2009年9月29日火曜日

ファン太郎お見事です。

前にも書きましたが、予想通り、千秋楽まで、朝青龍と白鳳の優勝争いが決まる
との流れになりました。
 やはり、優勝決定戦にまで持ち越す、見ごたえのある取り組みでした。
相撲界ではいろいろ暗い話題がありましたが、秋場所は満員御礼が続きました。

横綱の優勝争いとなれば、やはり盛り上がります。
いろいろ外では意見がありますが、そんなの雑音は相撲でかき消してやろうと
いった気合と冷静さは感じました。
 それが、朝青龍の持ち味ですし、品格なのでしょうよ。

とにかく、横綱は勝ち続けなければならないといった、他のスポーツにない
厳しい面があるのだから、それを成し遂げたことは、相当鍛えてないとできないこと。

だから、土俵に上がったこともない人が審議会という名目で、いろいろ言うことに
何の意味があるのか?とも思います。

なにより、万全な相撲を披露した、朝青龍関に、おめでとうといいたい。

2009年9月26日土曜日

総論賛成、各論反対、またか、親方日の丸の意識改革

8月の衆議院選挙で、自民党中心から、民主党中心へと政権交代をしました。

 お役人主導から、政治主導へチェンジを、マニフェスト(政権公約)にして活動することを
選挙によって認められたわけです。
 
 ところが、いつもながら総論賛成、各論反対の問題が出てくるわけです。
しかも、選挙での方針展開に具体的に、示されている事実があったにもかかわらず。
政権が決まった後に、地元が反対集会を開くといったことです。

 確かに、住民当事者にとってみれば、今更困るわ、という気持ちもわかりますが、
県知事や、町長が、選挙後に、反対ののろしを上げるのは、些か不満に感じます。

 自治体の代表が、政権公約をきちんとみていないのか?と、
正直なところ、町長や知事が、反対運動をされるのであれば、何故、国民選挙期間に
反対要望として、問題提議をしないのか?と思う。

この問題については、前原大臣も心中穏やかではないはず。
いままでの、親方日の丸の考えで進められた体質による、負の資産を、泥団子を投げられた形で引き継いだのだから、住民と、お役所との板ばさみになってしまう事態だからです。

親方日の丸体勢の本質的問題は、公的な仕事は、利益を出さず、予算を計上すれば、予算通り使い、節約して余ることは是としないことではないでしょうか?
公共の仕事ですから、利益至上になってはいけないことは正しいですが、進捗を途中で確認する。
、世の中の状況に合わせて、途中で見直しをする期間を設けるということをやらないといけない。

 建設中に材料価格が変動したり、技術が進んで、期間短縮ができるなどで、予算が余ることもあるえるし、それを次年度の繰越し資産として、公の費用とすれば、問題ないはずですし、場合によっては、繰越し資産から、自治体の地方税を還元するとか。
山林の間伐費用に当てるとかもすればよいはずです。
それを、裏金として海外旅行につかったり私的な資産購入に使ったりするから、有権者の不信を買ってしまうし、余分に使いすぎてしまうから、借金となってしまうわけです。

 世の中の需要に合わなくなってしまっても、一度予算が決まったことは、何が何でも予算をつかわなければならないという意識。それが、最悪の場合は、予算と決算のつじつまを合わせるために、お役所の隠し財産や不明金等、隠蔽事項となるわけです。

有権者も、そのような体制が数十年も続けは、親方日の丸を信じて、従っているだけという
意識から脱却できなくなる。
 
 短期的には、予算のおうばん振る舞いも可だけども、長期的には、国の借金をご破算にしてでも
考えなければ

2009年9月24日木曜日

IQを上げる前に、EQを

日本の高等教育や、小学校での学力低下などが、問題と見られております。
理由は、時間数の低下などいろいろあるかと思います。
ただ、教科書をなぞるとおり学習すればよいということならば、その理由も成り立ちます。

