2010年12月12日日曜日

軌道修正できれば、、、。

JAXAの科学観測衛星、「あかつき」、残念ながら今回の、金星周回軌道に
入ることはできませんでした。

 何よりも、プロジェクトのリーダーは、私がかつて学生時代に3年間程、お世話になった方々、無念な表情を浮かべられていたことが、一番悔しく思っています。

その方々は、私にとって、「ガリレオ」や「ニュートン」のような存在でした。
単に理論物理学者だけでなく、地球の外で起きている物理現象を、どのような観測手段で
実証するかまで、実際にやられていた方々だからです。

ご存知の通り、地球から金星は、太陽系の惑星で、一番近くの距離であります。
ただし、近いといっても、光の速さで、4から5分もかかる距離です。

想像もつかない距離ですが、光は、一秒間に地球を7周半する距離で進みます。
そんな中で、実際に金星の近くに行って、観測するとなると、時期によりますが、数年かかります。

衛星を打ち上げても、金星の近くに来た時に、衛星と通信をすると、往復10分近くかかるそうです。
 だから、その場で何かがあっても、地球で気がついた時には手遅れになってしまいます。
もちろん、それに備えて、自律自動制御機能をされているそうです。

今まで、人工衛星では、遠くへ少ないエネルギーで到達させるために、月の重力を使って、ぎりぎり接近するまで、重力で加速させて遠くに移動させる、スイングバイということはやってきました。

今回は、逆で、金星に接近するところで、ブレーキをかけて、金星の重力にトラップするといった計画でした。

そんな離れ業の一発勝負、ずっと前から作戦を立てて、万全の準備で進められていたことですから
、結果は残念ではあります。
 異常を検出し、逆噴射をストップしたのは、それも、ある意味準備された中のことなので
救いは、衛星の行方が掴め、通信が可能で、制御ができる状態にあることです。
だから、本来のミッションのリカバーできる可能性が残っているわけです。

 次の挽回策は、太陽系惑星軌道とのタイミングで、数年後になるかもしれません。
いろいろ、予算的な事情もあり、今後についてはどうなるかわかりません。
 日本の科学技術の予算枠は、欧米に比べると非常に少ない訳ですから

 ただ、一度満身創痍になってしまった「はやぶさ」との復活劇のこともあり、
まだ、何かに期待は持っています。
 想定外が想定外を生んで、新たなことが発見できれば、それを信じて

2010年12月7日火曜日

今更ながら、言葉にならない。

ここ数年、私の友人や先輩方から、暮れになると、喪中のご連絡を頂くことが増えました。

私自身の年齢からすると、同年代の方の親族にご不幸がある場合が殆どです。

こればかりは、生きている以上、どうしても避けられないことではあります。

私も、自分の親族について、以前から、日常生活に支障をきたす厳しい状況は
覚悟はしておりましたが、いざ事になると

やはり、、、。言葉にならない。
辛いけど、今はじっと現実を受け止めるしかない。

2010年12月3日金曜日

血圧上昇と、堪忍袋の緒が切れたとき

師走になると、やっぱり寒いし、どうしても身体が固くなりやすくなります。
私も、首や腰をストレッチしないと、一日苦しい日もあります。

 年末となって、年内になんとか蹴りをつけておきたい、そんな急く気持ちが高まる時期でもあります。

 そんな状況でしょうか、何かと血圧が上がる機会も多くなってきます。
もともと気の短い性分ではありました。
 まあ、以前にいろいろ、急いて突っ走って、気が参ってしまったのも、そんなところも
一つの理由でしょう。

 そんなことを繰り返さないように、復帰をする際には、怒りで物事が解決できるなら楽ですよね!って、ストレスを、冷静にユーモアをもって寛大に対応するようにしていました。
決して、消極的な泣き寝入りや諦めの気持ちではないつもりでした。

でも、明らかに間違っていることを、何度も押付けがましく言われたら、これはドライに、冷静に厳しく言うべきだと思います。
 この場合は、ガツンと言わなければわからないのだから。
場合によっては、喧嘩口調の口論になる場合もあるでしょう。いわゆる堪忍袋の緒が切れたと思われるかもしれません。
 任侠の世界では「喧嘩上等」と言って、口より体でねじ伏せるかもしれませんが、一社会人としては、そうはいかない事情があります。

 こうゆう時、流石に瞬間湯沸かし器の如く、血の気が上がってしまうんですよね。
でも、気をつけないと、ここ最近こうゆう時に、息苦しくなって、
くらっと立ちくらみになることがあります。
 元々血圧が高めなので、毎年産業医からも注意と改善を促されて、
気をつけないとまずいんですが。

 復帰したあとも、精神安定剤も服用していました。
一時は、量を減らしても大丈夫なようになってきました。がしかし、ここ数ヶ月、どうも不安定になり
安定剤も欠かせなくなってきました。

 そのためか、一日の中で、気分のムラと、突然の睡魔に悩まされることが多くなってきました。
最近はどちらかと言うと、朝と、夕方は、気分が高まって、昼間は何言われても、上の空に
近い状態になることが多いです。
 家に帰る頃は、何故かぐったり状態です。鏡を見ると表情が固いと気付かされました。

もう一回リセットが必要なのか? 自分でもよくわからない。どうなってしまったのか、、、。

プロの中の一流のプロ

 私は、今年、元ロッテオリオンズのエースピッチャー 村田兆治さんの講演を拝聴する機会がありました。
 野球に詳しい方ならば、ご存知かと思いますが、プロ野球投手として、現役時代、一度肘を故障し、選手生命の危機を迎えられたこと。
当時日本人選手では、初めて筋肉移植手術にトライされ、見事リハビリを経て、マウンドの登板に復帰され、名球界入りとなる、通算200勝利を成し遂げたアスリートであります。
 
 現在、50歳を超えても、時速140kmのスピードで投球ができるということで、マスターズリーグのエースとしても知られております。

その講演を拝聴して、改めて思いました。この人は、選手として、人としてプロの中の一流のプロだと。
 独特の広島訛りの口調で、ユーモアも毒舌もあり、実際のまさかり投法もありの講演でした。
 あの年齢で、まさかり投法ができ、きちんと投げる球がコントロールできるというのは、もちろん身体をきちんと鍛えて、継続したケアがなければできないことです。

私が、この人は違うと感じるのは、ただ野球が上手い、野球馬鹿ではないとことです。
同じ様に、同時期に活躍された、野村克也さんや、故稲尾和久さん、福本豊さんも、共通点があるかと思います。
 
 この人も、逆境を克服するに当たって、頭と技を駆使し、戦略を立てて成功されたといういきさつを、講演ではユーモアを交えて、客観的に語られておりました。

 肘の故障から復活された後、当然リハビリ期間も長期間あります。
当然、相手はプロ選手同士の対戦ですから、気合だけで直球勝負は通用しないし、
 先発で登板して9回まで完投することも難しい。

 そんな中で、どうしたらということで考え付いた結果、身体全体をばねにして重心移動する、まさかり投法を生み出し、肘の負担を少なく球威のある投球術を武器にしました。

 そして、直球だけではなく、打者の手前でストンと急降下する、フォークボールを新たな武器として取得し、直球とうまく組み合わせて、打者をかく乱する戦略を上手く考え出しました。

当時のロッテオリオンズでは、リリーフ投手の数が少ないチーム事情ということもあり、一人の投手で完投できることは、チームにとっても長期戦に有利になります。

 これだけを聞くと、身体で覚えたというイメージを持ちますが、実はそうではないことが講演でわかりました。
 肘の故障で、ボールすら投げられない時期がありました。今の村田さんからすれば信じがたいですが、本業のマウンドに立てないことが続き、精神的にも追い詰められてしまった時期もあったそうです。
 転機になったのは、あるお寺の住職さんの言葉だったそうです。当時リスクの大きかった肘の手術に、前向きに踏み切った切っ掛けにもなったそうです。
 
 手術後のリハビリで、まず、肘や肩の負担を少なく、きちんと狙ったところにまっすぐ投げるにはどうすればいいか?というのを、いろいろ、考えて、試して、ビデオで撮影して、スポーツ医学の先生の客観的な意見を聞いて、すべてノートに記録していたそうです。

 当然、投手の体型やバランスはそれぞれ違いますので、どれが一番適しているかというのは、ひとそれぞれです。

 その中で、きちんと体重移動での勢いを、肘に負担をかけず、ボールに伝えるということで、あの独特の方法に行き着いたそうです。

 次に、まさかり投法は、足腰の重心バランスがしっかりしていないと、ボールをリリースする位置がぶれ、思ったところにボールが行かなくなります。

 そのために、身体の土台となる足腰を、バランスよく鍛える準備は欠かせなかったと言います。
 練習で、まさかり投法で遠投をするのも、きちんと球威のある球を投げられるようにするためだったそうです。

 もう一つの武器フォークボールも、ボールに力がぶれずに伝わる投球ができるからこそ、
変化球の回転がよく伝わり、打者の手前ですっと変化する球が、安定して投げられるようになったそうです。
 それも客観的に、頭をつかって考えて、変化球を武器にしようと取得されたとのこと。
 
 それを上手く組み合わせれば、打者は打つタイミングをかく乱されますので、投手が優位の
ペースで投球ができるようになります。
頭を使って、次に何を投げるかわからないように出来るわけですから。

 実際、村田さんは、投球数が少なくて、完投勝利が多い投手でした。バッテリーとして受ける
袴田捕手も、村田さんとはあうんの呼吸で欠かせない存在で、チームプレイに生かされていました。

 この人が素晴らしいというのは、講演を拝聴した素人の人と、キャッチボールをする際に、
きちんと、ボールを受ける相手に、自分の言葉で、ここに投げるから、客観的にどの位置に手を構えればよいというのをわかりやすく伝える。
 例えば、両手を胸の位置に、まっすぐ伸ばしたところで、受けるように投げるので、そのままの位置で動かずに構えてと。

 また、相手が投げ返すときに、コントロールがずれると、腕の位置をもう10cm、手のひら一つ右に、というように伝えて、もう一回やってできるように、適切な説明でアドバイスができること、それをできるまで、付き合って投げさせることです。

 プロ野球の解説者の大半は、感覚的、主観的な解説が多いイメージがありましたが、
この人は自分の言葉で、きちんと、相手にわかるように、客観的にアドバイスができるプロ中のプロ選手。

 それを、相手の投げる動作の中で、一瞬の中で、一つ一つの動作を、客観的にきちんとみて、
どうすればよいかを言えるのだから、一味違う。

 だから、あれだけの実績を、長期間にわたって活躍できたのも納得です。

 実際、現在、村田さんは、野球を見に来る機会が難しい、離島の少年達に、野球というチーム競技の楽しさを教えることを、ライフワークとされています。

 以前、NHKの番組で拝見したことがありますが、今回の講演同様に、自分の言葉でわかりやすく
、相手ができるまで、付き合うというのが基本でした。

 もちろんその活動は、手弁当のみでボランティア的な活動で、非営利でやっているそうです。
当然、村田さんの活動に賛同された、元プロ選手も同行するようになられたそうです。

 その成果として、祈願であった、離島同士の野球チーム大会が開催できるようになったことを、大変喜ばれておりました。

 現在も、ライフワークは、講演も含めて、また、マスターズリーグの投手として継続されております。私も一度、マスターズリーグで村田さんの投球を拝見して、改めて驚いた身です。
 
 もちろん、教えるにも、きちんと自分の準備や練習は怠らないそうですし、行き先のことも
相手のことも、事前によく頭に入れて準備されているそうです。

村田さんは、プロ選手 イコール 職人というのとは格が違う、
壁にぶつかった時に、頭を使って、乗り越える戦略を考えて成功した一流のプロ。

 引退後も、自分の利点や実績を、上から目線でなく、相手目線でみて、つきあって、
社会に上手く貢献できないか、そこも戦略を考えてやってこられた人。
やっぱりプロ中のプロ、人生の先輩としての偉大さを感じます。

私にとって、有意義な講演会でした。

2010年11月30日火曜日

薬剤治療の現状と怖さ

精神科や心療内科では、治療のひとつの手段として、
医師の処方箋を元に、精神安定剤や、抗うつ剤、睡眠補助剤等を服用することが
多くあります。

私も現在も、毎日服用し続けております。

但し、これだけは正しく言いますが、あくまでも薬は、脳神経に対して、
精神を一時的に穏やかにしたり、また、逆に意欲低下に対して、高めたりさせて
精神的な疾患を、治療するための補助的な役割と考えるべきです。

