私は、スポーツをするのも、観るのも好きです。
どちらかというと、個人戦よりも、チームでゲームをする球技の方が好きです。
球技といえば、野球、サッカー、ラグビー、アメフト、バスケットボール、バレーボール等
いろいろ浮かぶものがあるかと思います。
それぞれ、お互いに公平になるようにルールがあり、それぞれの面白さがあるかと
思います。
私は、野球をやっていた訳ではないですが、最近、テレビだけで飽き足らず、球場に観戦することもしばしばあります。
応援しているチームが、結果的に負けてしまうこともあります。
もちろん悔しいですが、でも明らかに手抜きして負けているっという試合は、あまり経験なく
接戦で手に汗にぎり、最後のゲームセットまで応援に力が入るということが多かったと思います。
どこに惹かれたか?と言うと、守備の時、ピッチャーがピンチを迎える場面があります。
その時、私がピッチャーだったら、頭がかっとして、冷静さを失う場面になるでしょう。
そんな時、内野手やキャッチャーが、そっと寄ってきて、一言声かけて冷静さを取り戻すという場面ですね。
投手の性格にもよるとは思いますが、どんなことを言っているのでしょうか?
基本は手短にですが、
例えばキャッチャーだったら「とにかく構えたミットめがけて、思いっきり投げてこい、それで打たれても仕方ないから」とか
内野手だったら、「強い打球でも打たれても外野に逸らさず守りきるから任せろ」とか
そういう話はよく聞きます。
実際にピッチャーがピンチで強いあたりを、野手がファインプレイで救って来たとき、
ピッチャーが野手を迎えて、ハイタッチという場面も良く見ます。
なんというか、チームプレイだから当たり前かもしれないけど、お互い信頼を持ち、
自信をもってやれる雰囲気というのは大事ですね。
スポーツは、いろんな特徴ある人同士が、一つのチームでやるわけだから、
そんな中で、信頼というチームの見えない強い力は、長期的にも良い結果に結びつくことだと
思います。
もちろん選手は、チームとして信頼に応える力をつけるために、普段からきちんと練習と
準備は整えます。
プロだから当たり前かもしれませんが、一見プロ契約というと、個人という主張も強くなり勝ち
かもしれません。
でも、お互いに同じチームとして最善を尽くすため、という一つの目標に向かってやれるのも
プロ選手としての信頼なのでしょう。
そのために、本音でぶつかることもありますし、チームの勝利のために、犠牲的な行動もあるでしょう。
でも、それはチームとしてよい結果を生み出すための、必要な一つ一つのプロセスとして重要なことであり、それらプロセスを一つ一つ積み上げていくことによって、チームとしての根の強さになるのではないでしょうか?
目先の結果だけに捉えて、異を唱えるものに蓋をしてしまうと、そういった信頼をつくることができる余裕すら失い、結果としてチームでの信頼がギクシャクしてしまうでしょう。
名選手、名監督であった野村克也さん曰く 「リーダーの素量以上に、チームは強くなれない」といわれます。
試合中に、監督があれしろこれしろとは、基本は言わない。(練習では必要あればそうかもしれませんが)、選手の監督への信頼と、選手がチームとして最善を尽くすために、お互いに信頼をつくる
行動をする。
そうゆうよい相乗効果を生むように、信頼をもって接するし、逆に監督の立場として選手に、真の信頼をもってもらう行動をする。時にはリーダーとして失敗のリスクを取る。
そういう選手同士、選手-監督との信頼関係を作り上げる素量が、リーダーの力だと仰っていると理解しておりますし、その素量が足りなければ、チームの根は薄く弱いものにしかならないでしょう。
確かに、野村さんの場合は、お互いの立場で、最善をつくすために必要なことを、頭を使って考えなさい、お互いにそれを生かしなさい、というやり方ですね。
私は個人的には、短期的なタスクフォースでその場しのぎばかりやっていては、だめで、タスクフォースのアクションをマル投げ的ではなく、お互いに理解をして、チーム全体として、長期的に根を太く頑丈につくりあげるというやり方の方が好きです。
プロだから、個人を金で呼んでというチームが、必ずしも上手くいっていませんよね。
呼んで上手く行ったチームは、呼ばれた選手がが、個人の力以外に、チームとして周りによい影響を与えるといった場合ですね。
チームの補強というと、その場しのぎと、長期的に樹を頑強にしていくためでは、一見アクションは似て、本質は大きく非なるものであります。
最近思いますが、世の中の考え方としてこの辺を勘違いされていないかです。
2010年10月27日水曜日
2010年10月22日金曜日
逃げてるか?! 大きなお世話
私は、幸か不幸か、元の職場に復帰して、1年近くになります。
私なりに、前と同じ事をしては、またもとの木阿弥になるとは、常に意識しながら
やってきたつもりです。
もちろん、組織の中で働くということですから、査定については公平に受けるのは
正しいでしょう。
だから出来る限りのことをやっても、低くてもそれは承知のもとです。
この病気に完治という言葉は、現在当てはまらないとは言われております。
