2009年3月31日火曜日

なにくそ!魂

復帰してなんとかやっていますが、まだまだ意識して程々にやっています。
もちろん周りにも、自分からそのことを言っています。

それでも、決してあきらめて惰性でやっている訳ではないのです。
心の中での「なにくそ!」と言う気持ちの火は残っています。

現在、自分の若い頃と比較すると、体力も頭の回転も劣るのは否めません。
それに苛立ちや焦りを感じることも、多少なりともあります。

でもこの状態で、若い頃と同じやり方をしたら限界もあります。
無理に焦るのではなく、考え方や手段を、今の状況にあわせて、
最適になるように、変えてみることに勉めています。 
決して消極的ではなく、前向きに状況に応じて作戦変更するわけです。

焦っていたらこのようには考えることはできないですが、「なにくそ!魂」は
持ち続け続けてなければ、冷静にものの見方を変えてみることも
わからなかったかもしれません。

1年も休んでしまったという劣等感はあります。それだから「なにくそ!」が
生まれますし、その活力を上手く使うことが大事なのかと考えています。
「なにくそ!」は決して、精神論主義者やスパルタとは一致しないことに
気がつかなければなりません。「逆転の発想」はそこから生まれるのかもしれまえん

2009年3月30日月曜日

腰痛の要因

今晩は、本日は腰痛に悩まされていたことで、
整体院で、様子を診てもらうことにしました。

明らかに腰周りから身体全体のバランスが悪い状態が発覚。
また、腰周りの筋肉が異常に固くなって張っている状態であることが
わかりました。

どうも、大きな要因は、長時間のデスクワークでの座る姿勢が悪い故に
、偏って筋肉に負担が掛かってしまったことにあるようです。

休養中は、いすに長く座る事等、あまりないものですから
意識して、途中でストレッチするなど気をつけないといけませんね。

腰周りの神経が圧迫されると、最悪は、自律神経の働きに影響するため
心身が不調に陥るそうです。
やはり、無理なチキンレースとなる長期戦はダメ、必ず押して、引いての
リズムがないとですね。心も身体も

2009年3月29日日曜日

如果我是你 だけど...。

如果我是你 これは中国語で、日本語に訳すと
「もしも、私があなただったならば」です。
あまり詳しくないので、英語で書きます。
If I were you? You ’ll have to do anything?

これは私が、何時も他人と接した時の失敗を、戒める言葉です。
過ぎたるは、及ばずが如しとは、言いますが、自分に余裕が無いとき
ついつい、自分目線で他人と接していませんか?

しまったと思っても、後の祭りであったこともあります。

相手目線で考える余裕と、自分目線との接点を見つけ出すことが
前向きなコミュニケーションなんだと、おもってはいますが、、、。

だけど、堪忍袋の尾が切れるときもたまにあります。

切れるのも、物事が解決に向かうのであれば、それはいいですが
必ずしもそんなことばかりでは、、、。

最近の悩みの種はこのことです。 人生を乗り越える試練だと前向きに
考えていますが、、、、。それでも、、、。もがき苦しんで日々精進かもしれません。

「ドラえもん 助けてよ!」とのび太のようにはいきませんね
「たまには自分で考えろ!」と叱責をされますね。

そんなこと考えている暇があるならば、こんな時間に投稿するな!と言われるかもしれません。
「はいその通りです。これからぐっすり眠りたいところです。

2009年3月28日土曜日

突然の腰痛が

なんだか、病は気からというのが現実になってきました。

朝起きると、起き上がる際にウッと腰が痛い、重い

寝相が悪かったのはありますが、それにしてもつらい

あきらめてぼやくしかありませんね。

なんとかこの悪循環を乗り越えたい今日この頃です。

2009年3月27日金曜日

焦燥感と物足りなさを感じつつ

今晩は、今日は大分マシになりましたが、どこか不調を感じてました。

この頃、身体の不調を感じつつ、「何とかしたい!」けど
「ここで無理をしてはいけない」と言った理性のぶつかりによる、
焦燥感と物足りなさを感じつつあります。

だから余計に疲れるのかもしれません。
自分から、はっきりどうしたいかと、制限事項を発信した上で
折衷できるところはないか、日々模索しております。

とにかく、半年間は気楽にさせて欲しい旨は伝えておりますが、
なかなか世の中人と人が絡むと、難しいですね。
「ホウレンソウ」を意識的にやっていかないと。

とにかく、「あまり考えすぎないように」を意識していますが、
「あまりにも、考えさせられる状況」というのが本音です。
「二兎を追う者一兎も得ず」といいます。とにかく優先順位をつけて
一つにヤマをはるしかないのですが、欲張り症で、貧乏性の性格を
コントロールするのは、なかなか。 また落ち込まないように
気をつけます。

2009年3月26日木曜日

春眠暁を覚えず。

桜の蕾が見え始めたと思ったら、本日早朝は、丹沢の山肌が白くなってました。
季節はずれの積雪だったそうです。

これだけ、日々気候が変化すると、流石に身体の不調を感じてきます。
おまけに最近は、黄砂や杉花粉等、かなり堪えます。
特に朝冷えると、腰が痛くなり、目が覚めても起き上がるのに億劫になります。

 睡眠時間は取っているのですが、何故か午前中は正気ではなく、考えていたところ
突然睡魔に襲われることがあります。
 「春眠暁を覚えず」とは言いますが、何か異常を感じます。

最近の生活を振り返ってみると、不調に陥っている要因として、デスクワークで、
座っている時間や同じ姿勢でいる時間が多くなったことに気がつきました。
 おまけに長時間、ノートパソコンの画面を注視するわけですから。目も肩も
腰も背中もだるくなってしまいます。