元々、抗うつ剤は、即効性がある訳でなく、副作用もあります。
だから、本来処方を出すときも、会話などで、様子を見ながら、最低限のものに
処方されることが普通です。

本当に必要な治療の本質は、順番として
 まず、精神的なストレスに対して、脳を休め、脳の疲れを回復すること。
 次に、ストレスに対して、上手に付き合って、憂鬱や、パニックの度合いを軽減するように
できること。
 最後に、その結果、生活リズムを取り戻して、日常生活が正常に送られるようになること。
かと、経験者の意見として思います。

このプロセスを、積み重ねるには、早い人でも半年、一般には年単位の期間だと言われます。

 最初のプロセスは、一番効果があるのが、心身の休養と、睡眠や休息時間の確保といわれます。人によっては、睡眠に障害がある場合もあり、睡眠補助で薬を服用されることがあります。
 
 次のプロセスは、意欲などが戻りかけた頃に、受けるストレスとの戦いになります。
精神安定剤で、一時的には気分は落ち着きますが、そればかりですと、薬の依存が強くなります。

 だから、薬だけでは、本質的な回復にはなりません、自分の思考を訓練して直していく作用や
切っ掛けが必要になります。

実際には、日常生活で、ストレスを感じるできごとを、後ろ向きな面を、前向きな面に考える方向を変える訓練をしていくことで、ストレスを過剰に感じることから、前向きな気持ちに開放されるようになります。
 これは、認知行動療法とよばれる訓練であって、諦めや妥協の思考とは違います。

 そのほか、動揺を感じたら、深呼吸や、ストレッチなどをすることで、気持ちを落ち着かせることも
医学的にも証明されております。
 これは、私もよくやっております。だから、長時間にもなる会議等は、苦手ですし、意識的に
途中で一息入れることを、意識しております。

 最後に、生活リズムを取り戻すこと、具体的には早寝早起きで、きちんと前日の心身の疲れを
回復して、翌日に臨むことです。

 そのプロセスを行う上で、回復を補助的に機能させる役割として、投薬の位置づけが
あるかと思います。

 最近、状況がなかなか回復しないからといって、病院をはしごして、それぞれの医師の処方をうけ
薬物依存に陥るといったケースが増えていると、報道番組で聞いたことがあります。

 精神科の処方箋は、あくまでも治療のための処方としての薬です。
だけど、神経作用になんらかの刺激や影響を与えるので、使い方を間違うと、麻薬と同様の
効果になってしまいます。
 
 私の服用しているものは、精神安定剤ですが、副作用もありまして、
車の運転や、危険作業など注意力がいる時には、服用をさけるように言われております。
 
 実に、怖い話ですが、病院でも薬局でも、現在服用している薬の履歴をきちんと言えば
防ぐことができる話ではあります。
(最近は、薬局では、お薬手帳というものを持っていれば、情報はわかります)

精神治療は、薬だけでなく、本人が回復したい意志と行動が必要になるかと思います。
 私もそうですが、生活収入のための仕事は必要となります。
生活に困らないようにと、回復を焦って考えてしまっては、結果として、一向に回復には向かわない。
かと言って、薬だけに頼って回復できるものかと言えないものでもあります。
 根本的なストレス要因から、すべて開放されない限りは。

 そこはきちんと一線を切らないといけない覚悟はあると思いますし、きちんと自分に関係する人に
状況を伝えて、理解を得られないと厳しいと思います。
 また、自分が他人に憂鬱なストレッサーにならないように、というのも大事です。

 現在の社会では、いろんな意味で、「無意味な過剰競争原理」というのがあるかと思います。
時間を削ってとか、クリティカルパスで綱渡りというような、やり方が長期間にわたって続くようで
あれば、そのうち、深呼吸もする暇も与えられなくなってしまうかもしれません。
 戦中時期の日本のように、戦略なき気合だけで乗り切れと言う状況になっては、おしまいです。

 産業革命の風刺として、チャーリーチャップリンの「モダンタイムス」という映画が
クローズアップされたことがあります。

 人間は、肉体も精神も、負荷を与えれば必ず疲労します。だから休憩してリカバリーを
して、リフレッシュする時間や行動が必要になります。

 もし、その時間さえも許されず、与えられずという状況を、日常的に平然とさせているような
仕組みがあるとすれば、それは異常であって、メンテナンスする時間がないと、疲弊して
長くは続かないでしょう。

2010年11月23日火曜日

Thanks Giving Day ご苦労さまでした。

勤労感謝の日という祝日を迎えて。

 昨年は、いろいろ苦しい時もあったけど、
まともに働いて、給料を頂いて生活できるように、戻る機会が得られたことでの
やりがいというものを、感じました。

 療養で一年間休んだ状態から、自分の意志をもって復帰を目指したから、
なお更感じました。

 今年はどうだろうか? 昨年と違い、何処となく空虚に感じる部分もあります。
最近体調を崩してしまっていることも、一つにはあります。
 でも、それ以外に、今の状況 本当に勤労で、社会から、信頼を得られることを
果たしているかどうか?という、疑問を感じることがあるからです。

 この疑問の答えは、すぐに見つかるものではないかもしれませんが、
普段、人と人が信頼関係をもって接する心がけ、行ない、「道徳」と言うものの中に
ヒントがあるものかと思っています。
 ひとつひとつできるところから、考えてやっていくしかないと思っています。
 
 勤労って、本来は、人がよりよい社会生活をおくる中
相手となる対象があって、誠意をもった作業やサービスを行うことで、信頼関係を作り上げる
所作ではないでしょうか?
 社会での信頼や評価の結果、対価として報酬を得る訳であります。
報酬で、より多くの利益を集めるのが本来の目的ではない訳です。
 報酬の利益は、本来は、信頼関係を継続していくために必要なものであって、富の私物化、占有が目的ではない訳です。
 
 それぞれの役割でお互いの信頼関係があっての、お互いの苦労を労う日というが
「勤労感謝の日」で祝うことであれば、本来の勤労の意義として、正しいことかと思います。
 一日、ゆっくり心を休めて、やっていきましょう。

2010年11月15日月曜日

鈍感力は忍耐力

私は、小さな頃から、一見大雑把だけど、一部のことに頑固な部分と神経質な面があると
親からよく言われました。
 時は過ぎて、一社会人となった私自身は、かなり大雑把で、全体のイメージを掴めば、あとは勢いでと、大胆かつシュールなとは、良く聞こえますが、雑な面のほうが多いかな?と思います。

 でも、ある部分、妙に頑固になる部分で、感情的な面もあり、その辺に関しては、自分で気がつかない部分で神経質な面なのかもしれません。
 自分のことは、客観的にはわからないことの方が多いと思いますので、いろんな人から見れば、いろんな見方があるので、この辺にしておきます。

 なぜ、こんなことを書き始めたか?というと
やっぱり、多かれ少なかれ、大きな組織が関わる仕事などをしていると、いろんな考え方の人がいますし、その中で、見えないストレスを感じてしまっていることも、実際あるのかと思います。

 うつの行動療法の一つに、認知療法という、ストレスを後ろ向きなプロセスから、冷静に、状況を把握して、前向き思考に転換し、ストレスを軽減する訓練というものがあります。

 以前、小泉純一郎元首相が有名にした、「鈍感力」というのもこの認知療法に似た考え方です。

 私も、立ち直るプロセスや、復帰後もこの訓練は継続してきました。
とにかく、冷静に考えられる懐の深さとも、いえる部分かもしれません。
 慌てて、頭だけで考えるのではなく、メモを取りながら、こうゆう事?って聞くのもそのやり方です。

 でもね、ある意味、几帳面な人からみれば、「ずるい」とか「ごまかしている」とか「自分を正当化している」とか、そうゆうように感じられてしまうことも、残念ながらあります。
 元首相の答弁もそうゆう面はありましたね。

そういう面では、現代社会では「鈍感力」は「忍耐力」と共存するものかもしれません。

でもね、人と人との間のコミュニケーションとは、こうゆう部分をどう受け止めるかによって、協力的か、意志のすれ違いを生むかになってしまうかな?
 
現状、私の場合、そうゆうように前向き思考で訓練して、前向きにストレスに打たれ強いようにしていかないと、2度と立ち直れなくなってしまうこともあるのも事実です。
なかなか、直ぐに転換できないような状況もやっぱりあります。

 それができなければ、開き直りで、自分がやれることだけをする割り切りの意志も、あるいみ必要なのかもしれません
 私の経験から言うと、後者のほうが、相手に心象悪く思われるかもしれません。
非協力的と。

 前向き思考での行動と、自棄開き直りは、行動は一見似ていますが、後者はある意味泣き寝入りも含む後ろ向きな対応であり、前者は、それではこうゆう代案も考えてと、前向きな対応なのではないでしょうか?

 それだけに、前向き思考で、真摯な気持ちで対応していることを、誤魔化しているようにとネガティブに思われてしまうことのジレンマ、これが今一番のストレスかもしれません。

 私の今までの人付き合い経験では、誤魔化しているとかいうタイプの人の口癖は、「人を使うとか、やらせる」との、上から目線での語尾が必ずくる。
ある意味、コミュニケーションとして、私の一番嫌いな言葉です。

 私の場合、「協力していただこうとか、力や知恵を貸してほしい」というのが口癖になってしまっています。
 ある意味、自分がへりくだった殺し文句かもしれませんが、悪意は更々ないし、真剣勝負でお願いしているつもり。 本気で人に協力をお願いするのなら、真摯さというのをさらけ出さないと。

正直ものがバカを見る。そんなことでどうする。

2010年11月14日日曜日

明日は、晴れるかな?

日に日に、冷えるようになりました。
11月となれば、当然なのですが、今年は特に、変化が急激なような気がします。
近所に、甲州街道沿いの銀杏並木があります。
最近、急に葉が色付きました。


 そして、いつもは、空が明るい時間に退社していましたが、もう街燈が必要なくらいに
なってきました。
 人類は、いろんな文明を通じて、進化してきましたが、やはり、地球上に住んでいる以上
一年、一日の環境の変化に、生活のリズムも本能的に持っているのでしょう。

 だから、一日の内、一番活動するのは、日が出ている間なのかもしれません。
冬場は、だんだん短くなってきますので、日が当たる時間というのは、ますます貴重な時間でしょう。

 私が闘病している、メンタル的な風邪とは、いろんな症状があるようですが、
季節の変わり目や、睡眠不足や、昼夜が逆転するなど、身体の受ける環境のリズムに影響するケースも多いと聞きます。
 いろいろわかっていないこともありますが、気分が落ち込むと、身体を防御する抵抗力も
落ちてきてしまうようです。

 だから、メンタルの治療は薬もありますが、
ある程度回復したら、段階的に、気分転換をすることと、身体を動かして新陳代謝を上げ、
抵抗力をつけることが必要なのです。

 わたしは、いままで、あまり風邪で苦しむことは無かったですが、不思議と、ここ数年
結構弱くなっています。

 気分的には、良くなったとはいっても、メンタルとフィジカルのバランスがくずれているのでしょう。
なかなか長期戦と聞くもので、あまり油断はしてはいけませんね。

明日は、週の初め、貴重な晴れ間があれば、気分も晴れていいですね。
 

2010年11月8日月曜日

「何のために」を真摯に考えられる資質が大事!とは

今年の夏ごろから、身体だけでなく、頭の集中も下降線。
そうは言っても、なんとか工夫をしてやりくりするしか、、、。
そんな状況が続いてしまって、自分ではなかなか大丈夫だと思っても
、実際大丈夫じゃなかったりするわけです。

最近の私もそうで、他人からみて、これはやばい状況と判断されてしまいました。

でも、私は要領いいほうでないし、上に噛み付き、下を仲間にしようというような
ある意味、世渡り上手ではない方です。
 
 どうも適当に手を抜くとか、ごかますというのが、不得意だし、それをやられるのが嫌い
なのも事実。

 だから、病前のがむしゃらにやることにイメージをもたれてしまうと、お互いに不都合になってしまう。

 現在の状況では、抑えなければならない状況で、やむなくお断りしなければならないこともある。
ある意味、以前のイメージからみれば、現実逃避に思われるかもしれませんが、

 好きでそうしている訳ではないのです。
そうしなければならない状況にあるのです。

 今回、ある意味、ストップがかかってしまった、折角、復帰したのにというやるせない気持ちもあるし、私の正直な状況を言っても、結局もとの木阿弥に近い状況に追い込まれると事態に、理解なき悔しさと、「もうええわ」という失望感はあります。

 復帰するに時間がかかって、パフォーマンスが低いことは事実。
ただ評価は、他の人と公平な基準でだから、ある程度低いのは承知の上でやっているし、それに不平は言わないのは当然のつもり。
 「企業は、社員の病気を治すところではないのだから、」

そんなことで、復帰して最大のピンチを向かえてしまった。
医師によれば、そんな状態になるんならば、今と同じ業務は避けたほうがいいとまで
相談された。
ただ、私としては、現在組織戦となっている状況で、中途半端な形で、また休んでしまうのは、
どうかと思うところもあるし、経験上流石に復帰にかかる負担のほうが大きいので
業務内容の見直しと、時間制限と言う形を希望して継続している。
 とはいっても、もうこれが最後かなって。

ちょっと心を休める時間ができるようになったこと。
ある意味、精神衛生上よくなかった状況で、なかなか気がつかない部分もありました。

 それは、今やっていることは、何のため、誰のため、本当に企業の開発者として、お客様に
対して、真摯な気持ちで応えているのか?
 真摯さとは何か?、本質を考えているか? そういう疑問です。

ドラッガーのマネージメント自論には、自他問わず、マネージメントに必要なものは
 世渡り上手とか、そういうテクニックではなく、本質を考えて探究する真摯さだといいます。

忙しくなると、そんな正論ばかり言ったって、となりがちだけど、そんなんじゃ、いつまでたっても
物事は向上しない。 
 やはり、一日1分でもきちんと、本質を考える時間を作ってもよいのではないだろうか?