きちんと、自分と向き合って、じょじょにステップアップしてという形を繰り返すわけで
平均して、普通になるまで、数年単位とも言われています。
正直、その辺は受け入れる側も、受ける側も お互いにGIVE AND TAKEであり、
お互いにリスクとメリットを合意の上で、職場復帰することが正論ではあります。
そんな中、私にとって一番困るのは、病に倒れる以前のつもりで、理不尽な要求を迫られる
ことです。
これは、正直に今の状況を言って、納得の上で今出来る範囲のことを整理してもらって、
出来る範囲のことをひきうけるしかありません。
以前の私からみると、はたからみると、ある意味冷たいとか、逃げていると勘違いされることも
残念ながら、未だに多々あります。
それが、人をマネージメントする側の人間から、そのように言われると
はっきり言って、腹立たしく思うと同時に、理解の無さに愕然とすることのほうが多いです。
そのときは、必ず、冷静に、「もしあなたが、私の状況だったらどう思いますか?」
そういうと
「すみませんでした」とは一言いいます。
ただ、この状況が慢性化しているのも事実です。
一度すみませんで事が済めば、警察いらんわな!、問題の本質は、マネージメントする側の立場と
して、もっと大事なところにあるんじゃないですか?
だから、毎年同じ問題と課題を繰り返すわけですよね。
貴方の立場で、現状の問題は、どこにあるって考えているんですか?
もしそれに目を背けるのであれば、貴方自信が自分の立場でやるべきことを放棄している
ようにしか思えませんが、、、。」ってきつく叱責します。
病になる以前から、その方は直接の上下関係でなかったですが、知っていました
正直、そういうマネージメント面で、あんまり信頼というのを感じない印象は持っていました。
というのも、きちんと自分の立場でリスクを受けるというのを、感じなかったからです。
以前、その部下の方の応援をしていましたが、当事者意識というのが薄いというのが
第一印象で、その部下の方は、きちんとリスクに立ち向かって
優秀な成果を出しながらも、惜しくも退職されてしまいました
要するに、肝心なところは人任せで旗振りだけ、太い根というのを感じないマネージャーと
いう感じです。
今の私はあまりそうゆうのは気にしないでやっています。
ただ、こうゆう信頼関係の中で本当に職場復帰してよかったのか?と考えさせられます。
正直、以前の期待されるパフォーマンス、特に体力勝負や精神論だけの依頼は、
以前と同じことは期待できないですし、無理をするとお互いに苦労する羽目になるだけです。
だから私は、力勝負では勝てないならば、やり方で勝負するしかない訳で、その策を提言しているわけです。決してリスクを避ける逃げ道を作っているわけではないですよ。
それを逃げている?と感じられるのは、非常に心外ですし、信頼関係なんて崩れます。
実際にそれでも最大限無理して、体調を悪くしている事実もあるわけですし。
そんなこと、貴方から言われる筋合いもないとも思います。
私としては、やっぱり1年もブランクを明けてしまって、元の職場復帰するというのは、
意欲があっても1,2年が勝負かな?とは思っていました。
今の大きなテーマ、できるかできないかは神のみぞ知るような内容ですが、
一生懸命やることと、メーカーの開発者としての意義というのが、
だんだんかけ離れていく気を感じておりますし、歳も若くないし、そろそろ次のことを考えましょうか
私なりに、前と同じ事をしては、またもとの木阿弥になるとは、常に意識しながら
やってきたつもりです。
もちろん、組織の中で働くということですから、査定については公平に受けるのは
正しいでしょう。
だから出来る限りのことをやっても、低くてもそれは承知のもとです。
この病気に完治という言葉は、現在当てはまらないとは言われております。
きちんと、自分と向き合って、じょじょにステップアップしてという形を繰り返すわけで
平均して、普通になるまで、数年単位とも言われています。
正直、その辺は受け入れる側も、受ける側も お互いにGIVE AND TAKEであり、
お互いにリスクとメリットを合意の上で、職場復帰することが正論ではあります。
そんな中、私にとって一番困るのは、病に倒れる以前のつもりで、理不尽な要求を迫られる
ことです。
これは、正直に今の状況を言って、納得の上で今出来る範囲のことを整理してもらって、
出来る範囲のことをひきうけるしかありません。
以前の私からみると、はたからみると、ある意味冷たいとか、逃げていると勘違いされることも
残念ながら、未だに多々あります。
それが、人をマネージメントする側の人間から、そのように言われると
はっきり言って、腹立たしく思うと同時に、理解の無さに愕然とすることのほうが多いです。
そのときは、必ず、冷静に、「もしあなたが、私の状況だったらどう思いますか?」
そういうと
「すみませんでした」とは一言いいます。
ただ、この状況が慢性化しているのも事実です。
一度すみませんで事が済めば、警察いらんわな!、問題の本質は、マネージメントする側の立場と
して、もっと大事なところにあるんじゃないですか?
