2009年6月29日月曜日

冤罪事件に思うこと。究極のパワハラ

「全部言ってしまえば、すっきりするぞ!」 って 取調室にカツ丼を持ってくる。
そんな場面が、昔の刑事ドラマにありました。

そんなかっこいいなどのきれいごとでは、済まない冤罪が明らかになりました。

以前から、同様なことは裁判で指摘されていましたが、ここまで理不尽になると
江戸時代の、長崎の隠れキリシタンを処罰する、「踏み絵」のやり方と変わらないと思います。

一連の証言によれば、警察や司法の追及や、検証方法の根本的な問題は、事の事実よりも、一つの事柄の結果だけで、犯人を思い込みで追求し、自白という事実をでっち上げることがまかり通ってしまっていることであります。
 容疑者に向かっていきなり「お前が犯人だろ!、うんと言うまで帰らんぞ!」これでは、事情聴取ではなく、脅迫や迫害であり、かつて旧ソビエトで、レーニン像にそっぽを向いたことで強制収容されてしまうことと、近いものがあります。

 以前からも、訴えていますが、「人格を無視して、人を責めることや否定するのではなく、事実に基づいた事を責めるべきである」 これが本質ではないでしょうか?
 ドラマ刑事コロンボを見て御覧なさいよ。
誘導尋問的な責め方ですが、事実を下に、発言の矛盾を立証しているではないでしょうか?

普段の人付き合いでも、感情を表に出して言うことも、時には大切でしょうが、最初から思い込みで押し付けるのは脅迫と変わりませんよ。

2009年6月25日木曜日

物事のありがたみを実感するには

「苦労は買ってでもしろ」
と、年長者によく言われることばです。

 私が自分を取り戻し始めた時に、なんとなくそのことを実感する
切っ掛けを得た、と思っています。

 ユビキタス社会、いつでもどこでも!といった便利な世の中ですが、便利なものや事が生まれる切っ掛けは、それまで手間がかかり苦労していた事実があってこそだと思います。

 私が休養に追い込まれた時、人間が生きる上で最低限必要な項目、つまり、「衣食住」において、いろいろ苦労させられました。 特に一番億劫に感じたのが、「食」の部分です。


 仕事から離れるわけですから、当然給料など収入は、激減です。
もちろん、会社からは手当をいただいておりますので、収入ゼロではないですので、贅沢はいえませんが、今までとは勝手が違います。

 住宅の返済費用や管理費、光熱費、自家用車ローン返済等を差し引いた中で、「食」と「衣」を賄わなければなりません。その他、通院が必要ですので医療費もかかります。

 うつの症状では、食欲も低下しますし、食べるのも面倒に感じてしまうこともあります。
そんな時は、外食やコンビニの食品は便利ですが、きちんと栄養バランスを考えると、どうしても割高になり、月末に赤字になるケースも目立ちました。

 最初は、以前からの貯金を崩してなんとかしておりました。
このときは貯金の備えをしていて助かったのですが、ずっとこのまま続ける訳にはいけません。
お陰で、外食のランチはどこがコストパフォーマンスがよいか、よく知るようになりました。

 3ヶ月ほどして、気持ちが上向きになったころ、ちょっとでもいいから自炊に挑戦してみようという気持ちになりました。

 料理番組でのちょっとした様子が切っ掛けでした。

 まずはご飯だけでも炊いて見ることにしました。炊飯器でもいいですが、必要な量だけと考えたところ、陶器の鍋釜で作ってみることにしました。

 米を研ぐ、水を吸わせる、吹き零れがないように、火加減の調整など、時間がかかり、面倒なところはありますが、完璧でなくてもいいと思いつつ、やってみると実に奥が深い。
 だから、おいしくふっくらと、かつ底面におこげができるようにうまくできた時は、なんとも言えぬ感動がありました。
 水加減を間違えてしまっても、柔らかければお茶漬けか、梅ぼしや海苔を入れておかゆ、固かったら炒めご飯で何とか対応できるのです。

 おかずは最初は、スーパーの惣菜そのままでしたが、お酒のおつまみのつもりで、野菜や豆腐などと組み合わせて、ちょっと手を入れてみるようになりました。
 主婦の知恵とか、料理人のまかない料理などは、興味深く参考にしていました。

 余った分は、冷凍などで日持ちできますので、結果的に以前に比べて食費は半分程度に節約でき、かつ、不燃ごみの量を減らすことにもつながりました。
 それ以上に、お金に現われない、食のありがたみという価値観の再認識を得ましたよ。

