2009年12月30日水曜日

衝動買いの悪い癖

年末になると、部屋掃除をします。

その時に、いつも思うことではありますが、何でこんなに物が多いの!?って

 私の悪い癖ですが、本屋でちょっと立ち読みした文庫本や、雑誌を衝動買いして
しまうところがあります。

 文庫本は、後で読まないままのことは無いですが、雑誌の場合、後で読むからが
ずっとほったらかしになる場合があります。

 しかも週間誌や、季節柄タイムリーな情報誌の場合、時が過ぎると役に立たない情報に
なってしまう訳ですので、実に無駄を作ってしまいます。

 マメな人ならば、必要な部分をスクラップで切り抜いたり、スキャナで保存したりするでしょう。
しかし、今の私にはそんな気が廻らないのも事実です。

 休職などで、収入が落ちる中このままではいけないと思い、新聞、週間誌は止めて、市の図書館に閲覧しに行っています。

 最近は、同じような状況の方が多いのでしょうか、休日や午後は結構混んでいます。

インターネットが携帯電話などでユビキタス性能が上がっても、やっぱり自分のペースで
大きな文字で、情報を見たいというのが、私の正直な気持ちです。

 ただ公共のものなので、重要なところに線を入れるとか、書き込みすることはできませんし
折り目を入れることも出来ない部分はあります。
 図書館の本は、みんなのものだから、必要なルールがあるし、みんなが使えるように
大事にすべきことと考えて、対処しています。
本当に必要だったら、ノートにメモをしておけば良いことですし、文庫本で必要なら古本屋に
ある場合もあります。
 
 私も、こんな調子でいろいろ本は持っています。自分の主観で役に立つもの、これはちょっと
というものもありますが、「書から英知の共有」の主張は、私も賛成ですし、いずれ必要な方や
学校や図書館へ寄付してもいいかと思っております。
 何かを始める時に、直ぐに解決できる本が見つかるわけではないですが、ヒントとなる切っ掛けを
書から得たことが多いです。
 だから自由研究や、大学の論文やレポートは、自分の言葉や文章で示す必要があり、いい加減な知識だけでは対応できないので、いろいろ本を調べたり探したりして、理解を深めるのです。

WEB検索で、簡単に調べることができるようになったことは、有り難い面も多いです。
しかし、もう少し本質に突っ込んで考えたいとか、自分の考えと比較したいといった面では、まだまだ書物を読むこと程深い情報にはなっていないと考えます。

 文庫本や雑誌の休刊が相次いでいますが、歴史的に書というのものは、後世に情報を残す意味もあります。

 それを考えるとまだまだ文化として消え去るものではないと思いますし、私自身そうであって欲しいとおもうこの頃です。

2009年12月29日火曜日

あっとゆうまに年の瀬

クリスマスも過ぎて、とうとう今年も御用納めの日まで来てしまいました。

今年一年、今までの仕事人間から脱却をめざして、ここまできました。
自分でも今年やれたこと、できなかったこといろいろあります。

まだ、私は同じ状況に陥らないように、心身には気をつけている次第であります。

 ただ、幸か不幸か、個人のスキルに頼らざるを得ない状況があるのは、いまだに
事実です。
 一年間ブランクのある私が、思いのほか活躍の機会が早かったことも事実ですから

ただ、たとえ、知識やスキルがあったとしても、一人で独占して使うのではやれることには
限界があります。
 また個人に依存した場合、その人が病気にでもなったら、かなりの組織的な
戦力ダウンになります。

 だからこそ、仲間を作るくらいの気持ち、雑談や夢でも語るでもよし、スキルや
技能、経験をみんなに伝え、教え、一緒に考えることを大事にしていきたいと思っています。

 年長として多少の知見があっても、決して驕ることはしないようにしています。

 それがこの年になると、本当に大事なことかと思う次第です。
体力的にも、それほど持久戦は厳しくなるわけですから、人に教えることは、自分にとっても
教わることが多い、そんな新鮮な気持ちをいつももてればいいと思っています。

 まあ、どうしても昔を思い出して、たまには熱くなることもあります。
でも、どんな時でも、ちょっと冷静になることが、一番大事なのかもしれません。

 できなかったことでいつまでも悩んでも、次にどうやったらと考える方が得策だと
思いますしね。

 とにかくいろいろな一年でしたが、無理な仕事に自分を追われることなく、自分から、相手から
色々貪欲に学ぶ、実践する姿勢は、来年も、何歳になってもやって生きたいところです。

2009年12月8日火曜日

資本主義経済の裏には無限の独占欲

ブッシュ大統領の政策を風刺したドキュメント映画で有名な
映画監督マイケルムーア氏のインタビューを、先日TVで拝見しました。

今度のドキュメント映画は、ある特定の人物ではなく、もっと突っ込んだ資本主義経済が
もたらした、裏の面について警告する内容でした。

具体的には、アメリカ合衆国全体人口の約10%が、9割の富を得ている現実に対して
警告をもたらすものでした。

実際富裕層が、貧困層に対して支援をするわけでなく、更に自分たちの富の独占する方向
に向かってしまっていること。
 金融危機で公的支援を受けるのは、多大な資産を運用していた銀行などで、実際倒産のあおりを受けた人々には、支援が行き届いていない現状や、健康保険制度にも加入できない事実があります。
 それに対して、かつて自由の国アメリカの活気ついた状況とは、価値観が間違った方向に進んでいることに憂いを持つことが切っ掛けだそうです。

 一方、かつて日本の地方の農村で働く人や、中国系華僑、東南アジア系の人は、都会や海外で
活躍して得た富を、自分の故郷に持ち帰り、富を分け与える価値観がありました。
 現在 政府が実施されている「ふるさと納税」も、その考えのひとつかもしれません。

そこには、決して大きな稼ぎを得なくても、ほんの少しの気持ち程度でも、故郷に恩返しができれば
お金なんかで決められない、人と人とのつながりや、信頼を得る富があるのだと思います。
「故郷に錦を飾る」と言う言葉もありますが、まさにそうかもしれません。

私自身も、現在収入が下がり、生活費などを無駄使いしないように節約しておりますが、
決してそれが不幸だとは思いません。
 もちろん生きていくために必要な、「衣食住」は、切り詰める最後の手段ですが、お陰で自炊することの苦労や、奥の深さ、食を得る大事さを痛感する機会だったと思います。
 
 逆に例えば、宝くじで3億円が当たったら、まず何に使うか迷うと思います。
かつ、本人しか使ってはならないとしたらどうでしょうか?
 優先順位からすれば、まずは借金返済ですが、それでもまだまだ大金が余ります。
そうなると、段々贅沢な方向へ目が向かう訳ですが、一度物欲に突っ込んでしまうと、いくら高性能なものや、高価なものを手に入れても、段々満足できず、無限の欲にはまってしまうかと思います。

 これほど、富の無駄使いはないかと思いますが、まさに今の多くの世界企業がそのような考え方でありますし、勝ち組と呼ばれるところは、ブラックホールの如く資産を集めて独占しようとします。

 驕れる者は久しからず、いつの世もまた同じ過ちに陥ってしまうのが人の心でしょうか?
お互いの利害に対して、GIVE AND TAKE Win-Winの関係、お金で測れない富ですが
なかなかそのような価値観は根付かないものかと感じます。

2009年12月7日月曜日

なかなか上手くはいきませんね

最近、帰宅時間が延び延び状態になってきました。

以前もそうでしたが、飯も食わずに長期戦になると、さすがに集中力低下は避けられません。
結構堪えます。

 のびのびの理由は応援業務が、応援で済まなくなり、なかなか一日で処理しきれなくなってきた
ところが一番の要因かと思います。

 私は聖徳太子でもないので、一度に同時に複数のアクションを小刻みに切り替えて処理すること
は苦手です。
最近のパーソナルコンピュータのオペレーションシステムのように、複数のタスク処理はすいすいと
いけないのが現状です。
 増して復帰してそれほど経たない訳ですから、なお更です。
「ちょっとまって」の一言と深呼吸と、メモをとって頭の整理が必要なのです。

 口頭、電話、メールなどいろんな手段で連絡が来るのは結構ですが、アクションに回答するのは
所詮人が考えた上での結果なのです。
 よく、面倒なのでそのままダイレクトパスを投げて、知らん振りという方もいますが、
自分と相手の立場を考えてやってもらわないと、迷惑なだけでなく信頼関係も疎になります。

 自分でも、メモを取って優先順位をつけてやるしかないですが、もともとの連絡の件数が多すぎれば、どこかで順番の最適化する余裕もなく、処理が飽和します。
 
 こんな状況を毎日繰り返したら、さすがに頭がおかしくなるかもしれませんので、
さすがに、揉め事になることは承知でも、ちょっとまってよ、自分の出来る範囲を
ある程度もとめないと、いけませんね。

 なんとなく、同年代の心身的なダメージが溜まりやすい、因果関係がわかってきました。
防止するには、とにかく交渉に踏み切らなければ、そんなところです。

2009年12月6日日曜日

今一番必要なことは、健康でいること

今年ももう師走になりました。
職場復帰してから、当時のころのモチベーションがどの程度あったかを
以前の手帳から見直してみました。

 うーん、最近朝目が覚めて、直ぐに身体を動かす気力が落ちてきていました。

この点は明らかなところです。
 休職は仕事がすべての理由ではないですが、正直なところ、休職前と同じ問題を
抱えており、組織としてカイゼンをする意思があるのかも、伝わってこない気がします。


 大分見ていると、顔色や発言や態度を見ていると、
心身疲れていて、このままではまずいと思いカイゼンの意識はあるが、
つかれて、それも出来ない状況に陥っている人もいる。
 また、言いたいことが言える場がないのでは?
と冷静に見て感じ取れます。
 実際、声を掛けて見ると、いろいろ不満を抱えている実態がわかるわけです。


 これは、私も同じ経験があるから、状況は理解できますが、一方マネージメントする側にも
きちんとした状況や事実、実態をサーベイする努力に欠けている部分があるかと思います。


 まあ、私の場合、結構わがまま的に言いたいこと言って、喧嘩気味になることもありますが、
起こっている事実を基に、質問や疑問を投げかけられては、落ち度を認めざるを得ませんね。
 