だから、毎年同じ問題と課題を繰り返すわけですよね。
貴方の立場で、現状の問題は、どこにあるって考えているんですか?
もしそれに目を背けるのであれば、貴方自信が自分の立場でやるべきことを放棄している
ようにしか思えませんが、、、。」ってきつく叱責します。
病になる以前から、その方は直接の上下関係でなかったですが、知っていました
正直、そういうマネージメント面で、あんまり信頼というのを感じない印象は持っていました。
というのも、きちんと自分の立場でリスクを受けるというのを、感じなかったからです。
以前、その部下の方の応援をしていましたが、当事者意識というのが薄いというのが
第一印象で、その部下の方は、きちんとリスクに立ち向かって
優秀な成果を出しながらも、惜しくも退職されてしまいました
要するに、肝心なところは人任せで旗振りだけ、太い根というのを感じないマネージャーと
いう感じです。
今の私はあまりそうゆうのは気にしないでやっています。
ただ、こうゆう信頼関係の中で本当に職場復帰してよかったのか?と考えさせられます。
正直、以前の期待されるパフォーマンス、特に体力勝負や精神論だけの依頼は、
以前と同じことは期待できないですし、無理をするとお互いに苦労する羽目になるだけです。
だから私は、力勝負では勝てないならば、やり方で勝負するしかない訳で、その策を提言しているわけです。決してリスクを避ける逃げ道を作っているわけではないですよ。
それを逃げている?と感じられるのは、非常に心外ですし、信頼関係なんて崩れます。
実際にそれでも最大限無理して、体調を悪くしている事実もあるわけですし。
そんなこと、貴方から言われる筋合いもないとも思います。
私としては、やっぱり1年もブランクを明けてしまって、元の職場復帰するというのは、
意欲があっても1,2年が勝負かな?とは思っていました。
今の大きなテーマ、できるかできないかは神のみぞ知るような内容ですが、
一生懸命やることと、メーカーの開発者としての意義というのが、
だんだんかけ離れていく気を感じておりますし、歳も若くないし、そろそろ次のことを考えましょうか
2010年9月2日木曜日
怖い猛暑での出来事
今年の夏は、とにかく暑いです。
日が出ている時だけならば、まだしも、いわゆる熱帯夜という
非常に堪える日が多く続きました。
こんな時は、寝るときに熱中症にならないように、気をつけなければなりません。
熱中症というと、お日様が出ている時だけというイメージがありましたが、
とんだ勘違いのようです。
今年の夏のように、夜も蒸し暑い状態ですと、寝ている間に、汗で水分が不足し
脱水症状になりうるからです。
実は、私も先月、仕事帰りの夜、熱中症で夜間病院にお世話になってしまったのです。
その日は定時まで、普通に仕事をして、1時間残務処理をしていた時でしたが、
定時後は空調を止められることで、じょじょに、フロアの温度、湿度が上がってきてくる状態でした。
その日は、朝調子が悪い時でしたが、定時まではなんとか普通に働いていました。
しかし、フロアが蒸し暑くなってしばらく、突如 悪寒が全身に走り、
手足の震えが起きるようになりました。
あまりにも気分が悪く、眩暈もおきるようになったので、なんとかゆっくり医務室に向かいましたが、あいにく定時過ぎで産業医が不在。
その場で、とにかく体温だけを測ったところ、38℃後半と、びっくり、
インフルエンザにでもかかったような体温。
動悸や耳鳴りもするし、一体なにが起きたのかを思うばかりでした。
しばらく休んで、なんとか帰宅し始めましたが、帰宅途中も暑さが残り
意識がもうろうとしつつ、やっとの思いで家にたどり着きました。
しかし、家の中も、西日で熱気が残っていまして、とても休める状況でなく
とにかく直ぐにタクシーを呼び、夜間病院に直行しました。
病院では、問診や診察で、風邪とは違う症状で、体温が更に39度まで上がっていたということで
熱中症の疑いと診断されました。