 日本の食糧自給率が低いことに、世間が危機感を持っておりますが、

改めて 「食べ物を粗末に扱っては罰があたる。 」
 「明日の自分があるのは、いろんな人々の苦労の積み重ねがあってこそ。」
と感じるようになりました。

 最近は、独身男性でも自分でお弁当を作る人も、多いようですが、決して悪いことではありません。
今もその心得は、忘れないように心がけします。

2009年6月24日水曜日

蒸し暑くなって来ました。

関東も梅雨入り、ジメジメ、どんより、だけど暑いといった、うっとうしい時期がやってきました。

また、衣替えで半袖やクールビズ(ノーネクタイ)と、幾分風通しの良さを感じられます。

この時期、職場や、通勤電車や、バス車内に、冷房が入ると思います。
実は、私は冷房が苦手なのです。特に冷風が、直接腕にあたるような状況がダメなのです。
この時期は、無意識に自律神経にストレスがかかっていることがあります。

最近の冷房は、湿度だけを下げる動作もあるようなので、それはありがたいですが、古い設備などはそうはいかないのが現状です。

過去の反省から、私は、以下のように対策をしております。

 1)必要に応じて上着、または長袖のシャツを羽織る。

 2)電車などは、弱冷房車に乗るか、できるだけ送風口から離れた位置にいる。

 3)職場で一息つくときの飲み物は、温かいものにする。
   特に、紅茶、プーアール茶、しょうが湯、ミルクの多いカフェオレ等は、身体を温めるので
 よいです。
  ただし、お茶やコーヒーは、飲みすぎると胃がもたれるので注意です。
 冷たいものが欲しいときは、オロナミンCやタフマン、リポビタンDなどは、温かくなります。
 
 4)ある時間毎に、ストレッチや席を離れて外を歩く。

 5)部屋の換気をよくする。

 6)きちんと食事をとる。

参考になるかはわかりませんが、体内の血液循環をよくすることが大事なのかもしれません。


最後に、基本ですが、よく寝て休息をとることです。ビールの飲みすぎには注意ですよ。

2009年6月22日月曜日

昨年に比べて大分よく

昼間も、夜も蒸し暑い日々のこの頃です。

 どういう訳か、睡眠時間はとっておりますが、朝起きると寝足りない気分に
なりがちです。
 やはり季節の変わり目のせいでしょうか?
それとも、どんよりした天気が多いので、朝日を浴びることが少ないためでしょうか。

 それでも、一昨年、昨年と比べると、季節の変わり目に不調に陥る度合いが軽くなった気がします。
はっきりした理由はわかりませんが、少なくとも精神から休息をとったことや、その間に得た
ストレスをうまくコントロールすることの成果なのかもしれません。

 私が特に意識していること、それは何かをやるときの時間のリズムです。

出社して、今日やること(ただし マストではなく したいこととして考えます)を、3つほど書きます。

また、昨日やったことを、時間表に思い出してメモします。

 その後、30分から、一時間集中して、5分ほど生き抜きします。(水を飲みにいったり、身体を
動かしたり、深呼吸します)。このとき必ず椅子から立ち上がることをしています。

途中で席を立つ前には、ノートに途中までのキーワードを書いてメモしておきます。

 3つすべて一日で終わらないときもあります。その時は、今までやったことと残りすることをメモして
おきます。

 これらは、集中と緩和を、うまく使い分けるようにする手段として心がけています。
途中で、割り込みが入って中断しても、すぐに復帰できるようにするためです。

 前日の時間メモは、大体のどのくらい集中できたかがわかるので、仕事の計画を立てる際に
役立てています。 
 
 どうしても忙しくて時間に追われると、エンドレスに根つめて物事に取り掛かるようになって
しまいます。
 結果として、良い成果が得られればよいですが、それは、心身のスタミナが切れるまでの間だと
思います。
 
 野球で、9回まで完投する投手は、100球全部、全力投球では持ちませんね。
時には、全力で三振を取る場面もありますが、打者のタイミングをはずして、打ち損じることを
ねらうことも必要なのです。

 若いときはエンドレスの体力勝負で乗り切れますが、だんだん体力の衰えと共に、やり方を
変えていかないと、そのうち壊れてしまいますよ。

2009年6月19日金曜日

同世代の人から受けた影響

 私が心がけていること、それは、相手の年齢や立場に関係なく、自分がわからないことがあったら、謙虚に教えに耳を傾けること。また逆もそうです。
 そのときには、相手の価値観が理解できなくても、自分の価値観を無理に押し付けないことです。