 私はできるだけ、文句ではなく、事実からどうして欲しいかを具体的に言うようにしております
また、事実に対して何故そうなの?と聞くようにしています。


 それは、私がマネージャの立場であったなら、逆に悪い状況でも、事実を言ってもらったほうが、カイゼンすべき課題と考える有難い意見と思っているからです。

 よく立場が上に対して都合のよいことしか言わない人がいます。
これは一番良くない風習でくさいものに蓋をする(いわば事実を見なかったことにするか、わかっててみないようにする)。
 その結果不具合を他人のせいにする。
 そして最悪は隠蔽体質の蔓延につながります。
 過去にあった、某自動車メーカーや、食品メーカーは典型的な状況でした。
私からみれば、これは精神が不健康な状態に洗脳されてしまったと見ています。

 健康とは、心身が健やかであることと定義されております。
 後者は比較的具体的に見える形で状況がわかります。
 しかし、前者は、コミュニケーションができる信頼がなければ、全く異常に気がつかない場合が多いです。


 ですから、何か仕事をする上で「健康が一番」とするならば、まず、健康を維持するために無理をさせないように、仕事のやり方やコミュニケーションを、理想と現実との差をきちんと把握すべきですし、それに対して、一つ一つカイゼンのアクションを、関係者で話しあいを進めながらやっていくべきかと思います。

2009年11月30日月曜日

不器用でも、それを上手く活かせば

 はっきり言いまして、私は人付き合いや交渉は、不器用です。
これはこれで、損しているところもありますし、相手を上手く見方にする部分でもありました。

 私は職業柄、よその会社に行って売り込みに行ったりプレゼンテーションをするという
機会はあまりありません。
 だから、滅多にないことをやるときは、かなり緊張しますし、できるだけ
口下手でも、相手に一番伝えたいことは、ゆっくり不器用な形で伝えるようにしております。

 自然と、相手様も質問をしやすくなるでしょうし、ある意味、下手だけど一生懸命な姿を見せれば「しょうがねーな、一緒に考えますか!」と言うお情けを頂くこともあります。

 また逆の立場で、営業の売り込みは、なるべく断らないようにしております。
営業の方でも、話上手、下手な方はいますが、両者ともいろいろ参考になることが多いからです。
 特に、話し上手は聞き上手とも言います。
これは確かにそうだと思います。

 私の場合は、それほどスマートに喋るのは得意ではないですが、下手なりに質問をしてもらうような形で説明すれば、聞く耳を持ってもらうし、私自身もやりとりをするように心がけています。

 いろんなタイプの人がいて、それぞれの特徴を上手く、一つの目標にベクトルをあわせていけば
、お互いに双方向で意見交換や議論していい方向に向かうことが多いでしょう。

 だから、話し下手だからとか、人見知りするとか、悪い方に捕らえて、萎縮してしまっては台無しです。
 不器用とか苦手なことだけど、逆にそれをうまく使っていけば、フォローしていただける人もいますし、お互いに知り合うことで長い付き合いになる方も出てくるでしょう。

 本来、人のコミュニケーションは、どんな形でもキャッチボールのように、投げて受けるを行ったりきたりの繰り返しで、より深くなっていくものだと思います。

 うつに陥る人のタイプで、人とのコミュニケーションに対するネガティブ思考と思い込む人も多いです。
 しかし、どんな形でも、何かゆるいボールを投げてみれば、必ず取りやすいように、投げかえってくるかもしれません。
 決して萎縮する必要はないですし、ちょっとの勇気があれば、またそんな人をちょっと勇気付けられることができれば、きっと一つ一つ前向きな考えに戻ってくるでしょう。

2009年11月28日土曜日

主観的推測や思い込みの怖さ

最近あったことからの、自身への反省です。

何年も同様の仕事などをやっていると、不思議と経験等から、気がつかない主観的
推測が働くようになってきます。
 いわゆる「感」と言う奴です。
もちろん「感」のセンスはブレイクスルーの為には必要なことですが、あくまでも
問題解決に当たっては、仮説や推測の域の考えです。
 ですから、実際に起きている事を無視して、「感」を活用することは、リスクを伴うものです。

こうゆう場合を避けるには、経験の少ない新人さんや、違う立場の人と、事実をきちんと
客観的にみると、「感」の妄想から気づかされることがあります。
 私も最近、そのようなことがありました。その人は、実験のサポート的な役割の方ですが
普段から実験で起きている現象を見られていたことから、いつもと違う現象があることにきがついて
「これは何でしょうか?」と報告していただいたのです。
 正直、私も見過ごしていたところでしたし、その事実について、一緒に更に詳しく調べて見ると
なんと、主原因が大事な問題だったことがわかったのです。
 そして、事実関係を優先して考えてみると、最もな対策方法に行き着くことが出来ました。

その人には、「よく気がついて報告してありがとう」と感謝の意を伝えました。
そして、自分はなんで気がつかなかったのかと言う愚かさも感じました。
それはいわゆる経験からくる視野に対する、間違った主観が邪魔をしていたのです。

歴史的に名声を上げた科学者や、優れた医学関係者に共通する点は、第六感的なひらめきもありますが、「客観的事実」を大事にしてきちんと細かく記録されている。
その上での考察から、事実と推測をきちんと分けて考えられていることです。
そして考察でのプロセスもきちんと後でわかるように記録されていることでもあります。

私は、あまりマメにノートに書く方ではないですが、考察などのプロセスや、実験記録や
気がついたことなどを、一日の中で時間を見て、メモをするようにしております。
頭の中で覚えられることも、段々厳しくなりますし、間違った主観で情報がぶれてしまうのを
防ぐ役割もあると感じております。

自分は頭が良いから、感が働くという感じの人もたまにいます。
こうゆう人ばかりですと、推論が推論を呼び、事実と全く異なる方向に論点がずれてしまうことが
しばしばおきます。
 これほど間違った判断は、時には危険で過ちに気がつかず大変なことになります。
思い込みの罠に陥りそうなときは、ちょっとまて、何故?と反論を考えることで気がつくことが
ありますし、冷静になります。

目先の結果を急ぐと、時折このような間違い判断に到ることがあります。特に個人プレーで
物事をやっていると、気をつけないといけません。
「事実に勝る推論はない」改めて感じつつある今日この頃です。

2009年11月26日木曜日

仕分けの本質とは?

国家予算の使い道について、公の場で「仕分けWG」と言うのが行われております。

納税者の立場として、どのようなプロセスで予算配分を透明性を持って議論すること
自体は、進歩だと思います。

ただ、非常に不愉快に感じる場面も多々あります。
まず「仕分け」と言う言葉を使うことです。「仕分け」とは辞書で調べると
(1)物事をする際の区分
(2)品物を分類、整理すること
(3)簿記で貸借を区別して書き込むこと

とあります。
 したがって、結論の選択示が、予めありきを前提とした判断となりますし、
人の労力が関わっている物事に対して、物を捨てるか捨てないか的な発言が目立つからです。
 私の主観では、報道などで取り上げられる様子を見ていると、コスト削減のために、予算を削減することが、目的のようにも思えてしまいます。

 この議論の本質は、限られた予算の中で、予定事業の目的、途中経過など、QCDP、行わない際のリスクを、長期、短期の客観的な視点で比較検討をし、優先順位を決めて予算配分をすることではないでしょうか?
 むしろ、場合によっては、予算配分のウエイトを上げるべきものもあってしかるべきだと思います。
 現在の議論での問題点は、裁判形式でご意見番を立てて短期間で、Yes-Noを判断することで
結果至上的な公表になっていることと、判断する人、使い道について仕分け対象となる予算を決めるプロセスを公にしていないことです。

 私も、大学時代に国の研究機関でお世話になった立場なので、国家予算の慣例的なルールは
存じております。
 だからこそ言いますが、国家予算に対しての一番の問題は、予算イコール決算を必達事項とする考え方です。
 それが悪い解釈となったことは、予算が余ったから、優先度の低いものを買って使い切らないと、次年度予算が減らされるという慣例になったことです。
 民間企業のように、利益や、実際予算よりもコスト削減できた分を、繰り越しする。
損益となった場合に、繰越しの中から補填をし、事業を中長期的視点で行うという考え方が
ないことです。
 自分たちで稼いだ資金の使い道であれば、当然使い方は慎重かつ計画的になりますよね。
ところが、足りなくなったら税金で補填できるという意識があるから、どんぶり勘定になっても
決算をつじつま合わせで行えばよいということになります。
 
 この点は、きちんと家計簿を付けるレベルで、予算-実績-内訳明細をチェックしていれば
大事にならずにわかることです。
 また、それを、第三者である公認会計士で、見ていけば問題が無いはずです。
むしろ、この点をきちんと公にしてやることを優先すべきで、個別のテーマの可否はその次の段階ではないでしょうか?
 大体、一度予算を計上したものを、本当にいるのか?と言われて、素直に応じるのは余程余裕があるところ以外にはありませんよ。
 一度決めたら何が何でもやり通すというやり方が問題であって、今年は急遽貯金の蓄えが少ないから、計画遂行の優先順位を付けて、使える予算を見直せませんでしょうか?、回復すればまた見直しができるから、状況に協力して欲しい。
 という利害を分かち合う協力の仕方が正しいかと思います。

それに議員さんの活動費用についても、きちんと倹約に努めるべきことだと思います。

制御理論の考え方のススメ

私は、某エンジニアとして、メカトロニクス制御に関わることが多いです。

 詳しい理論は、理工学図書にいろいろありますが、一読された方ならご存知ですが
 とにかく、数学の教科書?と思う位、数学を用いた工学的アプローチを実践された
学問で、一般的に、なんのこっちゃ?と言うように思います。

 私も大学の講座で受講したときは、そんな感じでした。

 「そんなもの人に奨められるの?」 と疑問をもたれないように、次からは一般的な事に
照準を合わせて説明します。

 簡単に言いますと、
「制御とは、狙った場所、速度、力などに対して、もの(あるいは事)を的確に追従するように、目標と現状との差を逐次確認した結果から、物事を操作することです。」

 特に、目標と現状の差から操作する度合いを調整する考え方を、FeedBack制御と言いますし、
予測のみで操作する量を与える考え方を、Feedforward、またはOpen制御と言います。

 日本語の固い制御よりも、英語のcontrol の方が、ピッチャーの投げる球の位置をコントロールする等、よく使われるかもしれません。

 野球の投手の場合は、ボールが手を離れるまでは、ボールの初期位置や初速度、回転などを人間が制御しますが、放たれた後は、物理法則に従い、人間が、遠隔操作で軌道を修正したりすることはできません。
 一球投げる動作だけを考えると、これはOpen制御に近いものです。

 それに対して、体操の平均台倒立や、飛行機の航行は、それぞれ人間や、飛行機の状態を知り、目標位置になるようにバランスしながら運動します。
 これはFeedback制御そのものです。

