2009年7月28日火曜日

ファン太郎の奮起に期待しています。

久々に相撲ネタです。
 大相撲名古屋場所は、琴欧州と白鳳の熾烈な優勝争いの中、
千秋楽に横綱白鳳が、横綱朝青龍を破り、優勝で幕を閉じました。

白鳳の相撲は、体勢を崩しても、土俵をわらない、地に脚がついたような粘り強さが
光りました。相手にまわしを取らせない、差し手を入れさせない、隙をついてまわしをとるといった
相手の動きをうまく封じ込める攻撃と防御で、王道を得ているような気がします。

 朝青龍は、横綱同士の優勝争いが期待された中で、まさかの10勝5敗といった、無念の結果でしたが、千秋楽の白鳳戦は、勝敗は土俵際で投げ返されてしまい土がついてしまったが、長い時間となった熾烈な相撲は、本来の強さを取り戻す切っ掛けとなったのではないでしょうか。

 と言うのも、今場所は途中まさかの黒星を喫した相撲以来、何かと一瞬の隙を相手につかれてしまったような負け方が続いていましたためです。
 黒星を喫した日の表情から、何かスランプに陥ってしまった様子が見えていました。

 本来、隙を与えないスピードで相手を圧倒する強さが、朝青龍の持ち味でしたので、それが崩された
中で、迷いが生じたのかもしれません。
 一部の土俵外の素行で、いろいろ憎まれ口をたたかれることもありますが、
よくも悪くも、この人の上を行かないと、横綱にはなれないといった目標となり、白鳳や、琴欧州、日馬富士等、追ってくる力士のレベルアップに貢献されたことも含め、大相撲を盛り上げた功労者ではないでしょうか。

 強い競争相手が多くなり、ますます熾烈な取り組みが期待されますが、崖っぷちからの意地の強さは
期待を裏切らないと思いますし、やはり、私としても、横綱が優勝争いの大きな壁であって欲しいと思っています。
 次の場所では、是非、ファン太郎の奮起に期待したいところです。

2009年7月26日日曜日

野村語録:「失敗と書いて、せいちょうと読む」

東北楽天ゴールデンイーグルス監督、野村克也監督。
最近、試合後のコメントに、些か弱気な言葉が目立つような気がしますが、
一ファンとして、何とか巻き返しを期待したいところです。

 この人の著書に書かれる言葉は、どのような立場においても、いつも学ぶ姿勢を忘れない。
といった考え方を、実践された中で表現された事なのでしょう、
 私が著書を読んで、いつも感じるのは、短いコラムの中に、野球を例にとって、
非常に説得力のある内容を、的確に示されているということです。

 しかも、ただの野球に限ったこと内容ではなく、人が生きる上での試練としても当てはまることが
多いと言うのも、この人が世間一般から注目される状況の大きな理由なのではないでしょうか。

 語録の中で、「自分の型(かた)を創り、それに血を注ぎ、形(かたち)にする。」、
「欲を知り、欲を制す」と言う内容は、以前紹介しました。

 最近 私が、一社会人として特に気にしている言葉が、「失敗と書いて、せいちょうと読む」
でした。
 私は、物事が思い通りに行かなかったことを、「失敗」というのであれば、一つの新しい「成功」は、
それまでの「失敗」で得られた事実や、課題の発見のプロセスを経て、行き着いた結論だと思っております。
 最近特に感じるのは、仲間の「失敗」を、非難の方向にエネルギーを使いがちな人が多いことです。
中には、「失敗」しそうだというのがわかっていても、見てみぬふりをして、ことが起こった途端に非難することに元気になる人までいますし、無理やりもみ消すようにすることにエネルギーを使う人までいます。
 はじめっからできる確率が高いことばかりやっていては、何も進歩はありませんね。
もちろん、同じ失敗を何度もやるのも、進歩はありません。
同じ失敗をする人に見られるのは、失敗の事実を把握しようとする部分が不足していることです。

 組織戦の場合は、仲間の失敗した事実を、次の成功に向かうための鍵として認識すべきことだと思います。なぜならば、世の中の事柄では、成功する確率が100%のことは稀なのですから。
確率を上げるためには、失敗の事例とよく向き合うことの過程が必要なのです。

