております。

 日本の社会には、丁度良い状況では「波風立てるな」という考えがあります。でも
それは、他人に喧嘩を売るような、嵐のようなことであって、ゆっくりとしたさざなみを
行ったり来たり起こさないと、水も心も澱んでしまうものだと思います。

 とにかく、寒くても寒いなりに外に出てみましょう。