しばらく、そのまま実家で休養し、体温も元に戻り、事なきを得ましたが、
改めて怖さを実感しました。
後日、かかりつけの医師にお伺いしたところ、熱中症になるとき、血流が悪くなって
手足など末端の血の巡りが悪くなり、酸欠状態になるので、痺れや眩暈が起こるそうです。
長期間この状態が続くと、最悪は脳梗塞など後遺症になる場合もあるそうです。
私の場合は、もともと血圧が高めということもあるので、特に気をつけないといけませんね。
日が出ている時だけならば、まだしも、いわゆる熱帯夜という
非常に堪える日が多く続きました。
こんな時は、寝るときに熱中症にならないように、気をつけなければなりません。
熱中症というと、お日様が出ている時だけというイメージがありましたが、
とんだ勘違いのようです。
今年の夏のように、夜も蒸し暑い状態ですと、寝ている間に、汗で水分が不足し
脱水症状になりうるからです。
実は、私も先月、仕事帰りの夜、熱中症で夜間病院にお世話になってしまったのです。
その日は定時まで、普通に仕事をして、1時間残務処理をしていた時でしたが、
定時後は空調を止められることで、じょじょに、フロアの温度、湿度が上がってきてくる状態でした。
その日は、朝調子が悪い時でしたが、定時まではなんとか普通に働いていました。
しかし、フロアが蒸し暑くなってしばらく、突如 悪寒が全身に走り、
手足の震えが起きるようになりました。
あまりにも気分が悪く、眩暈もおきるようになったので、なんとかゆっくり医務室に向かいましたが、あいにく定時過ぎで産業医が不在。
その場で、とにかく体温だけを測ったところ、38℃後半と、びっくり、
インフルエンザにでもかかったような体温。
動悸や耳鳴りもするし、一体なにが起きたのかを思うばかりでした。
しばらく休んで、なんとか帰宅し始めましたが、帰宅途中も暑さが残り
意識がもうろうとしつつ、やっとの思いで家にたどり着きました。
しかし、家の中も、西日で熱気が残っていまして、とても休める状況でなく
とにかく直ぐにタクシーを呼び、夜間病院に直行しました。
病院では、問診や診察で、風邪とは違う症状で、体温が更に39度まで上がっていたということで
熱中症の疑いと診断されました。
しばらく、そのまま実家で休養し、体温も元に戻り、事なきを得ましたが、
改めて怖さを実感しました。
後日、かかりつけの医師にお伺いしたところ、熱中症になるとき、血流が悪くなって
手足など末端の血の巡りが悪くなり、酸欠状態になるので、痺れや眩暈が起こるそうです。
長期間この状態が続くと、最悪は脳梗塞など後遺症になる場合もあるそうです。
私の場合は、もともと血圧が高めということもあるので、特に気をつけないといけませんね。
2010年8月10日火曜日
原爆投下の日、エンジニアとしての戒め
今年もそろそろ、太平洋戦争の終戦記念日が近づいてきました。
その前に、広島、長崎の地で原爆が投下されたことは、子供の頃からずっと
式典を含めて、知らされております。
1945年当時の実体験を知る人々も、60年以上も過ぎて段々伝えられる人も
少なくなってきていることも事実です。
私は、広島に一度、長崎に2度行っていまして、原爆資料館にて、被害の大きさが
どんなものかを、改めて知らされたことを記憶しております。
原子力や、核反応技術の利用については、様々な意見があるかと思います。
私は決して全てを否定するつもりはありません。
ただ、事実として、本来この研究が進められた目的は、武器としてではなく
産業革命など、人類が生活するために、電力や動力などエネルギーが必要になってきた
状況下、より効率よくエネルギーを得る手段として研究がされたはずであります。
またその、基本となる科学的要素は、物理学の本質を追求する目的での過程
そのなかの一つであったことは事実であります。
私のようにメーカーのエンジニアとしての立場は、世の中の生活をよりよい付加価値として提供すること。
その結果、付加価値を使われる方々からの評価として、信頼を得られるのではないでしょうか?