失敗の事例を隠蔽し続けると、今の厚生労働省や、国土交通省が抱えている問題のように
ことが取り返しがつかなくなるまで進んでしまう、といったことになるのです。

私が思うには、わずかな人でも、間違いの指摘に「言ってくれて有り難う」という気持ちがあれば、、、。
と感じるこの頃です。
 

2009年7月25日土曜日

自由とは? FreedomとLibertyとの違い

昨日深夜にも関わらず、NHKドキュメント「マネー資本主義」を見ておりました。

 改めて、1980年代に日本で引き起こした、バブル景気崩壊による架空経済が
実態経済を脅かしたことと同様なことを、アメリカ主導で、全世界に影響する形になるまで
再び過ちを犯してしまった事実に、人間の行き過ぎた欲望への憂いを感じました。

 悪いたとえですが、一部のマネーゲーマーによる、濡れ手で粟のような、努力も感じられない手段で、一攫千金を独占したい欲望を、「自由資本経済や、権利の保護」と言う印籠をもって、正当化されてしまったのではないでしょうか?

 これだけ人やものの流通が世界中に、行き渡る状況においては、
一部の利己主義者による過ちのつけが、人類の存亡に関わるとんでもないことになりうることを、資本投機者は再認識し、責任をもって行動すべき。と思います。

 今回の出来事は、軍備や暴力の行使のない、実体のない戦争犯罪ともいえます。

 日本語で、「権利」の対義語で「義務」とあります。 日本国憲法にあるように、「権利」と「義務」は
それぞれ独立したことではなく、市民がお互いに信頼を持って生活する上で必要な、Give and take の一対の関係として、考えるものだと思います。

 英語では「権利」とは right、「義務」はdutyとありますが、私が考える英訳は、前者が、liberty、後者が、responsibity と言った表現のほうが、世直しのためには良いのではと思います。

 それは、権利と義務が、利己主義的な主従関係ではなく、倫理とか人が生きる上での信頼関係を得る前提の上で、必要なことと考えるべきだからです。

 Liberty も Freedom も日本語では、「自由」と訳されますが、前者は、人々が生活する中での従う行動としての自由、後者は、自然界の法則に従って、人含めたあらゆる物が、運動やエネルギーをもつ自由であり、意味合いが異なっております。

 倫理観とか価値観は、人によってそれぞれ異なりますが、人が生活するといった事に対しては、大同小異ではないかと思います。

 ただ、バブル経済崩壊後、「権利の自由」をLivertyではなく、Freedomと混同された価値観を主張する機会が目に付いてきます。
 悪いたとえですが「赤信号、みんなで渡ればこわくない!」ということです。
 そういう者から「義務」とか「社会的責任」とか「信頼」という発言を聞くことはまれです


 利己主義の欲望に埋もれてしまった者は、幾ら資金や資産があっても満足をしない。
それは、独裁者同様に、欲望を隙間を埋めることができないことに、恐怖感をもち、それを回避するために、自分の都合のよいことだけしか考えられなくなるからです。
 
 いわば、裸の王様同然であることに、早く気がついて欲しいですし、自分の資産を人々のために
活用するということが、本当の富を得ることができ、満足になるのではないでしょうか?と思います。

 アメリカのオバマ大統領や、国連が危機感を持ってリーダーシップを発動されることは、誤った価値観の正当化が、人類存亡の危機を起こしたことに対する世直しとして、期待しております。

 それに対して、裏番組で、討論番組をやっておりましたが、与野党の政治家連中のダメだし内容の、程度の低さにあきれるばかりでした。
 課題があるから、建設的な議論が必要なのではないでしょうか?

 それにしても、課題が多すぎる。今まで政府がしてきたことの隠蔽のツケ、一度全部ご破算にして、あった事実を全部出して欲しいですね

2009年7月23日木曜日

日食を見て思う、太陽から受けるエネルギーの強さ

先日、日本で皆既日食が見える機会がありました。

 東京でも、雲り空の切れ目から、太陽が月の後ろに隠れる様子が見れました。
日本以外にも、インドのムンバイ、ブータン王国、中国の上海上空でも、
太陽が完全に隠れる様子が見られたそうです。

 東京ではあまり、日食によって空が暗くなることは感じられませんでしたが、
海外では、太陽が月の後ろに隠れると、日中の時間にも関わらず、日が当たらずに
夕方のような空になっている様子が、見られたそうです。