 1時間毎に、机やPCから離れる、最初は気をつけていましたが、
だんだん相談事項が増えたりして、机に釘付けになる時もままならなくなりました。

 状況をみて、冷たく断ればいいのかもしれませんが、なかなか相手が真剣に
相談に来ていることを考えると、情が働いてしまう性分なのですよ。
 適当に相手しているふりをすると、相手には気付かれてしまうわけですから
できる限りの対応に力が入ってしまいます。

 私は人気者ではないですが、「人気者はつらいよ」というのは、このような時
なのかもしれません。ただ、組織の場合は個人の力だけに頼るのではなく
関わる仲間として、幅広く対応できることが必要だと思います。

 「声を掛けてもらえる内が華だよ」と思うしかないのか、日々対処を思案中な
このごろです。

2009年3月25日水曜日

悩んだ末に得られたもの

今晩は、本日は適度に酔いも入っています。

以前に価値観の話しをしましたが、日本語の適度と言うのは、実に
価値観の違いを上手く埋め合わせることができる言葉だと思います。

さて、「一日一笑」をモットーとして社会復帰を目指している私ですが
なかなか目標を達成するのは日々難しいようです。
「適当にやればいい」と言うのが、一番よい解決表現ですが、私も同様
この病気にかかるような人は、「適当」をうまく使いこなすのが苦手なようです。

しかし、今思うと「悩みがある」というのは、ある意味で人生における理想と現実を
埋める課題に気がついたと、考えるのが適当かもしれません。

私が休養を迫られたことも、ある意味で「悩みの本質とは?」を
自分で気がつかせるため、「一度とことん悩まないでみたら、どのようになるか?」
を作るよい機会だったかもしれません。
「悩む状況」があるだけ、ある意味で贅沢なのかもしれません。

少なくとも悩んだ末に得られたもの、
それは「自分自身のことを客観的に理解することは困難であり、
他人の力なくしては気付かないことがあること」です。
だから、立場を超えていろんな人の話に耳を傾け、よい方向に知恵を出し会う
活動に仕向けることを大事にしています。

悩みを抱えてしまったときに、いいタイミングで他人から声を掛けていただいたこと
それは、いままで自分では気付かない努力を積み重ねていた結果かもしれません。
ある意味で幸運なのかもしれません。
事実、自分に中で悶々と解決しようとして、ためらわず身を投じてしまう人も
多いからです。

人が生きることが不幸なんてことは、絶対ありません。だから少しでも悩みを
生きるばねに変えるように、手助けすること。それが経験者のやるべきことで
できる限りのことをしていきたいと思います。

私自身も、悩みを完全に解決できれば、このようなブログを閉鎖しようと思っていました。
だけどそれはとても甘い考えで、日々精進です。

2009年3月24日火曜日

バッカじゃなかろうか!ルンバ

今晩は、いきなりのタイトルで驚かれたかと思います。

とにかく、この不調を訴えている状況の中において、

「いい大人があまりにもデリカシーが足りない行動を、
平然としているのはいかがなものか?」 

と強く感じます。

 組織を頑強なものにするには、年齢やスキル等、その人の立場を考えて、
それらのネガティブな敷居なしで、「報・連・相」がきちんと行える雰囲気を
積極的に運用しているかではないでしょうか?

 本日改めて、放任主義という大義銘文を立てに、
マネージメントを放棄している高給取りが目に付くことを、
感じました。

 普段は、放任主義ということで、当事者意識が薄く、何か問題があれば
マネージメントしているという名目で、問題を起こした人を責める行動をとる。
だけど自分の責任ではないかの如く、主張する。

 本当に「バッカじゃなかろうか! ルンバ!」 怒りの前に情けなくて呆れるばかりです。

 現在、世界中で企業活動自体の行く末が問われている現在
こんなどうしょもない、中はもめをやってる程暇はないのですよ。

 不調であまり余計に考えたくはないですが、これでは「なんとかしなければ」
と思わない方が無理があるように思えます。

 細く長くとは言いますが、みんなが同じタイミングで 避けるような思考では

「お呼びでない! こらまった失礼しました!」

植木等のようにぼけてくれないと締りがつきませんね。

本日はとにかく寝ます。(怒り!)

ここ最近の不調

今晩は、投稿がこんな時間になったのは、
夕食後仮眠のつもりが、大分居眠りしてしまったからです。

職場復帰から1ヶ月が過ぎ、季節も冬から春に近づいてきておりますが
ここ最近一週間、理由のわからない不調や倦怠感につつまれております。

特に睡眠が浅いためかわかりませんが、とにかく午前中は思考回路が不調
午後も突然の睡魔に襲われることがあります。

こんなとき、午前中はある一つの事に的を絞って、他の事をなるべく考えないように
しております。
具体的には、ノートに書いていたことを、レポートにする様にまとめたりすることに
集中します。
また、一時間毎に、席を離れてなるべく日の当たる窓際を長く歩いたりしています。

どうも、長時間同じ姿勢とノートPCの画面に目を凝視するのは、まだだめなようです。

いつも面倒なので、ノート等に手書きで書いたものを、スキャナで取り込んで電子資料と
するのが良いようです。
短期間に一気に集中力を発揮し、その他はほとんど仕事をしているふり
(というか、本来はいろいろ調査し、気になったものを記録する)ようにしております。
図書館等も同じ目的でよいかもしれません。

私の場合は、気分の躁鬱の波が大きくなってしまうようです。メリハリとは言いますが
ちょっと上手く付き合わないと、また悪い状況になってしまいます。
勝ってかぶとの尾を締めろ、油断大敵 といいますが、もう一度無理しないことを
言い聞かせていかないと そんな気持ちです。

2009年3月22日日曜日

Photograph はなぜ写真と訳されたのか?