 しかし、私は思うに、何も授業で教科書を読むことだけが、社会で一人前の教育をうけることには
ならないと思います。
 普段、友達といろいろコミュニケーションする中で、学校の学習内容を関連付けるだけで、身につく知識、経験や、興味は無限に可能性を秘めております。
 よく知能の良し悪しを示す、数値にIQとありますが、IQを高めるために、必要なことは、まずEQを高めることだと思います。
 EQとは、コミュニケーション能力とも言われますが、もっと漠然としたいい方をすると、ひとの心を動かせる能力やスキルだと思います。
 ただ、自分の意見を押し付けるのではなく、他人を受け入れる懐の深さもEQの一つの要素です。

あくまで私の所見ですが、最近WEBのネット書き込みや、メールのやり取り等を見ると、便利だけも、EQの低下を招いていると感じます。
 よく知っている仲間なら別ですが、メールの内容は、相手の表情を感じなくなることもありますし、悪意がなくても、相手にとって不愉快に感じさせてしまうこともあります。
 
 これは子供だけに限ったことではありません、大人がゲーム感覚で、放火したり万引きをして平然としている実体がありますように、EQ低下が、社会モラルの低下を招いているともいえます。
 
 マネーゲームで顰蹙を買っている大人も、私からみればEQが足りないことの行いだと思います。
もう一度、自分とは、社会とは、友人とは、家族とは? それを良く考えることと、行いをかんがえること。それがあなたやあなたの周りの人を豊かにするのではないでしょうか?

久々の横綱同士の優勝争いに期待

横綱 朝青龍関、今日も磐石な相撲で白星です。
今日も持ち味をいかして、集中してますね。
もう一人の横綱白鳳も、組んでからの一瞬の上手、下手を取る早さはピカイチですね。
柔を持って剛を制すといった感じです。
一敗を喫しましたが、連敗することなく、集中して追っています。

両横綱が最高の状態で優勝争いをするのは、久々です。
得意の攻め方が、対照的である両横綱の対戦、しかも千秋楽の優勝争いとなれば
楽しみです。

2009年9月22日火曜日

今場所のファン太郎は、また進化した。

久々に、大相撲ネタです。
 秋場所がはじまりまして、CMでファン太郎こと、横綱 朝青龍関が、全勝で中日を迎えました。

 前場所は怪我など、ちょっと苦しい取り組みがありましたが、今場所は今までと違う、久々に隙のない横綱相撲をして勝っています。

 速い動きで圧倒するのが、朝青龍関の持ち味ですが、今場所は相手が良く見えて、落ち着いて攻めに行っている気がします。
 取り組み前の気合入れの表情も、暴れん坊から落ち着きをもった集中に進化したように思えました。
 一部の方から「ひざ蹴り」と苦情があるようですが、横綱自身が、怪我で苦しんだ経験があるわけですし、故意にはやらんでしょう。と思いますが

 この人は、ファンにも、アンチファンにも、どちらにも知名度が高いですし、逆にそれが故に大相撲を盛り上げてきたのではないでしょうか?

 いろいろ苦しんで這い上がってきた横綱でしたので正直嬉しいですし、是非もう一度盛り上げて欲しいところです。

2009年9月19日土曜日

Silver Week! or Weak?

今年は、秋分の日と敬老感謝の日の間隔が短いため、今日から6連休といった方も
多いでしょう。
 元々は、9月の週末3連休を2週作るために、秋分の日を月曜日にずらしたのですが、
敬老の日の認知度が大きいために、5月のゴールデンウイークに対応して、
「シルバーウイーク」等と、自然発生的に名前が出てきました。

 とはいえ、日本は高齢者比率が高い国であります。還暦過ぎた方が、国会議員や総理大臣をやられていたこともあり、第三者からみれば、健康な人が多いように思えます。
 私からみれば、豊富な人生経験をされた方が、元気な姿で、後世にその経験を活かしたアドバイス等をいただける機会が多いという、人付き合いでよい面が多いと思っています。

