2009年3月25日水曜日

悩んだ末に得られたもの

今晩は、本日は適度に酔いも入っています。

以前に価値観の話しをしましたが、日本語の適度と言うのは、実に
価値観の違いを上手く埋め合わせることができる言葉だと思います。

さて、「一日一笑」をモットーとして社会復帰を目指している私ですが
なかなか目標を達成するのは日々難しいようです。
「適当にやればいい」と言うのが、一番よい解決表現ですが、私も同様
この病気にかかるような人は、「適当」をうまく使いこなすのが苦手なようです。

しかし、今思うと「悩みがある」というのは、ある意味で人生における理想と現実を
埋める課題に気がついたと、考えるのが適当かもしれません。

私が休養を迫られたことも、ある意味で「悩みの本質とは?」を
自分で気がつかせるため、「一度とことん悩まないでみたら、どのようになるか?」
を作るよい機会だったかもしれません。
「悩む状況」があるだけ、ある意味で贅沢なのかもしれません。

少なくとも悩んだ末に得られたもの、
それは「自分自身のことを客観的に理解することは困難であり、
他人の力なくしては気付かないことがあること」です。
だから、立場を超えていろんな人の話に耳を傾け、よい方向に知恵を出し会う
活動に仕向けることを大事にしています。

悩みを抱えてしまったときに、いいタイミングで他人から声を掛けていただいたこと
それは、いままで自分では気付かない努力を積み重ねていた結果かもしれません。
ある意味で幸運なのかもしれません。
事実、自分に中で悶々と解決しようとして、ためらわず身を投じてしまう人も
多いからです。

人が生きることが不幸なんてことは、絶対ありません。だから少しでも悩みを
生きるばねに変えるように、手助けすること。それが経験者のやるべきことで
できる限りのことをしていきたいと思います。

私自身も、悩みを完全に解決できれば、このようなブログを閉鎖しようと思っていました。
だけどそれはとても甘い考えで、日々精進です。

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