こんにちは、一日一笑です。
外は大荒れの天気です。春の嵐でしょうか?
こんな厳しい時でも、東京の街をマラソンで盛り上がっております。
目標はひとりひとり違うですが、何か苦しい時を乗り越えられたときの
充実感などがあることを、望みます。

 さて、私は休養時に、カメラと写真を使う機会が増えました。
それは、いままであまり興味がなかったのですが、プロ野球を観戦したときの
選手やコーチ、監督の様子を追ってみると、テレビとは違う奥の深さに
興味を持ったことでした。
 ただ、それには撮影の技術がついて行っていないため、多くの失敗写真から
「どうやったら!、基本からやってみよう!」と言う気持ちになりました。

 1年近くやってみると、大分成功率が上がり、他人に御見せできるものも
増えてきました。
 そこで、新たに疑問に思ったのは、日本語では Cameraを写真機、
Photographを写真と訳します。

 なぜ「真を写す」と書くのでしょうか? 

ちなみに中国語では、照機、照片という漢字で訳されます
どこにも真と言う文字はありません。

 江戸時代に人物の肖像写真をカメラで撮影された現像をみて、
初めてそれを見た日本人はあまりにもそっくりなので、魂を抜かれるものと
考えられた逸話はあります。
おそらくそれに由来していると考えます。

 私がカメラを勉強してみて感じたのは、同じ被写体でも、撮影位置、
視野角(広角、望遠)、ピント(焦点深度)全体の明るさ等を変えただけで、
全く異なるものに見えることです。

 また、動きのあるものは、露光時間や、ズーミング、流し撮りなどにより
印象が全く変わります。

 Photograph(光の描く図や絵)という表現は、実に的を得ており、
写真という言葉は、Photographの一部の意味なのではないでしょうか

私にとっては、カメラ内に光が入ってくるものを真に写している。
だからカメラの目の向け方で印象が変わるのは当然。
むしろどこに目を向けるかの心を表わしているもの、つまり漢字で書くと
「写心」なのではないかと考えております

 そもそも、実空間は3次元であるのに、一つ目で平面の絵にすること
事態が、真ではありません

 ジャーナリストの戦争写真などは、事実により近いことを表現することに
注力していますし、記念写真などの人物写真などは、一部より綺麗に見せる心
がけが入ります。
 また、悪い例ですが、盗撮などは、心を写す典型的な例なのではと思います。

 日本人はカメラ好きが多いですが、写真が写すものに対して、何がよいのか悪いのかの
判断基準に絶対基準は無いはずです。
よく写真展覧会で、ケチを付ける方もいますが、本質的にどうでもよいことです。

 私が心がけているのは、何かを後で見て思い返すことができるように、
もの、人などを撮影することです。
そのことで、シャッターを押すことに集中することができたのではないかと
考えております。
そのときどう思ったなど必要に応じてメモを入れたりします。
 勿論できるだけ、事前に許可をもらったりするマナーにも心がけています。 

 最近勘違いされていると思うのは、撮ることに意義があるという風潮です。
盗撮などまさに典型ですし、不特定多数に押し付けがましく公開するのはどうかと
思います。
 必要なのは、撮ったものを、謙虚な気持ちをもって後で見かえすことだと思います。

一言、悩んでいても、あなたのそばには助けがある

今晩は、今週は3連休です。
おかげさまで、道路が混雑しており、ちょっと近所に行くにも大変でした。

日ごろ、ストレス等貯めてしまった方は、ゆっくりリラックスできる貴重な
時間ですので、無理せず、体と心を大切に。

悩みがあることは、物事を真剣に考えている証拠です。
常に熱い志を忘れないでいれば、きっとあなたの味方になっていただける
人も現われるでしょう。
 悩みがあるあなた。あなたは決して一人、孤軍奮闘ではないですよ
あなたは、すぐに気がつかないかもしれないが、一生懸命努力されていれば
直ぐには見えないけど、あなたの理解者がそばにいてくれるはずです。

私のプロフィールにある、好きな映画に、「猟奇的な彼女」があります。
その中で、待ち合わせ場所の木の下で、偶然出会った「老人の一言」
「運命とは、一生懸命努力した人に、偶然という架け橋を用意してくれる」

2009年3月19日木曜日

フィードバックとフィードフォワード制御(その2)

今晩は、今日も難しい言葉のコラムで恐縮です。

人間自体が、自律神経系等の働きにより、異常防衛の制御を
している話しをしておりました。
これらは、無意識的に自動制御しているものです。

うつ状態の脳、神経系は、これらの働きが疲れて働きが
悪くなっている状態と言われており、主に自律神経の働きに影響を
与えることが多いのです。 

不眠、不安、集中、記憶力の低下などがその例です

一方、人間が意識する範囲でも、フィードバックとフィードフォワード制御と
同様なことが行われております。
 例えば、仕事の進め方にPDCA(Plan Do  Check Action)のサイクルを
まわす事で、仕事の質等(QCD)を安定に保つことができるといいますね。

 また、季節や時間(朝、夜)などによって変動する要因を、過去の学習傾向から
予め予測した上で、実行の内容に加味するフィードフォワードの要素もあります。

 仕事の進め方に関しては、目標と現実のずれを逐次サンプルモニターし
是正するアクションをすすめ、また次の段階で更に見直しをかけるといった
最終目標に向けた過程も含めて、追従と是正の制御を行うサイクルです。

  もし、あなたの仕事の状況で、このサイクルが円滑に
 制御されていないとしたら?
 