 政府の年金施策や福祉施策からみれば、長生きしないほうがよいとも感じられる面もあります。
残念ながら、でも事実として、費用の収支として成り立ってない状況であることは、受け止めなければならないし、当然、政府がきちんと使い道を管理しなければならないと、思っております。

 加齢に伴い、身体の免疫力が低下しますので、20代の人に比べて、病気にかかりやすくなることは、事実ですし、そのことで医療費などが増えることも事実です。
 だから、私の年代から見れば、何でそんなに長生きなのに、医療費がかかるのだ?と思われる人がいてもおかしくないですが、それは間違った考えです。

 そもそも、健康を維持する上で大事なことは、病気になりにくいように予防することですし、
医師も、薬ばかり出すのではなくて、問診の時に、安心の心を持ってもらうように努めることだと思います。これは患者の年齢には関係なく本質的なことだと考えます。

最近高齢者の独り暮らしが多くなっています。いろんな事情があるかとは思います。
だけど、一番大事なことは、年齢の大小で線を引くことではなく、お互いに話しをし、聞く耳をもつ機会を、政府や行政、企業が率先して作っていくことだと感じます。

2009年9月18日金曜日

何なんだこれは、一体どういうこと?

 私は、先日職場復帰後の監察期間を、無事!?に終了しました。
したがって、労働基準法で定まる範囲内での超勤が、認められるようになりました。

 「よく立ち直りました。これからもがんばってください」と言われましたが、正直言って複雑な気分です。

私の勤務する職場の建物は、今の住居から遠くに見える範囲にあります。
ですから、職場フロアで、誰かが働いていれば、電気の明かりがついているのでわかります。

ここ2週間ですが、夜10時を過ぎても、明かりが煌々と輝いております。
しかも私の職場フロアのある最上階がです。

 数年前まで、私もこのように、昼夜問わずに時間の過ぎることを忘れて、奮闘していました。
でも、その時は、会社全体が成長路線で、これから前向きに新しい事に挑戦している、といった状況でした。
 でも、現在は世界同時大不況のあおりを受けて、会社の業績が悪く、業務時間短縮で人件費削減を強いられている中です。
 
 近所にも、業績を取り戻した大きな企業の建物がありますが、今年は、夜遅くまで電気がついていることはありません。本当に対照的な光景です。
 
 当事者の私でさえ、一体何なんだこれはと、首を傾げますし、時代の要求に対して応えていない。本当にこのままでいいのか?と感じてしまいます。
 第3者である近所の方からも、「夜遅くまで電気がついているけど、景気いいですか?」とよく聞かれますが、答えに行き詰まってしまいます。

 私が関わっているものは、フルモデルまたは、マイナーチェンジが半年事に行われる商品ですが、製品の保証期間から言っても、そんなに頻繁にものを作り続けることが、消費者や企業にとって本当にメリットなのか?と疑問に思うこともあります。
自動車やテレビのように、省エネルギー対策で買い替えを推奨されているものでもない訳ですし。

半年前は、職場復帰に意欲を持っていましたが、こんな状況で再復帰しても、嬉しくはないと感じるこの頃です。

2009年9月16日水曜日

情報の無駄に振り回されるな

 最近、新聞、テレビ、ラジオ、WEB等からいろんな情報が扱われております。

 WEBについては、当初は、調べたい情報を、必要なときにすぐに検索できる便利さに、大変惹かれました。
 しかし、個人でもBlogやSNSで、情報を発信するようになってから、一部の心無いユーザーのために、必要な情報を検索しにくくなったことを、最近残念に感じております。

 Internet やWorld wide webは、当初は、アメリカの機密情報データベースやホットラインのような、特別な情報通信網から始まったわけです。

 だから内容は一般のユーザーが閲覧できる部分は、客観かつ公共性を持った情報であり、
主観が強い内容と機密性のある情報は、暗号キーでのパスワードを添付したりして、別の扱いにしておりました。