 当然、人間には重力が、バランスを崩す外乱となりますし、飛行機の航行は、風などの気象によって目標航路からずれるような働きの外乱となります。

 外乱を一回だけ予測して、それに合うように身体やものを操作できる場合もありますが、大概は
脳の加速度を検出する働きや、レーダーや方位磁石の方向と通過位置を、繰り返し確認しては補正操作することで、倒立で長時間バランスを維持できたり、目標航路を辿って飛行することができます。

 Open制御との一番の違いは、常に目標と現状のずれを確認して操作することで、外乱に対して影響を受けにくくなることです。

 このFeedbackの考え方は、一部の工学的アプローチですが、もともと自然物理現象の一部に着目したものでありますので、ひょっとしたら、気象など、時間や場所の過去の情報が原因となって、現在の結果となる、因果律の現象を説明できるのかもしれません。

 何故FeedBack制御を取り上げたかと言いますと、人の生活や仕事の考え方も、FeedBack制御の要素が関連しているのかと考えているからです。

 例えば、一番それらしいものが、経済学の需要と供給のバランスなのかと思います。
 物の貨幣価値は、人の需要と供給のバランスに左右されますし、人間がどうすることもできない、気候変動などの外乱要素によって影響を受けるし、その結果、人間の活動として影響を最小限にするようなアクションがなされるからです。

 もっと一般的なのは、社会人になると仕事の進め方は、PDCAサイクルをまわすといったのが
最も典型でしょう。日本が世界に品質を誇った、トヨタ自動車の「カイゼン」の考え方もその一例だと
理解しております。

 私が病に陥る前は、どちらかと言うと、後ろを振り向かずとにかく前へといった状況でした。
いわば、ある程度ヤマを張った計画と実行をしていたかもしれません。

 でも、今考えるとそれは、火事場の馬鹿力での一発勝負のやり方で、長期戦や、ヤマを外したときのリカバーが難しくなる考え方だと思います。

 私が思うのは、ヤマが外れたから失敗で、それを抱え込んでしまっては何もならないです。
むしろ、失敗からどのところが、目標から外れていたか、どの時点で確認すれば、修正が可能であったか、どのように修正することができたか、また今、目標とのずれをどの程度あり、修正にどうやってアクションをとるかと考える、実践することが重要なのではないでしょうか。

 これをしないと、何度も同じように失敗して信頼を失うかもしれません。

 まさにこれはPDCAサイクルなのです。
 仕事も一日の過ごし方も、振り返る時間を作る。
 時間がなければ、振り返る材料がわかるように、今日の予定と実際やったことを簡単にメモすればよいのだと思います。

 小さなことかもしれませんが、小さな振り返りから得た進歩、それを何年も継続していくと、
地に足の着いたような実力として、大きな進歩につながります。

 ただし、目先のことだけ追っていることを推奨しているわけではありません。
PDCAサイクルは、大きな目標に到達するために、途中の過程を逐次照らし合わせて
アクションをとる手段です。

 結果には必ず原因があるわけですから、ありの目、鳥の目で目標のステップを考えるように
すれば良い訳です。
 途中の過程に到る目標を変えることも有りですし、状況によっては、大きな目標自体も見直すこともありだと思います。

 制御理論にも、目標値のステップ応答という考えがあります。目標値が急激に変化する一番厳しい評価尺度として定義されております。
 これと同様に、現実とかけ離れた大きな目標との差を短時間で埋めようとすると、
自分の行動できる器がかなり広くないと、結果として大雑把なアクションで不安定になります。
 砂漠や沼地に、基礎工事なしで、お城を建てるようなものです。

 最近は、「競争」を印籠の如く結果を、急き立てられることが多くなりました。でもこれはどこまで
やり方として的確なのかは、疑問に思うことがあります。
 むしろ、場当たり的、投げやり的なアクションの結果至上主義で、結果として上手く達成できても、疲労困憊で、長期戦には耐えられないでしょう。

 私が、最近「うつ」が取り正されている背景には、戦略なき手段の中で、時間だけを露骨に圧力かけて追い込むような、仕事の進め方があるのかと思います。
 圧力ではなく、正直ベースの交渉を基に、利害がトレードオフとなる戦略を、両者で考えて進める
のが正しいやり方なのではないでしょうか?

 例えは悪いですが、旧日本軍の竹やりで、米軍戦闘機を打ち落とすようなことを、正当化はできませんが、目先のことしか考えないと、他人事ではなくなりますよ。

 むしろ時間を急ぐならば、目標と手段の過程をより明確にする。
PDCAサイクル期間を細かくすることが、結果として成功の早道になるのかと考えます。

2009年11月23日月曜日

勤労感謝の日に思うこと

昨年の今頃、私はほぼ自宅療養中でした。
気分によりますが、時々外に出られる程度でした。
仕事を一生懸命、つまり「勤労」とは程遠い状況でした。

それを考えると、今復帰出来て、勤労によって、ほどほど生活収入を得られていることは
ある意味幸運なのだと思っております。

最近思うのは、「勤労」で素直に感謝できない矛盾を感じることがあります。
それは、仕事とは他の人達の暮らしに還元していくものが、本質ではないかと
思うからです。
 確かに不況で収入などが減り、生活費をつめなければならない状況では、
無理に物品に利益を付けて高値で取引することが難しくなります。

 そこで商売の仕方や、もの作りの知恵で、ニーズに応えていくのが本筋だとは
思いますが、最近大手スーパーの直販ブランドの下請けになったがために、
薄利多売を強いられて、廃業に追い込まれた食品加工業者があることをご存知でしょうか。
 まさにデフレに起こる負の連鎖が起きているわけです。
その食品業者は、材料の質を落とせば、倒産にはならなかったのかもしれませんが
直販ブランドの安全性や質を裏切る訳にはできず、何も言えず我慢して従った結果だそうです。

 過去に、利益追求のために食品偽装を会社全体で慣例的に行った問題がありました。
内部告発や、事故により公に発覚し、社会的制裁を受けたわけですが。
 そこまでに到る経緯として、考えさせる時間はあったのだろうか?
不正をしていなくても廃業、不正をしたら更に信頼を失って廃業です。
どちらが勤労する立場としてモチベーションを維持できるのでしょうか?

 2つに共通する問題事項として、親会社の命令口調での業務契約や、契約に逆らえば取り潰しと
いった、実際に業務を行う人達の意見や話し合いをする時間を与えていないことかと思います。
まさに軍隊的なトップダウン方式の弊害です。
 「時間を与えない」 某国家がそうですが、一番反乱者を押さえつける有効な手段だと聞いております。
 本来不況で労働時間の他、自分を考える時間が増えるはずですが、必ずしもそのようにはなっていないのが現状ではないでしょうか?
 とにかく、マネージメントされる立場の方は、関係する人達とよく話しあいをしなさい。
そして、立場の下の人が何故そのようになるのかを、相手の立場になって考えて欲しい。

 部下に対しては、なるべく自分の時間を作れるように、業務などをマネージメントすることに
注力してほしいところです。
 いろんな考えはあるかもしれないが、目の前のことばかり追っていては、何も良くならない
それは、人と人が関係して成果を上げるものだから、とにかく目先の結果よりも信頼関係を
作り上げること。それが今一番必要なのだと思う。

2009年11月21日土曜日

デゴイチの復活(水上にて)

昨年度、不慮の故障により復活が危ぶまれたSLデゴイチが、今年秋から修理が完了して、旅客臨時列車のイベントに復帰することになりました。



 かつて20世紀半ばの日本の輸送を支えてきたSLですが、現在の電車などに比べると、非力でメンテナンスの多さ、多くの煙を出すなど、非効率な理由で、鉄道の第一線から退きました。
現在は、新幹線と平行し、在来線ダイアの余裕のある線区で、イベントとして走行する場面が主体ですが、幅広い年齢の方から、人気を集めております。

 私の主観ですが、やはり自動車のエンジン等もそうですが、動力を発生する様子や、大型のボイラー、蒸気パイプが機体に張り巡らせられていることや、ドラフト音などが、心臓を持った機械の如く人間的な魅力があるのかもしれません。
 電車や新幹線では、あまりこのような魅力ありませんですね。

SLの釜のメンテナンスは、簡単に数式だけで説明ができない難しさがあると聞いております。
メンテナンスできる機関師や運転手も、少ない訳ですし、修理部品もなかなか無い状況ですが、
不屈の尽力によって、予想より復帰が早まったことはなによりです。

 私もいろいろな人付き合いが毎日ありますが、SLと同じように考え方は人それぞれで、一意に理屈で説明できない難しさはあります。
 だけど、コツコツときちんと正面を向きあって会話を積み重ねていけば、お互いの理解や、より力強い関係を導くことができるのでは、と思っております。
 なかなか、本音で心を開くことは大変かもしれませんが、ボールを投げなければ戻ってこない
そう考えています。

2009年11月3日火曜日

今日は寒かったでした。でも足湯は効きますね。

もう11月になってしまった。このコラムを書き始めた頃が、まだ年明けくらいだったので
時が過ぎるのが早く感じます。

つい最近まで、上着なしで問題なしでしたが、先週末からはあっとゆうまに
上着とセーター等が欲しくなりました。
今日は特に、昼間も気温が上がらなかったそうです。
 
 私は、群馬県の水上へ、温まりに行っていました。
高速道路から見ると、浅間山や榛名山に冠雪がはっきり見えました。
どうりで寒いわけですね。


 また、水上の温泉地に行くと、昼間でも気温が5℃、時にはみぞれにもなる
冷たい雨も降っていました。あっとゆうまに冬支度が必要になりました。

寒くなると、どうしても身体が固くなってしまいますが、寝る前に、手足をお湯で
温めるだけでも、随分寝つきが違います。これはお勧めします。

2009年10月20日火曜日

IT普及によるネット依存症と眼精疲労には気をつけよう。

 資源節約のため、紙の消費を抑えることと、IT普及のタイミングが、丁度合致したためでしょうか?
 いろいろな資料は、電子データとして、電子メール添付やWEBにて公開という機会が増えました。

 雑誌や文庫本の出版業界は、その影響を受けて、発行部数が減少となっているようです。
業界は起死回生で、雑誌の内容を電子データとして、CDやDVDの記憶媒体で、電子ブックとして
販売するケースも、結構見られます。

 本や新聞を見る代わりに、WEB等PC画面を通じて閲覧する機会が増えました。
また、SNSやブログのように、仲間内での情報発信や交換の場というのも、広まりました。

だからという訳ではないですが、最近ネットWEB依存症ということが指摘されはじめました。
またそれによる副作用と考えられる疲労蓄積も言われています。

 依存する理由の一つとして、何かを調べると、WEB検索エンジンで、比較的容易に情報を入手できる便利さから、ではもっと知りたいとなり、PC画面に釘付けになることだと思います。