  もし、チェックの部分で、良い報告のみフィルタリングされたり、
 サンプリング(ヒヤリング)の期間が適切でないとしたら?

 それは間違ったアクションを誘発しかねません。!!
 
 その結果、組織自体が不安定に働くか、間違った方向に
 舵取りしているのに誰も気がつかないといったことになります。

 飛行機や、船舶の運航も、目的地までの過程で、必ず途中で、位置や方向を
逐次確認し、ずれていたら補正する形で、目標地に到達させる運用をとります。

 そんなの、明日何が起こるかわからないじゃないか?と反論する人も
いると思います。
 その気持ちはわかりますし、予期せぬことが起こることは、常に世の中の
本質であると思います。

 だからこそ、こつこつとステップを踏まえた目標と、最終目標を常に忘れないで
おくことが大事なのではないでしょうか?
 
予期せぬことが起きても、それが運命かもしれませんし、
あるいは、はっと冷静考えて対処できることかもしれませんね。

 ちなみに私自身は、世間体から見れば、決して幸に恵まれている人生ではない
かもしれません。
 だからといって失望しているわけではなく、意識すべき課題もあり、それに解決
できるように前向きな行動が必要だと日々考えております。

 まだ、その具体的な答えにはたどり着いておりません。
だから人が生きることは難儀だと思うし、奥が深いのかもしれません。
自分が寿命が来たときに、やっと答えが見つかるかもしれません。

人生もある意味で、PDCAのようなことが必要なのではないかと感じております

ただ、決して絶対ではなく、自分だけで完結できる範疇ではない、難しいものと
感じております。

2009年3月18日水曜日

フィードバックとフィードフォワード制御(その1)

こんばんは、いきなり横文字で訳わからぬ単語をタイトルにしました。

自動制御ロボット等に関わったことがあるかたならば、すぐに
対象となるものを、目標に合わせるように、自動的に操作、調整するシステムと
またずれを監視して、常に修正するようにするシステムと
言うものが想像されるのではないでしょうか?

実は私も、メカトロニクスといわれる、モータなどを自動制御するようなことを
主に仕事としております。

じつは、人間も同じようなフィードバック+フィードフォワード制御システムが
体内機能としてできているのではと考えます。

基本的に 自動制御システムは必ず
 1)センサ(人間でいう目や耳など)と
 2)アクチュエータ(手足や筋肉などに相当)、
 3)コントローラ(電子回路やマイコンなど、脳神経系に相当)
の3点セットで構成されます。

人間の生活もそうですが、ある程度目標を決め、現状を認識(センシング)し、
目標とのずれをみて、それに合わせるように脳から、臓器や手足、口等に
指令をさせているそうです。
 また、ある程度経験などから、学習予測して、手足などに動きを指示する部分があります。
制御系ではオブザーバ機能というそうです。

これをフィードバック+フィードフォワードの2自由度制御系といいます。

人間は成人になるまでに、この3点セットの機能が高性能化する方向に
進化していきます。
 センサやアクチュエータに当たる部分は、加齢によりだんだん機能が
低下していきます。
ですが、脳神経回路は、毎日短時間集中して脳を使えば、年齢に関係なく
進化していくそうです。

 ただ、最近気になるのが、センサが過剰に検出する自己防衛反応
(アレルギー反応)です。

 特に花粉や黄砂が舞い散る季節は、何も意識もせずに、体が赤くなったり
いらいらしたり、結果体調が悪くなってしまいます。
 また、昼と夜の気温差も、意識しなくても、体のどこかで無理にバランスを
取ろうと制御が働いているのかもしれません。

 ゆっくり順応するように、体内が制御してくれれば、あまりストレスは感じない
はずですが、年々過敏になるセンサと、それに無理に応答してしまう脳神経が
自分で意識して制御できないのがつらいところです。

この時期は、何もしなくても無意識にストレスを感じているので、脳が
疲れやすくなります。ですから なるべく最低限の時間にやることを
集中して、後は少し休むようにしています。
 サボっているようにも見えますが、まだうつから復帰して日が浅いため
意識して無理をしないようにしております。

2009年3月17日火曜日

「なんでや!」の一言が進歩になるのでは?

今晩は、今日は外は花粉と黄砂が舞っておりました。
心身ともに堪えます。

杉花粉も、黄土高原から来る黄砂も、歴史資料から追っていくと
人災が主要因だそうです。

「良かれ!」と思って人間が手を入れたことが、後に多大な悪影響を
及ぼしていたのです。
 
 なにか良かれと思って提案することは、悪いことではありません。
だけど、一度

「なんでや!」、「ほんまにそれですべてえーのか?」と
の突っ込みは必要なのかと思います。

 悪い意味で揚げ足をとることが目的ではなく、目的への大道から逸れて
しまっていないかの再確認が目的なのです。

 これまで
 人類は、「何でや!、どしたらええの?」の自問自答を繰り返して
文化の進歩に至ったのではないでしょうか?

かつて戦前の日本でありました Yesマンばかり創り上げた独裁者の行為は
結局文化の後退になりましたね。

 現在、うつ含めた精神的疾患者が増えていることも、Yesマンでマンネリ化した
現在社会に対して、自然発生した一つの警告なのではないでしょうか?