日本の、世界一の自動車会社が、やってきた「カイゼン」と言う活動。
これが何故、世界から評価されるのか?
 私が思うに、それは、現状の事実を真摯に受け止め、要因をみんなで考えて
本来、あって欲しい方向にするには、どうしたらというのは考えて、実践、更に見直し
少しずつの本質にむかう、プロセスをきちんと真摯に考えていることだからかと、
思います。

 関係者に知人もいますので、必ずしもいいところばかりでは、という実情もあるようですが
でも、同じ目標を、複数の人で共有して、考えて、実践して、見直してというのは
が高いモチベーションを生むのではないでしょうか
 時には、激論で衝突になる場合もあるかもしれませんが、でも不変の本質を考えれば
衝突で分裂することも無いだろうし、
 個人で適当な思いつきを、正論のようにトップダウンで押し付けるようなものよりも
質が違うと思います。

 なんか、最近そういう、目の輝きというのを、失いつつあります。
でも、どんな形でも、世の中のために、何を貢献したい。そういう気持ちは忘れずにいたいです。 

2010年11月4日木曜日

疲れた! 冷える、辛い!

朝晩、急に寒くなってきました。

朝起きて外を見れば、空気が澄んで、あー、久々に見えた富士山

もう頂上は、白くなって、道理で寒い訳ですね。

それにしても、夏の疲れ、その他心身のダメージが、今頃ボディーブローのように堪えて。
特に、朝方は精神的にも不安定で、なかなか精神安定剤が卒業できませんね。

病になってからの付き合いですが、一時期は大分量も減ってきたのですが、やっぱり
まだ波がありますね。

この投薬が続いているがために、献血もできず。
自分だけの問題ならどうでもいいけど、献血で人助けもできない状況、ついついネガティブ思考に
なってしまいます。
 今は、とにかく出来る限りのことを、やり尽くすのみ、それが人並み以下でも、以前の自分ならできたのにという、葛藤もあるけど、現実は現実、受け入れるしかない。

幸いにして、本や新聞など活字は、問題なく読めます。
11月になってしまいましたが、世間では読書の秋ともいいます。
 仕事とは関係ない、趣味の本、野村監督のエッセイ、禅の本、それから、私と同じような
立場になった人の本、いろいろ読みました。

 これらの本でも、どこかにそうゆう考えもあるのか!というのがありますし、今の自分は
このままでいいの?と考えさせられることもあります。
でも、書本にするというのは、後世か、誰かのために、何かを残すためという、本質的な
目的もあるはずです。
そういう部分は、人の価値観で良し悪しがあったとしても、書から意思は感じられます。

 正直、毎日目先のことに捕らわれて、何なんだろうと思ったら、全てを無にすることが
見直す大事なことなのかもしれません。
 たった一度きりの人生だからこそ、だけど、、、最近、いろんな意味で疲れてしまったかも

2010年11月3日水曜日

辛いね! 季節の変わり目は

ここ数年、休職してあまり、活発にならなかったためか
体力の低下と、抵抗力の低下に悩まされています。

特に感じるのは、季節の変わり目など、気温の急激な変化に対して
過剰な反応をするか、または抵抗力が落ちたような気がします。

今年はやたら、季節の変わり目に風邪を引くことが多かったと思います。
体力も、精神もセルフマネージメントが大事なのです。
 当然、一度リセットがかかってしまった身ですから、自分では気をつけていても
自分だけでは防げない状況もあります。

 本当ならば、無理に夜更かししないことや、よく睡眠をとることが一番抵抗力を
挙げることなんでしょう。
 でも、私の仕事の都合上、いろんな人が絡んでいる状況だと、なかなかそうは行かない
場面もありますし、このような状況が長く続く場面もあります。
 
これは、マネージメントの質にも問われることにもなります。
 延長戦になった場合に、ポイントを絞って、短期間で一気にやり尽くすか?
気合だけの兵糧攻め 我慢比べで勝負するか?

 今の私にとっては、長期戦は明らかに不利、とにかく、現状を客観的にまとめ、何を
するかを決めて、解散、というのが望む姿。
 時間だけを早めて、物事を解決するというのは、明らかに、真摯に人と人とみていないマネージメントの典型だと思います。
 
 そんな実例に苦しめられる場面も多くなりました。

 私は8月の残業中に、熱中症に襲われました。
原因は、省エネ対策で、残業期間中に空調が切られ、窓が開かない部屋で、
日程優先で、残業を強いられたことにあります。
 当然、私は長期戦などのぞまず、現状を整理して、次の日の計画を決めて帰る
ことにしていましたが、マネージメントはそれを許さなかったのです。

 帰宅途中に、眩暈や悪寒に襲われ、そのまま夜間病院に直行、39度以上の
高熱で、1週間ほど自宅休養を強いられました。
 きちんと実態が証明できれば、もちろん労災扱いになってもおかしくないことです。

 話はそれましたが、そんな暑い残暑だと思っていたら、
今月急に涼しくなってきて、残業でよる遅くになると、寒くなって風邪をひくこともしばしば
おこりました。
 
 自分でも気をつけて、ということですが、なかなか本音と建前の狭間、なかなか苦しく
今年は、病気で欠席する機会がやたら増えたと思います。
 お陰で、あとの半年、残された有給休暇もわずかで、下手に病気ならないようにしないと
、欠勤になってしまうという、厳しい状況です。

いつも夜遅くまで、と言うパターンに陥ったとき、一度何のために計画を立てたのだろうか?
と考えるべきです。
無理やり、力ずく日程を押し付けるのは、長い目でみて、お互いに信頼を得られる関係にはなりません。
 計画通りに上手くいかない時こそ、実態を真摯に把握し、自分の立場で周りを巻き込み、どのように修正していくかを考えて、次に実施していくこと、それが正しいやり方ではないでしょうか?
 その時、マネージメントをするという対象を、どのように考えるか?
いかに、物事を真摯に考えているか?
マネージャとしての資質が問われる一番の部分でしょう。

 一般には、対象は「顧客」といわれます。顧客とは、商売に限ったことではありません、自分が何かをする際に関わる全ての関係にあります。
 もちろん、商売相手もありますし、仲間となる身内にも当てはまります。

 自分ひとりで全部できることであれば、「顧客」に対して、物事を真摯になんて
考える機会もあまりないでしょう。
自分が好きなようにやればいいのですから。

 でも、大きなプロジェクトではそうはいきませんよね。適当に身内をあしらっていたら、誰も信用しなくなり、下手をすれば、総スカンでストライキにもなりかねませんね。

 何かをやり遂げるには、気力も体力も必要です。
 でもそれは、それに関わる人、全てにも当てはまりますし、うまく協調できなければ
 それなりのことしか、得られませんし、信頼もそれなりのことしかありません。

 勘違いしてはならないのは、決してパワハラで押し付けてはなりません。
 特に、自分ができないことを明らかに、押し付けるというのは、もってのほか
 最近この手の、名前だけの役職者って増えた気がします。

 マネージメントの資質として、本当にやるべきを、いかに、物事の実態、事実、本質に対して真摯に取り組めるかが、必要なことです。
 
  いわゆる、自己都合で人の入れ替わりが、著しい職場、ブラック職場とよばれる存在は
 マネージメントする側の不備の本質を見抜けていない証拠です。
  この場合は、本当に良くする気力があるのであれば、真摯に言うべきこと、やるべきことの
 アクションを取るべきです。
  大体こうゆう人のマネージメントは、自分の立場で負うべきリスクに向き合わないので
きちんと言うべきことだと思います。

2010年10月27日水曜日

スポーツで見る、信頼関係

私は、スポーツをするのも、観るのも好きです。
どちらかというと、個人戦よりも、チームでゲームをする球技の方が好きです。

球技といえば、野球、サッカー、ラグビー、アメフト、バスケットボール、バレーボール等
いろいろ浮かぶものがあるかと思います。
 それぞれ、お互いに公平になるようにルールがあり、それぞれの面白さがあるかと
思います。

 私は、野球をやっていた訳ではないですが、最近、テレビだけで飽き足らず、球場に観戦することもしばしばあります。
 応援しているチームが、結果的に負けてしまうこともあります。
もちろん悔しいですが、でも明らかに手抜きして負けているっという試合は、あまり経験なく
接戦で手に汗にぎり、最後のゲームセットまで応援に力が入るということが多かったと思います。

どこに惹かれたか?と言うと、守備の時、ピッチャーがピンチを迎える場面があります。
その時、私がピッチャーだったら、頭がかっとして、冷静さを失う場面になるでしょう。

 そんな時、内野手やキャッチャーが、そっと寄ってきて、一言声かけて冷静さを取り戻すという場面ですね。

 投手の性格にもよるとは思いますが、どんなことを言っているのでしょうか?
基本は手短にですが、

 例えばキャッチャーだったら「とにかく構えたミットめがけて、思いっきり投げてこい、それで打たれても仕方ないから」とか
 
 内野手だったら、「強い打球でも打たれても外野に逸らさず守りきるから任せろ」とか
 そういう話はよく聞きます。

 実際にピッチャーがピンチで強いあたりを、野手がファインプレイで救って来たとき、
ピッチャーが野手を迎えて、ハイタッチという場面も良く見ます。

 なんというか、チームプレイだから当たり前かもしれないけど、お互い信頼を持ち、
自信をもってやれる雰囲気というのは大事ですね。
 スポーツは、いろんな特徴ある人同士が、一つのチームでやるわけだから、
そんな中で、信頼というチームの見えない強い力は、長期的にも良い結果に結びつくことだと
思います。

 もちろん選手は、チームとして信頼に応える力をつけるために、普段からきちんと練習と
準備は整えます。
 プロだから当たり前かもしれませんが、一見プロ契約というと、個人という主張も強くなり勝ち
かもしれません。
 でも、お互いに同じチームとして最善を尽くすため、という一つの目標に向かってやれるのも
プロ選手としての信頼なのでしょう。
 そのために、本音でぶつかることもありますし、チームの勝利のために、犠牲的な行動もあるでしょう。
 でも、それはチームとしてよい結果を生み出すための、必要な一つ一つのプロセスとして重要なことであり、それらプロセスを一つ一つ積み上げていくことによって、チームとしての根の強さになるのではないでしょうか?
 目先の結果だけに捉えて、異を唱えるものに蓋をしてしまうと、そういった信頼をつくることができる余裕すら失い、結果としてチームでの信頼がギクシャクしてしまうでしょう。

 名選手、名監督であった野村克也さん曰く 「リーダーの素量以上に、チームは強くなれない」といわれます。
 試合中に、監督があれしろこれしろとは、基本は言わない。(練習では必要あればそうかもしれませんが)、選手の監督への信頼と、選手がチームとして最善を尽くすために、お互いに信頼をつくる
行動をする。
 そうゆうよい相乗効果を生むように、信頼をもって接するし、逆に監督の立場として選手に、真の信頼をもってもらう行動をする。時にはリーダーとして失敗のリスクを取る。
 そういう選手同士、選手-監督との信頼関係を作り上げる素量が、リーダーの力だと仰っていると理解しておりますし、その素量が足りなければ、チームの根は薄く弱いものにしかならないでしょう。
 確かに、野村さんの場合は、お互いの立場で、最善をつくすために必要なことを、頭を使って考えなさい、お互いにそれを生かしなさい、というやり方ですね。