改めて感じるのは、地球に存在する生物は、太陽からのエネルギーに影響を受けて
生きているということと、そのエネルギーの大きさの甚大さです。

 オリンピックの聖火は、ギリシャ アテネの聖地で太陽光を集光させて火をおこすことで
有名ですね。

 また、夜に見える月は、太陽の光を月面で反射したものが、地球から見えていることはご存知ですが
電灯もなかった時代、満月の月夜の下では、書物が読めるほどの明るい光であったといわれています。
 もっと身近では、人間は朝日を浴びると、目が覚める状態に神経が働くそうです。
だから、時差ボケ解消のために眠るには、日光が入らないようにすることが必要なのです。

 人間がいろいろな活動でエネルギーを消費してきており、最近ではエネルギーの過剰な使い方が
環境破壊へと影響する問題へとなりつつあります。
 だからこそ、太陽からのエネルギーを上手に活用することに目が向けられるのは、妥当なことだと
思いますが、だからと言って、エネルギーを過剰に無駄使いするのはナンセンスです。
 
 世相では、経済、流通、情報のグローバル化によって、昼夜問わず仕事のためエネルギーを使われていることも多くなってきました。 
 だけど、人間の体内時計のリズムは、太陽や月の周期によって影響を受けております。
この際、一番の環境問題への取り組みは、昼間活動し、日が暮れたら活動を止めるといった
本来人間が、先祖から持っているリズムに沿って活動することではないでしょうか?

 と、最近、私は感じております。 このリズムに長い間逆らって無理するから、心身が病んでしまう
ことにつながるのではないでしょうか?だから、自然の恩恵に感謝することが、健やかに生きるヒントではと感じるこの頃です。

2009年7月21日火曜日

国政選挙は、内需拡大と景気対策になる!?

本日衆議院本会議にて、衆議院の任期満了前の解散が施行されました。

 中学での社会科を習った人は、衆議院の解散は、建前上議会が内閣不信任を可決した時の
内閣総辞職の対抗措置として、衆議院を解散し、議員選出するプロセスを、教えて頂いたと
思います。
 内閣が、独断で「解散」を、合法化して初めて実施したのは、麻生首相と血縁がある
故吉田茂大臣だったと思います。「ばかやろう解散」として知られていますね。

それはさておき、代議士の選挙は、国民投票ですが、有権者に支持をえつつ、政治活動をするには
多額の費用が必要と、言われております。
 特に、選挙の際は臨時スタッフを雇い、演説車や、ポスター、事務所など、より顕著です。
実は、ある一部の業界では、選挙があると、事務用品や、空き事務所誘致等の特需があると
言われます。

 最近、与党と野党の代議士が、選挙に勝つ負けると言うことを、耳にたこができるくらい聞こえてきますが、「誰に対して、勝つ負けると考えるのか?」を言う疑問の目を向けたくもなります。

やっぱり極論は、選挙によって、投票で代議士に選出されると、儲かる なのではないでしょうか?
と思ってしまいます。
 確かに、立候補すると助成金が支給され、選挙で支持を得られないと、支持団体の後ろ盾が得られない、更に有効得票にも達しないと、助成金まで取られてしまう。といった資金に対する死活問題は
あることは事実ですが、
 代議士の使命は、国を運営していくために選ばれた、有権者の代表なのではないでしょうか?

結果論で、勝った負けたを言うことよりも、まずは有権者の投票率(参加率)をあげるような
魅力的な取り組みが先のような気がします。

2009年7月19日日曜日

ありがとう!の一言が、救いの一歩

かつて。「もらい泣き」の熱唱で有名になった、一青ヨウ(ウ冠に幼)さんの
「月天心」のアルバムに、「アリガ十々」という曲がありました。
 彼女のCDを聞いたからならば、ご存知だと思います。

「千回も、一万回も、 アリガ十々 アリガとう」 と言う歌詞で終わります。

 日本人は、身近な人に感謝の言葉を口に出すことが、照れくさいと思うことが多いかと
思います。
 一方、外国人からみれば、何で日本人は直ぐに、あたまを下げるのだろうと思われることも
多いです。
 
 私が今思うことですが、たとえ自分にとっては、おせっかいなことかもしれなくても、
相手が、御厚意でしていただいたことには、ひとこと感謝の気持ちを口に出してもよいのでは
ないかと思います。

 今自分には、必要は無いときでも、「あなたがやっていただける気持ちは、感謝しております。
でも、今は、私にとっては気持ちだけで結構ですよ。またの機会にやっていただければ助かりますよ」と言ったことです。

 本当に御厚意を頂いたときには、できの良し悪しに関わらず、努力に対しては認め感謝を表わすべきで、その上で、もし不本意ならば、具体的に不足するところを示して、次に相手が考えさせるような選択示を伝えればよいのではないかと思います。

 親子関係ならば、多少命令口調や、感情がこもってしまう言い方があるのは
心を許す中でのコミュニケーションとして、止むを得ないかもしれませんが、
 会社組織の中では、一方的に頭ごなしで命令口調で言われると、カチンと来る部分が
あると思いますし、かつ、感情的に、人格を否定するように、連鎖反応的に、
お前はいつも、とかこないだも、、」と
 余計なことまで言われると、耳栓でもしない限り苦痛に感じてしまうのではないでしょうか?