最近の政策を見てつくづく感じるのは
「対策のための対策」であって「本質問題に着目した対策」に なっていない
と思われることです。
 有権者が選んでしまったことは重要な責任ですから、次回代議士を選ぶときは
当事者意識をもってよく考えてみましょう。
仮に適任がいなかったら、白票でも良いじゃないですか?
投票受付に行くのは、例え無効票でも意思がある証拠ではないですか。

 また、コンピュータセキュリティーやコンプライアンス対策も、
いささか「対策のための対策」のように感じられます。

一番よいのは、無駄にネットワークを使わないことです。

何も、コンピュータネットワークやWEBだけが、通信手段ではないのです。
そもそも ウイルスチェックのために、通信路容量の2割も占めているなんて
本末転倒です。

2009年3月16日月曜日

世直しのチャンス?

今晩は、だんだん春の暖かい風を感じるようになってきました。
皆様、体調を崩しがちな時期ですので、心も体も無理せず程々に。

さて、私が復職して1ヶ月が経ちました。
忙しくは無い状況でしたが、時が経つのは、すぐでした。

世間では、ワークシェアが再検討されております。
個人の収入や労働時間が短縮する分、いろいろな人に仕事の機会を
得られるわけです。

私は、 「世直しのチャンス」 ではないかと思っています。

今まで、スペシャリストといわれる特定の個人に仕事が、過剰集中する
ことで、過労などの問題があったわけです。

 以前述べましたが、スペシャリストが行うべきこととして、仲間組織で
レベルアップを図ることではないでしょうか?
 自分のスキルを独占しても、進歩がなく何もいいことはありません。

 負荷の集中により、他の意欲あるメンバーに同じレベルのスキルを
教える時間がない悪循環から脱し、仕事を教える時間を確保できるように
なることは、組織として、長期的視点でプラスなのです。

 このとき、ただ一方的に教えるのではなく、面白さを教えることが大事
だといつも思っています。
「好きこそものの上手なかれ」といいますね。

 また、自分が若手に教える際に感じたこととして、100%自分の考えを
教えるのではなく、途中まで教えて、相手がどのように考えているか?
と会話をしながらやってみると、お互いに努力していこうといった姿勢に
行き着きます。

 実は、「人に教えること = 相手から教わること」 なのだと感じています。

お子様がいる親や、教師と生徒の関係も、本来は同様なのかもしれません。
最近ちょっと、教えるのも疲れ気味です。

でも 教えることにむきになっても仕方がありません。
誰だって、最初からスキルがあるわけでは無い訳です。

 最近は、あえて ちょっと見ないふりして様子を見ています。
一度その人にとってトリガーとなるものをうまくつくってあげると、
ほっといても、自主的に考えるものですね。
 自分もいろいろ学ぶことができているのかもしれません。

2009年3月15日日曜日

確率論のはなし(補足)

おはようございます。

昨日確率の話をしました。
その中で、誤解をしてはいけないことを補足します。

確率が50%以下だから、決して手を出してはいけないという
説明ではありません。

現実がなぜ起こっているかを考え、その上で確率をより100%に
近づける手段、方法を考えて見つけられれば、よいのです。

ジャンケンだって、相手の見えないちょっとした癖や、傾向を
見破ることができれば、確度をあげることは可能だと思います。

確率統計学でのジャンケンで勝つ確率と言うのは、毎回出すもの(ぐーちょきパー)
が 前回の結果に依存しない条件があります。

 もし、その人は前にグーを出すと3回連続でパーを出す傾向があるとすれば
勝つ確率は変わりますね。
 だけど 傾向も確率の高い低いが問題で100%になることは稀なのです。
だから、なぜそのような傾向があるのか、例外があるのか?と考えることも
重要なのです。

 野球では、打者が安打を打つ割合は 3割いけば多いと言われます。

 それは、投手が投げてから、打者が球筋を判断する時間が0.1から0.3秒の
間しかないことに依存していると思います。
 天性のリズム感や動体視力を持っている人ならば、これでも打つタイミングを
あわせる可能性が高い。
 もしそうでなければ、相手の癖を探して、次投げる球筋を予測するか、
一つの球の種類、コースに的を絞るなどの策を講じているはずです。

 かの、野村克也監督が、45歳まで現役を続けられ、あれだけの成績を残された
のは、体力の衰えを、知力を使い技術面でカバーしたことで知られています。
具体的には、相手の癖を見つけ、狙い球を絞る。
狙い球を打ち損じない練習を常に重ね、攻略したことが有名です。

人それぞれに、得意不得意があります。そこに気付き、カバーする手段が
見つけられることが大事だと考えます。

2009年3月14日土曜日

確率論のはなし(その2)

自分は、理系の学問出身でした。
「だから?、でも人であることは変わりはないのでしょ?」
その通りです。

 私は、あまり物理や数学は得意とは言えませんでした。
だから、人にいろいろ聞いて勉強したほうです。
本当にわかっている人は、説明がわかりやすく柔軟です。

 私は、その姿勢を今でも大切にしています。
そのお陰で、人に教える際には、相手に合わせて説明を考える癖が
ついたのかもしれません。

前置きはそれまでで、数学、物理の話しを例に挙げます。

 数学で「確率統計論」というカテゴリがあります。
これは理系文系とは関係なく、身近な現象を定量的に表わすものでは
ないかと思っております。

 コイントスで表か裏が出る割合は、意図的にインチキをしなければ
回数を重ねると、大体50%に近くなります。

 ジャンケンで、1回勝つ確率も 33.33%に漸近します。

 もし、あなたが、1回のジャンケンで絶対に勝てよと言われたらどうします?
よっぽど、相手の癖や傾向がはっきりしていない限り、勝てる自信は低いのです


 実生活でも、これと同じような決裁を迫られることがあります。
はっきり言って、依頼側がリスクを負う姿勢が無いと、Yesとは言えません
これは、パワハラといっても過言ではありません。

 もしあいこでもいいから負けるなと、言われればどうでしょうか?
負けない確率は高くなります。 すると自信も変わってきます
33%のリスクは負いますよと言うかもしれません。

 そもそも、ジャンケンやコイントスは、All or Nothingという現象を目指すことが
本質的に矛盾なのです。
矛盾の諺の由来を考えてください。同じことです。

 だから、客観的な確率の高い低いを尺度にすることが、コトの課題を
より明確にできるのではないでしょうか?