 SNSも、だんだん有力な情報と、学校のトイレ内の落書きが共存するようになり、区別も難しくなってきました。
 おまけに、特定個人の人格否定につながるような内容も珍しくありません。

 日本国憲法には、「風説の流布」いわゆるデマと呼ばれる、根拠のないうわさを意図的に流すことには、処罰対象になることが示されております。
 お隣、IT王国の韓国では、SNSでの個人への誹謗中傷書き込みによって、俳優が自殺にまで到る事件まであります。

 書いた本人は、トイレの落書きと同じつもりで、後で消してしまえばよいと思われますが、人格否定された本人への、心の傷は深さの程度によりますが、なかなか消し去ることはできないのです。

一部のマスコミもそうですが、何かを公表する際は、客観的事実と、主観的な意見や推測を、きちんと分けて書くようにするのがルールだと思いますし、学校の国語や、道徳で教えなければならないことだと、思います。

 逆に、現状、情報を探す側からみたら、根拠のないデマやうわさなどの情報は、極論は無駄と考えてもよいと思いますし、小耳に挟む程度で知るくらいの気持ちが必要だと思います。
 
 特に、うつのように考えすぎてしまう人は、そう割り切ることが必要ですし、別の観点からみて判断する癖をつけるようにしたほうがよいでしょう。
 頭の中だけで考えないで、紙に何かメモを取るくらいのほうが、気疲れしません。

 IT(情報技術)の発展で、入ってくる情報量は確実に増えていますが、人が生きる上で、必要な情報を取捨選択していかないと、とても24時間起きていても処理できません。

 政治やお上が「財源の無駄を省く」とありますが、一番の方法は、情報の無駄に振り回されないことと、出したくない客観的事実を隠蔽しないことです。

 主観もある程度は必要ですが、無理に仕事を増やすために主観をばら撒くことを、そろそろやめて欲しいこのごろです。

2009年9月13日日曜日

インフルエンザ流行への不安

新型インフルエンザ、一時は収まりかけていたことが、先月あたりから、再び
感染が広まりつつあります。
小学校や幼稚園などでは、感染防止の対策がかなり行われております。

一定の抵抗力や免疫のある成人でしたら、一時的に発熱などの症状が出ますが、回復に向かうケースが多いようです。
しかし、持病のある方や、抵抗力や免疫の弱い方は、要注意であります。

私は、現在も治療をしていますが、精神的なストレスがたまると、疲労が重なり、
脳からの指令が鈍くなり、免疫や抵抗力が一時的に弱くなることが言われております。

現在、不況の中では、業務超過時間を増やすことは余り無いですが、不況だけに精神的な
プレッシャーを感じやすい人もいます。中には上手くストレスを発散できないでいると、
弱ってきているところに、インフルエンザの感染となると、場合によっては、重症になり
さらに厳しい状況になりえます。 
 うつになる原因の一つに、身体的な疾患によるダメージから、精神的に追い込まれるケースも
あります。こうなると心身共に、悪い方向へのスパイラルに発展しかねません。

とにかく、症状が疑わしいとか、今日の体調が良くないとかあれば、無理な外出などは
避ける。このことにサボっているとかではなくて、きちんとした見方で廻りは見て欲しいと
思います。

2009年9月10日木曜日

人間なんてラララーーー。

「人間なんて、らららーららーらーら」って吉田拓郎さんが歌ってくれています。

 私は日本人なので、ヒトと書くのに「人」という漢字を使います。
漢字は、古代文明の「漢」の時代に、言葉を書き残す字として、実際のものの形等を
文字にしました。
 
 あらためて、何故このような形の文字なのか?と思います。
2本の足で支えて立っている様子とか、お互いに支えあってバランスをとりながら生きる様とか
いろいろな説はあります。

 それでは、更に「人間」とは、人の間と漢字で書きますね。
よく「人間らしく生きる」と言いますが、私の解釈では、人の間にある大事なもの、心の結びつきを
もって生きることなのでは、ないかと思います。

 欧米人と個の文化と比べて、アジアの文化は、和で成り立ってきた。そのため「人間」という漢字が生まれたのかもしれません。

 その和を創り上げるのは、心の信頼なのではないでしょうか?

