2009年7月26日日曜日

野村語録:「失敗と書いて、せいちょうと読む」

東北楽天ゴールデンイーグルス監督、野村克也監督。
最近、試合後のコメントに、些か弱気な言葉が目立つような気がしますが、
一ファンとして、何とか巻き返しを期待したいところです。

 この人の著書に書かれる言葉は、どのような立場においても、いつも学ぶ姿勢を忘れない。
といった考え方を、実践された中で表現された事なのでしょう、
 私が著書を読んで、いつも感じるのは、短いコラムの中に、野球を例にとって、
非常に説得力のある内容を、的確に示されているということです。

 しかも、ただの野球に限ったこと内容ではなく、人が生きる上での試練としても当てはまることが
多いと言うのも、この人が世間一般から注目される状況の大きな理由なのではないでしょうか。

 語録の中で、「自分の型(かた)を創り、それに血を注ぎ、形(かたち)にする。」、
「欲を知り、欲を制す」と言う内容は、以前紹介しました。

 最近 私が、一社会人として特に気にしている言葉が、「失敗と書いて、せいちょうと読む」
でした。
 私は、物事が思い通りに行かなかったことを、「失敗」というのであれば、一つの新しい「成功」は、
それまでの「失敗」で得られた事実や、課題の発見のプロセスを経て、行き着いた結論だと思っております。
 最近特に感じるのは、仲間の「失敗」を、非難の方向にエネルギーを使いがちな人が多いことです。
中には、「失敗」しそうだというのがわかっていても、見てみぬふりをして、ことが起こった途端に非難することに元気になる人までいますし、無理やりもみ消すようにすることにエネルギーを使う人までいます。
 はじめっからできる確率が高いことばかりやっていては、何も進歩はありませんね。
もちろん、同じ失敗を何度もやるのも、進歩はありません。
同じ失敗をする人に見られるのは、失敗の事実を把握しようとする部分が不足していることです。

 組織戦の場合は、仲間の失敗した事実を、次の成功に向かうための鍵として認識すべきことだと思います。なぜならば、世の中の事柄では、成功する確率が100%のことは稀なのですから。
確率を上げるためには、失敗の事例とよく向き合うことの過程が必要なのです。

失敗の事例を隠蔽し続けると、今の厚生労働省や、国土交通省が抱えている問題のように
ことが取り返しがつかなくなるまで進んでしまう、といったことになるのです。

私が思うには、わずかな人でも、間違いの指摘に「言ってくれて有り難う」という気持ちがあれば、、、。
と感じるこの頃です。
 

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