2010年11月15日月曜日

鈍感力は忍耐力

私は、小さな頃から、一見大雑把だけど、一部のことに頑固な部分と神経質な面があると
親からよく言われました。
 時は過ぎて、一社会人となった私自身は、かなり大雑把で、全体のイメージを掴めば、あとは勢いでと、大胆かつシュールなとは、良く聞こえますが、雑な面のほうが多いかな?と思います。

 でも、ある部分、妙に頑固になる部分で、感情的な面もあり、その辺に関しては、自分で気がつかない部分で神経質な面なのかもしれません。
 自分のことは、客観的にはわからないことの方が多いと思いますので、いろんな人から見れば、いろんな見方があるので、この辺にしておきます。

 なぜ、こんなことを書き始めたか?というと
やっぱり、多かれ少なかれ、大きな組織が関わる仕事などをしていると、いろんな考え方の人がいますし、その中で、見えないストレスを感じてしまっていることも、実際あるのかと思います。

 うつの行動療法の一つに、認知療法という、ストレスを後ろ向きなプロセスから、冷静に、状況を把握して、前向き思考に転換し、ストレスを軽減する訓練というものがあります。

 以前、小泉純一郎元首相が有名にした、「鈍感力」というのもこの認知療法に似た考え方です。

 私も、立ち直るプロセスや、復帰後もこの訓練は継続してきました。
とにかく、冷静に考えられる懐の深さとも、いえる部分かもしれません。
 慌てて、頭だけで考えるのではなく、メモを取りながら、こうゆう事?って聞くのもそのやり方です。

 でもね、ある意味、几帳面な人からみれば、「ずるい」とか「ごまかしている」とか「自分を正当化している」とか、そうゆうように感じられてしまうことも、残念ながらあります。
 元首相の答弁もそうゆう面はありましたね。

そういう面では、現代社会では「鈍感力」は「忍耐力」と共存するものかもしれません。

でもね、人と人との間のコミュニケーションとは、こうゆう部分をどう受け止めるかによって、協力的か、意志のすれ違いを生むかになってしまうかな?
 
現状、私の場合、そうゆうように前向き思考で訓練して、前向きにストレスに打たれ強いようにしていかないと、2度と立ち直れなくなってしまうこともあるのも事実です。
なかなか、直ぐに転換できないような状況もやっぱりあります。

 それができなければ、開き直りで、自分がやれることだけをする割り切りの意志も、あるいみ必要なのかもしれません
 私の経験から言うと、後者のほうが、相手に心象悪く思われるかもしれません。
非協力的と。

 前向き思考での行動と、自棄開き直りは、行動は一見似ていますが、後者はある意味泣き寝入りも含む後ろ向きな対応であり、前者は、それではこうゆう代案も考えてと、前向きな対応なのではないでしょうか?

 それだけに、前向き思考で、真摯な気持ちで対応していることを、誤魔化しているようにとネガティブに思われてしまうことのジレンマ、これが今一番のストレスかもしれません。

 私の今までの人付き合い経験では、誤魔化しているとかいうタイプの人の口癖は、「人を使うとか、やらせる」との、上から目線での語尾が必ずくる。
ある意味、コミュニケーションとして、私の一番嫌いな言葉です。

 私の場合、「協力していただこうとか、力や知恵を貸してほしい」というのが口癖になってしまっています。
 ある意味、自分がへりくだった殺し文句かもしれませんが、悪意は更々ないし、真剣勝負でお願いしているつもり。 本気で人に協力をお願いするのなら、真摯さというのをさらけ出さないと。

正直ものがバカを見る。そんなことでどうする。

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