 私は個人的には、短期的なタスクフォースでその場しのぎばかりやっていては、だめで、タスクフォースのアクションをマル投げ的ではなく、お互いに理解をして、チーム全体として、長期的に根を太く頑丈につくりあげるというやり方の方が好きです。

 プロだから、個人を金で呼んでというチームが、必ずしも上手くいっていませんよね。
呼んで上手く行ったチームは、呼ばれた選手がが、個人の力以外に、チームとして周りによい影響を与えるといった場合ですね。

 チームの補強というと、その場しのぎと、長期的に樹を頑強にしていくためでは、一見アクションは似て、本質は大きく非なるものであります。
 最近思いますが、世の中の考え方としてこの辺を勘違いされていないかです。

2010年10月22日金曜日

逃げてるか?! 大きなお世話

私は、幸か不幸か、元の職場に復帰して、1年近くになります。

私なりに、前と同じ事をしては、またもとの木阿弥になるとは、常に意識しながら
やってきたつもりです。
 もちろん、組織の中で働くということですから、査定については公平に受けるのは
正しいでしょう。
 だから出来る限りのことをやっても、低くてもそれは承知のもとです。

この病気に完治という言葉は、現在当てはまらないとは言われております。
きちんと、自分と向き合って、じょじょにステップアップしてという形を繰り返すわけで
平均して、普通になるまで、数年単位とも言われています。

正直、その辺は受け入れる側も、受ける側も お互いにGIVE AND TAKEであり、
お互いにリスクとメリットを合意の上で、職場復帰することが正論ではあります。

そんな中、私にとって一番困るのは、病に倒れる以前のつもりで、理不尽な要求を迫られる
ことです。
 これは、正直に今の状況を言って、納得の上で今出来る範囲のことを整理してもらって、
出来る範囲のことをひきうけるしかありません。
 
 以前の私からみると、はたからみると、ある意味冷たいとか、逃げていると勘違いされることも
残念ながら、未だに多々あります。
それが、人をマネージメントする側の人間から、そのように言われると
 はっきり言って、腹立たしく思うと同時に、理解の無さに愕然とすることのほうが多いです。
そのときは、必ず、冷静に、「もしあなたが、私の状況だったらどう思いますか?」

そういうと
「すみませんでした」とは一言いいます。
ただ、この状況が慢性化しているのも事実です。

一度すみませんで事が済めば、警察いらんわな!、問題の本質は、マネージメントする側の立場と
して、もっと大事なところにあるんじゃないですか?

 だから、毎年同じ問題と課題を繰り返すわけですよね。
 貴方の立場で、現状の問題は、どこにあるって考えているんですか?
もしそれに目を背けるのであれば、貴方自信が自分の立場でやるべきことを放棄している
ようにしか思えませんが、、、。」ってきつく叱責します。
 
病になる以前から、その方は直接の上下関係でなかったですが、知っていました
正直、そういうマネージメント面で、あんまり信頼というのを感じない印象は持っていました。
というのも、きちんと自分の立場でリスクを受けるというのを、感じなかったからです。
 以前、その部下の方の応援をしていましたが、当事者意識というのが薄いというのが
第一印象で、その部下の方は、きちんとリスクに立ち向かって
優秀な成果を出しながらも、惜しくも退職されてしまいました

 要するに、肝心なところは人任せで旗振りだけ、太い根というのを感じないマネージャーと
いう感じです。

今の私はあまりそうゆうのは気にしないでやっています。
ただ、こうゆう信頼関係の中で本当に職場復帰してよかったのか?と考えさせられます。

 正直、以前の期待されるパフォーマンス、特に体力勝負や精神論だけの依頼は、
以前と同じことは期待できないですし、無理をするとお互いに苦労する羽目になるだけです。

 だから私は、力勝負では勝てないならば、やり方で勝負するしかない訳で、その策を提言しているわけです。決してリスクを避ける逃げ道を作っているわけではないですよ。

 それを逃げている?と感じられるのは、非常に心外ですし、信頼関係なんて崩れます。
実際にそれでも最大限無理して、体調を悪くしている事実もあるわけですし。
 そんなこと、貴方から言われる筋合いもないとも思います。

私としては、やっぱり1年もブランクを明けてしまって、元の職場復帰するというのは、
意欲があっても1,2年が勝負かな?とは思っていました。
 今の大きなテーマ、できるかできないかは神のみぞ知るような内容ですが、
一生懸命やることと、メーカーの開発者としての意義というのが、
だんだんかけ離れていく気を感じておりますし、歳も若くないし、そろそろ次のことを考えましょうか  

2010年9月2日木曜日

怖い猛暑での出来事

今年の夏は、とにかく暑いです。
日が出ている時だけならば、まだしも、いわゆる熱帯夜という
非常に堪える日が多く続きました。

こんな時は、寝るときに熱中症にならないように、気をつけなければなりません。
熱中症というと、お日様が出ている時だけというイメージがありましたが、
とんだ勘違いのようです。

 今年の夏のように、夜も蒸し暑い状態ですと、寝ている間に、汗で水分が不足し
脱水症状になりうるからです。

 実は、私も先月、仕事帰りの夜、熱中症で夜間病院にお世話になってしまったのです。

その日は定時まで、普通に仕事をして、1時間残務処理をしていた時でしたが、
定時後は空調を止められることで、じょじょに、フロアの温度、湿度が上がってきてくる状態でした。
 
その日は、朝調子が悪い時でしたが、定時まではなんとか普通に働いていました。
しかし、フロアが蒸し暑くなってしばらく、突如 悪寒が全身に走り、
手足の震えが起きるようになりました。

 あまりにも気分が悪く、眩暈もおきるようになったので、なんとかゆっくり医務室に向かいましたが、あいにく定時過ぎで産業医が不在。
その場で、とにかく体温だけを測ったところ、38℃後半と、びっくり、
インフルエンザにでもかかったような体温。
 動悸や耳鳴りもするし、一体なにが起きたのかを思うばかりでした。

 しばらく休んで、なんとか帰宅し始めましたが、帰宅途中も暑さが残り
意識がもうろうとしつつ、やっとの思いで家にたどり着きました。
 しかし、家の中も、西日で熱気が残っていまして、とても休める状況でなく
とにかく直ぐにタクシーを呼び、夜間病院に直行しました。

病院では、問診や診察で、風邪とは違う症状で、体温が更に39度まで上がっていたということで
熱中症の疑いと診断されました。

 しばらく、そのまま実家で休養し、体温も元に戻り、事なきを得ましたが、
改めて怖さを実感しました。
 後日、かかりつけの医師にお伺いしたところ、熱中症になるとき、血流が悪くなって
手足など末端の血の巡りが悪くなり、酸欠状態になるので、痺れや眩暈が起こるそうです。

長期間この状態が続くと、最悪は脳梗塞など後遺症になる場合もあるそうです。
私の場合は、もともと血圧が高めということもあるので、特に気をつけないといけませんね。

2010年8月10日火曜日

原爆投下の日、エンジニアとしての戒め

今年もそろそろ、太平洋戦争の終戦記念日が近づいてきました。

その前に、広島、長崎の地で原爆が投下されたことは、子供の頃からずっと
式典を含めて、知らされております。
 1945年当時の実体験を知る人々も、60年以上も過ぎて段々伝えられる人も
少なくなってきていることも事実です。

私は、広島に一度、長崎に2度行っていまして、原爆資料館にて、被害の大きさが
どんなものかを、改めて知らされたことを記憶しております。

原子力や、核反応技術の利用については、様々な意見があるかと思います。
私は決して全てを否定するつもりはありません。

ただ、事実として、本来この研究が進められた目的は、武器としてではなく
産業革命など、人類が生活するために、電力や動力などエネルギーが必要になってきた
状況下、より効率よくエネルギーを得る手段として研究がされたはずであります。
 またその、基本となる科学的要素は、物理学の本質を追求する目的での過程
そのなかの一つであったことは事実であります。

私のようにメーカーのエンジニアとしての立場は、世の中の生活をよりよい付加価値として提供すること。
 その結果、付加価値を使われる方々からの評価として、信頼を得られるのではないでしょうか?

そういう意味では、どんなに素晴らしいものであっても、扱い方を間違った方向に向けてしまうと、付加価値を提供するどころか、人々の生活を阻害するものにもなりえるという、2つの面を持っている。
 このことを、この時期になると、いつも、ある戒めとして考えさせられます。
仏教では、人が生きることは、必ず魂あるものの犠牲なくてはありえない。
それが生まれながらにもつ罪の部分である。
との教えがあります。

 ある意味、人間のエゴや奢りが強くなってくると、もともと持っている2つの側面のうちのどちらかしか、考えられなくなってしまうのかもしれません。
少なくとも、今できることは、エゴや奢りが正当化させてしまったことは事実であるし、同じ間違えを繰り返さないように、2つの側面を理解して、きちんと伝えていくことなのかもしれません。

2010年8月7日土曜日

初の大腸内視鏡検査に挑戦

私は、いわゆる胃カメラ(上部消化器内視鏡)は、何度か検査を受けたことがあります。

過去に不調の要因の一つでもあった、胃潰瘍の発見などで助かったことが多くあります。

胃や食道などは、異常があるとなんらかしらのサインが、すぐに自覚症状として
わかりやすいとも考えられます。

ただ、日本人の癌で命を落とすケースで、最も多いのが大腸がんだそうです。
というのも、自覚症状があまりないまま進行、転移してしまい、手遅れになるケースが
多いからだそうです。

そんなこともありまして、自分も長く健康を維持するために、気をつけないとと
いう訳で、初の大腸内視鏡検査を受診しました。

当たり前のことですが、検査の前に腸内を空っぽにする必要があります。
当然朝食は抜きですが、更に朝から下剤で喉からからになる状況にしなければなりません。

検査は午後からですが、空腹と喉の渇き、今の時期の暑さといい、病院に行くまでふらふら状態と
なかなか辛いものがありますね。(病院が近所でないので、電車で行くことでした)

いざ検診、まずは、胃からですが、これは何度か経験もありますし、麻酔によって何も苦もなく
終わりました。
 今度は大腸の方ですが、麻酔をしていても、明らかにおなかが張って苦しくなる状況は
感じました。
 それだけ大腸というのが、長いものである(身長の何倍もの長さとも言います)というのを
実感します。
 実際いろんな話を聞くと、医師も腸内の壁に内視鏡をぶつけないように、移動していくのは
いろいろ訓練が必要なようです。
 
 検査が無事終わって、麻酔が解けるまで休息となるわけですが、麻酔が解けたとき
思いっきりおなかが張って苦しいのと、何かおなかの中で、ちくちくする痛みの感触を感じました。

おなかが張るのは、前述の通り、腸内に空気を送り込んだ結果ということで、
がまんせずおならを出してくださいとのこと。
 ちくちくする痛みは、どうやら一箇所腸内ポリープがあり、切除したとのことでした。
止血剤がありますが、しばらくは傷が残る状態とのこと。

ポリープの組織は、良性悪性は、後日検査でわかるとのこと。
検査で治療行為の可能性があれば、それなりに費用がかかるということでしたが
なにより、早めにわかってよかったと考えることでしょう。

正直なところ、早めの検診で早期発見できることが大事ですが、そう何回もとは行く気には
まだ成れないところ。

この結果を元に、普段から不摂生を見直し、適度な運動と、バランスとれた食事、きちんと睡眠をとる、衛生面に気をつけることで、予防するのが一番かと、そう思います。

 私は受けたことはありませんが、最近はカプセル内視鏡という、薬大の大きさの胃カメラがあります。
 ただ、カプセルの位置は、体内の流れに任せるしかないと聞きますので、じっくり観たいところが
きちんと記録できるのかと言うことはよく聞きます。

 健康の一番に効くことは、予防ですね。 

まだまだ完全復調とは言えないけど

うつとは、心の風邪とも言われます。
 だけど、実際心にあたる、判断、思考などは、脳の中の働きが作用している
のだと思っております。

 だから、脳神経を休みなくフル活動させすぎて、疲れてしまっている状態と
一般には言われますし、治療には心身の休養が、まず大事なことだと言われます。

 これは、何も考えずに行動することができないのが人間という生き物だから、
だから、治療に時間がかかるのかもしれません。

 私もそうですが、休養して元気を取り戻すまでに、一つ大きな壁があります。
それは、いつも忙しい中で、急に、何も考えるなと言われても、このままでいいの?
という葛藤があるからです。