 私の経験からも、信頼を得ることは難し、失うのは一瞬でのこととつくづく感じます。
 それは、大概は、決して満足することのない、無限の欲で、心の隙間を埋めることに走ってしまうと、信用や信頼を失うパターンです。

 わかっていても、やってしまうそれが、人が生きる上で持っている罪悪、つまり性悪説と呼ばれる所以かもしれません。

 最近地球上で起こっている、異常な現象は、人の欲望の度が過ぎた行動に対する自然の復讐かもと思ってしまいます。
 でも、ほんのちょっとでも、自分本位から、周りに目を向ける気持ちと行動があれば、人は良い方向に変わっていくのかもしれません。
 経済、マネーの時代から心の時代へ、願うばかりです

2009年9月9日水曜日

電磁波が飛び交う世界

私は学校を卒業して十数年になります。
この間、世の中のインフラが急に大きく変わったのではないでしょうか?

特に、インターネットによる既成の国境とは違う世界とのつながりができたこと
そして、それに関わる、メール機能を含めた携帯電話の圧倒的な普及。
さらにそのインフラを活用した商売やサービス。

最近、ふと疑問に思うのが、環境問題でエネルギー消費抑制のアクションに関して、
情報通信に対して、ほとんど触れていないのではないでしょうか?

インターネットもWEB2.0等通信高速化に伴い、一度に送る情報量も大きくなり
通信にかかる電力エネルギーも倍倍で増加しているのではないでしょうか?

また、携帯電話が送受信する電磁波も、数が多くなればエネルギーもばかになりません。
一応、800MHz帯域や、1.6GHz帯の微弱電波は、人体や自然界には影響が無視
できるとはいいますが、これだけ急に使えばどうでしょうか?

 電子レンジは、温めるものに含まれる水分子を、高周波による電磁波によって、振動させることで、熱エネルギーを発生させることは知られています。
 それは強いワット数で温めることができますが、周波数が違いますが、少なくとも大気中に
高周波の電磁波があちこちで、伝播してしまったら、何らかの影響はあってもおかしくないとは思います。
 空気中では、真空よりも電磁波エネルギーの減衰率が上であるということは、空気中でエネルギーの反射か、吸収が起こっているはずです。
 少なくとも、送信点を近づければ、同じような精密な電子機器には影響を受けるわけですから、満員の電車内で1000人が一度に携帯電話を使ったら、それなりのエネルギーにはなるのではないでしょうか?
 この辺の理屈や実態は、詳しくないので、今後暇なときに調べてみます。

2009年9月8日火曜日

身の回りの整理整頓は、心の整理整頓

私は、身の回りの整理整頓が苦手であります。
その心には、面倒くさい心が先行し、「今やらなくても、あとでまとめて片付けすればいい」
という考えが生まれ、行動に活かされやすいのだと思います。

でも、本当は、小刻みに、使ったら元に戻す。必要なものだけを出すというのが、長い目で
見た場合にリスクが少ないと思っています。
 何せ、まとめてやるといっても、規模が大きすぎてしまうと、かえって必要なものが直ぐに見つからない、いらないものが余りにも多くなりうんざりしてしまう。
また、同じものを、いくつも持ってしまう。と言った、ことになり、ものも心も雑になってきてしまいます。

お寺で修行をする際に、朝のお勤めはまず、境内の掃除から始まります。その理由は、何かを行う前には、身の回りや心身を清めることによって、余計な雑念に揺れることなく一日を過ごせるなんだと、なんとなくわかります。