 なんでも精神論や気合でというのを切り札にするのは、
博打行為を押し付けるものと理解して欲しいです。

 実は、物理学でも確率論が存在するのです。
数式や法則で表現するイメージからすると、All or Nothing の典型の学問
だと思う方も多いでしょう。

今 部屋の中の空気分子の移動速度や位置、方向は?と聞かれても、
一意に特定できませんよね?

 Maxwell-Bolzman両博士は、これを客観的な法則として、移動速度、方向の
存在確率という見方で表現されています。 

 Maxwellの速度分布関数と言われています。温度が高くなると、
気体の移動速度の2乗(運動エネルギー)の大きい分子の
割合が増加します。

 だけど、分子の中には動きの早いものや、一方動きが悪いものもある確率で
存在します。だから、いろいろ分子が衝突を起こしたりして、速度、方向が特定できないのです。

 気体分子の運動エネルギーの平均が、温度という表現に行き着いたのは、
実際に風船に熱を加えると、温度が上がり、風船が膨張する。
逆に冷却すると、しぼんでしまう現象が客観的に確認されています。

 また、かの量子力学にある、電子の粒子性と波動性の矛盾を成り立たせる
理論として、シュレーディンガー方程式で表現される波動関数が存在確率を
示すとの結論に至っています。

 鳥の目、虫の目(巨視的観測、微視的観測)の両立とは言いますが、
本質的に矛盾があるものに関しては、確率で考えることと、相反する
確率も頭に入れておけば、
考え方も広く深くできるのではないでしょうか?

以上です

善か悪かは、半か丁かの確率論?(その1)

おはようございます。
以前、価値観の違い=物差しの違いという話しをしました。

 更に言いますと、人間はものさしの長さが恒常的ではなく、
都合に合わせて、相対的に変わるというものです。

 もっと具体的に言えば、同じものの長さを測るとき
あるときは長さの単位はcm、尺、インチ髪の毛数本相当と
言うことができますね。

これと同様に、世の中に善か悪かという価値観の違いがあります。
私の意見として、ほとんどの世の中のものは、All or Nothing ということは
ありません。
コイントスや、時代劇賭博のサイコロの、半か丁を思い出してください。
表と裏は常に隣り合わせ(表裏一体)なのであり、どちらも表、または裏はありません。

その時どちらが現われるかは、確率論なのです。

だから良いと思われる主張にも、必ずメリットとリスクは存在します。
どちらを優先するかが、価値観の違いなのではないでしょうか?

 ただし、表裏一体であることを忘れてはいけないのです。
極端な話し、過去の独裁者はこの過ちを起こしてきました。
メリットとリスクは共存するので、何かをするにもどちらとも
付き合っていかなければなりません。

 私は、決裁をする際に、なるべく根拠ある確率(自信)の高い低いで
答えるようにしています。
 よく、無責任だとおもわれる人もいますが、前向きにリスクのことと
それの対応も考えていると示すためであります。

 また、お断りする際は、否定形ではなく、肯定形で、否定に至る判断材料を
交えて回答するようにしています。
具体的には、「現状では100年時間があれば可能と考えます。」とかです。

日本語の特徴でありますが、否定形が多いのも事実です。
どうしても 「~ない」と言いはじめると、自分含め周りが
マイナス思考に方向が向きます。
同じことに対して、言い方を変えてみるのはいかがでしょうか?

2009年3月12日木曜日

病は気から?かもしれません

今晩は、あなたは今日は楽しいことがありましたか?

 私は、楽しいと憂鬱が60対40位だと思っています。
今は自分の性格の癖を向かい合って、ちょっと良いことが
勝ち越せればいいと思っています。

今興味を持っていることは、自分も含め、悩み不安、憂鬱は
なぜ起こり、身体の中でどのような現象が起きているのか?

 また、それに対して、どのように逆転の発想で、安心に変える
ことができるのか? と言う事です。

さて、病は気からという諺があります。

 私の経験から言いますと、鬱病はそれに当てはまる確率が高いと
考えます。
 それは、内科での診察ではわからない偏頭痛や身体が重いと
感じる倦怠感があったからです。
 私は、この不思議な状態をここ数年繰り返していたのですが
医師から問題ないと言われれば、放置するしかなかったです。

 かといって、精神論だけでなんでもできるというのは間違いです。
「健康とは、心身のバランスが大事なのです」
どちらかが崩れれば、もう一方に影響を与えるものなのです。

一般に鬱は、ある時期から長い間 無表情になったり。
言葉に力が無くなったり、普段からよく接する周りの人から
異変に気付くことが多いです。
 
 ただ、最近聞く症状は、複雑なものがあり、正しい症状を見つけにくいのも
事実です。

1)双極性鬱病 (いわゆる躁鬱病)  : 躁状態とうつ状態を周期的に繰り返す
    躁状態を見ている人から見れば、元気のある人に思えてしまう。
   普段笑顔を絶やさない人が 突然逆ギレするというのも、一つの症状と
   言われています。