例えば、私は飲酒が好きですが、飲めない人に無理に勧めたりはしません。

十数年前は、社会人一年生で、期待と不安に入り乱れた時期がありましたが、いつの間にか、中堅となって人の関わりが複雑かつ広い立場になりました。
 そんな時に、仕事は違うけど、同年代の人、特に一度挫折を味わって復活された方々の意見には、考えさせられるものがあります。
 
 特にプロのスポーツ界という厳しさを極めた同年代の方は、今リーダー的な存在で、自分の技を磨くことと、チーム全体を考えて指導することを両立させる難しさを共感します。
具体的には、野球の宮本さん、角界の貴乃花親方等が相当します。
それぞれ年齢は一歳年上と年下です。
 私が冒頭で書いたことは、特にこの二人の姿勢や意見に影響されたことでした。

そういえば、野村克也さんも、私と同じ歳で、南海ホークスの選手兼監督をされて活躍を
されていました。その時も選手だけでなく、スタッフや裏方さんを大事にされていました。

ある意味では 世渡り下手の部類かもしれませんが、苦しんだときの一瞬の光明を受けたような気がします。

2009年6月18日木曜日

そろそろ復職して半年になります。

「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。」
「ワン・ツー!、ワン・ツー!走らないで、歩け」

子供の頃よく聞いた「365歩のマーチ」です。
 どんなに落ち込んでいても、焦らずとゆっくり、自分のペースでいうことで、私の療養への支えとなっている歌です。
 
 私は復職し始めて、来月で半年になります。療養前のペースと比較すると、まだまだ完全復活とはいえませんが、一日何とか、普通に業務をこなしてきております。
当然、周りの忙しさに対して、自分のペースの差があるのは認めております。
だからと言って無理に焦って追いつこうという欲を出しては、元の木阿弥です。

 理解の無い方から見れば、まわりの空気が読めていないとか、自己中心とか、怠けているとか思われることもあるかもしれません。
 でも、私が自信を持って言えることは、なんとかしたいという欲は意識している。だから理性をもって、現在の状況の中で無茶しない範疇で、欲に応えているのですよ。
 単にやる気を持たないこととは、似て非なるものであります。
 
 うつ病は、気持ちの問題と思われるかもしれませんが、実際に、科学的検証によって、意欲に対する脳神経の働きが弱くなり、不安を感じる神経が過敏になっていることがわかっています。
 だから、休むことで不安やストレスから回避させ、脳神経の働きを元の状態に順応させる療養を取ります。
 薬もその回復をアシストする方法ですが、根本治療で完全に回復するのには1年近く時間がかかりますし、好調、不調の波を繰り返しながら、少しずつ順応していきながら回復していくのです
 
 スピード最優先で、目先の結果至上主義とは、私からみれば、度が過ぎて理性を失った欲の亡者のやることだと思っています。
 まずは自分の器の大きさを認識した上で、目標達成に向けた戦略を立てることが本当の賢者だと思います。大器晩成という言葉も昔からありますね。

まずは、ちょっとずつ、失敗してもいいからできることからやってみようですよ。
365歩のマーチの歌詞、そのものですね。

2009年6月17日水曜日

最近心から笑っていますか?

「笑ってよー 君のためにー。 笑ってよー、僕のために、、、。」

 いきなり、さだまさしさんの歌詞で始まりました。
歌手としてのさだまさしさんは、関白宣言などのヒット曲を歌っていたころ、
銀縁めがねで、表情をあまり出さずに歌うイメージがありました。

 でも、実際テレビで拝見するさださんは、とても表情明るく、表現豊かなユニークな方です。
だから、「精霊流し」などの、実体験に基づいた小説等も執筆される程の実力を発揮できたのも
うなずけます。(少年時代は、バイオリンの奏者をされていたそうですね


 それはさておき、最近心から笑っていることはありますか?
天気の関係もあるかもしれませんが、なんとなく表情も曇りがちになっているかもしれませんね。

 自分では気がつかないことが多いですが、普段会う顔見知りからみれば、なんとなく雰囲気で
わかるのですよね。
 顔が見えなくても、電話の声や喋り方もそうかもしれません。

無理やりに明るく振舞う必要はないですが、ちょっとした笑顔を不快に思うことは滅多にありませんし、
一緒にいる相手も、なんとなく明るく接してくると思いますよ。

 そのうち、自然にぼけとつっこみ、会話のキャッチボールになっていけばいいのだと思います。
まさに、最初に書いた、さだまさしさんの歌詞そのものなのかもしれまえん。
 自分も、他人も面白く思ってもらうことは、お互いに心のエネルギーを充電していることだと思います。


 私のように、閉じこもってしまったときは、面白いことでも笑えないとか、無表情になってしまうそうです。
 そんな時、周りの人の協力を得て、自分が子供の頃に楽しかったことやものを、思い出したり、見たり、触ってみたりしてみては、どうでしょうか?