 これは、自分独りで解決できるものではなく、周りの理解を得られるまでの壁があります。

 次の壁は、回復したら、どうするか? ある意味社会復帰への壁があります。

 一社会人として復帰するわけですから、ある期間ブランクがあると、それなりに
思考や判断、行動など、一つ一つ取り戻していく訓練が必要なのです。

 ここでは、「以前はすぐにできたのに、、、。」「なんでこんなことが、、、。」というもどかしさ
との葛藤があります。
 当然周りも以前を知っている側から見れば、厳しい見方もされます。

 大きな組織となれば、社会復帰は自分の意志で決めたことだから、健全者と同じ土俵で
パフォーマンスが比較されるのは当然のことですし、それなりの評価を貰うのは
ある意味公平なことと、今冷静になって、自分では理解しております。

 なぜならば、企業というのは、社会復帰訓練の場ではない、それが本質だからです。

 ただ、やはり社会復帰は急にはできない、少しずつ元に戻して進めるというのが必要だ
ということを、自分から組織へ状況を正直に伝えること、組織の中で、それを認めあうこと、
それが一番大事なことだと思います。

 確かに生活がかかっている訳で、焦る自分もありますし、組織として求められるものと
いうものもあり、そのへんの折り合いがつかないケースもよく聞きます。

そこにも、個人と組織の間でのクリアしなければならない壁があります。
 
 元に戻るのに時間がかかるけど、それでも社会復帰したい個人の意志を、組織が尊重するか
ということが重要なのかもしれません。

 それにはパフォーマンスが元の半分ならそれなりの公平な評価でも、個人が、公平なリスクとして受け入れるべきことなのかもしれません。

 ある意味、個人、組織がお互い話合いをして、メリットとリスクで合意できない状況ならば、
無理に元の仕事に、戻るという決断をしないほうがよいかもしれません。

 バブル景気の頃は、別に代わりが幾らでもあるからという、俗にいうブラック組織というものが
ありましたが、まさにそんな組織は長続きしないわけです。

 ちなみに私は、元の開発職というものに戻って一年半ほど、続いています。
確かに、求められている成果と言う意味では、同年代に比べても、元どうりとは言えない状況です。

 でも、それで評価が低くても、自分自身で認めなくてはいけませんし、自分自身の状況、どこまでやれるかを伝えなければなりません。

 そんな中でも任せられる任務がある訳だから、長い目でそれなりの価値はあるのかもしれません。
 
 自分では、大分復帰したつもりですが、なかなか、まだまだ至らない部分があります。
それは、誰もが難しいですが、マネージメントや判断する思考などです。

 いろんなメンバーがいるわけですし、忙しくなると、毎日のように、複数の作業の優先順位を
判断してアクションを求められることもあります。

 こればかりは、なかなかヤマをはるような博打的判断でないかぎり、自信もって即断即決には
できない部分があります。

 私は聖徳太子のように、いっぺんに複数のことを、聞き分けて行動はできません。

 でも、そんなとき一番すべきことは、焦ってパニック状態へ混乱しないように冷静に考えることです。

 それを焦って頭の中で全部やろうとすると、自分でパニック状態に陥るのですから、それを
補う、自分なりの最適な手段を考えなければなりません。

 私の場合は、必ず「ちょっとまって!」と言って、メモを取るようにしています。

また、逆に相手の言うことは、こうゆう事ですか?とメモに書いたことを合わせて、聞き返すように
しています。

 急いでいる相手には、もどかしく思われることもありますが、お互いの勘違いでパニックになること
や、誤った判断への防止にもなります。

 また、自分や相手の発言の中で、事実と推論を分けて、メモをとるようにします。
もちろん、事実程、どんなに素晴らしい推論にも勝るものはないわけです。

 決して定量的な結果だけではありません、そのなかで表現が難しい定性的な事実もあります。

でもそこで急いて、推論だけで結論を出すのは失敗の素。

 一番確実なのは、同じ現場を見てみて、状況について質問しながらメモして把握することです。

 確かに創造スピード競争がパフォーマンスに求められる時代ではあります。

でも、上手にスピードアップできるのには、それなりの理由として、地に足がついた
作戦と根拠があるわけです。

 急いては事を仕損じる。急がば廻れ。失敗は成功の素。
古くから、偉人たちが残した教訓や明言が、今だに語られるのは何故か?

 それは、建物を立てる際に例えれば、基礎を支える地面を固めることをしないで、家屋を
立てれば、不安定なものになってしまいます。

 遠くの目的地に行くにも、最終地点という大きな目標位置と、途中経過の目標とする
経由地を決めていきますね。途中で間違ったら、慌てず
どこまで正しい地点かを振り返ればいいのです。

 その中で、途中でどう失敗したのか、それを克服するにはって、考えて記録して、後で
もう一度生かせるようにすればよいのです。

 地味なことですが、基本がなければ、根拠ある逆転の発想は生まれない。
決して、手堅いとか挑戦しないという消極的な考えではありません。

何かを挑戦してには、それなりの作戦や備えを、一つ一つ積み上げて、見直していくこと
それを繰り返しやっていくことで、新たな発想が生まれるのかもしれません。 

2010年7月25日日曜日

うつとは何が起きているのか?

ある書店で、「東洋経済」という雑誌を手にしました。
そこには、「うつ」の現状、社会復帰などの現状が特集されておりました。

その中の記事で、ちょっと気になる内容がありました。
若年性の鬱に見られる傾向として、少年、青年期での、社会性、協調性での我慢
をあまり体験してない中で、耐ストレス性に欠ける傾向があるとのこと。
強い精神的な我慢や、ショックを和らげる手段や余裕を得ていないとのこと。

確かに、その部分はあると思います。
但し、当事者の私から言いますと、それだけではないのでは。

社会の取り巻く環境として、より短期間で、(通称何倍速でとか言う経営者もいます)
確実な効果を得られることが、求められています。

おそらく、10数年前と比較して、1時間あたりの業務量、質とも数倍以上に高まっています。

要するに、受け入れる側の懐の深さが浅くなっていることもそうですが、それ以上に
余裕が無い状況になっているんではないでしょうか?

以前、産業革命を風刺した、チャップリンの「モダンタイムス」という映画がありましたが
方法や内容は細かいレベルでは、違いますが、本質的に、休める余裕がない状況に
迫られていること、そしてある意味強要させている部分であることには、何も変わっていない。
そうゆう歴史は、繰り返しているだけかもしれません。

水泳で、長く、早く泳げる人と、そうでない人といます。
どちらも、そうはいっても、息継ぎなくては泳ぎ続けられないのです。
 早く泳ぐには、息継ぎの間に、効率よく推進力を働かせることができることが必要
なのです。
 初心者には、早く泳げと言われれば、無駄に力を使ってしまうかもしれませんし、
息継ぎする余裕すらなくなって、結局溺れてしまうかもしれません。
 そこを克服するには、訓練の積み重ねが必要なのです。

 スポーツの一流アスリートでも、大きな大会で、普段のパフォーマンスを発揮できないことも
よくあります。

 実力者でもそういうこともありますし、また逆に番狂わせとなる場合もあります。

何がいいたいかと言うと、人間とは、フィジカルな体力と、それをコントロールするメンタルとの
協調やバランスがとれることが、最大のパフォーマンスを得る条件になります。

 ある意味、バランスがずれて戻そうとしても、うまく元に戻れなくなった状態に陥って
しまう。それが鬱状態の一つかもしれません。

ここで、打たれ強いのが本当に良いか?必ずしもそうではありません。
自分のストレスを、他人に発散させて解消させているような人も、中にはいます。

人への配慮に鈍感になってはいけない。個人には個人なりの特徴があるわけですし
組織プレイで最大の効果を得るために、個性をうまく生かすマネージメントというのが
大事なんではないでしょうか?
 それを見つけるためには、普段から、きちんとお互いに話をすること、腹を割って
話せる懐の深さという関係を作れること、それが大事なんじゃないですか

暑い、寝苦しい。だけど寝不足には注意

梅雨が明けました。!

という訳で、昼間は晴れ晴れなのですが、今年はとにかく日差しが強いです。
そして、ヒートアイランド現象なのでしょうか?
 昼間だけでなく、夜も熱帯夜の日が続きます。

暑さから疲れを溜めないように、きちんと食べて、睡眠をとることがより
大事なことですが、なかなか暑くてとか、クーラーをつけっぱなしで、調子悪くなるとか
いろいろ、落とし穴があります。

食べる方は、食が細くなりがちです。
だけど冷たいものばかりだとだめなので、新陳代謝が滞りますので
身体を中から温めるもの(スープや味噌汁など)で、汗をかくことも大事です。

睡眠、これはなかなか大変ですが、私に一番あっていたのは
昔ながらの知恵、氷枕を使うことでした。

首筋は、太い血管が通りますので、首筋を冷やすことは、身体全体に
徐々に冷気を循環させることができます。

また、氷枕は体温で、段段温度も上がってきますので、冷えすぎない程度に
なるようです。

暑くて眠れないと、昼間に睡気がでてしまうので、特に、車運転や
危険な作業などは、要注意です。
なんとか暑い夏を、快適に過ごせれば、そんな気持ちです。 

2010年7月12日月曜日

ゆっくり休息できるかも

昨日は、選挙の開票速報、そして今朝はFIFA W杯決勝と
なにかと、暑い夜に騒がしい状況でした。

私は、夜更かししていたわけではないですが、ここ数日
何かと話題は、W杯の試合が多かったです。

とにかく、どのチームが決勝まで残るか、番狂わせもありました。
だから、観て楽しいと思えます。

そんな、ブブゼラのように夜中の騒々しさから、やっと開放された気がします。

それにしても、蒸し暑い

おまけに、先週の風邪の影響が堪えてきましたね。

気をつけないと

2010年7月11日日曜日

さあ、投票に行くか!

今日は、参議院選挙の投票日です。

いつもなら、土日の都合で、期日前投票することが多かったのですが。

今回は、正直今でも候補者を決めかねる状況にあります。

なぜならば、各候補者が、現状の問題点のどこに主眼をおいて、どのように
なにを実行していくかと言う部分に、中身が薄いと感じるからです。

それこそ、党の問題とか、政府役人と議員との問題とか、問題点は掘り返せば
いろいろある。問題はそれをつつくことですか?

国会の本質は
国民主権の代表者が、日本を良くするために、法律などを提案修正などを議論して
行く場ではないですか?

 その議員の中から、政府代表となる首相が選ばれるのが、議員内閣制で、行政のまとめ役ですよね

 私は、党とか関係なく、今の日本の現状を正確に把握し、良くするためにどのような
アクションを考えているかがはっきりされている方に、一票を投じたいのだが、
マスコミ報道などでは大分論点がずれている気がする。

だから、政見放送よりも FIFA-WCUPの放送のほうが、みんな興味があるんでないですか?

2010年7月10日土曜日

なんとか復活!?

原因不明の、発熱、悪寒に苦しめられましたが、
ゆっくり休養することで、なんとか復活の兆しです。

夏風邪は、治り難いと言われますので、要注意ですね。
ここんとこ、運動不足気味なので、休養と、病気に抵抗力をもつ体力をつけることの
バランスが大事ですね。
 一日10000歩目標ですが、なかなか難しくなりましたね。
何をしようかは、考え中、また水泳を復活させようかしら?!