2)仮面うつ病 :精神的落ち込みが見えないが、身体の症状に表れる。
          ストレスによる発疹とか偏頭痛とか、胃痛など
          不安を他人に見せないようにしている人などにあります。

私からの提言です。

 現在、一日一回でもどんなことでも、心のこもった「報・連・相」が
できる状況でしょうか? 
もし、できていないようでしたら、一日5分間でも「雑談の時間」を提案しましょうよ。

 例えば趣味の話しとかが良いのでは?
あなたが部下を持つ立場なら、進んで見直しましょう。
それが周りの人を負の悩みスパイラルから、防止する手段だと思います。
 
 同じストレスでも感じ方は人それぞれ違うわけです。
だから、周りが雑談で和らげることができればいいのでは?と思います、
 かといって自分のストレスを他人に転嫁することで解消するのは、
もってのほかです。

 相手を知ろうとすることが、自分を相手に理解してもらう一番の手段です
それは意識的に、話し方の主語を IからYouの割合を増やすことです。
結果的に Weとなるように目指すことです。

2009年3月11日水曜日

切磋琢磨とチキンレース(何のための競争か?)

 こんばんは、今日は気温が冬に逆戻り。
だけど、なんとなく夕暮れ時間が延びているのが、感じられます。
 私個人的には、仕事が終わって、夕やけ空を見ながら家に帰るのが
好きなのです。
 それは、仕事柄、日中建物の中にいる事が多く、日光を浴びることも
少ないためです。

 さて、私はある企業に所属しております。もちろんこの全世界的不況下の
影響をまともに受けております。

 昨年までは、「市場競争原理」とか、「社運や生き残りを掛けて!」
とか言う言葉をよく耳にしました。
 また、その言葉が印籠の如く正当化されていたように思えました。

 私が思うに、「何のための競争なのか?」という問いかけには、
全く間違った行動をされている企業が多いのではないでしょうか?

 経済のグローバル化と言う名目で、流通の原資が限られていれば、
利益と損失は必ず存在します。

 問題は、give and takeというように、利益と損失の循環ができているか
どうかです? 利益独占することがグローバル化の目的ではないです。

 商売やサービスなどは、誰のために行う活動なのでしょうか

私の答えは、商品を購入し使う、またサービスを受けるエンドユーザーなのでは
ないでしょうか?、その対価として、資産や資金を支払うわけです。

  エンドユーザーの心をつかむために、新商品やサービスをいくつかの企業で
切磋琢磨することが、本来の競争目的であるべきだと思います。

 ところが、最近良く目立つのが、目の前の利益独占のために、
お互いにつぶしあい(チキンレース)になるパターンです。

 極端な結果はエンドユーザーを無視したマイナスの競争となり、
結局、それに関わった人間含めて、将来を見放されてしまいます。

 昨年米国で起こった、住宅ローン債権のマネーロンダリングは、明らかに
エンドユーザーの心を無視したが為に受けた、しっぺ返しなのではないでしょうか?

 皆様も、忙しいときこそ、ちょっと我に返って、「何のために?」と問いかけてみて
もよいのではないでしょうか?

 決して、悲観的な答えばかりではないとは思いますし、間違った方向に
進みそうだったら、我を取り戻すよい切っ掛けになるではないでしょうか?

 私が、元の職業に復職する気になったのも、
決して雇用が厳しい現実という後ろ向きな理由ではありません。

 厳しいときだからこそ、どんなちいさなことでも人々の為になるものを
創造してみようと思ったからです。

You may say "I'm a dreamer! "
But not only one
I hope you someday join us

John Lennon の名曲 Imagine フレーズを思い出しました。

2009年3月7日土曜日

休養中に思ったこと(植物)

こんにちは、本日は良い天気に恵まれていますね。

うちの近所では、梅の花がきれいに咲いております。

さて、休養中に近所を散歩してみると、畑や道端の花壇を
見かけます。何故かいつも心が落ち着くのです。

 1年近くも休養すると、毎日の散歩でも、季節の違いで
色々な花や、野菜、果物が代わる代わる育っていることに
気がつきます。

 ある時期、家のベランダに花の鉢を置いておりました。
それは、綺麗な椿や、ガーデンシクラメンでした。
また、家の中にポトスを育てておりました。

 最初は、毎日水や、肥料を与えていたのですが、ある時期に
身体を動かすのが苦痛になり、3日ほど、水遣りをサポってしまったのです。

 すると、花はみるみるしおれてきました。それに気がつき慌てて、水や肥料を
与えたということが、何度か繰り替えされました。

 自然のものは、正直です。やはり地道な手入れを継続しないと、それなりの
答えを、私への要求のように返してきます。
 また、焦って復旧させても直ぐには元どうりにはならないのです。

 林業や農業をされる方いわく、新たに土を耕し、種を植え、毎日手入れをして
やっと芽が出る。
ここまでで最低でも1年半はかかるそうです。
 芽が出てから、立派な花を咲かせるまで、更に毎日手入れをしないと、
毎年作物が取れるようにはならない。
 最初から、毎年花を咲かせるようになるまで、少なくとも全体で3年は
必要だそうです。

 花を枯らしてしまったことは、非常に残念なことでしたが、

 人と人との信頼関係も、地道な心の付き合いでの積み重ねでは
ないでしょうか?
と感じました。

 また、人生においては、一人ではやりきれない大きな目標もいろいろあります。
その時に、改めて、

目先の結果ばかり追っては駄目で、継続的に何かをする
プロセスを大切にしないといけない

と、植物の経験から教わったと考えております。

2009年3月5日木曜日

集中と休息のリズム感

こんばんは、WBC日本代表の初戦、白熱していますね。

野球に限らず、大体のスポーツには、集中してPlayする時間と
息を休める時間が交互にありますね。

 そういえば、学校でも授業の時間が1時間弱過ぎると、
10分間休憩しますね。
 そもそもこの集中と休息の交互にとる理由は、休息することで、
次の集中するときへの心身のエネルギー補充だと考えます。

あなたにお尋ねします。
 現代 仕事の効率化等、とのあいまいなトップダウンのお陰で
集中と休息のリズムが崩れてないでしょうか?