 私は、未だに「やすしきよしの漫才、ドリフターズの全員集合の映像」が大好きです。

 故いかりや長介隊長の最後の締め、「だめだこりゃ!」 たまらんですよ

2009年6月13日土曜日

NHKドラマ「ツレがうつになりまして」を視聴して

昨日まで、3回にわたり、NHKドラマ「ツレがうつになりまして」を視聴しました。

 これは、反響が大きかった、作者の実際の経験を綴った原作漫画を、ドラマ化したものでした。

 主演の原田泰造さんと、藤原紀香さんのキャストも自然な感じでしたが、

 実際にうつ状態で働く気力を失った夫の心情は、私も同じような経験をしましたので
共感を持って視ておりました。

 うつの夫を持つ妻の接しかたの難しさ、これは、自分から視ると他人の支えと、理解する気持ちがなければ、うつからの回復は無かったのではと、改めて感じております。

 原作の作者(妻)は、漫画本と言う形で、身内の方が鬱状態になったときにどのように接していたか
等を、実体験に基づいて、多くの人に伝えられました。

 私はどうかというと、つたないブログを書いておりますが、やはり、同じような問題を抱えてしまった方や、その周りの人々へ、何か解決の手がかりになることができればという気持ちは持っております。
 
ただ、それは義務的なものではありませんし、できるとこから「無理をせずに」できるとこからやっていこうと考えておりますよ

2009年6月8日月曜日

驕れる者は久しからず ベルリンの壁崩壊の時

昨日天安門事件のコラムを書きました。
 私が学生時代に、世界で起こったことで、一番印象に残った事件は、やっぱりベルリンの壁崩壊とソビエト連邦の崩壊でした。
 
 当時、アメリカを中心とした資本主義経済国家(西側)と旧ソビエトを中心としたレーニン主義国家(東側)で、特にヨーロッパは2分されておりました。
 その象徴が、ベトナムであり、朝鮮半島であり、ベルリンの壁で分断された東西ドイツでした。
90年代は、東側のレーニンマルクス経済が破綻しかかってきておりましたが、ソビエトのイデオロギーの状況からは、東西ドイツの分断は、数世紀もずっと続くものだろうと思っておりました。

私は第二外国語は、たまたま独語でした。が、お陰で、西ドイツの国名は Bundes Republik(BDR)、東ドイツは、Deutsch Demokulatik Republik(DDR)とか、いろいろ興味を持って授業を受けることができました。
 崩壊の発端は、東側のハンガリー国が、経済の自由化のために、西側諸国との行き来を開放したことでした。
 それからは、堰を切ったように、事が進みました。
ホーネッカー議長の失脚、その後の政権のミスにより、ベルリンの壁を開放することになり、東ドイツの自動車、トラバントに乗って国境を渡る人々の姿が、今も印象に残っています。
 その後、ソビエト連邦も崩壊し、レーニン像を取り外す映像が象徴的でした。

さて、占領分割当時のベルリンは、西ベルリンと東側との鍔迫り合いの話しがありました。
それは、西ベルリンへの兵糧攻めを仕掛けたソ連に対し、アメリカやイギリスが空輸作戦で、流通の孤立を防ぐために、対抗したこと。
 西ベルリンに、強力な電波塔を建て、東側の人々に届くように、西側のテレビやラジオ放送を使って、東側のプロパガンダに対抗したことなどです。
 今も朝鮮半島の国境では、同様のことが行われていると聞いております。

 今や、統合したドイツは、環境先進国、ポルシェやメルセデス、BMW、ボッシュ、ツァイスやライカ、シーメンス、ヘンケル等、高い精密技術でも世界に知られる程の、経済大国ですね。

 ほんの10数年前あった事、紙製の車体の自動車(トラバント)が、労働者が10年待ちでやっと購入することができた事実が、今や信じられない位になってしまいました。

 諸行無常、栄枯盛衰、驕れる者は久しからずですね。

 

20年前のある思い出

今週、中国北京の天安門事件から、20周年が過ぎたことを知りました。

私が学生時代に、鮮明に覚えている、世界で起きた大きな事件は3件ありましたが
その一つが、天安門事件でした。
(ちなみに他の2つは、ベルリンの壁崩壊から始まる、東西国家冷戦の終結と、アメリカがイラクに侵攻した湾岸戦争です)