2010年7月8日木曜日

いい天気だったけど、原因不明のダウン

FIFA W-CUPも準決勝となり、俄然白熱した対戦が披露されております。

私も、夜中見たい対戦でありましたが、まだまだ不摂生は禁物でありますので

録画で楽しむ次第であります。

最近、どうしても、仕事が夜遅くまでになることが続きました。

まあ、原因の半分くらいは、自分の計画にあるのだから、致し方ないところはあります。

 最近は、どこの企業もそうですが、残業しない計画で進めるのが前提となって
いますので、残業時間は、空調が切られる訳です。


私のオフィスもそうですが、高層階にある関係で、窓を開けるわけにも行かない
状況です。


 晴れた日は、なかなか厳しいので、とっとと帰るに限りますが、それが出来ないときは
とにかく水分は欠かせません。

ここんとこ、そんな状況が続いておりました。


 そうはいっても、遅くなっても夜更かしせず、あまり夜中に食事をしない等で
なんとか、以前に比べて、体調は維持できていました。






 ところが、今日は、朝は大丈夫でしたが、職場にきて1時間くらいすると、
急に悪寒が、そして関節が痛く、頭痛がするようになってきました。


原因は全く不明です。
お昼まではなんとか耐えられましたが、さすがに辛くなって午後、とうとう医務室に駆け寄って、体温を測ったところ、38度。




 急遽早退し、自宅で氷枕で休養です。


現在、大分、汗をかいて、よくなって来ましたが、まだまだ頭がボーっとします。


少しずつだましだまし回復してきましたが、まだまだ気をつけないといけない


特に、季節の変わり目は、改めて思いました。

2010年6月5日土曜日

人工衛星はやぶさ帰還への期待

久々の投稿です。

またまた首相の辞任劇があったり、いろいろ後ろ向きな状況が続いております。
もしも私がその立場だったらとして、いろいろ言いたいこともありますが、
それは別の場所でと思います。

一部関心がある方ならば、ご存知かと思いますが、JAXAが小惑星のサンプルリターンを
試みていた、人工衛星「はやぶさ」の動向についてです。
 
一時は、満身創痍の状態で、軌道修正が困難であった状況が続きましたが、
なんとか、今月中旬に、地球へ帰還する見込みができたそうです。

アポロ、スペースシャトルや、ソユーズ、中国の有人飛行船の実績だけをみれば、大気圏外に
一度出たものを、帰還させること事態は実績あることかもしれません。

ただ、今回のものは、それらとは軌道が全く異なり、地球との距離も相当離れたものであります。

人工衛星は、当然無人探査機であります。
地上との交信は、電波によって行います。電波の伝搬速度は、光と同じく、約一秒間に
地球を7周回半する速さであります。
 ところが、はやぶさの場合は、最も遠いところでは、送信受信の往復で数分程度かかるところにあります。大きな問題が衛星にあっても、地上が気がつくまでには手遅れになるケースもありえます。
 そんな状況だからこそ、困難を乗り越えて、帰還の見込みが立つようになったことは
一つの大きな期待があります。
 はやぶさがもたらせた、科学的な成果は、どんなものになるかは全くわかりません。
ただ、それを実行するうえで、一つ一つ過程をきちんと奮闘した結果であるならば、
結果には、無数の可能性をもってくると思います。
 喜ぶのはまだもう少し、じっと見守っていたいところです。

2010年3月23日火曜日

就職内定率80%って

 先日、日本の高校生や大学生の就職率が、80%を切ったとの報道がありました。
割合で見れば、5年前や私が就職した13年前の氷河期と呼ばれた頃と、同水準ですが、

 その時とは分母の人数が違う訳です。ただでさえ学校が定員割れになり経営が厳しくなっていた
世代ですから、企業が受け入れられる採用人数も、本当に狭き門になっているわけです。

 右肩上がり時代の就職協定は、過去のものになった現在、大学生では、3年次から企業周りを
始めることが常識になりつつあります。
 私もその世代を相手に、面談をしたことがありますが、「学校で学んだ専攻で、どの教科や分野が得意、または興味がありますか?」の問いに対して、「専門教科はまだ受けたばかりなので、とかまだゼミや研究室を決めてないのでわかりません」ということが目立ちました。

 ちょっと絶句だったですが、気を取り直して質問の仕方を変えました。「どうして学校に入って、この専攻を受けたいと思ったのですか?、それを生かして、5年後、10年後どのようになりたいと思っていますか?」と。
 意外にも、真意か、建前のせりふか、それなりに答えられる人が多かったのです。

 後で知ったことですが、面談を受けた人は、書類選考の結果で来られた人ばかりだったのです。
うまく早期に内定を取り付ければ、後は勉学に研究に力をいれればよいですが、ここ最近は
3年生から活動して、卒業前まで就職先探しされている人が多いのが実態です。

本来、大学等は、就職斡旋機関が目的ではない訳です。
 そのためか、最近入社される方に目立つのは、本質を深く考える部分や、おかしいと思ったことに疑問を持たない傾向があります。口癖は結果はこうなるはずだから、、、。
 広く浅くで、経験が薄い部分だから仕方ないですが、目先の結果ばかり追わされている結果なのかもしれず、若いのに残念に思います。

 私は自分が新人だった頃に、周りの人に恵まれたのかもしれません。お陰で、相互理解をもってご指導いただいたり、いろんな経験をしたり、失敗しても一緒に考える時間を作って貰えました。

 私が現在、その先輩と同じ年代や立場になった時に、その経験を元に、後輩への動機付けや相談などで、組織になじみやすいように恩返しをしております。

 いざやってみると、結構辛抱があることですが、人はそれぞれ考え方が違いがあり、自分の価値観を押し付けるのではなく、「なんでそう考えたの?」って聞く耳をもちますと、なかなか面白い。
「人に教えること=自分が教わること」だと思って楽しんでいます。

 そのように、血の通ったマネージメントは、結果を急ぐ次代にはそぐわないのかしら?

私の提言ですが、企業は即戦力で、必要な知識や経験を求めるのであれば、在学中から
卒業見込みで就職活動を受け入れるのではなく、ちゃんと卒業できた人を募集すべき。
 企業に興味がある人のために、在学中に職場経験を受け入れ、年の近い社員が一緒にフォローする門戸を広げるべきではないでしょうか?

ドイツやフランスでは、卒業してから職を決めるのが当たり前になっています。

 また、採用試験などでお断りされた際は、きちんと理由を伝えるべきです。
あくまでも、その人の人格を否定するわけではないからです。

 そのことが、企業と学校のお互いの質を上げていくのではないでしょうか?
現在は、どちらも質が落ちる一方で、生産人口が増えず悪循環です。
 

2010年3月18日木曜日

ラグビーが好きなのは

私はいろんなスポーツを、やるのも観るのも好きです。
最近は、体力温存で観る方が多くなりましたが、、、。

 その中で、特にラグビー競技に魅力を感じております。
日本では、社会人チームの運営や、競技人口の低下も聞かれますが、
ヨーロッパや、南半球ではプロチームとして盛んであります。

何故魅力を感じるかというと、大きくまとめて 以下の点です。

1)競技ルールや、楕円形ボールのため、攻撃で前進することが容易でないこと
2)チーム15人の中で、いろいろなタイプの選手が、連携してチームを組み立てていくことや
  得点するチャンスがあること。
3)タイムアップ(試合終了)に伝えるメッセージが「No Side」であること。

1)については、ルールが難しいとも言われますが、ボールを持っている人が、前方に投げて
見方にボールを渡すことは反則。
 ボールをキャッチする時に、前にこぼして落としたら反則。
 だから、パスを出すほうも、受けるほうも、ボールを取り易いように投げるし、受けるほうも
投げやすいように工夫します。

 また、ボールを持つ選手より、前進した位置で攻守に参加するのは、オフサイドの反則になりますし、タックルされて地面にボールをついてしまったら、ボールを放さないと反則ですから、
ボールを持っている選手がタックルでつぶされても、直ぐに後ろから見方が繋いでいけるように
援護射撃していきます。

2)については、攻撃でマイボールを前進するには、自分で先頭になって持っていくか、モールやラックと呼ばれる見方で集団を作り前に運んでいくか、不確定な回転をするボールをパントと呼ばれるキックで蹴り出すしかありません。

 だから、攻撃もいろいろなパターンもあり、俊足を生かしてタックルを振り切って攻めるパターンや、集団で壁をつくり押し込むパターン、相手の守備を上手く交わすように、後方から援護射撃のようにボールを受け渡して攻めるパターン。
 それらをやると見せかけて、フェイントで相手を揺さぶるパターン等、15人のチームプレイが欠かせない訳です。
 チームによっては、攻守パターンに特徴の差がありますが、基本的に15人の選手全員が得点できるチャンスがあるわけですが、個人技だけではなかなか通用しないことも競技の特徴だと思います。

3)については、ゲームが終われば、勝負に関わらず、恨みっこ無しよの精神です。
 確かに、一試合終われば運動量も沢山ありますし、ぶつかり合いもありますので、
80分間やり遂げたという感覚なのだと思います。

 ラグビーを例にいろいろ考えさせられるのは、組織として何かを成し遂げるために、必要な考えが詰まっているのかと、改めて思ったからです。

 なんとなく私が最近感じることは、個人の専門性や能力を悪い意味で固持してしまう方が
多いのかな?と言う事です。
 極端な例では、「それは私の専門外なので、何もわからないし、できません」といわれるケースです。だけど、お客様に付加価値をつけて提供していく目標となるものやことは、一緒なのですが。と
思ってしまいますが。
 やっぱり、目の前が精一杯で、冷静に見る余裕がなくなってしまったのでしょうかね。
仕事などの依頼の仕方を見ても、泥団子をぶち込むようなこと、いわゆる投げっぱなしのメクラパスや、上位からの依頼を、何も噛み砕かずにスルーパスや、ダイレクトパスっというのが目立つのですよ。
 結果至上主義の弊害なのでしょうか? それともデジタル的な思考偏重なのでしょうか?つまらないですね。

2010年3月15日月曜日

春霞、でも花粉症には堪えますね

 今月になって、急に気温が温かくなったり、かと思えば名残り雪が降ったり。
いろんな意味で慌しいこの頃です。

 ちょっと前まで、早朝は富士山が良く見えたのですが、ここ2、3日は、晴れ間でも空に
春霞がかかり、姿を現せないようです。

 春霞には、大陸から運ばれてくる黄砂が、昔から知られておりました。
ただ、東京都内などでは、黄砂よりも杉花粉のほうが影響が大きいかもしれません。

 私も花粉症ですが、寝るときも鼻水で鼻がつまり、よく眠れないこともあります。
春眠暁を覚えずと言われますが、今はそうは行かないようです。

 実は、黄砂も杉花粉も、自然になったのではなく、先人の人為的な施策がもたらした、
後世にわたる大きな副作用となったと言われます。

 中国大陸のタクラマカン砂漠も、数千年前までは、草木が生い茂る森林であり、当時の
皇帝が、急激に伐採をしたことが、砂漠化になったとのこと。
 杉やひのきも、高度経済成長で、家屋建築で木材の需要を確保する目的で、大量に植林
されたのですが、気が育つ時間まで、日本経済が右肩上がりであると誤算があったのでしょう。

 人間が自然の中で生き抜くための欲というものがあります。ただ、自然が起こすエネルギーは
到底人間だけでコントロールできるものではないことは、明らかなことです。
 目先の欲に捕らわれて、人間が自然を支配するという部分が現われると、ご覧のような大きなしっぺ返しを被るのです。
 地球環境問題もそうですが、自然現象とは、おそらくわかっていないことの方がまだ多いのではと
思います。だから、現在も科学者が調査する理由があるわけですし、自然現象とうまく協調する姿勢と言うのが、今後環境問題への一つの道筋かと思います。

2010年3月11日木曜日

2010年も、3月になりました。

つい最近まで、まだ冬の寒さを感じるこの頃でしたが、いつの間にか3月になってしまいました。
一月が新春と呼ばれるならば、気温が暖かくなり、草木が芽を出すころで、本当の春の季節なのかもしれません。

 日本では、風習で、学校や企業なども、3月末が一年の区切りとしております。
そのため、3月末から4月初めは、別れと新しい出会いがある時期ともなります。

わたしの処遇には、特に興味は持っていませんが、よく考えれば、病気から復帰してなんとか
一年持ったのか。というのが、正直な感想です。
 私のような症状に陥った人は、再発率が50%程度あると言われております。
本人の対応や、周囲の理解が得られなければ、なかなか回復が厳しいともよく言われます。

 私も、復帰が難しいことを、この一年身を持って実感しました。
 半年過ぎた時点で、不幸にも徐々に発病前の業務負荷に近づいてきたわけですが、
自分ができると思っている程、心身への耐性が備わっていないことを、身をもって実感しました。
自分でも気がつかないこともありましたが、一息ついたときの倦怠感が警告として表れていました。

食事も、腹八分目が丁度良いとも言いますが、生活についても同じでした。

以前できたことができない、ジレンマも多少ありましたが、自分が思っている程、周りはそれ程
気がつかないことが大半です。もちろん信頼関係が無いとは言いません。
 
 多少ネガティブに思われても、自分からアテンションを出さないと、結局もとの木阿弥になる。
これは、マネージメントする側が経験者で無い限りは、本当にそうで、自分や主治医の判断を元に
念を押してでも、伝えなければならないと実感しました。
 
 前向きに考えれば、今の状態で健康に生活するには、どうすればよいか?と考える切っ掛けにも
なったのかもしれませんし、いろんな観点で考えて手段を工夫すればよい。そう考えるようになりました。
 これからどのような将来があるかは、誰もわからないことです。ただ、一年も病に襲われたこと
それが、結果として良い面が多かった。と言えるようにしていきたいと思っております。