 これは、検索エンジンの性能アップ等が主な要因かもしれません。

 また、もう一つの理由は、私のこのコラムのように、SNSで情報交換の輪が広がると、
簡単に発信できるので、時間に関係なく、情報のやりとりが発生しがちになるからだと思います。

 メッセンジャーやチャット機能のソフトは、後者の典型です。
 両者に共通要因は、高速通信網の整備や、ネットブックや携帯電話のWEB機能のユビキタス性で、場所を選ばず、時間も掛けずにサクサクといったところでしょう。

そうでなくても、会社のOA化で、資料の電子データ化といったこともあります。

 仕事をしている以上、ネット依存症は、最悪業務遂行に問題とされますし、業務をせず、不必要なWEBサーチやチャットをすると、懲戒になる場合もあります。

 ただ、そうでなくても、なんとなくですが、
 ここ数年、一日仕事すると、眼から肩から腰へと疲労が蓄積します。

 私が入社したころは、部署に共用のPCが数台あって、主に図面入力や、重要な資料など、必要に応じた文章作成に、みんなで交代で使っていました。

 その時でも、図面を入力するときは、眼が疲れるとは感じていましたが、一人ノートPC一台貸し出しの現在は、より顕著に感じます。

 中には、ノートをあまり使わず、文書エディタにをメモ代わりにしている人もいますが
ノートに鉛筆で書くことに慣れている私には、とてもできません。
 一年業務から離れて復帰したから、余計に感じるのかもしれません。

 今年前半に整体師に、腰痛の件で相談をしたところ、OA機器に同じ体勢で長時間凝視することで疲れが溜まるケースは増えていると話されました。

 また、タイプライター入力が主流だったアメリカでは、タイピングは2時間続けたら必ず休憩をすることが、義務付けられていたそうです。
 それを聞くと、小学生のころ、本を読むときや、文章を書くときは、眼を30センチ離してと、長時間集中しないように言われた記憶があります。

 それから、自分の行動を振り返ると、心身にまずいことをしているなと思い、1時間を一区切りに
席を立つ、遠くを見るなどするようになりました。
 もちろん、人とやりとりする場合もありますので、状況判断によって変わりますが。

 そこで提言ですが、やはり行政(厚生労働省)や、PC、携帯電話メーカーからある程度、長時間凝視しないように、アピールされるべきなのではと思います。

 いろいろ目先の事情はあるかもしれませんが、長い目で見ると、かえってきちんと休憩を取ったほうが、業務効率も上がり、長時間労働も避けることが出来る可能性もあります。
 また、メーカーとしても、ディスプレーや、アプリケーションソフトなどに工夫はできないものですかね?とは思います。

 ブラウン管は、以前から指摘されていましたが、液晶画面でも、何か強い光を受けた感覚があります。
 理屈はわかりませんが、偏光というのも一つはあるのかもしれません。
 
 ディスプレーの前にカメラの偏光フィルタを通すと、ある回転角でディスプレーの光が見えなくなるわけですから。

 夏場の日差しを和らげる偏光サングラスと同じ原理で、目の疲れを緩和できるのか、何か実用化できないか模索しているところです。
 まあ、それ以前に、自分で意識して気をつけることなのかもしれませんね。

2009年10月15日木曜日

ノムさん契約満了について思うこと

野村監督が4年越しで、ペナントレース2位でCSシリーズ参戦が決まりました。

監督契約も、シーズンはじめから、結果に関わらず勇退勧告をされていたようですが、
チームはまだ完成途中の段階と言う中では、惜しまれることです。

どこまでが事実かはわかりませんが、もし私が監督の立場だったら、受け止め方は
複雑だったと思います。

要するに、今年は結果は期待しないから、思う存分好きなようにやってくれと
言っているようにも感じとれますし、ペナントレースを制して有終の美を飾って欲しいの激で
一年に勝負を掛けて欲しいという意図にも感じます。

私個人としては、野村監督のこれまでの実績を踏まえて、後者であってほしいとは思いますが、

それだったら、今年就任時に、後身をきちんと指導して欲しいとか、後任者を最初から決めて
今年は、監督の補佐ポストとして、2年計画でやっていく等のアクションが、必要だったのではないかと思います。
 確かに王貞治さんや、長嶋茂雄さんのように、最年長となると、監督としての健康を気にする声も
間違いではないです。
しかし、年齢についてはわかっていることですし、一度プロから離れて、もう戻ることもないといわれていたノムさんに、監督就任をお願いした理由を、きちんと見直して、誤解のないようにして欲しいです。
せっかく、いい雰囲気で選手がまとまっているチームだけに、なおさらです。

2009年10月10日土曜日

台風18号での対応、冷静に考えると

 大型の台風18号、暴風域が房総半島から新潟県まで、すっぽり入ってしまう
まれに見る大きさでした。
 それが、日本列島を縦断したわけですから、各地で大きな被害が発生し、
被害に合われた方には、心から早期復興を願うばかりです。

 さて、台風による強風の影響で、首都圏の交通機関はかなり影響を受けました。
早朝の通勤、通学時間帯であったために、途中で脚止めとなり、行くも戻るもできなく
なられた方も多かったと思います。
 
 私は、公共交通機関がない所に住んでいますので、通勤は自転車か徒歩になります。
でも、さすがに台風で暴風警報が出ている地域ですので、いざ外に出ると、まともにまっすぐ
歩くのも結構厳しいし、自転車では横風に押されて、倒れそうになるといった状況を
経験しました。

 前日から気象庁の予測を見て、学校などの教育機関は、早めに登校について見合わせの
処置をとりました。いろいろな意見はありますが、台風被害の現状を考えると賢明な判断だと
思いました。
 一方、当日、通勤電車の中で立ち往生された、会社員の方も多かったです。
首都圏の現状を見ると、暴風とビル風にはさまれた地域では、とても外を歩くなんてできないし
大雨が降ると、地下街は、都市型水害の危険があります。

 おそらく、交通機関で立ち往生された方は、台風が来るのがわかっていても、
連絡して、何も指示なければ、会社に向かわなければならないかもしれません。
私も、なにも考えず、強風のなか向かっていった者ですが、
 後から冷静に考えると、これは企業の対応としては、本当に正しいのか?と思います。

少なくとも、気象庁の警報が出ている時点で、無理に移動すると、今回の事態は予測できるはずし
最悪は、大きな被害に遭うことも考えられます。
 何故、「朝7時の時点で連絡して、警報があれば、自宅待機とか、交通機関が止まっていれば、
無理に来なくてよいとかの判断ができないのか?」とそう思ってしまいます。

 教育機関も企業も、台風で人的被害に遭うことの損失は、同じではないでしょうか?

 亀井大臣が、経団連会長に、企業が働く人の扱い方に対して、疑問を投げかけたことが、報道されていました。
 内容の言い方には賛否はありますが、今回の台風での対応に対しては、的を得ているところもあるなと感じました。

 最後に、働く人すべてを否定しているものではありません、災害復興に初期出動されている方々や、自治体でまとめられている方々もいます。こうした尽力がなければ、さらに被害拡大となるわけですから、その点については感謝の意でいます。

2009年10月6日火曜日

人を元気にするのは、夢と挑戦する意欲かもしれません

先日、会社の心理カウンセラーの講習がありました。
私のように、一度休職した者が、職場復帰した場合に、
再休職を防ぐマネージメントに関する内容でした。

私も会社で、講師の先生に診察を受けたことがあり、
特に偏見も持たずに拝聴しました。

その中での講師の提言は、まず病気に陥った人を無理に特別扱いせずに、
本人と状況を、本音できちんと話しあいしながら、接していくことが必要とのことでした。

私もそうですが、復職時に廻りの速いペースに対して、今自分のできるペースの差というのは
意識せざるを得ませんでした。いつまでもこのままでいいのか?と、ここで無理をしたら?の
ジレンマがありました。
 でも、そのことで悩みをもつならば、それをきちんと伝えないといけないのです。
また、マネージャはそういった本音を聞く耳をもつことと、実際の仕事で現状を
伝えるといった、双方向の本音のやり取りが必要だったのです。

 それに、仕事に対しての本音や夢を双方向で語る場というのが、最近は少なくなった
気がしますし、私自身も夢や意欲を失いかけていると思います。

 企業には競業との競争や営利を確保する実情がありますが、そのために無理に締め付けをして
自分はやらされているといった後ろ向きの人が増えてしまっては、逆効果です。
 費用対効果や効率化で、貴重な時間と予算をどぶに捨てるわけにはいきませんが、
双方向で夢や意欲を本年で語る場というのを、作れればと思うこの頃です。

わたしも雑談好きですが、雑談の中で、いろいろな発想や、やってみようよといった考えが
生まれたことも少なくありません。
 あの自転車ロボットの村田製作君の、いきさつを知ったとき、こうゆうインフォーマル活動って
本音で語り合える場なのかなと、しみじみ感じました。

2009年10月2日金曜日

ありの目、鳥の目への意識改革

長年同じ仕事に従事してしまうと、それに関わる物事の視線を
変えることが難しくなりがちです。

 過去の経験から、予測できる範囲で十分考えられるからでしょうか?
それから、ちょっとでも外れた考えには、耳を傾けないし、
頼んでないのに自己否定をされたような対応になる。

 私も仕事をしている中で、そういった価値観の方も、多く見かけます。
ある意味迷惑なところもありますが、またある意味不幸なのかもしれません。

 一歩踏み出して、それはどうしてそう思ったの?、それはきづかなかったの一言。
それがお互いの懐を豊かに、できるコミュニケーションの始まりかと思います。

 自分のことは自分が一番気がつかないとも言います。
それは、物理的な視野だけでなく、心の視野の広さに関係します。
確かに、自分の背中とおなかを、直接は同時に見ることはできませんし、
自分が心の奥での心理状態は、なかなかわからないものです。

だから、ミクロな視線と、マクロな視線として、よくありの目、鳥の目でバランスよく
物事を客観的に見る姿勢というのが、いろんな意味で意識改革の第一歩だと考えます。
そのためには、自分が考えたことを、第三者に伝えてみる。第三者はどう思ったかに
聞く耳をもつ、そのアクションを積み重ねることが大事なのではないでしょうか?
それは、目の前の利益ばかり追っていては、成し遂げることはできません。

 政府のお役人が、今までの慣例でしみついた意識を改めることは、
容易なことではありませんが、きちんとした第三者が客観的に見た事実に聞く耳をもつ、
それに対して、じゃあそれではどうしようか?と考える。

 「政治主導」の政府というのは、その双方向のやりとりを作るいい切っ掛けなのでは
ないでしょうか?

