2009年4月28日火曜日

IT化の推進 だけど本当に未来に残るものは?

明日から、お休みの方も多いのではないでしょうか?

私もどこか旅行に行った時、印象に残ったものを写真に撮ったりします。
だけど、それほど写真にこだわりを持つ程のものではありません。

仮に、ピンボケしていても、ぶれていても、アルバムにまとめて写真を見れば
その当時の雰囲気を思い出すことができると思います。

以前フィルムカメラが主流だったときは、インスタントカメラを含めて、
フィルムの中で撮影できる枚数が、24、27、36枚と決まっていたため
一枚撮るのに大事に撮っていた覚えがあります。

ところが、時は過ぎ、写真もデジタルデータ化が著しく進展しました。
メモリーカード1GBあれば、一眼レフカメラでも、100枚近くは撮れます。
また、直ぐに撮影したものを、確認できるので、失敗を気にすることなく取り直しが
できるようになりました。

私が考えるに、カメラのデジタル化が一番、受け入れられた要因は、直ぐに、いつでも
撮った写真を確認することができることではないでしょうか?
 折角記念写真をとっても、フィルム現像で時間が必要だったことからの開放なのでは
ないでしょうか?

 だけど、一杯取った写真データは、皆さんどうしていますか?
便利なところはあれど、こんなにたくさんとっても、後で何もしないでほったらかしと
いうこともあると思います。
PCを使うことに慣れている人でも、うっとうしく感じることがあります。

だから、結局は、写真屋さんに持っていって、CDRにデータ保存をしてもらい、必要なものだけ
選んでプリントしてもらうのではないでしょうか?

写真のデータは、音楽CD同様にデジタル化されていますので、決まった法則にそって
数字の1と0の羅列しか書かれていませんのです。
 フィルムならば、ネガやスライドにすれば、時間が経ってもある程度思い出すことは
できますが、もし、メモリーカードや、CDに傷を付けてしまった、PCに入れたハードディスクが
壊れてしまったら、撮った本人でも何の写真か思い出すこともできませんね。

 私が危惧していることは、このことなのです。結局写真にプリントするもの以外は
情報が欠損すると、何も残らなくなってしまうのです。
 かつて紀元前の文化の様子が、壁画となって後世に残されていた事例は沢山あります。
それは、情報に欠損があっても、人間がみて補間をすることができたからです。

 ところが、デジタルデータは未来の後世に伝えられるものでしょうか?
仮に、未来にエネルギー不足で、電気の供給が途絶えたらどうでしょう?
1と0の、暗号の解読するルールが残ってなければどうでしょうか?
結局、デジタル化の便利さの中に存在する、恒久的な不便さなのではないでしょうか?

最近になって、町のカメラやさんが、アルバムを作ったりいろいろなソリューションを
提案していただけるようになりました。内心ほっとしているところです。

カメラメーカーは、半年ごとに何機種もカメラを出すことに意義があるかの如く感じますが、
そろそろ、この製品使うことでの人生の中の位置づけは何か?
何のために、写真を撮るのか?、どう活用するか?といった、本質的なご提案を
する時期になってきているのではないでしょうか?
と、思ってしまうこの頃です。

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