 休息とは、サボる、怠ける等ネガティブな意味ではないのです。
エネルギー補填なのです。
どんな生物でも、体内時計という個々のリズムを持っております。

 ですから、このリズムをいろいろな方法で、上手に取り入れられれば
一日、コンスタントに集中して物事に取り組むことが
できるのではないでしょうか?

 私は現在は、リハビリなので意識して30分ごとに、深呼吸、お湯やお茶を飲む
目を閉じて、ストレッチをすることをしています。

 たとえ忙しくても8時間、食事もせず根つめて集中するのは、
せめて1週間できれば いい方だと思います。

 私は、過去に海外の現場立ち上げで仕事をしていたときは、
最初は言葉もわからず、仕事が終わっても、緊張感が続いていたため
3週間目はかなり参ってました。
 また、日本に帰国した際の急激な安堵により、今と同じ燃え尽き状態と
ほぼ変わらない様子でした。

 これに懲りて、2度目以降は、違う文化や価値観に、前向きに耳を傾けるように
心がけていました。
ことばは片言でしたが、大分気分的には楽になりました。

 最後にもう一度言います。 「休息は、サボることや怠けることではないです。」

心身が健康であることが、お互いにとっても一番よいことなのではないですか?
効率化、無駄を省くと言っても、人間は生きるためのリズム(体内時計)を
乱すやり方は、行き過ぎではないでしょうか?

2009年3月4日水曜日

大好きな心がけ「探偵ナイトスクープ」の探偵さん

こんばんは、今日も寒いですね。
寒いときこそ、温かい心でいたいですね。

 「温かい心とおもろいおもてなし」、

これは私が我を取り戻す教本としております。

 当時、私はテレビがだめでした。うっとうしいためです。
でも、ある時期から、自然に笑いを取り戻す切っ掛けをつかんだ
気がしました。

 それは、某関西で人気番組 「探偵ナイトスクープ」の探偵さんが、
視聴者の素朴な疑問に、真摯にかつ、おもろさを
交えて応えようとする姿に共感を覚えた時でした。

 視聴者の投稿される「依頼」は、主観的には、
「そんな下らないとか、ばかばかしいとか」、
とばっさり切り捨てる人もいるかもしれません。

 ところが、関西人発祥の人情でしょうか、ボケと突っ込みの
心得でしょうか?
 どんな視聴者の無理な依頼でも、おもろさを交えて、
かつできる限り、依頼者を満足してもらう、おもてなしの心
で応える内容は、いつもいつも感心されます。

 また、探偵さん一人では解決が難しい内容でも、
必ず「ナイトスクープならば」ということで、協力者が現われますね。

 どんなことでも、このような誠実さは、必要なのではないでしょうか?
かつ、周りを明るく信用を得るのですから、とても素晴らしいと感じました。

 東京ではMXテレビで金曜夜に放映されていますので、夜おそく起きれない
私は、毎週録画して、次の日の朝に見ています。

探偵さんの心がけを忘れずに、日々目指しています

 なかなか難しいですが、相手との「心のキャッチボール」と言うのは
お互いに「人生を豊かにする源」だと感じます。

 ちなみに ボケと突っ込みとは、「心のキャッチボール」の一つの
代表的手段だと思います。

 それでは、皆様がよい明日が迎えられることを願いまして
失礼いたします。

2009年3月3日火曜日

今思うこと、まじめすぎるのかもしれません

こんばんは、本日東京は雪です。
また、昼間の最高気温も4℃と、3月とは思えない寒さです。

 気温の変化や、晴天と曇天の変化、さらには、花粉症や黄砂
この時期は、どうしても、心身にボディブローのようなストレスが
掛かります。
 それは、身体の自律神経などが、環境変化に順応しようと過敏に
なるからと考えられます。

 私もそうですが、おなかを下したり、うつ気分が強くなりだします。
また、朝起きるのが億劫になります。

 自律訓練等をうまく習得すれば、このようなストレスを軽減することは
可能ですが、一番の対策は、無理をしないこと、花粉などはマスクで防御
すること、規則正しく食事をし、よく睡眠をとることだと考えます。

 うつ気分になりやすい方は、環境変化に過敏になりがちな面もあります。
それと同時に、物事をまじめに考えすぎ、悩みすぎな傾向があると思います。

 それは決してマイナスではなく、誠実さをもった良い面と思うべきだと考えます。

 どうしても常に頭の中で、どうしたらと考えがちになるので、
なんかちょっと考えたことを、
日記などに、自筆で簡単にメモをするのがよいかもしれません。

 意外とすっきりしますし、
後でこんなこと考えていたんだと、読み返すこともできます。

 どうしても、脳が疲れているので、記憶力や集中力が低下しますので、
脳の記憶の代わりにメモ帳が記憶してくれます。

 そこで少しは不安から、安心に気分が変わるかもしれません。
書くことが億劫ならば、身内の方と話しをして、協力をお願いしてもらっても
いいと思います。
無理することは禁物です。人を救うのは、周りに関わる人達の心がけだと
思います。

それでは、皆様心身の健康をお祈りいたします。