 このことを地道に続けていけば、あほな名前を売っている大臣が、失言で信頼を失うことも
なくなるでしょう。
 いろいろ便利なコミュニケーションツールはありますが、最後は人と人の関係だろうと思います。

楽しく、前向きに雑談ができ、その中でいろいろアイディアが出るような
仕事の雰囲気を戻そうと考えていますが、不況のせいかしら、なかなかハードルが高いのです。
まずは、小さなことでもできることからですか。

2009年9月29日火曜日

ファン太郎お見事です。

前にも書きましたが、予想通り、千秋楽まで、朝青龍と白鳳の優勝争いが決まる
との流れになりました。
 やはり、優勝決定戦にまで持ち越す、見ごたえのある取り組みでした。
相撲界ではいろいろ暗い話題がありましたが、秋場所は満員御礼が続きました。

横綱の優勝争いとなれば、やはり盛り上がります。
いろいろ外では意見がありますが、そんなの雑音は相撲でかき消してやろうと
いった気合と冷静さは感じました。
 それが、朝青龍の持ち味ですし、品格なのでしょうよ。

とにかく、横綱は勝ち続けなければならないといった、他のスポーツにない
厳しい面があるのだから、それを成し遂げたことは、相当鍛えてないとできないこと。

だから、土俵に上がったこともない人が審議会という名目で、いろいろ言うことに
何の意味があるのか?とも思います。

なにより、万全な相撲を披露した、朝青龍関に、おめでとうといいたい。

2009年9月26日土曜日

総論賛成、各論反対、またか、親方日の丸の意識改革

8月の衆議院選挙で、自民党中心から、民主党中心へと政権交代をしました。

 お役人主導から、政治主導へチェンジを、マニフェスト(政権公約)にして活動することを
選挙によって認められたわけです。
 
 ところが、いつもながら総論賛成、各論反対の問題が出てくるわけです。
しかも、選挙での方針展開に具体的に、示されている事実があったにもかかわらず。
政権が決まった後に、地元が反対集会を開くといったことです。

 確かに、住民当事者にとってみれば、今更困るわ、という気持ちもわかりますが、
県知事や、町長が、選挙後に、反対ののろしを上げるのは、些か不満に感じます。

 自治体の代表が、政権公約をきちんとみていないのか?と、
正直なところ、町長や知事が、反対運動をされるのであれば、何故、国民選挙期間に
反対要望として、問題提議をしないのか?と思う。

この問題については、前原大臣も心中穏やかではないはず。
いままでの、親方日の丸の考えで進められた体質による、負の資産を、泥団子を投げられた形で引き継いだのだから、住民と、お役所との板ばさみになってしまう事態だからです。

親方日の丸体勢の本質的問題は、公的な仕事は、利益を出さず、予算を計上すれば、予算通り使い、節約して余ることは是としないことではないでしょうか?
公共の仕事ですから、利益至上になってはいけないことは正しいですが、進捗を途中で確認する。
、世の中の状況に合わせて、途中で見直しをする期間を設けるということをやらないといけない。

 建設中に材料価格が変動したり、技術が進んで、期間短縮ができるなどで、予算が余ることもあるえるし、それを次年度の繰越し資産として、公の費用とすれば、問題ないはずですし、場合によっては、繰越し資産から、自治体の地方税を還元するとか。
山林の間伐費用に当てるとかもすればよいはずです。
それを、裏金として海外旅行につかったり私的な資産購入に使ったりするから、有権者の不信を買ってしまうし、余分に使いすぎてしまうから、借金となってしまうわけです。

 世の中の需要に合わなくなってしまっても、一度予算が決まったことは、何が何でも予算をつかわなければならないという意識。それが、最悪の場合は、予算と決算のつじつまを合わせるために、お役所の隠し財産や不明金等、隠蔽事項となるわけです。

有権者も、そのような体制が数十年も続けは、親方日の丸を信じて、従っているだけという
意識から脱却できなくなる。
 
 短期的には、予算のおうばん振る舞いも可だけども、長期的には、国の借金をご破算にしてでも
考えなければ

2009年9月24日木曜日

IQを上げる前に、EQを

日本の高等教育や、小学校での学力低下などが、問題と見られております。
理由は、時間数の低下などいろいろあるかと思います。
ただ、教科書をなぞるとおり学習すればよいということならば、その理由も成り立ちます。

 しかし、私は思うに、何も授業で教科書を読むことだけが、社会で一人前の教育をうけることには
ならないと思います。
 普段、友達といろいろコミュニケーションする中で、学校の学習内容を関連付けるだけで、身につく知識、経験や、興味は無限に可能性を秘めております。
 よく知能の良し悪しを示す、数値にIQとありますが、IQを高めるために、必要なことは、まずEQを高めることだと思います。
 EQとは、コミュニケーション能力とも言われますが、もっと漠然としたいい方をすると、ひとの心を動かせる能力やスキルだと思います。
 ただ、自分の意見を押し付けるのではなく、他人を受け入れる懐の深さもEQの一つの要素です。

あくまで私の所見ですが、最近WEBのネット書き込みや、メールのやり取り等を見ると、便利だけも、EQの低下を招いていると感じます。
 よく知っている仲間なら別ですが、メールの内容は、相手の表情を感じなくなることもありますし、悪意がなくても、相手にとって不愉快に感じさせてしまうこともあります。
 
 これは子供だけに限ったことではありません、大人がゲーム感覚で、放火したり万引きをして平然としている実体がありますように、EQ低下が、社会モラルの低下を招いているともいえます。
 
 マネーゲームで顰蹙を買っている大人も、私からみればEQが足りないことの行いだと思います。
もう一度、自分とは、社会とは、友人とは、家族とは? それを良く考えることと、行いをかんがえること。それがあなたやあなたの周りの人を豊かにするのではないでしょうか?

久々の横綱同士の優勝争いに期待

横綱 朝青龍関、今日も磐石な相撲で白星です。
今日も持ち味をいかして、集中してますね。
もう一人の横綱白鳳も、組んでからの一瞬の上手、下手を取る早さはピカイチですね。
柔を持って剛を制すといった感じです。
一敗を喫しましたが、連敗することなく、集中して追っています。

両横綱が最高の状態で優勝争いをするのは、久々です。
得意の攻め方が、対照的である両横綱の対戦、しかも千秋楽の優勝争いとなれば
楽しみです。

2009年9月22日火曜日

今場所のファン太郎は、また進化した。

久々に、大相撲ネタです。
 秋場所がはじまりまして、CMでファン太郎こと、横綱 朝青龍関が、全勝で中日を迎えました。

 前場所は怪我など、ちょっと苦しい取り組みがありましたが、今場所は今までと違う、久々に隙のない横綱相撲をして勝っています。

 速い動きで圧倒するのが、朝青龍関の持ち味ですが、今場所は相手が良く見えて、落ち着いて攻めに行っている気がします。
 取り組み前の気合入れの表情も、暴れん坊から落ち着きをもった集中に進化したように思えました。
 一部の方から「ひざ蹴り」と苦情があるようですが、横綱自身が、怪我で苦しんだ経験があるわけですし、故意にはやらんでしょう。と思いますが

 この人は、ファンにも、アンチファンにも、どちらにも知名度が高いですし、逆にそれが故に大相撲を盛り上げてきたのではないでしょうか?

 いろいろ苦しんで這い上がってきた横綱でしたので正直嬉しいですし、是非もう一度盛り上げて欲しいところです。

2009年9月19日土曜日

Silver Week! or Weak?

今年は、秋分の日と敬老感謝の日の間隔が短いため、今日から6連休といった方も
多いでしょう。
 元々は、9月の週末3連休を2週作るために、秋分の日を月曜日にずらしたのですが、
敬老の日の認知度が大きいために、5月のゴールデンウイークに対応して、
「シルバーウイーク」等と、自然発生的に名前が出てきました。

 とはいえ、日本は高齢者比率が高い国であります。還暦過ぎた方が、国会議員や総理大臣をやられていたこともあり、第三者からみれば、健康な人が多いように思えます。
 私からみれば、豊富な人生経験をされた方が、元気な姿で、後世にその経験を活かしたアドバイス等をいただける機会が多いという、人付き合いでよい面が多いと思っています。

 政府の年金施策や福祉施策からみれば、長生きしないほうがよいとも感じられる面もあります。
残念ながら、でも事実として、費用の収支として成り立ってない状況であることは、受け止めなければならないし、当然、政府がきちんと使い道を管理しなければならないと、思っております。

 加齢に伴い、身体の免疫力が低下しますので、20代の人に比べて、病気にかかりやすくなることは、事実ですし、そのことで医療費などが増えることも事実です。
 だから、私の年代から見れば、何でそんなに長生きなのに、医療費がかかるのだ?と思われる人がいてもおかしくないですが、それは間違った考えです。

 そもそも、健康を維持する上で大事なことは、病気になりにくいように予防することですし、
医師も、薬ばかり出すのではなくて、問診の時に、安心の心を持ってもらうように努めることだと思います。これは患者の年齢には関係なく本質的なことだと考えます。

最近高齢者の独り暮らしが多くなっています。いろんな事情があるかとは思います。
だけど、一番大事なことは、年齢の大小で線を引くことではなく、お互いに話しをし、聞く耳をもつ機会を、政府や行政、企業が率先して作っていくことだと感じます。

2009年9月18日金曜日

何なんだこれは、一体どういうこと?