オフィスでも、廻りが見渡せる程、整理整頓されている部屋と、雑然と人が隠れるくらいものが置かれている部屋で、同じことをした場合、気分が違ってきます。

名人と呼ばれる人は、商売道具、料理人ならば包丁とか、理髪師ならばはさみ、大工なら、かんなやのこぎり、かなづち等、他が雑然としても商売道具はきちんと手入れを欠かせません。
ある意味で、商売道具と自分が一体となって、心の整理整頓をされているのかもしれません。

私も過去の資産で部屋が雑然としていますが、一度に片付けようと無理せず、場所を決めて少しずつ整理整頓してみようと思います。
 時間はかかっても、何かが変わるかもしれないという期待もこめて

2009年9月7日月曜日

文字ではなく、心で通じ合う時代を(再発防止に努めて)

私は、時々朝にめまいがすることがあります。
朝、起床自体は、寝坊することは少ないのですが、とにかく頭がくらっとするときがあります。
一つ、気になる傾向として、血圧が高いことがあります。
とにかく食事や運動など気をつかなければなりません。

正直なところ、復職前の段階より、現在の方が若干、血圧、体脂肪、血糖値など悪くなっています。
自宅療養では、運動の時間も、好きな時にとれたことですし、余計な心配などを考えないようにしていたのだから、実際に仕事につくと、運動不足や、時間に縛られることの見えないストレスがあるのだと思います。
 それ以外にも、コミュニケーションに関することでストレスを感じることもあります。
特に、心のこもらない、事務的(命令的)な対応は、いい気分はしません、干渉しなければ
いいだけなのかもしれませんが、。

 私の様な経験をしたものが、再復帰することは、社会的にも難しいことがあります。
それは、うつは再発率が高い病気だからです。
 もちろん、ストレスの感じ方の軽減など、本人の努力も大事ですが、ここ数年で複数の人が
職場をやむなく外れなければならない状況は、組織で本腰をあげて改善に取り組まなければなりません。
 私が一日一笑と書いているのは、どんな些細なことでも、一日一緒にいる人が顔を合わせて、お互いに話しをすること、その人の表情やしぐさ、声のトーンを感じること。
そういう機会が自然にできるように努めることが大事だと思うからです。
 特にマネージャーやリーダー職の方には、このことの重要性を理解して取り組んでもらいたい。さもないと、若い働き盛りのメンバーを失ってしまうことにもなりかねませんよ。

2009年9月6日日曜日

野村語録:リーダーの器以上に、組織は機能しない。

以前から公言していますように、私は野村克也監督のファンであります。
そして著書や本人の発言内容に、なるほどと思うことが多くあります。

監督は、現在プロ野球で最年長監督として活躍されていますが、初めて南海ホークスの
選手兼監督に就任したのは、ちょうど今の私と同じくらいの年齢で、他チームの監督に
比べて若く、青年監督として活躍されておりました。
 当時のオーナーから、いきなり「君しかおらんのや!」と説得されたそうですが、未だに
この言葉の扱いには注意したいとおっしゃられているところは、納得です。

野村さんの実践された特徴的なことは、決して一般的には強いチームではないが、その中で
適材適所を上手く活かすこと、チームの目標を一つに意思統一すること、各個人の力の中で
元々良いところは活かし、弱点に自分から気がつかせ、克服する武器を見つけさせることで
活躍の場を新たにつかむこと。なのではないでしょうか?

