2009年6月8日月曜日

20年前のある思い出

今週、中国北京の天安門事件から、20周年が過ぎたことを知りました。

私が学生時代に、鮮明に覚えている、世界で起きた大きな事件は3件ありましたが
その一つが、天安門事件でした。
(ちなみに他の2つは、ベルリンの壁崩壊から始まる、東西国家冷戦の終結と、アメリカがイラクに侵攻した湾岸戦争です)

 事件があった当時、私の学友には、中国からの留学生がいました。
私は、彼にチューターという相談役の学生として、付き合いをしていました。

 当時中国からの留学生は、国から選抜された国費留学生でした。
母国で工科系の大学を終了してから、一年間日本語学校で、言葉を学び
それから、日本の学校へ編入という形でした。

彼らからは、私はいろいろな事を学びました。
彼が、私に最初に言ったことは、「日本語の漢字は、書くのが難しい!」でした。
 現在は、中国で使う漢字は、簡体字という、もともとあった漢字を簡略化した文字を
使っていることは、よく知られております。
(ただし台湾では、繁体字とよばれる、当時の文字のまま使われています。)

 私が学生の頃学ぶ漢字は、新日本字とよばれるように、簡略化した漢字でしたが、
漢字の発祥地の人が、漢字が難しいと言うから驚きでした。
当時私は日本と中国で使う漢字の違いすら知らなかったのでした。

 彼とはよくいろいろ話しをしましたが、ちょうど一緒にテレビを見ていたときに、
天安門事件の様子が映し出されたことを、よく覚えております。
 暴動を鎮圧する軍隊の様子が映るその時、なんとも言えぬ言葉にならない様子だったことを思い出しました。
 彼曰く、民主化を求める学生達に対しては、「余り勉強しないで政治活動ばかりやっている連中」とは
言っていましたが、母国から派遣された立場から、政治批判ができないため、建前だったのかもしれません。
 私は、それ以上は言葉を求めませんでした。

その後、卒業する頃には、鄧小平主席の出現により、自由経済化に大きく政策転換し、
国の様子も大分変わりました。
 ただ先日知ったこととして、残念に思うのは、未だ政府は天安門事件の事を、触れられたくない出来事としてプロパガンダの検閲対象になっていることでした。

 私が海外で一緒に働いた中国の方々は、彼や私と同じ位の年齢でしたので、どうしても20年前の出来事を思い出してしまうことがあります。
 それでも、片言の言葉しか通じない不安の中で、いろいろ一緒に考えて教えてもらった仲間として、大事な人です。  


 
たとえその国の政治が嫌いでも、その人の人格を嫌いになってはいけない。
よく思い知らされました。

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