 私は、先日職場復帰後の監察期間を、無事!?に終了しました。
したがって、労働基準法で定まる範囲内での超勤が、認められるようになりました。

 「よく立ち直りました。これからもがんばってください」と言われましたが、正直言って複雑な気分です。

私の勤務する職場の建物は、今の住居から遠くに見える範囲にあります。
ですから、職場フロアで、誰かが働いていれば、電気の明かりがついているのでわかります。

ここ2週間ですが、夜10時を過ぎても、明かりが煌々と輝いております。
しかも私の職場フロアのある最上階がです。

 数年前まで、私もこのように、昼夜問わずに時間の過ぎることを忘れて、奮闘していました。
でも、その時は、会社全体が成長路線で、これから前向きに新しい事に挑戦している、といった状況でした。
 でも、現在は世界同時大不況のあおりを受けて、会社の業績が悪く、業務時間短縮で人件費削減を強いられている中です。
 
 近所にも、業績を取り戻した大きな企業の建物がありますが、今年は、夜遅くまで電気がついていることはありません。本当に対照的な光景です。
 
 当事者の私でさえ、一体何なんだこれはと、首を傾げますし、時代の要求に対して応えていない。本当にこのままでいいのか?と感じてしまいます。
 第3者である近所の方からも、「夜遅くまで電気がついているけど、景気いいですか?」とよく聞かれますが、答えに行き詰まってしまいます。

 私が関わっているものは、フルモデルまたは、マイナーチェンジが半年事に行われる商品ですが、製品の保証期間から言っても、そんなに頻繁にものを作り続けることが、消費者や企業にとって本当にメリットなのか?と疑問に思うこともあります。
自動車やテレビのように、省エネルギー対策で買い替えを推奨されているものでもない訳ですし。

半年前は、職場復帰に意欲を持っていましたが、こんな状況で再復帰しても、嬉しくはないと感じるこの頃です。

2009年9月16日水曜日

情報の無駄に振り回されるな

 最近、新聞、テレビ、ラジオ、WEB等からいろんな情報が扱われております。

 WEBについては、当初は、調べたい情報を、必要なときにすぐに検索できる便利さに、大変惹かれました。
 しかし、個人でもBlogやSNSで、情報を発信するようになってから、一部の心無いユーザーのために、必要な情報を検索しにくくなったことを、最近残念に感じております。

 Internet やWorld wide webは、当初は、アメリカの機密情報データベースやホットラインのような、特別な情報通信網から始まったわけです。

 だから内容は一般のユーザーが閲覧できる部分は、客観かつ公共性を持った情報であり、
主観が強い内容と機密性のある情報は、暗号キーでのパスワードを添付したりして、別の扱いにしておりました。

 SNSも、だんだん有力な情報と、学校のトイレ内の落書きが共存するようになり、区別も難しくなってきました。
 おまけに、特定個人の人格否定につながるような内容も珍しくありません。

 日本国憲法には、「風説の流布」いわゆるデマと呼ばれる、根拠のないうわさを意図的に流すことには、処罰対象になることが示されております。
 お隣、IT王国の韓国では、SNSでの個人への誹謗中傷書き込みによって、俳優が自殺にまで到る事件まであります。

 書いた本人は、トイレの落書きと同じつもりで、後で消してしまえばよいと思われますが、人格否定された本人への、心の傷は深さの程度によりますが、なかなか消し去ることはできないのです。

一部のマスコミもそうですが、何かを公表する際は、客観的事実と、主観的な意見や推測を、きちんと分けて書くようにするのがルールだと思いますし、学校の国語や、道徳で教えなければならないことだと、思います。

 逆に、現状、情報を探す側からみたら、根拠のないデマやうわさなどの情報は、極論は無駄と考えてもよいと思いますし、小耳に挟む程度で知るくらいの気持ちが必要だと思います。
 
 特に、うつのように考えすぎてしまう人は、そう割り切ることが必要ですし、別の観点からみて判断する癖をつけるようにしたほうがよいでしょう。
 頭の中だけで考えないで、紙に何かメモを取るくらいのほうが、気疲れしません。

 IT(情報技術)の発展で、入ってくる情報量は確実に増えていますが、人が生きる上で、必要な情報を取捨選択していかないと、とても24時間起きていても処理できません。

 政治やお上が「財源の無駄を省く」とありますが、一番の方法は、情報の無駄に振り回されないことと、出したくない客観的事実を隠蔽しないことです。

 主観もある程度は必要ですが、無理に仕事を増やすために主観をばら撒くことを、そろそろやめて欲しいこのごろです。

2009年9月13日日曜日

インフルエンザ流行への不安

新型インフルエンザ、一時は収まりかけていたことが、先月あたりから、再び
感染が広まりつつあります。
小学校や幼稚園などでは、感染防止の対策がかなり行われております。

一定の抵抗力や免疫のある成人でしたら、一時的に発熱などの症状が出ますが、回復に向かうケースが多いようです。
しかし、持病のある方や、抵抗力や免疫の弱い方は、要注意であります。

私は、現在も治療をしていますが、精神的なストレスがたまると、疲労が重なり、
脳からの指令が鈍くなり、免疫や抵抗力が一時的に弱くなることが言われております。

現在、不況の中では、業務超過時間を増やすことは余り無いですが、不況だけに精神的な
プレッシャーを感じやすい人もいます。中には上手くストレスを発散できないでいると、
弱ってきているところに、インフルエンザの感染となると、場合によっては、重症になり
さらに厳しい状況になりえます。 
 うつになる原因の一つに、身体的な疾患によるダメージから、精神的に追い込まれるケースも
あります。こうなると心身共に、悪い方向へのスパイラルに発展しかねません。

とにかく、症状が疑わしいとか、今日の体調が良くないとかあれば、無理な外出などは
避ける。このことにサボっているとかではなくて、きちんとした見方で廻りは見て欲しいと
思います。

2009年9月10日木曜日

人間なんてラララーーー。

「人間なんて、らららーららーらーら」って吉田拓郎さんが歌ってくれています。

 私は日本人なので、ヒトと書くのに「人」という漢字を使います。
漢字は、古代文明の「漢」の時代に、言葉を書き残す字として、実際のものの形等を
文字にしました。
 
 あらためて、何故このような形の文字なのか?と思います。
2本の足で支えて立っている様子とか、お互いに支えあってバランスをとりながら生きる様とか
いろいろな説はあります。

 それでは、更に「人間」とは、人の間と漢字で書きますね。
よく「人間らしく生きる」と言いますが、私の解釈では、人の間にある大事なもの、心の結びつきを
もって生きることなのでは、ないかと思います。

 欧米人と個の文化と比べて、アジアの文化は、和で成り立ってきた。そのため「人間」という漢字が生まれたのかもしれません。

 その和を創り上げるのは、心の信頼なのではないでしょうか?

 私の経験からも、信頼を得ることは難し、失うのは一瞬でのこととつくづく感じます。
 それは、大概は、決して満足することのない、無限の欲で、心の隙間を埋めることに走ってしまうと、信用や信頼を失うパターンです。

 わかっていても、やってしまうそれが、人が生きる上で持っている罪悪、つまり性悪説と呼ばれる所以かもしれません。

 最近地球上で起こっている、異常な現象は、人の欲望の度が過ぎた行動に対する自然の復讐かもと思ってしまいます。
 でも、ほんのちょっとでも、自分本位から、周りに目を向ける気持ちと行動があれば、人は良い方向に変わっていくのかもしれません。
 経済、マネーの時代から心の時代へ、願うばかりです

2009年9月9日水曜日

電磁波が飛び交う世界

私は学校を卒業して十数年になります。
この間、世の中のインフラが急に大きく変わったのではないでしょうか?

特に、インターネットによる既成の国境とは違う世界とのつながりができたこと
そして、それに関わる、メール機能を含めた携帯電話の圧倒的な普及。
さらにそのインフラを活用した商売やサービス。

最近、ふと疑問に思うのが、環境問題でエネルギー消費抑制のアクションに関して、
情報通信に対して、ほとんど触れていないのではないでしょうか?

インターネットもWEB2.0等通信高速化に伴い、一度に送る情報量も大きくなり
通信にかかる電力エネルギーも倍倍で増加しているのではないでしょうか?

また、携帯電話が送受信する電磁波も、数が多くなればエネルギーもばかになりません。
一応、800MHz帯域や、1.6GHz帯の微弱電波は、人体や自然界には影響が無視
できるとはいいますが、これだけ急に使えばどうでしょうか?

 電子レンジは、温めるものに含まれる水分子を、高周波による電磁波によって、振動させることで、熱エネルギーを発生させることは知られています。
 それは強いワット数で温めることができますが、周波数が違いますが、少なくとも大気中に
高周波の電磁波があちこちで、伝播してしまったら、何らかの影響はあってもおかしくないとは思います。
 空気中では、真空よりも電磁波エネルギーの減衰率が上であるということは、空気中でエネルギーの反射か、吸収が起こっているはずです。
 少なくとも、送信点を近づければ、同じような精密な電子機器には影響を受けるわけですから、満員の電車内で1000人が一度に携帯電話を使ったら、それなりのエネルギーにはなるのではないでしょうか?
 この辺の理屈や実態は、詳しくないので、今後暇なときに調べてみます。

2009年9月8日火曜日

身の回りの整理整頓は、心の整理整頓

私は、身の回りの整理整頓が苦手であります。
その心には、面倒くさい心が先行し、「今やらなくても、あとでまとめて片付けすればいい」
という考えが生まれ、行動に活かされやすいのだと思います。

でも、本当は、小刻みに、使ったら元に戻す。必要なものだけを出すというのが、長い目で
見た場合にリスクが少ないと思っています。
 何せ、まとめてやるといっても、規模が大きすぎてしまうと、かえって必要なものが直ぐに見つからない、いらないものが余りにも多くなりうんざりしてしまう。
また、同じものを、いくつも持ってしまう。と言った、ことになり、ものも心も雑になってきてしまいます。

お寺で修行をする際に、朝のお勤めはまず、境内の掃除から始まります。その理由は、何かを行う前には、身の回りや心身を清めることによって、余計な雑念に揺れることなく一日を過ごせるなんだと、なんとなくわかります。

オフィスでも、廻りが見渡せる程、整理整頓されている部屋と、雑然と人が隠れるくらいものが置かれている部屋で、同じことをした場合、気分が違ってきます。

名人と呼ばれる人は、商売道具、料理人ならば包丁とか、理髪師ならばはさみ、大工なら、かんなやのこぎり、かなづち等、他が雑然としても商売道具はきちんと手入れを欠かせません。
ある意味で、商売道具と自分が一体となって、心の整理整頓をされているのかもしれません。

私も過去の資産で部屋が雑然としていますが、一度に片付けようと無理せず、場所を決めて少しずつ整理整頓してみようと思います。
 時間はかかっても、何かが変わるかもしれないという期待もこめて

2009年9月7日月曜日

文字ではなく、心で通じ合う時代を(再発防止に努めて)

私は、時々朝にめまいがすることがあります。
朝、起床自体は、寝坊することは少ないのですが、とにかく頭がくらっとするときがあります。
一つ、気になる傾向として、血圧が高いことがあります。
とにかく食事や運動など気をつかなければなりません。