 プロの選手だから、野球のレベルは人並み以上はもっている、だからもし足りないところがあれば、まずは練習で見に付けること、更に一流の選手になるためには、どうしたらよいか?、それは頭を使いなさい。と言うのが、野村さん本人の経験から発言されていることでしょう。

監督として1500勝をあげている実績をもってしても、未だに、あの時は監督の采配が悪いと口にすることもあるし、いろいろな立場を経験して、今まで完璧にわかっていたと思っていたが、違う立場から見ると、全く理解できていないことに気づかされたとも、発言されております。

70歳を超えても、常に向上心と、謙虚さと、実態をきちんと見る。きちんとした理由をもってアクションをとる。といったところが、監督としての実績を長く続けられることだと思いますし、組織もそれに応えてくれているのだと思います。
 そういう実績をみても、野村語録にある「リーダーの器以上に、組織は機能しない」というのは
本当だと思いますし、自分も含めて、常に向上心と謙虚さ、他人に耳をきちんと傾けることを地道に続けること。最近できていないことが多いなと反省する日々です。

2009年9月5日土曜日

大量消費、使い捨て時代からの脱却

プロフィールにあるように、私の職業は、メーカーのエンジニアです。

所謂、デジタル家電といわれるものに関わっております。
いろいろ世の中に出してきたメーカーの立場として、最近の環境破壊や原料不足の中で
最近ふとある葛藤を感じます。
半年ごとに大量生産を、誰のために? 使うユーザーに本当に付加価値を十二分に与えていただいているのか?とです。

マーケティング論では、ユーザー層の中には、開拓者と呼ばれる新し物好きの層があります。
おそらく、WEBのユーザー評価で真っ先に公表する方はこのような層です。
開拓者の口コミを下に、購入を検討する第二の層があります。
 現在、お財布の紐が厳しい中では、同じ機械を何台もとは、なかなかいきませんので、
下取り買い替えとなるパターンが多いと思います。
開拓者の層では、半年前に買ったものを手放すことには、抵抗がない方が多いと考えますし、
第二の層の方は、経済的な状況によって衝動買いするか、我慢するかが変わると考えます。

ノートPC、携帯電話や、薄型テレビ、ハイビジョンレコーダーなどデジタル家電は、シリコンなどの半導体や、電気部品に金、白金、銀、銅、アルミ、液晶やリチウムやニッケル水素電池等、フェライト磁石などのレアメタルと呼ばれる、地球上に存在する量がまれな材料が多く使われています。
 その他、外装や、光学部品などに、プラスチック樹脂やガラスが使われております。

PCやテレビ、携帯電話や、電池などは、最近材料の回収とリサイクルの義務や推奨を促しておりますし、回収費用を予め含めていることや、ある程度の期間使うことを前提に購入する形になります。
 それでも、メーカーは半年ごとに、機能を変えた新商品を出してきます。
最近思うのですが、保障期間や、部品交換や点検が必要な期間まで使われることは、稀になってきてないかと。更には、新機能を売りに商品を世に出してきているのにも関わらず、完全に付加価値を味あう前に、すぐ次のものに買い替えされていないかと。

 なんとなくですが、使い捨て商品と同じ扱いになっている気がしますし、メーカーの心得としてそれでいいのか?との葛藤もあります。
 使い捨てと言っても、富士写真フィルムの、「写るんです」は、きちんと回収、再生ができる仕組みが上手くできていました。

 そこまでとは言わないが、作る側もやりようがある気がします。 
メーカー間で競争もあるのですが、何か目的がずれているようにも感じられます。

日本人は、ものや道具などを、手入れして大事に使うといった価値観がありましたが、
手入れというメンテナンスの面倒さが解消されてしまった製品が多くなった時代、いつのまにか
使い捨てといった価値観が生まれてしまったのでしょうか。

日本の産業構造が、原料を海外輸入に依存度が高い現在、地球環境問題含め、もう一度質実剛健の価値観を見直してみてはどうでしょうか? と日々思います。

2009年9月3日木曜日

Only Love is real

 "Only love is real, Anything is illusion."
Carole King さんの歌詞の一フレーズです。

1970年代 It's too late ,I feel earth to move more ,You've got a friend 等のヒットで、全米のロックの殿堂入りをされたシンガーソングライターとして有名ですが、ベストアルバムにある、一曲の歌詞。
何気なく、久々に聞いてみたら、耳に残るものがありました。

