2009年3月17日火曜日

「なんでや!」の一言が進歩になるのでは?

今晩は、今日は外は花粉と黄砂が舞っておりました。
心身ともに堪えます。

杉花粉も、黄土高原から来る黄砂も、歴史資料から追っていくと
人災が主要因だそうです。

「良かれ!」と思って人間が手を入れたことが、後に多大な悪影響を
及ぼしていたのです。
 
 なにか良かれと思って提案することは、悪いことではありません。
だけど、一度

「なんでや!」、「ほんまにそれですべてえーのか?」と
の突っ込みは必要なのかと思います。

 悪い意味で揚げ足をとることが目的ではなく、目的への大道から逸れて
しまっていないかの再確認が目的なのです。

 これまで
 人類は、「何でや!、どしたらええの?」の自問自答を繰り返して
文化の進歩に至ったのではないでしょうか?

かつて戦前の日本でありました Yesマンばかり創り上げた独裁者の行為は
結局文化の後退になりましたね。

 現在、うつ含めた精神的疾患者が増えていることも、Yesマンでマンネリ化した
現在社会に対して、自然発生した一つの警告なのではないでしょうか?

最近の政策を見てつくづく感じるのは
「対策のための対策」であって「本質問題に着目した対策」に なっていない
と思われることです。
 有権者が選んでしまったことは重要な責任ですから、次回代議士を選ぶときは
当事者意識をもってよく考えてみましょう。
仮に適任がいなかったら、白票でも良いじゃないですか?
投票受付に行くのは、例え無効票でも意思がある証拠ではないですか。

 また、コンピュータセキュリティーやコンプライアンス対策も、
いささか「対策のための対策」のように感じられます。

一番よいのは、無駄にネットワークを使わないことです。

何も、コンピュータネットワークやWEBだけが、通信手段ではないのです。
そもそも ウイルスチェックのために、通信路容量の2割も占めているなんて
本末転倒です。

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