正直なところ、復職前の段階より、現在の方が若干、血圧、体脂肪、血糖値など悪くなっています。
自宅療養では、運動の時間も、好きな時にとれたことですし、余計な心配などを考えないようにしていたのだから、実際に仕事につくと、運動不足や、時間に縛られることの見えないストレスがあるのだと思います。
 それ以外にも、コミュニケーションに関することでストレスを感じることもあります。
特に、心のこもらない、事務的(命令的)な対応は、いい気分はしません、干渉しなければ
いいだけなのかもしれませんが、。

 私の様な経験をしたものが、再復帰することは、社会的にも難しいことがあります。
それは、うつは再発率が高い病気だからです。
 もちろん、ストレスの感じ方の軽減など、本人の努力も大事ですが、ここ数年で複数の人が
職場をやむなく外れなければならない状況は、組織で本腰をあげて改善に取り組まなければなりません。
 私が一日一笑と書いているのは、どんな些細なことでも、一日一緒にいる人が顔を合わせて、お互いに話しをすること、その人の表情やしぐさ、声のトーンを感じること。
そういう機会が自然にできるように努めることが大事だと思うからです。
 特にマネージャーやリーダー職の方には、このことの重要性を理解して取り組んでもらいたい。さもないと、若い働き盛りのメンバーを失ってしまうことにもなりかねませんよ。

2009年9月6日日曜日

野村語録:リーダーの器以上に、組織は機能しない。

以前から公言していますように、私は野村克也監督のファンであります。
そして著書や本人の発言内容に、なるほどと思うことが多くあります。

監督は、現在プロ野球で最年長監督として活躍されていますが、初めて南海ホークスの
選手兼監督に就任したのは、ちょうど今の私と同じくらいの年齢で、他チームの監督に
比べて若く、青年監督として活躍されておりました。
 当時のオーナーから、いきなり「君しかおらんのや!」と説得されたそうですが、未だに
この言葉の扱いには注意したいとおっしゃられているところは、納得です。

野村さんの実践された特徴的なことは、決して一般的には強いチームではないが、その中で
適材適所を上手く活かすこと、チームの目標を一つに意思統一すること、各個人の力の中で
元々良いところは活かし、弱点に自分から気がつかせ、克服する武器を見つけさせることで
活躍の場を新たにつかむこと。なのではないでしょうか?

 プロの選手だから、野球のレベルは人並み以上はもっている、だからもし足りないところがあれば、まずは練習で見に付けること、更に一流の選手になるためには、どうしたらよいか?、それは頭を使いなさい。と言うのが、野村さん本人の経験から発言されていることでしょう。

監督として1500勝をあげている実績をもってしても、未だに、あの時は監督の采配が悪いと口にすることもあるし、いろいろな立場を経験して、今まで完璧にわかっていたと思っていたが、違う立場から見ると、全く理解できていないことに気づかされたとも、発言されております。

70歳を超えても、常に向上心と、謙虚さと、実態をきちんと見る。きちんとした理由をもってアクションをとる。といったところが、監督としての実績を長く続けられることだと思いますし、組織もそれに応えてくれているのだと思います。
 そういう実績をみても、野村語録にある「リーダーの器以上に、組織は機能しない」というのは
本当だと思いますし、自分も含めて、常に向上心と謙虚さ、他人に耳をきちんと傾けることを地道に続けること。最近できていないことが多いなと反省する日々です。

2009年9月5日土曜日

大量消費、使い捨て時代からの脱却

プロフィールにあるように、私の職業は、メーカーのエンジニアです。

所謂、デジタル家電といわれるものに関わっております。
いろいろ世の中に出してきたメーカーの立場として、最近の環境破壊や原料不足の中で
最近ふとある葛藤を感じます。
半年ごとに大量生産を、誰のために? 使うユーザーに本当に付加価値を十二分に与えていただいているのか?とです。

マーケティング論では、ユーザー層の中には、開拓者と呼ばれる新し物好きの層があります。
おそらく、WEBのユーザー評価で真っ先に公表する方はこのような層です。
開拓者の口コミを下に、購入を検討する第二の層があります。
 現在、お財布の紐が厳しい中では、同じ機械を何台もとは、なかなかいきませんので、
下取り買い替えとなるパターンが多いと思います。
開拓者の層では、半年前に買ったものを手放すことには、抵抗がない方が多いと考えますし、
第二の層の方は、経済的な状況によって衝動買いするか、我慢するかが変わると考えます。

ノートPC、携帯電話や、薄型テレビ、ハイビジョンレコーダーなどデジタル家電は、シリコンなどの半導体や、電気部品に金、白金、銀、銅、アルミ、液晶やリチウムやニッケル水素電池等、フェライト磁石などのレアメタルと呼ばれる、地球上に存在する量がまれな材料が多く使われています。
 その他、外装や、光学部品などに、プラスチック樹脂やガラスが使われております。

PCやテレビ、携帯電話や、電池などは、最近材料の回収とリサイクルの義務や推奨を促しておりますし、回収費用を予め含めていることや、ある程度の期間使うことを前提に購入する形になります。
 それでも、メーカーは半年ごとに、機能を変えた新商品を出してきます。
最近思うのですが、保障期間や、部品交換や点検が必要な期間まで使われることは、稀になってきてないかと。更には、新機能を売りに商品を世に出してきているのにも関わらず、完全に付加価値を味あう前に、すぐ次のものに買い替えされていないかと。

 なんとなくですが、使い捨て商品と同じ扱いになっている気がしますし、メーカーの心得としてそれでいいのか?との葛藤もあります。
 使い捨てと言っても、富士写真フィルムの、「写るんです」は、きちんと回収、再生ができる仕組みが上手くできていました。

 そこまでとは言わないが、作る側もやりようがある気がします。 
メーカー間で競争もあるのですが、何か目的がずれているようにも感じられます。

日本人は、ものや道具などを、手入れして大事に使うといった価値観がありましたが、
手入れというメンテナンスの面倒さが解消されてしまった製品が多くなった時代、いつのまにか
使い捨てといった価値観が生まれてしまったのでしょうか。

日本の産業構造が、原料を海外輸入に依存度が高い現在、地球環境問題含め、もう一度質実剛健の価値観を見直してみてはどうでしょうか? と日々思います。

2009年9月3日木曜日

Only Love is real

 "Only love is real, Anything is illusion."
Carole King さんの歌詞の一フレーズです。

1970年代 It's too late ,I feel earth to move more ,You've got a friend 等のヒットで、全米のロックの殿堂入りをされたシンガーソングライターとして有名ですが、ベストアルバムにある、一曲の歌詞。
何気なく、久々に聞いてみたら、耳に残るものがありました。

かつて、うつに関する書籍を読んだ時、ある医師は、憂鬱感は、自らの経験から愛情の欠如が伴うと考えたと書かれておりました。
無表情、無言の対話、無意欲な行動など、確かにそうなのかもしれないと今思っています。
私の場合は、その反対の状況として、感情をむき出しにした躁状態と、その逆のうつ状態を繰り返していました。今も時々そのようなときがあります。

憂鬱感は、何かの不安や、不満、不信を強く感じる状況が多いです。そういう意味では、愛情のこもらない、機械的な冷たい対応と言うのは、世の中で生きる上では真ではないのかもしれません。

 初めて行く場所へ旅行に行ったときに感じる不安を、見知らぬ人の心ある一声によって、ほっとすることがあります。
 大手販売店の、マニュアル通りの決まった対応とは、何か違いものを感じます。

今、働く人のうつが増えているのも、一つには、愛情の欠如があるのかもしれません。
メールの文字だけには、見えないおもてなしの心を理解すると、ちょっとでもやってみること
これが何か救いの切っ掛けになると信じています。

2009年9月1日火曜日

経験者としてうつの怖さ、改めて理解を求める

 日本には、戦時中の大和魂と言う、気合で何でもできるという精神論が
未だにまかり通っているのでしょうか。 

 今になって感じることは、どうも、未だに「やる気」=「気合」=「皆に従え」の考えが正論と信じられている方々が多すぎるように思えます。

 はっきり言いますが、職業でプロ意識を持った人は、「やる気」があるのは最低の必須条件。
その中で、いかにして冷静に物事を考えて、準備して、適材適所の行動を遂行できるかが、その人の付加価値の高低です。

 大きな組織となれば、いかにして組織メンバーと目標を意思合わせして、適材適所を考えた作戦と、前向きな行いを遂行できるかです。
 はじめからやる気が無い人はいなく、やる気を失うのはきちんとした理由があるからです。
それを「みんな気合を入れろ!」と、押し付けがましく言うのは、大きな過ちです。

 また、「気合」の精神論で解決できることは、短期間での一発勝負の博打だけです。

 自転車で例えるならば、常に足でこがないと、車輪は前に進みませんし、決して長続きはしません。
 長く継続して前に進むには、こぐ人間の栄養補給をする、体力をつける、自転車のメンテナンスをきちんとやる等の準備が必要なのです。

 私の経験から言いますと、この間違った「気合で解決」を長続きさせた結果、原因不明の心身の不調に陥ったわけです。冷静に考えれば、20歳台の体力でカバーできたことは、現在の年齢では通用しないのは当然です。

 幸い私は、こうして今日も、こんな投稿ができる状況になっていますが、不幸にも思いつめて、身を投じてしまう方も多くいます。
 精神疾患の経験が無い人は、「そんな自分はまさか、ありえない。」と思うかもしれませんが、
いざ実際に経験してみると、負の連鎖で、後ろ向きなことしか、頭の中に浮かばなくなります。

妄想が妄想を呼ぶといった悪循環におちいる状況の怖さを感じます。

「もし、ここで誰かが声を掛けてくれなかったら?」と思います。

私が、特に政府や、厚労省に働きかけたいことは、現在の労働環境における精神疾患の問題について、実態を真摯に受け止め、対策を形だけではなく、経営者への教育や、労働者や、産業医からのフィードバック、産業医の正しい指導が正しく行われているかを、PDCAサイクルをまわす形で実行していただきたいことです。
 間違っても、産業医は、医者の小遣い稼ぎや、天下りのためであってはいけない。経営者や、人事担当者の言いなりではなく、医師として事実をきちんと報告する義務を負う。そのために本来ならばきちんとした資格や研修などが必要と思います。
 残念ながら、私がいる環境では、まだ首をかしげる事態になっております。

2009年8月31日月曜日

総選挙、国民のアピールだったと思う

衆議院選挙が終わりました。
小選挙区制度の象徴とも言えるような、与野党の獲得議席の入れ替わり様でした。

冷静に考えれば、現自民党は、55年体制時代の自民党の、非主流派(田中角栄派ではない集団)、民主党は、自民党の田中、竹下派と、旧社会党を母体とする集団だったでしょう。