かつて、うつに関する書籍を読んだ時、ある医師は、憂鬱感は、自らの経験から愛情の欠如が伴うと考えたと書かれておりました。
無表情、無言の対話、無意欲な行動など、確かにそうなのかもしれないと今思っています。
私の場合は、その反対の状況として、感情をむき出しにした躁状態と、その逆のうつ状態を繰り返していました。今も時々そのようなときがあります。

憂鬱感は、何かの不安や、不満、不信を強く感じる状況が多いです。そういう意味では、愛情のこもらない、機械的な冷たい対応と言うのは、世の中で生きる上では真ではないのかもしれません。

 初めて行く場所へ旅行に行ったときに感じる不安を、見知らぬ人の心ある一声によって、ほっとすることがあります。
 大手販売店の、マニュアル通りの決まった対応とは、何か違いものを感じます。

今、働く人のうつが増えているのも、一つには、愛情の欠如があるのかもしれません。
メールの文字だけには、見えないおもてなしの心を理解すると、ちょっとでもやってみること
これが何か救いの切っ掛けになると信じています。

2009年9月1日火曜日

経験者としてうつの怖さ、改めて理解を求める

 日本には、戦時中の大和魂と言う、気合で何でもできるという精神論が
未だにまかり通っているのでしょうか。 

 今になって感じることは、どうも、未だに「やる気」=「気合」=「皆に従え」の考えが正論と信じられている方々が多すぎるように思えます。

 はっきり言いますが、職業でプロ意識を持った人は、「やる気」があるのは最低の必須条件。
その中で、いかにして冷静に物事を考えて、準備して、適材適所の行動を遂行できるかが、その人の付加価値の高低です。

 大きな組織となれば、いかにして組織メンバーと目標を意思合わせして、適材適所を考えた作戦と、前向きな行いを遂行できるかです。
 はじめからやる気が無い人はいなく、やる気を失うのはきちんとした理由があるからです。
それを「みんな気合を入れろ!」と、押し付けがましく言うのは、大きな過ちです。

 また、「気合」の精神論で解決できることは、短期間での一発勝負の博打だけです。

 自転車で例えるならば、常に足でこがないと、車輪は前に進みませんし、決して長続きはしません。
 長く継続して前に進むには、こぐ人間の栄養補給をする、体力をつける、自転車のメンテナンスをきちんとやる等の準備が必要なのです。

 私の経験から言いますと、この間違った「気合で解決」を長続きさせた結果、原因不明の心身の不調に陥ったわけです。冷静に考えれば、20歳台の体力でカバーできたことは、現在の年齢では通用しないのは当然です。

 幸い私は、こうして今日も、こんな投稿ができる状況になっていますが、不幸にも思いつめて、身を投じてしまう方も多くいます。
 精神疾患の経験が無い人は、「そんな自分はまさか、ありえない。」と思うかもしれませんが、
いざ実際に経験してみると、負の連鎖で、後ろ向きなことしか、頭の中に浮かばなくなります。

妄想が妄想を呼ぶといった悪循環におちいる状況の怖さを感じます。

「もし、ここで誰かが声を掛けてくれなかったら?」と思います。

私が、特に政府や、厚労省に働きかけたいことは、現在の労働環境における精神疾患の問題について、実態を真摯に受け止め、対策を形だけではなく、経営者への教育や、労働者や、産業医からのフィードバック、産業医の正しい指導が正しく行われているかを、PDCAサイクルをまわす形で実行していただきたいことです。
 間違っても、産業医は、医者の小遣い稼ぎや、天下りのためであってはいけない。経営者や、人事担当者の言いなりではなく、医師として事実をきちんと報告する義務を負う。そのために本来ならばきちんとした資格や研修などが必要と思います。
 残念ながら、私がいる環境では、まだ首をかしげる事態になっております。