そういう意味では、どんなに素晴らしいものであっても、扱い方を間違った方向に向けてしまうと、付加価値を提供するどころか、人々の生活を阻害するものにもなりえるという、2つの面を持っている。
このことを、この時期になると、いつも、ある戒めとして考えさせられます。
仏教では、人が生きることは、必ず魂あるものの犠牲なくてはありえない。
それが生まれながらにもつ罪の部分である。
との教えがあります。
ある意味、人間のエゴや奢りが強くなってくると、もともと持っている2つの側面のうちのどちらかしか、考えられなくなってしまうのかもしれません。
少なくとも、今できることは、エゴや奢りが正当化させてしまったことは事実であるし、同じ間違えを繰り返さないように、2つの側面を理解して、きちんと伝えていくことなのかもしれません。
その前に、広島、長崎の地で原爆が投下されたことは、子供の頃からずっと
式典を含めて、知らされております。
1945年当時の実体験を知る人々も、60年以上も過ぎて段々伝えられる人も
少なくなってきていることも事実です。
私は、広島に一度、長崎に2度行っていまして、原爆資料館にて、被害の大きさが
どんなものかを、改めて知らされたことを記憶しております。
原子力や、核反応技術の利用については、様々な意見があるかと思います。
私は決して全てを否定するつもりはありません。
ただ、事実として、本来この研究が進められた目的は、武器としてではなく
産業革命など、人類が生活するために、電力や動力などエネルギーが必要になってきた
状況下、より効率よくエネルギーを得る手段として研究がされたはずであります。
またその、基本となる科学的要素は、物理学の本質を追求する目的での過程
そのなかの一つであったことは事実であります。
私のようにメーカーのエンジニアとしての立場は、世の中の生活をよりよい付加価値として提供すること。
その結果、付加価値を使われる方々からの評価として、信頼を得られるのではないでしょうか?
そういう意味では、どんなに素晴らしいものであっても、扱い方を間違った方向に向けてしまうと、付加価値を提供するどころか、人々の生活を阻害するものにもなりえるという、2つの面を持っている。
このことを、この時期になると、いつも、ある戒めとして考えさせられます。
仏教では、人が生きることは、必ず魂あるものの犠牲なくてはありえない。
それが生まれながらにもつ罪の部分である。
との教えがあります。
ある意味、人間のエゴや奢りが強くなってくると、もともと持っている2つの側面のうちのどちらかしか、考えられなくなってしまうのかもしれません。
少なくとも、今できることは、エゴや奢りが正当化させてしまったことは事実であるし、同じ間違えを繰り返さないように、2つの側面を理解して、きちんと伝えていくことなのかもしれません。
2010年8月7日土曜日
初の大腸内視鏡検査に挑戦
私は、いわゆる胃カメラ(上部消化器内視鏡)は、何度か検査を受けたことがあります。
過去に不調の要因の一つでもあった、胃潰瘍の発見などで助かったことが多くあります。
胃や食道などは、異常があるとなんらかしらのサインが、すぐに自覚症状として
わかりやすいとも考えられます。
ただ、日本人の癌で命を落とすケースで、最も多いのが大腸がんだそうです。
というのも、自覚症状があまりないまま進行、転移してしまい、手遅れになるケースが
多いからだそうです。
そんなこともありまして、自分も長く健康を維持するために、気をつけないとと
いう訳で、初の大腸内視鏡検査を受診しました。
当たり前のことですが、検査の前に腸内を空っぽにする必要があります。
当然朝食は抜きですが、更に朝から下剤で喉からからになる状況にしなければなりません。
検査は午後からですが、空腹と喉の渇き、今の時期の暑さといい、病院に行くまでふらふら状態と
なかなか辛いものがありますね。(病院が近所でないので、電車で行くことでした)
いざ検診、まずは、胃からですが、これは何度か経験もありますし、麻酔によって何も苦もなく
終わりました。
今度は大腸の方ですが、麻酔をしていても、明らかにおなかが張って苦しくなる状況は
感じました。
それだけ大腸というのが、長いものである(身長の何倍もの長さとも言います)というのを
実感します。
