2009年7月25日土曜日

自由とは? FreedomとLibertyとの違い

昨日深夜にも関わらず、NHKドキュメント「マネー資本主義」を見ておりました。

 改めて、1980年代に日本で引き起こした、バブル景気崩壊による架空経済が
実態経済を脅かしたことと同様なことを、アメリカ主導で、全世界に影響する形になるまで
再び過ちを犯してしまった事実に、人間の行き過ぎた欲望への憂いを感じました。

 悪いたとえですが、一部のマネーゲーマーによる、濡れ手で粟のような、努力も感じられない手段で、一攫千金を独占したい欲望を、「自由資本経済や、権利の保護」と言う印籠をもって、正当化されてしまったのではないでしょうか?

 これだけ人やものの流通が世界中に、行き渡る状況においては、
一部の利己主義者による過ちのつけが、人類の存亡に関わるとんでもないことになりうることを、資本投機者は再認識し、責任をもって行動すべき。と思います。

 今回の出来事は、軍備や暴力の行使のない、実体のない戦争犯罪ともいえます。

 日本語で、「権利」の対義語で「義務」とあります。 日本国憲法にあるように、「権利」と「義務」は
それぞれ独立したことではなく、市民がお互いに信頼を持って生活する上で必要な、Give and take の一対の関係として、考えるものだと思います。

 英語では「権利」とは right、「義務」はdutyとありますが、私が考える英訳は、前者が、liberty、後者が、responsibity と言った表現のほうが、世直しのためには良いのではと思います。

 それは、権利と義務が、利己主義的な主従関係ではなく、倫理とか人が生きる上での信頼関係を得る前提の上で、必要なことと考えるべきだからです。

 Liberty も Freedom も日本語では、「自由」と訳されますが、前者は、人々が生活する中での従う行動としての自由、後者は、自然界の法則に従って、人含めたあらゆる物が、運動やエネルギーをもつ自由であり、意味合いが異なっております。

 倫理観とか価値観は、人によってそれぞれ異なりますが、人が生活するといった事に対しては、大同小異ではないかと思います。

 ただ、バブル経済崩壊後、「権利の自由」をLivertyではなく、Freedomと混同された価値観を主張する機会が目に付いてきます。
 悪いたとえですが「赤信号、みんなで渡ればこわくない!」ということです。
 そういう者から「義務」とか「社会的責任」とか「信頼」という発言を聞くことはまれです


 利己主義の欲望に埋もれてしまった者は、幾ら資金や資産があっても満足をしない。
それは、独裁者同様に、欲望を隙間を埋めることができないことに、恐怖感をもち、それを回避するために、自分の都合のよいことだけしか考えられなくなるからです。
 
 いわば、裸の王様同然であることに、早く気がついて欲しいですし、自分の資産を人々のために
活用するということが、本当の富を得ることができ、満足になるのではないでしょうか?と思います。

 アメリカのオバマ大統領や、国連が危機感を持ってリーダーシップを発動されることは、誤った価値観の正当化が、人類存亡の危機を起こしたことに対する世直しとして、期待しております。

 それに対して、裏番組で、討論番組をやっておりましたが、与野党の政治家連中のダメだし内容の、程度の低さにあきれるばかりでした。
 課題があるから、建設的な議論が必要なのではないでしょうか?

 それにしても、課題が多すぎる。今まで政府がしてきたことの隠蔽のツケ、一度全部ご破算にして、あった事実を全部出して欲しいですね

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