2010年3月8日月曜日

夜行列車

今月中旬に、JR各社でのダイヤ改正が行われる予定です。

また歴史ある夜行列車が廃止になってしまうことが、決まりました。

上野発金沢行きの寝台特急「北陸」号と、夜行急行「能登」号です。

個人的には、北陸新幹線が、長野から金沢まで延長するまでは、残るものだと
思っていましたので、意外でした。

 まあ、ダイヤ改正の本来の目的は、乗客の安全と快適さを
最優先に考えて、変更するわけですから、現状の夜行列車の設備の老朽化や
乗客の需要の低下、夜間に安全に運行することの維持を天秤にかけると
採算が取れなくなってしまったわけですね。

 夜行列車は、新幹線や飛行機が運行しない時間帯に、目的地に辿りつけることや、鉄道の
定時の正確性の高さがメリットかと思います。
 特に寝台列車は、身体を横に伸ばして寝ている間に移動し、朝一番に目的地で行動できることで
便利ではありました。

 ただ夜行高速バスが、同じ時間帯にあることと、運賃の違いを考えると、コストパフォーマンスで
負けてしまうのかもしれませんね。
 お金で時間を買うか、同じ移動時間ならより安く、の2極化の時代の流れでしょうか。

 私も、学生時代や、社会人になったばかりの頃は、「夜行列車」には何度かお世話になりました。
鉄道は、車外でのレールと車輪の走行音は、大きいですが、不思議と車内では、心地よいリズミカルな音で、ゆっくりした乗りごごちとあわせて、よく眠れるといった感じでした。

 特に「寝台列車」は、消灯前に、初対面のいろんな方と、「どちらへ?」から始まって、お話しをしたり」、朝起きると次々と車窓から綺麗な眺めが移り変わって行ったりとか、独特の良さがあったことを覚えております。
 
 時は平成の時代、ワールドワイドでスピード競走の時代、「夜行列車」のような悠久の時間を過ごすなんて、時代遅れなんでしょうね。
 ハイテクでスピードが速くなっても、心の余裕まで無くなって欲しくないと思うこの頃です。

2010年3月7日日曜日

エコポイントで経済効果?

我が家にある、HDD-DVDレコーダーが故障してしまいました。
症状は、DVDドライブがDVDディスクを読み取れなくなってしまったことです。

メーカー保障期間の1年間を3ヶ月過ぎているし、形式上、仕方が無いといえばそうですが。
時期が悪すぎた。
 冬季オリンピックを沢山録画していたからです。
基本的には、HDDには見たいもの録画し、何度も見たいものは、DVDへダビングとしていました。ただ、時差の関係で日本では、昼間見れない競技など多数あり、HDDの空き容量が少なくなり、一時退避でDVDにダピングが必要に迫られていた中の故障です。

HDD-DVDレコーダーは、以前他メーカーの物を使っていて、やはり同じような状況で修理に出しました。そのときは、保障期間ぎりぎり内の故障で、なんとか無償修理対応でした。
ただ、その時のメーカーの回答では、レコーダーで録画したDISKを再生すると、再び壊れる可能性がありますので、再生しないでくださいとの事。
 おいおい、さすがにひどい説明で、メーカーに、いつ頃の録画したものからなのか、わかりますか?、履歴がわかりますか?っともっと詳しく説明を求めましたが、仕方ないです口調でした。
某メーカとしておきますが、時限爆弾つきとも陰口を叩かれる噂だけのことはありました。

今回のものは、別メーカー品で、取り扱い説明書には、長く使うために定期的な点検を承ります。
DVDのレンズの清掃をお勧めします。等と、きちんと親切に書かれておりました。
 ただ、保障期間1年と言うのは、テレビと一緒に使うもので、値段もそれなりにするので、ちょっと短すぎるような気がしました。
 私もエンジニアなので、DVDの動作部品は、大体耐久性等で一番厳しいことは知っております。
一応今回の故障も、保障期間を全うして働いてくれたのだから、文句はないです。
 ただ、なんとなく、新しい機種(BDレコーダー)に買い替えることを催促されているようにも、感じ取ってしまいます。
 私は、そんな予算はありませんので、有償修理をお願いしましたが、それだったら、結局延長保障(ワランティ)を付けたほうが安く付いたみたいですね。
いい勉強になりました。

 地球温暖化対策で、省エネルギー製品への買い替えを政府が奨励しております。
ただ、対象になるものが、数年単位で長く使うものであれば、無理やり製品ライフサイクルを
短くさせるようなことをするのはどうかと。
 アメリカ発の消費経済方式(使い捨て方式)が、地球環境に悪い影響を及ぼしたのだから
むしろ、無理やり新しいものへの、購入消費を進めるのはナンセンスなのでは?
 
メーカーも、売ったら売りっぱなしではなく、むしろ、自動車のように、定期点検をすることを必須として商売したら、多少値が高くても信頼されるのではないでしょうか?

ドイツ製カメラ ライカ社は、きちんとメンテナンスすれば、親子3代にわたって使えると呼ばれております。だからそれなりに高い値のものですが、信頼で買われるのではないでしょうか。
それそろ転換期ですね。

2010年3月5日金曜日

これが実態か?

先週、たまたま取得した資格試験に合格したところ、協会から表彰を受けることになりました。
私本人自身は、あまり自覚は無いのですが、やはりどんな形であれ、公から評価頂けることは
有り難いことだと思い、表彰式に参加いたしました。

その協会とは、文部科学省後援の協会で、ビジネス検定など実務に関わる検定を実施している団体でありました。
だから、表彰される人の中には、一番は文部科学大臣賞となる訳です。

 私は、次の協会長賞とそこまでのレベルではなかった訳ですが、実務で実際やっていることに対する検定であったため、客観的にみれば、年齢的にも出来て当然だったかもしれません。

 表彰された方々と話しをする機会がありました。表彰を受けた方々は、まだ肩書きもある訳ではない若い人が多いことや、大手企業からの請負いスタッフ企業に所属するエンジニア、学校関係者の方が非常に多いことに気がつきました。
 何故、この資格に挑戦したかということに対して、筋の通った明確な目標を持っている方が多いことにも、いろいろ考えさせられました。
 あるスタッフ派遣会社や、学校教員関係者とも話しをしましたところ、きちんと形で見える資格で実力を示さないと、企業が雇っていただけないし、スタッフ社員で請負待ち社員のモチベーションを崩さない為に、資格取得にフォローをしているのですよ。っと実情を話していただけました。

 私は、一応上場企業の一社員ですが、ものすごくやるせない気持ちになりました。
と言うのも、ここ数年は、就職活動が始まる時期が、大学で3年次、マスターで1年の頭からが
当たり前になって来ています。
 自由競争ではあるのかもしれませんが、実態は、本来学校等で学ぶべき時期に就職活動を優先せざるを得なく、運よく入社できた社員も、基礎が不十分にも関わらず、先輩社員がきちんと教えられる状況になっていないと感じているからです。
 先輩社員も、早く成果を上げることから、教えることが面倒という言い訳を建前にしているケースも目立ちます。
 もちろん、専門能力だけが全てではなく、社会人としての必要なマナーや、人柄等が必要なことは私も理解しているつもりです。それさえも、きちんと教えられない、理解できないことも目立ってきていますが、、、。
 これが今の実態なんだと、政府や経営者は、どこまで気がついているのであろうか?
きっと、若い人で志の強い人が、つまらないことで職につけない。職についても、お互いによりよくするためにという信頼関係が作れない。これじゃ、ちょっと前まで世界をリードしてきた日本の産業は衰退するばかりでなないでしょうか。
 本当に志が強い人ならば、企業に就職しないで、スキルをつけて自分で起業するか、海外に出てしまうことも当然かもしれません。
 
 私は改めて、この実態に愕然としました、勿体無いと。
私の今の状態では、このことに全エネルギーをつぎ込んで立ち向かうことは困難ですが、
せめて「教えることは、教わること」、お互いの立場で、一つの目標をどうしたらと一緒に考えようと
いうスタンスは、忘れないで行こう。と、改めて感じました。
 最初は一人では出来ない状況でも、きちんと信頼を得られるように努力していけば、お互いによりよくするためにという意思をもった人が集まって、大きな力となるから

2010年3月2日火曜日

自信は過信にならないように

ここ1か月程、原因がわからない不調が続きました。

具体的には、朝、朝日を浴びて目を覚ましても、すぐに身体が起き上がれない。
起き上がりたい意思はあるが、金縛りにあったようになかなか動かない。

休職する前もこんな感覚がありました。それが段々、起きる気力までなくなって、、、と
続いてしまったことを、思い出しました。

主治医や、カウンセラーにいろいろ相談してみたところ、夜身体を横にしても、
深い眠りについてないのではないでしょうか? と言われました。

確かに思い当たる節はあります。
年末年始にかけて、仕事も総力戦の追い込みで多忙な時期が続きました。
当然、帰宅も遅くなりますし、食事、入浴も遅くなります。

そのころは、家では仕事を考えない様に、寝る前に趣味の本を少し読んでいました。

 カウンセラー曰く、入浴で温めて直ぐ布団に入るのは、身体の血流がよく廻っている状態なので
深い睡眠にはならないようです。
 気分的にはリラックスしますが、身体の状態は落ち着いていないのです。
 じっくり温めて、1-2時間程、クールダウンしてと言うのが、理想だそうです。

 それから、テレビやゲームなど、目を凝視した状態で強い光を浴びるのも良くないようです。
本を読むのも、ある意味文字を凝視するわけですから、程々でないといけないと言われました。

仕事を忘れてリラックスというつもりでいたことが、悪影響につながるようです。

 現在、忙しさから急に開放されて、緊張感が抜けてしまったのでしょうか?
精神的には問題ないですが、身体がついてこない感じになっていました。
忙しい時期、自分では大丈夫だと思っていた以上に、堪えていたのかもしれません。
 カウンセリングで相談して、私自身が思ったのは、心身の原因不明な状況は、
睡眠不足で疲労回復が不十分なため、警告サインが、遅れてやってきたものと思っております。

とにかくリラックスして睡眠をとるように、アドバイスを頂きましたので、今日から早寝を実践です。
プロスポーツ選手が、フィジカルな怪我が古傷となって後に影響することがあるように
心療的な病と言うのも、100%完全回復とはすぐには行かないようです。
自分では気がつかないところに、現われてくるようです。
「自信は過信にならないようにと」、とにかく反省です。

2010年2月26日金曜日

議員さんよ、しっかりしてくれい!

本日、アメリカ市場での、トヨタ車品質クレームに対する公聴会に、社長が答弁されました。

 単なる一日本の自動車メーカーではなく、地球環境や、世界中で人や物資の輸送に大きく貢献してきた業界ですので、どのような対応を取られるのかによって、日本の産業の行く末に影響するとも思われております。

厳しい結論になることも覚悟はしておりましたが、逃げ腰になることなく、現在わかっていることと
、自動車メーカーとして、何を優先していくかと言う事を明確に伝えたこと、カイゼンするためにすすめているアクションを明確に述べられていたことは、正しい対処だったのではないでしょうか?

