ちょうど入学式の頃にあわせたが如くです。
桜といえば何を思い出しますか? 私は古風ですが、「遠山の金さん」です。
私が感じているのは、バブル経済の頃から、なんとなく日本人の意識に
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」、
「他人が何を思おうが、今の自分が幸せに感じればよい」
といった感情が目立つようになった気がします。
「自由」とは、自分勝手に何をしても良い訳ではありません。
尺度は人によって異なりますが、理性や倫理観などの、ある一線を越え無い範囲でと
言うのが、本当の自由なのではないでしょうか?
英語では Freedom と Liberty との意味を分けておりますね。
世界経済が総崩れになった今、「何のために生きるのか、労働するのか?」と言うのを、原点から見つめなおすいい機会だと思います。
日本の政策で、目の前の景気を良くする。そうすれば、資産のめぐりがよくなって
富が分配される。
理想はそうですが、人間の欲張り気質は無限である限り、資産を分け与える
懐のよい人ばかりではありません。
もし仮に明日、あなたに1億円の資産が手に入ったら、そんなにいらないから寄付する人もいれば、
もっと増やそうと考える人もいます。
限りある原資のなか、過剰な競争原理で、資産をあるところに集中させたままに
なってしまったら、全く流通が滞り、意味の無いことです。
株価崩壊は、正当な形の一揆、打ちこわしなのです。
結局最後は自分の首を絞める結果にしかなりませんよ。
人間が生きる価値は、通貨だけでは表現できないものがあります。
だから、負債を苦に命を投げてしまう人が、年間数万人にもなるというのは
おかしな世の中になっていると、認識すべきです。
今世界企業の経営者が、生き残り競争と口にするのは、何のために競争するのか?
自問自答してほしいですし、
悪代官に、小判を饅頭に隠して、袖の中に渡す 「越後屋。お前も相当悪やのう」の
ようにはなって欲しくないというのが、一社会人としての意見です。
だから、本当の世直し活動はお金だけでは、解決しない。
個々が己の欲をよく知り、かつ己の欲を見失うことのないように
コントロールすること。 欲が度が過ぎることの恥を知ること。
それが「自由」と「世直し再生」を両立させる方法なのでは、ないでしょうか?
個人のちょっとの勇気と懐があれば、できることですぞ。
桜咲き、うかれ気分の一部の行政関連の越後屋と悪代官共、
「不正の証拠はここにいる金さんが見ているぞ」
この桜吹雪が目に入らぬか!」と一喝一蹴ですぞ。
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