実際いろんな話を聞くと、医師も腸内の壁に内視鏡をぶつけないように、移動していくのは
いろいろ訓練が必要なようです。
検査が無事終わって、麻酔が解けるまで休息となるわけですが、麻酔が解けたとき
思いっきりおなかが張って苦しいのと、何かおなかの中で、ちくちくする痛みの感触を感じました。
おなかが張るのは、前述の通り、腸内に空気を送り込んだ結果ということで、
がまんせずおならを出してくださいとのこと。
ちくちくする痛みは、どうやら一箇所腸内ポリープがあり、切除したとのことでした。
止血剤がありますが、しばらくは傷が残る状態とのこと。
ポリープの組織は、良性悪性は、後日検査でわかるとのこと。
検査で治療行為の可能性があれば、それなりに費用がかかるということでしたが
なにより、早めにわかってよかったと考えることでしょう。
正直なところ、早めの検診で早期発見できることが大事ですが、そう何回もとは行く気には
まだ成れないところ。
この結果を元に、普段から不摂生を見直し、適度な運動と、バランスとれた食事、きちんと睡眠をとる、衛生面に気をつけることで、予防するのが一番かと、そう思います。
私は受けたことはありませんが、最近はカプセル内視鏡という、薬大の大きさの胃カメラがあります。
ただ、カプセルの位置は、体内の流れに任せるしかないと聞きますので、じっくり観たいところが
きちんと記録できるのかと言うことはよく聞きます。
健康の一番に効くことは、予防ですね。
過去に不調の要因の一つでもあった、胃潰瘍の発見などで助かったことが多くあります。
胃や食道などは、異常があるとなんらかしらのサインが、すぐに自覚症状として
わかりやすいとも考えられます。
ただ、日本人の癌で命を落とすケースで、最も多いのが大腸がんだそうです。
というのも、自覚症状があまりないまま進行、転移してしまい、手遅れになるケースが
多いからだそうです。
そんなこともありまして、自分も長く健康を維持するために、気をつけないとと
いう訳で、初の大腸内視鏡検査を受診しました。
当たり前のことですが、検査の前に腸内を空っぽにする必要があります。
当然朝食は抜きですが、更に朝から下剤で喉からからになる状況にしなければなりません。
検査は午後からですが、空腹と喉の渇き、今の時期の暑さといい、病院に行くまでふらふら状態と
なかなか辛いものがありますね。(病院が近所でないので、電車で行くことでした)
いざ検診、まずは、胃からですが、これは何度か経験もありますし、麻酔によって何も苦もなく
終わりました。
今度は大腸の方ですが、麻酔をしていても、明らかにおなかが張って苦しくなる状況は
感じました。
それだけ大腸というのが、長いものである(身長の何倍もの長さとも言います)というのを
実感します。
実際いろんな話を聞くと、医師も腸内の壁に内視鏡をぶつけないように、移動していくのは
いろいろ訓練が必要なようです。
検査が無事終わって、麻酔が解けるまで休息となるわけですが、麻酔が解けたとき
思いっきりおなかが張って苦しいのと、何かおなかの中で、ちくちくする痛みの感触を感じました。
おなかが張るのは、前述の通り、腸内に空気を送り込んだ結果ということで、
がまんせずおならを出してくださいとのこと。
ちくちくする痛みは、どうやら一箇所腸内ポリープがあり、切除したとのことでした。
止血剤がありますが、しばらくは傷が残る状態とのこと。
ポリープの組織は、良性悪性は、後日検査でわかるとのこと。
検査で治療行為の可能性があれば、それなりに費用がかかるということでしたが
なにより、早めにわかってよかったと考えることでしょう。
正直なところ、早めの検診で早期発見できることが大事ですが、そう何回もとは行く気には
まだ成れないところ。
この結果を元に、普段から不摂生を見直し、適度な運動と、バランスとれた食事、きちんと睡眠をとる、衛生面に気をつけることで、予防するのが一番かと、そう思います。
私は受けたことはありませんが、最近はカプセル内視鏡という、薬大の大きさの胃カメラがあります。
ただ、カプセルの位置は、体内の流れに任せるしかないと聞きますので、じっくり観たいところが
きちんと記録できるのかと言うことはよく聞きます。
健康の一番に効くことは、予防ですね。
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