 このようなやりとりが、長く続いてしまうと、コミュニケーションもギスギスしたものになり
言いたいことが言えずに溜め込んでしまうタイプの人は、精神的に参ってしまうことにつながります。

 特に、電子メールの仕事のやり取りは、結論をまとめ、手短にが原則ですので、時には、相手が
無感情で命令口調的なものに感じられることも少なくありません。
これは、相手が読む際に 趣旨が明確にするためですが、ひとこと付け加えると、誤解による
お互いの嫌な気分に陥ることも軽減されると考えます。

 一番良い方法は、ありがとうときちんと伝えることです。できれば相手の顔の見えるところで、。

自分はすべてが完璧でなんでもできるという考えを、持ち続ける限りはこのことは難しいですが
一度、どん底に落ちて、それから活路を見出した人は、己の欲と限界をうまくコントロールした
アクションをとると思います。

 具体的には、自分以外に協力していただける仲間を増やすことかと思っています。
それは、押し付けるのではなく、お互いに良い方向をめざして一緒にやってもらえると
いう感謝の気持ちが入ることです。

 今 組織のリーダーに、このような懐の深さがどの程度あるかです。
はっきり言いまして、自分の都合のよい人間(イエスマン)ばかり集めるリーダーは
自分を客観的に良し悪しを言ってもらえる者がいないので、うぬぼれに気付かず成長しない。

 独裁国家が今まで、長続きしなかったのことが証明しております。

オバマ大統領は、なぜ、有権者以外にも支持されるのか?
 彼のメッセージからも、いろいろ考えさせられました。

2009年7月16日木曜日

夏が来ました!

昨日、関東地方で梅雨明け宣言がありました。

 前日の空は、夏に見られるウロコ雲でしたので、そろそろかなとは
思っていました。

 今日は、見事な夏空でした。

いろいろ暗い状況が目立つ世の中ですが、
 目先の手抜きする私欲に、惑わされること無く、一つ一つ地道な努力を積み重ねれば
止まない雨はないと思います。

 不況で、仕事や収入が減ったりしております。
確かに家計を圧迫する事態で苦しいですが、
 心まで圧迫されてはなりません。

 仕事以外の時間があることで、新たに挑戦できることに気がついた、
と考えるべきだと思います。

 私は、家電業界の製造業でしたので、
いままで、クリスマス商戦向け製品開発のために、お盆休みに出社ということも
多かったでした。
 今考えると、先祖様に多大な無礼をしたと思っていますし、
その罰として病んでしまったのだと思います。
 
 だから今年は、きちんとお盆に先祖供養して反省したいところです。

皆様 良い夏をお過ごしください

2009年7月13日月曜日

国民主権:主権者が責任を持って

昨日、東京都議会議員選挙がありました。

有権者への選択肢のポイントが、国政なのか都政なのかが、
今一、はっきりしないところはありましたが、都政の抱えている課題に対して
どうアクションすべきかとの判断をもって、もちろん、私は投票に行きました。

結果はともかく、投票率が50%ちょいと言うのは、いままでより高いとは言うが
国民主権の政治という観点から客観的にみると、ずいぶんレベルが低いと感じられます。

 いろいろな理由はあるかもしれませんが、政治家が、役人が悪いとかでは、ごまかされる問題では
なく、有権者にも問題があると思います。
 今年 アメリカ合衆国で、オバマ大統領が就任した際に述べられたメッセージを覚えられていますか?
 現在、国が抱える問題を、一人一人が事実として受け入れなければならない 
 主権者である国民が、建設的にそれぞれの責任をもって(当事者意識というかもしれません)、一緒に国を良い方向へ建て直していきましょう。と言った内容です。

 一部のお役人が、良い情報しか公表せず、悪い情報に蓋をして隠していたのは事実です。
でも、その背景には、「親方日の丸に丸投げしておこう」といった有権者の考えがあったのも事実です。

