2009年11月28日土曜日

主観的推測や思い込みの怖さ

最近あったことからの、自身への反省です。

何年も同様の仕事などをやっていると、不思議と経験等から、気がつかない主観的
推測が働くようになってきます。
 いわゆる「感」と言う奴です。
もちろん「感」のセンスはブレイクスルーの為には必要なことですが、あくまでも
問題解決に当たっては、仮説や推測の域の考えです。
 ですから、実際に起きている事を無視して、「感」を活用することは、リスクを伴うものです。

こうゆう場合を避けるには、経験の少ない新人さんや、違う立場の人と、事実をきちんと
客観的にみると、「感」の妄想から気づかされることがあります。
 私も最近、そのようなことがありました。その人は、実験のサポート的な役割の方ですが
普段から実験で起きている現象を見られていたことから、いつもと違う現象があることにきがついて
「これは何でしょうか?」と報告していただいたのです。
 正直、私も見過ごしていたところでしたし、その事実について、一緒に更に詳しく調べて見ると
なんと、主原因が大事な問題だったことがわかったのです。
 そして、事実関係を優先して考えてみると、最もな対策方法に行き着くことが出来ました。

その人には、「よく気がついて報告してありがとう」と感謝の意を伝えました。
そして、自分はなんで気がつかなかったのかと言う愚かさも感じました。
それはいわゆる経験からくる視野に対する、間違った主観が邪魔をしていたのです。

歴史的に名声を上げた科学者や、優れた医学関係者に共通する点は、第六感的なひらめきもありますが、「客観的事実」を大事にしてきちんと細かく記録されている。
その上での考察から、事実と推測をきちんと分けて考えられていることです。
そして考察でのプロセスもきちんと後でわかるように記録されていることでもあります。

私は、あまりマメにノートに書く方ではないですが、考察などのプロセスや、実験記録や
気がついたことなどを、一日の中で時間を見て、メモをするようにしております。
頭の中で覚えられることも、段々厳しくなりますし、間違った主観で情報がぶれてしまうのを
防ぐ役割もあると感じております。

自分は頭が良いから、感が働くという感じの人もたまにいます。
こうゆう人ばかりですと、推論が推論を呼び、事実と全く異なる方向に論点がずれてしまうことが
しばしばおきます。
 これほど間違った判断は、時には危険で過ちに気がつかず大変なことになります。
思い込みの罠に陥りそうなときは、ちょっとまて、何故?と反論を考えることで気がつくことが
ありますし、冷静になります。

目先の結果を急ぐと、時折このような間違い判断に到ることがあります。特に個人プレーで
物事をやっていると、気をつけないといけません。
「事実に勝る推論はない」改めて感じつつある今日この頃です。

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