 事件があった当時、私の学友には、中国からの留学生がいました。
私は、彼にチューターという相談役の学生として、付き合いをしていました。

 当時中国からの留学生は、国から選抜された国費留学生でした。
母国で工科系の大学を終了してから、一年間日本語学校で、言葉を学び
それから、日本の学校へ編入という形でした。

彼らからは、私はいろいろな事を学びました。
彼が、私に最初に言ったことは、「日本語の漢字は、書くのが難しい!」でした。
 現在は、中国で使う漢字は、簡体字という、もともとあった漢字を簡略化した文字を
使っていることは、よく知られております。
(ただし台湾では、繁体字とよばれる、当時の文字のまま使われています。)

 私が学生の頃学ぶ漢字は、新日本字とよばれるように、簡略化した漢字でしたが、
漢字の発祥地の人が、漢字が難しいと言うから驚きでした。
当時私は日本と中国で使う漢字の違いすら知らなかったのでした。

 彼とはよくいろいろ話しをしましたが、ちょうど一緒にテレビを見ていたときに、
天安門事件の様子が映し出されたことを、よく覚えております。
 暴動を鎮圧する軍隊の様子が映るその時、なんとも言えぬ言葉にならない様子だったことを思い出しました。
 彼曰く、民主化を求める学生達に対しては、「余り勉強しないで政治活動ばかりやっている連中」とは
言っていましたが、母国から派遣された立場から、政治批判ができないため、建前だったのかもしれません。
 私は、それ以上は言葉を求めませんでした。

その後、卒業する頃には、鄧小平主席の出現により、自由経済化に大きく政策転換し、
国の様子も大分変わりました。
 ただ先日知ったこととして、残念に思うのは、未だ政府は天安門事件の事を、触れられたくない出来事としてプロパガンダの検閲対象になっていることでした。

 私が海外で一緒に働いた中国の方々は、彼や私と同じ位の年齢でしたので、どうしても20年前の出来事を思い出してしまうことがあります。
 それでも、片言の言葉しか通じない不安の中で、いろいろ一緒に考えて教えてもらった仲間として、大事な人です。  


 
たとえその国の政治が嫌いでも、その人の人格を嫌いになってはいけない。
よく思い知らされました。

2009年6月3日水曜日

省エネルギーのため、24時間サービスは最小限に

IT化、そして経済のグローバル化のお陰で、世界の時差を乗り越えて
昼夜問わず、がんばっている人達がいます。
 
 ご苦労様といいたいです。

 でも、会社でITのサーバー室をご覧になられたことのある方ならば、思うかもしれませんが
ネットワークサーバーは、一日中動作させると、かなりエネルギーを消費し、熱を発生します。
 そのため、多くの大企業では、省エネで冷房の設定温度を上げても、コンピュータに対しては
十分な冷却をさせています。

この不況の中で、効率化を求めるのであれば、一度ITを使う時間を制限してはどうでしょうか?
もしくは、24時間体制の規模を縮小してはどうでしょうか?

どうしてもというのであれば、昼間太陽光発電し、充電した電力で、必要最小限の動作だけに
抑えてもいいのではないでしょうか?

私が思うのは、ITが何でもやってくれる便利なものと勘違いされている方々も多いのではないでしょうか? 所詮 ITの動作は人間がある決まったルールでプログラムされたものの範疇で、計算などの
動作がすばやくできるものであり、未来を勝手に考えてくれるところまでは至ってはないのです。

 現在は、高速通信のお陰で、多くの情報量が瞬時に発信、受信することができます。
ただし、どこまでが重要なものであるかと言う尺度を持つと、30%程度は、余計なものか
あってもなくてもよいものかもしれません。

 日本で、ITが本格的に導入されてそろそろ10年経ちます。そろそろ目的と実績の格差
見直しの時期に入っているのではないでしょうか?
 PCの文字ではなく、心のこもったコミュニケーションや、人間らしさを生活に取り戻す時期だと
思います。
 

2009年6月1日月曜日

どんより、じめじめ、嫌な季節ですね!!

今日から6月、ここ最近、関東では雨か曇りの日が続きました。

気温も上がり、じめじめと外はどんより、なんとなく気分が落ち込みがちになりそうですが。

こんな時こそ、何かじっくり打ち込んでみるのもよいかもしれません。

思い切って、掃除をしてしまうのはどうでしょうか?
あまり張り切らないで、できるところまでやってみる。そして次回にやることを
決めておけばいいと思います。

身の回りを清める = 精神を清めること なのかもしれませんね。