2009年6月8日月曜日

驕れる者は久しからず ベルリンの壁崩壊の時

昨日天安門事件のコラムを書きました。
 私が学生時代に、世界で起こったことで、一番印象に残った事件は、やっぱりベルリンの壁崩壊とソビエト連邦の崩壊でした。
 
 当時、アメリカを中心とした資本主義経済国家(西側)と旧ソビエトを中心としたレーニン主義国家(東側)で、特にヨーロッパは2分されておりました。
 その象徴が、ベトナムであり、朝鮮半島であり、ベルリンの壁で分断された東西ドイツでした。
90年代は、東側のレーニンマルクス経済が破綻しかかってきておりましたが、ソビエトのイデオロギーの状況からは、東西ドイツの分断は、数世紀もずっと続くものだろうと思っておりました。

私は第二外国語は、たまたま独語でした。が、お陰で、西ドイツの国名は Bundes Republik(BDR)、東ドイツは、Deutsch Demokulatik Republik(DDR)とか、いろいろ興味を持って授業を受けることができました。
 崩壊の発端は、東側のハンガリー国が、経済の自由化のために、西側諸国との行き来を開放したことでした。
 それからは、堰を切ったように、事が進みました。
ホーネッカー議長の失脚、その後の政権のミスにより、ベルリンの壁を開放することになり、東ドイツの自動車、トラバントに乗って国境を渡る人々の姿が、今も印象に残っています。
 その後、ソビエト連邦も崩壊し、レーニン像を取り外す映像が象徴的でした。

さて、占領分割当時のベルリンは、西ベルリンと東側との鍔迫り合いの話しがありました。
それは、西ベルリンへの兵糧攻めを仕掛けたソ連に対し、アメリカやイギリスが空輸作戦で、流通の孤立を防ぐために、対抗したこと。
 西ベルリンに、強力な電波塔を建て、東側の人々に届くように、西側のテレビやラジオ放送を使って、東側のプロパガンダに対抗したことなどです。
 今も朝鮮半島の国境では、同様のことが行われていると聞いております。

 今や、統合したドイツは、環境先進国、ポルシェやメルセデス、BMW、ボッシュ、ツァイスやライカ、シーメンス、ヘンケル等、高い精密技術でも世界に知られる程の、経済大国ですね。

 ほんの10数年前あった事、紙製の車体の自動車(トラバント)が、労働者が10年待ちでやっと購入することができた事実が、今や信じられない位になってしまいました。

 諸行無常、栄枯盛衰、驕れる者は久しからずですね。

 

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