最近、新聞、テレビ、ラジオ、WEB等からいろんな情報が扱われております。
WEBについては、当初は、調べたい情報を、必要なときにすぐに検索できる便利さに、大変惹かれました。
しかし、個人でもBlogやSNSで、情報を発信するようになってから、一部の心無いユーザーのために、必要な情報を検索しにくくなったことを、最近残念に感じております。
Internet やWorld wide webは、当初は、アメリカの機密情報データベースやホットラインのような、特別な情報通信網から始まったわけです。
だから内容は一般のユーザーが閲覧できる部分は、客観かつ公共性を持った情報であり、
主観が強い内容と機密性のある情報は、暗号キーでのパスワードを添付したりして、別の扱いにしておりました。
SNSも、だんだん有力な情報と、学校のトイレ内の落書きが共存するようになり、区別も難しくなってきました。
おまけに、特定個人の人格否定につながるような内容も珍しくありません。
日本国憲法には、「風説の流布」いわゆるデマと呼ばれる、根拠のないうわさを意図的に流すことには、処罰対象になることが示されております。
お隣、IT王国の韓国では、SNSでの個人への誹謗中傷書き込みによって、俳優が自殺にまで到る事件まであります。
書いた本人は、トイレの落書きと同じつもりで、後で消してしまえばよいと思われますが、人格否定された本人への、心の傷は深さの程度によりますが、なかなか消し去ることはできないのです。
一部のマスコミもそうですが、何かを公表する際は、客観的事実と、主観的な意見や推測を、きちんと分けて書くようにするのがルールだと思いますし、学校の国語や、道徳で教えなければならないことだと、思います。
逆に、現状、情報を探す側からみたら、根拠のないデマやうわさなどの情報は、極論は無駄と考えてもよいと思いますし、小耳に挟む程度で知るくらいの気持ちが必要だと思います。
特に、うつのように考えすぎてしまう人は、そう割り切ることが必要ですし、別の観点からみて判断する癖をつけるようにしたほうがよいでしょう。
頭の中だけで考えないで、紙に何かメモを取るくらいのほうが、気疲れしません。
IT(情報技術)の発展で、入ってくる情報量は確実に増えていますが、人が生きる上で、必要な情報を取捨選択していかないと、とても24時間起きていても処理できません。
政治やお上が「財源の無駄を省く」とありますが、一番の方法は、情報の無駄に振り回されないことと、出したくない客観的事実を隠蔽しないことです。
主観もある程度は必要ですが、無理に仕事を増やすために主観をばら撒くことを、そろそろやめて欲しいこのごろです。
0 件のコメント:
コメントを投稿