 以前、リーマンショック直前頃に、渡辺前社長が、「われわれは業界で一番になることが目的ではないですし、まだもっとやるべきことがある」と、謙虚に述べられたことを思い出しました。
 
 かつて、自動車が普及して、移動が便利になる反面、副作用として大気汚染や、交通事故死者の増加などがありました。現在の自動車も、社会のニーズに一歩一歩考えて、進歩して、応えてきたところもありますし、かつてのアメリカ自動車ビッグ3が陥ったように、過当な消費社会の儲け主義になってはいけないということの見本だったかもしれません。

 そんな、厳しい状況の中、議員バッチをつけた人達は、一体なにを議論したいのか?
議会の目的の本質は、水掛け論で批判することではなく、この国をよりよくするために何をすべきかを、議論し方向付けする場所ではないでしょうか?
 議員内での揚げ足取りや、審議拒否とか情けない。
日本だけならず、地球上のことも考えているメーカーの社長が、逃げずにリーダーシップを
発揮している中で、対照的です。

日本は技術、産業は一流だけど、政治は3流以下というのを象徴です。
だけど、一番悪いのは、こんな議員を選んだ有権者なんですよ。
 

2010年2月20日土曜日

プリウスにエールを

私は、メーカーのエンジニアの立場として思うことです。

トヨタ自動車のハイブリッド車の不具合事項がありました。
急な路面状態変化時、ブレーキ作動タイムラグが発生するという件です。

 私もエンジニアの立場として、公表されている現象と原因を聞いて、なるほどと
思うと共に、エンジニアの使命を考えさせられました。
 ただこれは、ネガティブな考えではありません。
世の中のニーズに合った、革新的なものを生み出す上でついてくる、リスク、副作用を
 短期間で、きちんと原因の特定と、対策を 提供していたからです。

 マスコミの報道では、あたかもメーカーが欠点を隠蔽していたかのように、伝えられて
しまっているのが、残念でなりません。
 自動車や車両、航空機等は、100%完璧なものではないですが、その中で
安全性、信頼性を優先して、様々な条件でテストを繰り返した上で、かつ、新車を
売ったらそれで終わりでなく、オーナーの使用状況などをフィードバックして
より良くするためにはと言う事を、常に考えられているからです。
 だから、今回の対策も、決して言われたからという、付け焼刃的な対策ではなく
オーナーに影響を最小源にしたうえで、きちんとした対策を短期間でやっていたことは
決して手抜きではありませんし、私もどうやったらと思う気持ちであります。

 今回のプリウスは、従来車よりも電気モーターで駆動する割合が増えるといった、
環境対策の革新的なものの副作用なのかもしれません。
 モーターを発電することで、タイヤや摩擦ブレーキに負担を減らすことができるし
電池の充電もできるといったメリットがありますが、以前のブレーキシステムとの使い分け
動作で副作用があったわけです。

 以前のオートマチック変速機車や、ABSブレーキ車も、以前の車両と同じ運転方法の
つもりでいると、副作用があったことと似ております。
 オートマチックの場合は、アクセルペダルを戻した時のエンジンブレーキの効力が弱いことや、ABSの場合は、滑りやすい路面でタイヤがロックする程度に強めに踏み込まないと効果がないことが、JAF等では公表されております。

 私はむしろ、真摯に原因検討と、対策フォローに評価してもよいと思いますし、メーカーだけの責任にしている、国土交通省や通商産業省の対応のほうが疑問に思います。
 環境性能に国を上げて取り組む姿勢があるのであれば、貢献しているメーカーに対して、人事のように非難勧告するのではなく、よりよくするために協力しようとするべきではないでしょうか。
 エンジニアの使命して、オーナーに100%満足なのものは今できなくても、近づけるために日々やりがいを持って努力されている訳ですので、モチベーションを下げるだけのような扱いして欲しくないところです。

2010年2月13日土曜日

なんか今年は寒いです。

2月に入り、寒い日が続いております。
東京も昼間の最高気温が、10度以下と堪える寒さです。
日本列島には寒気団が停滞し、昨年の暖冬からは全く想像できないくらいです。

 さて、私は学校を卒業し、就職した最初の赴任先は、東京よりもずっと雪が降る地域
信州におりました。
 冬場はとにかく外は寒かったですが、寒い地方ならではの備えというのでしょうか
外の寒さがあっても、人付き合いなど含めて、温かさを感じる感覚がありました。

 もちろん、寒い地方ならではの、冬場のスキー、スケート等の娯楽、屋内での暖房など
温かさがあったことも事実です。
 私もその辺は、住めば都と言う言葉の通り、楽しんだつもりです。

 私がいた頃は、地元でオリンピック冬季大会があったりして、都会から人が集まってもり上がる
機会も多かったのですが、
 現在は冬のリゾート地は以前ほど、人が集まらなくなってしまったそうです。 
スキー客で、夜明けの高速道路が渋滞していたことが、嘘のようです。

なんとなく、不況で、金銭や心の余裕も無くなってしまったのか、それとも、価値観の違いなのかわかりません。
 でも、昨年外に出るのも億劫になってしまったことを思い出すと
現在住んでいる東京の冬のほうが、寒く感じてしまい、朝早く起きて
外で遊ぶ気が失せて来る気持ちも、わからなくもないと感じるようになりました。

 このままでは、、、。という気持ちも多少残して、体力的に無理しない範囲で楽しめばよいと
 思っています。 スキーもゆっくり、景色を楽しむくらいに滑って、後は温泉で温める。
おいしいものを食べる、やっぱりこれですよ。

2010年2月10日水曜日

朝青龍関の引退、なんとも言えないもどかしさ

横綱 朝青龍関の突然の引退発表には驚かされました。
万全な取り組みで、先月の初場所優勝したばかりなのに、、、。

以前、曙関も優勝した次の場所で引退されたというケースもありましたが、
その時は、満身創痍の状況だったことを考えると、今回は想像もできないです。

冷静に考えて、社会人として、相撲で飯を食っていくプロなのだから、場所中での
場外乱闘というのは、決して許されることではないですが、事実上引退を勧告され
自ら身を引くか、追放にされるかの選択肢というのは、本業の土俵の上でやる相撲を
盛り上げてくれた横綱に対して、もうすこしねぎらいの対処があってもよいのではと
感じます。

 最初は、モンゴルで素質を認められ、日本の学校にスカウトされて、単身留学で来日してきた朝青龍関。言葉や文化の違い等で、決して楽な道を進んできた訳ではありません。
体格も力士としては、決して大柄な方ではない訳です、ですから相撲で勝つにはそれなりの工夫と
努力がなければ強い力士にはなれなかったはずです。

 マスコミも最初は、横暴なイメージを強調する訳ではなかったのですが、どうしても一人横綱で長い間、無敵になると、だんだん憎たらしく感じてきてしまうものかもしれません。
 決して普段から横暴な行動をしているわけではないのですが、日本人からみれば欠点ばかり
取り上げたくなるものかもしれません。

 ただただ横暴なだけでは、ファンからは嫌われ者にしかならないですが、普段の人当たりのよい雰囲気と、土俵での気合の入った様子とのギャップもファンからは、良い面として認められていたと思います。

 それを思うと、かつて横綱北の海(前理事長)が、そんなふてぶてしさを感じる力士であったことを、思い出します。理事長の時も変わりませんでしたね。

 以前から、スポーツとしてのアマチュア相撲と、相撲協会主催の大相撲とのギャップというものは、感じてはいました。
 
 何度も優勝しても、横綱になれなかった力士、逆に一度も優勝しなかった横綱ということもありました。
 国技だから、第3者が横綱の品格とかを審議のなら、もっと密室的ではなくフェアな形で
やってはどうだろうか?
 横綱はこうあるべきとは、いったい何なのか?ただ勝負に強いだけではだめ、言いたいことは
わかりますが、過去に横綱に任命された力士は、体格も取り組みも画一的ではなく、かなり個性があったと思います。
 だから、優勝決定戦なので横綱同士の対戦というのは、魅力があるわけです。

 いっそ、横綱審議会というのをオープンにして、ファン投票というのもやってみては
どうでしょうか?

 それ以前に、大相撲は国技だからとか、神聖だからという以前に、他のプロ選手と同様に、一社会人として相撲の力士として飯を食うという覚悟や自覚というものを、教えることが必要なのではないでしょうか?
 場所中は、次の取り組みに備えるやり方は、人それぞれですが、少なくとも前夜に、ベロベロになるまで飲酒するなどは、最高の取り組みをする備えとしては、周囲がさせてはならないことかと
思います。
 特に前科もあるわけですから、それが大相撲の当たり前の風習だったとすれば、品格とか以前に
プロとしての意識レベルが低いとも思われます。
横綱も、相撲協会に奔走されたある意味被害者ですね。
 おそらく横綱になってから、だれもフォローできなかったのでしょうよ。

一ファンとして、来場所取り組みが見れないのが残念に思いますし、次の元気な姿で活躍を
期待したいところです。



 

2010年2月6日土曜日

人と人の間は、「作用-反作用」の法則かもしれません

新年明けてから不摂生もあり、なかなかこの投稿ネタにもありつけませんでした。
昨年までの暖冬とは打って変わり、連日の外の寒さも日増しに堪え、気分も体力も
やや低下気味でした。
とはいっても、このまま、布団から外に出るのも億劫になってしまったら、元の木阿弥。

このままではいけないと感じ、寒い中でも、心身を温めることを考えている日々です。

さて、何かに終われ、もがき苦しみ、心身が疲れてくると、最悪は自分からSOSをも
訴える気力まで無くなってしまいます。
 よく、満身創痍で残る力と気力でなんとか乗り切ったという話しはありますが、それは
苦しい状況ながら、目の前に達成目標が見えて、最後のひとふんばりという状況だからこそ
かもしれません。
 ゴールが見えない、どうしたらよいかがわからない不安で、ただただ時間だけが迫ってくる
状況だったらどうでしょうか? SOSのアテンションを出しても、「何言ってんだ、気合で乗り切れ」と言われてしまったら?
 最初は、解決の糸口をひたすら探し、不安の解消に努めます。
でも、だんだん策が尽くなくなって、悪あがきも通じなくなってくると、開き直るしかありません。

 この時に、いかに冷静にかつ正直に、自分の状況を周りに伝えることが大事だと思います。
人間関係の深さにもよりますが、独りでもがき苦しんでいる状況は、他人からみればそれ程
大したことと気がつかない場合が大半です。
 どんな形であっても、自分から冷静に発信することを諦めてはいけません。
きちんと冷静に発信すれば、それなりに冷静なリアクションが帰ってきます。
 それに対して、何度も発信-受信のアクションをしていけば、一人で完全に解決できないことでも
何かしら安心できることにつながるはずです。

 よく心の整理とも言いますが、冷静にお互いの状況を、正直に話す-聞く、相談する、
分かち合う。
これは、独りで抱えるストレスから、安心する方向に向かうはずです。
 ただ、決して感情的や人格否定的な発信はしないことが鉄則です。
発信の仕方によって、相手からのリアクションも、それなりの対応になってしまうからです。

 物理のニュートン力学には、「作用-反作用の法則」とあります。
これは、何か物に力を作用させると、同時に物からも反作用として力を受けます。
 地球上では、万有引力による重力が働きます。
人が地面に埋まることなくたっていられるのは、人が地面に作用する重力に対して、
地面が人につりあう力を作用しているからです。

 人と人の間は、それ程単純では決してないかもしれませんが、何か作用をしなければ
何も返って来ず、心の動揺を抑えることはないものだと思います。
 また作用の仕方によっても、相手に不安やストレスを与え、かえって自分の不安を
増幅させてしまう対応になってしまう場合もあります。
 
 物理と言う学問は、客観的な現象を対象としておりますが、実に人が生きることと
非常に似ている現象が多くあるかと思っております。

 日本の社会には、丁度良い状況では「波風立てるな」という考えがあります。でも
それは、他人に喧嘩を売るような、嵐のようなことであって、ゆっくりとしたさざなみを
行ったり来たり起こさないと、水も心も澱んでしまうものだと思います。

 とにかく、寒くても寒いなりに外に出てみましょう。

2010年1月4日月曜日

新しい年を迎えました。

昨年は年末大忙しで、大晦日も出社、帰宅してNHKの紅白歌合戦の
後半をやっと見られた感じでした。
 年が明ける前に、掃除や準備など、いろいろ後回しにしてしまったところもあります。

そんな落ち着きがない年末でしたが、窓の外で、闇夜から聞こえる除夜の鐘は、静かに
時を過ごさせるものでした。

さて、そんな中、新年も3が日を過ぎ、ようやく気を引き締めてという気持ちになります。

今年の抱負など、考えるわけですが、昨年の病気を患ったことから考えますと、一日一日
どんな小さなことでも、ことがあってよかったと大切に考えていくことかなと思います。

それは、決して緊張感なく生きるわけではありません。一生懸命に心身を使うときもあれば
その分、無の時間を作りバランスをとることかと思っております。

いつも忙しく、あれもこれもやらなくてはと時間に追われてしまいがちな人こそ、逆に「何も
考えるな、無の境地で過ごしなさい」とは意外に難しいものです。

だから私の解釈としては、いつもと違うこと、くだらないことでも構いませんし、気分転換をすることで
冷静に物事の違う見方の発見する機会とも思っています。

 逆にそのように、心がけにメリハリを付けたほうが、物事に集中できるのかもしれません。
なんでもMUSTにして、縛り付けるよりも、やってみよっか位のほうが、失敗しても新たな発見
に結びつくような気がしております。

 明日の自分がどうなるか、それは誰もわかりませんし、運命のようなものかもしれません。
でも、自分の一番よいペースで一生懸命やれば、運命もいろんな形で自分に返してくれると
考えてみれば、そう思っております。
 平和ボケしている人間のように思われるかもしれませんが、本当に必要なのは、心への栄養と休息だと考えます。

 皆様にとっても、よい年でありますように