 だから落ち度の事実はきちんと認め、公表することは大事ですが、それは、あくまでも役人を敵視するのではなく、これからは、同じ過ちを繰り返さないように、お互いの立場に耳を傾けて、
建設的なアクションを提言していくことです。

 何度も言いますが、人を責めるな、事を責めろです。

2009年7月10日金曜日

マネーゲームの代償 オバマ大統領への期待

わが日本政府は、経済問題で景気が底が見えてきたと、若干安堵のコメントを出しておりますが、

ここ最近、再び対ドルの円高と、原油価格が上昇してきております。
昨年、国民生活を苦しめた2大要因が、再び襲いかかる前触れかもしれません。

一部の資産家によるマネーゲームが再度仕掛けたものだといわれています。

これだけ経済のグローバル化が進んでしまうと、一部のマネーゲーマーのわがままな行動が
世界中の人々に危害を与えることは、昨年末に実証されているはずです。

金銭は、価値の対価との一つの手段かもしれませんが、徳川家の印籠や、スペードのエースの
ようにオールマイティではありません。
 事実、見えないマネーゲームで騒いでいるのは人類だけです。

欲望とは、永遠に満足しないものだといわれています。だから資産家は、100万ドルを持っていても
貧しい人には目もくれず、1000万に増やしたし、独占したい気持ちになるのかもしれません。

日本の金融庁や経済産業省のアクションは、お金の使い道に間違えがあることに、目を向ける必要がありますし、それも期待薄です。

だから、オバマ大統領の演説にある、一部のおろかな行動を憂い、しかるべきアクションをとると
明言されたことは、人類の倫理的価値観への一筋の期待です。

2009年7月9日木曜日

7月7日、夜空に願いを

7月7日、七夕の日を迎えました。

 関東地方は、梅雨入りの最中ですが、雲の切れ間から、満月と星空が見えるときも
ありました。

 二つの星が、一年に一度接近するということで、貴重な時期に、
ささの葉に、短冊に願いを書き吊るす風習があります。

 ところで、皆さんの願いとは、何でしょうか?

私と同年代は、将来の希望に不安を持っている人が多いのは事実です。
昨今の経済事情等を考えると、私も同様に感じる一人であります。

でも、将来に不安があると言う事は、ある意味人生を真剣に考える課題があると前向きに
考えたほうがよいのかもしれません。

昨年は、そんな余裕すらなかったですから、、、。

 短冊に夢や願いを書くのことは、他人の迷惑にならない範囲内では、内容は問われません。
かつて戦前の国家にあったような、偏った思想と権力による、検閲等はありません。

 だからこそ、夢を大きく書き述べても良いんじゃないですか!

 今ちょうど、大小問わず夢を持って、筆をもつ意思があるとき、それが前向きな生き方への
一歩なのではないかと、私は思います。

 蛇足ですが、こんな日に、近隣の某国家では、空にミサイルを打ち上げておりました。
晴天の霹靂とか、真っ白な布に、一点の墨色のしみと言った感じです。
地球からは、人類は簡単に脱出することはできないのだから、つまらない争いは望みませんよ。

国防ミサイルを配備するエネルギーを、もっと平和利用に生かせないかというのが、私の願いです。

2009年7月1日水曜日

マイケル・ジャクソンに想う

先週末、残念な人の訃報を朝一から、耳に入ってきました。

歌手マイケル・ジャクソン氏の訃報です。

私が、小学生から中学生のころに、「スリラー」のヒットで、独特の振り付け含めて
記憶に残る日々でした。

リズミカルなナンバーの他にも、ジャクソン5の頃を引き継ぐ歌声での、スローナンバーも多く
[ I Just can't stop loving you] [ you're not alone] 等の美声はあたまの中に残るものでした。

訃報は、FMラジオ番組で知ったのですが、早速、追悼の意をこめて マイケルのヒットナンバーの
リクエスト曲が流れ始めました。

ここ数年、幼児虐待の裁判を受けたり、離婚、ネバーランドの負債など、後ろ向きな話題が多かったのですが、改めてヒットナンバーを聴くと、歌手としての実力を感じます。

 年々顔の整形をしたり、顔の色素を、黒人から白人のように変えてみたり、一体どのようなメッセージの本質だったのかは、わからずしまいでしたが、世界や、人種を超えて、一緒に耳を傾けるような存在であったことは、間違いありません。
 今は、とにかく残念の想いしか、言葉が浮かびません。