田中角栄首相は、地方から国政へ、国の利益を地方に還元することを行ってきた象徴的な方だったと思います。
 私は東京都生まれですので、地方が故郷という感覚が無いです。
ただ、日本列島改造計画は、そもそも首都一極集中を狙ったのではなく、一度首都で働きに出ても、いずれは故郷に戻り、利益を還元して、豊かさを広げて行く狙いだったと思います。

これは、中国の鄧小平首相の目指した政策も同様でしたが、実際は交通手段や、首都近郊の産業に勤める方が集中し、Uターンすることがなくなってしまったことが、大きな誤算だったのではと
思います。
 今の地方の高齢化や、農業、林業に携わる人が畑や山の面倒を見られなくなるといった、日本の第一次産業の崩壊となってしまったわけです。

今までは、政府が保証金を出して、なだめていた訳ですが、取り返しのつかない状況にまで陥ってしまっては、地方の再建を目指し、地方分権を推し進めたい気持ちに傾くのも無理もないと思います。
 時間はかかっても、一つ一つ有権者が、知恵や意見を出し合うこと、それを継続できるかが、日本の産業構造の再生になるのではないでしょうか?
 私もそうですが将来に不安があるのは、今も変わりませんが、おごらず、あきらめずですよ。

漫画の存在。古くからあったものでは

 日本が世界に発信している文化の一つとして、
漫画、アニメの博物館を作ろうという案がありました。


 現状、この財政難のご時勢ですから、国会の中でもご指摘があったように、
なかなか費用の優先順位を上げる段階には至らない結論かもしれません。


 よく小学生時代に、「漫画ばっかりみてないで、たまには活字の小説を読みなさい」
と言われたものでした。
 確かに絵の無い文章から、想像を湧きたてるものは、人それぞれ違いがあることですし、
はじめから絵が合ってしまったら、一辺倒な想像になってしまうものなのかもしれません。


 ただ、漫画=低俗と考えてしまうのは、大きな間違いだと思っております。


 その理由は、歴史的な芸術として、当時の世俗の記録を表わしたものは、
必ず絵と文章が組み合わされて残されております。 
 掛け軸など典型的な例ですし、古代文明には、書かれている絵が手がかりとなっており、
同時に古い書体が残されている事実があります。


 長谷川町子さんのサザエさんは、新聞に書かれていた四コマ漫画で有名でしたね。
これは当時の生活に密着したことを、わかりやすく伝えるものであったと思います。


 現在の日本は、識字率が高いから文章で残すのが、普通なのかもしれませんが、
古代文明は、文字の普及は絵より後だった気がします。
だから、目で見えるものをそのまま絵に書いて、後世に伝えたことのほうが多いのでは
ないでしょうか。


 現代でも、何かをプレゼン報告する際に、大きく映し出すスライドも、文章だけでは見難いので、簡潔な文章と、図やポンチ絵を使い聴衆にわかりやすくする工夫をしますよね。


 今使っている漢字も、実は目で見えた形から、文字として残ったものですね。


 私は絵を描くのが下手です、字も下手ですので、漫画を上手に書ける方には一目置いております。


 でも、下手なりに、鉛筆をもっていろいろノートに書いてみるのも、頭がリフレッシュします。
よく学校の授業がつまらなくて、ノートに落書きしている人の気持ちがよくわかりますよ

2009年8月30日日曜日

意識改革:親方日の丸の時代から、物言う有権者へ

衆議院選挙の開票が始まりました。
焦点は、政権交代か、有権者の安心と信頼を取り戻す政府か、経済対策か、公務員制度改革か
外交政策、いろいろな昨今の問題に対して、争点となりました。

いずれにしろ、政府、有権者ともいけいけの右肩上がり、親方日の丸時代の、あとの世代で何とかなるとの意識が残ったまま、放置していた部分が、大きなツケとなって表れたのではないでしょうか。
 そのツケをどのように、現実的に解消し、国民生活の信頼をとり戻し、生活水準を確保することが、一番の争点になるのではないでしょうか。

バブル景気の時もそうですが、余計な物欲に味をしめると、勢いで何とかなるといった、隙が生まれるのではないでしょうか。

 この大きなツケの責任問題に関しては、議員さんではなく、検察や司法がきちんと捜査に動いて欲しい。
 むしろ議員さんには、どのように見直していくかを、短期、長期的視点の観点でアクションを遂行していただきたいし、計画の進捗をきちんとフィードバックすることと、有権者の現実に耳を傾けること、
逆に有権者が情報提供できる場を作ることをしていただきたいと思う。

 政権政党がどうであろうと、つまらない足の引っ張り合いはやめて欲しいし、そのために無駄な時間を取って欲しくない。現在、日本国憲法にある国民の義務や最低限の権利が十分果たせない危機的状況なのだから。そのことを認識してほしい。

ある意味、国民全体が、将来や明日に希望を持てない、意欲がもてないといった鬱状態に陥っている。
だから、これを解消するのは容易ではないが、だからこそ代議士も政府も、有権者も協力して
日本の建て直しを図る必要があるのでは。
もう国が最後は何とかしてくれるとか、右肩上がりの成長があるから、そのうちなんとかなるという、マル投げ意識から、有権者という、日本の主権者の当事者意識に変わる時期なのかもしれないし、そう願っております。

長期戦。闘病はまだ終わっていませんね。

 先月末位まで、ずっと安定していましたが、お盆休み明け、理由のわからない睡魔や、
早朝のめまい、下痢に襲われるようになりました。
 
 世間で騒がれているインフルエンザような、発熱現象は無いのですが、
不可解な倦怠感を感じることも、多くなりました。

その時は、傾向的に、通常より血圧が高いのも気がかりです。

 自覚できる理由がないため、気がかりですが、日の早い早朝に目が覚めてしまうことも
一つ傾向があります。

 明るくなると目が覚めることは、人間の本能としてもっている体内時計なので、仕方がないですが
昼間、突然睡魔に襲われるのは、眠りが浅い可能性はあります。

 復職していろいろ乗り越えてきましたが、
今年の健康診断の結果では、休養中より、体重と内臓脂肪や血圧などが増加している等、
自覚症状はないが、なんらかの影響は出ているのでしょうか。
 
 原因の自覚がないため、最近見えない不安を感じてしまいます。

一般に精神疾患は、回復が長期戦になることや、再発率が高いといわれております。

 最初はまさかと思っていても、やはり不安を実感すると、まだ終わっていない。
もう一度気をつけなければと考えております。

 仕事に復帰してきましたが、焦らず、周りの早いペースと一線を外すことは、必要なことと
わかっていても、状況が目に入ると、改めて、忍耐を感じます。
 また、周りが苦しい時に、力になれないもどかしさや、不安も感じてしまうのです。

それは、大分時が過ぎたから、そろそろという時期だからこそ、尚更です。

 今の状況で、自分が最大限できることで、協力していけばよい。
それは、わかることですが、いつまでもこのままでは、と言う気持ちとの葛藤の日々が続きます。

この苦しさが乗り越えられれば、強いメンタルを維持できると、前向きな目標として考えるしかない。
弱気ですがそう言い聞かせています。

2009年8月28日金曜日

教育強化の前に必要なこと

週末の衆議院選挙、各党は予算の使い道として、児童や学生の教育水準UPを
提唱しています。
 具体的にどのように使うかは不問として、未来の日本を担う世代に、十分な教育を受ける機会を
与えることは、私も賛同です。

ただ、机で勉強することだけが、教育ではないですし、子供だけが対象で、大人は勉強することはないと思ってもらっては困ります。
 特に、人が共存していく中で、必要な道徳やモラル、マナーについては、まず大人がしっかり再教育することを意識しなければならないと思います。
 子供に教えるべき大人がいい加減な態度であれば、教えることが全くもって形だけになります。

 私は、決してモラルを完璧に押さえているわけではないですが、最近、そんな私からみても、社会人としてちょっとと首を傾げたくなることも多くあります。

具体的には  1)会議で発表者が発言中に、野次を入れる国会議員さん達
         2)狭い通路で、急いでいる人がいるのに、横に並んでちんたら歩く人
         3)人混みの中や、お子様の前での路上喫煙や歩行喫煙
         4)交差点付近や、通行量が多い道路での、長時間の路上駐車
         5)仕事中に、ぶらぶら歩きながら長時間にわたる私的な携帯メールのやりとり
         6)電車内での携帯電話のマナーや、座席マナー
         7)住宅街で深夜での大声で騒ぐことや、自動車、バイクの爆音
         8)路上に飲食した容器などを放置して捨てること

これらには、そのことをその瞬時に行う必然性が無い、別の機会にできるし、代替手段もあるといった共通の事項があるが、やっている本人曰く、声を掛けると、「今回だけいいじゃん、たまたま、いつもはちゃんとしている」といった対応です。

大人に言われると屁理屈でも言い訳しますが、子供に言われたらどう答えるのですか? 

2009年8月26日水曜日

季節の変わり目

今年は、夏の日差しの強さを感じることが、少なかった気がしました。

先週まで、早朝から蝉の鳴き声が騒々しかったのですが、段々トーンダウンと
いったところでしょうか、蜻蛉の姿もちらほら見かけるようになってきました。

 日の入りも段々早くなってきましたし、近所で見かける朝顔や、
ひまわりもピークを過ぎた様子です。

盛者必衰といいますが、四季というサイクルで、盛者が変化し、また復活する機会がある。
これが、古代から人類が時間変化を感じる基になったのではないでしょうか?
体内時計と言う形で、本能的に備えているわけです。

季節の変わり目は、私もそうですが、心身不調に陥りやすいです。
私の考えですが、人がもつ、体内時計と、自然の変化とのずれが生じることで
本能的に迷いが生じるためではと思っております。

昼夜問わず仕事などしていると、同じような状況になるのではないでしょうか?

こんな時は、早朝や夕方に、外に出て、自然が良く見えるところを散歩することで
季節の変わり目を実感するのが、よいのではないでしょうか

2009年8月24日月曜日

油断大敵 インフルエンザの感染注意

 私が休み中、家族で北海道に旅行をしていたときでした。

 駅で売っている、スポーツ新聞に、北海道日本ハムの選手、
コーチに新型インフルエンザ感染と、書かれておりました。

 私は当日は、札幌市内におりました。
選手たちは、旭川の宿泊先で感染だったので、離れてはいましたが、
電車で1時間ちょっとでいける距離ですし、夏休みで、旭山動物園などに
行楽で行かれた旅行客も多いと思いますと、観戦が目に見えないだけに
人事ではありません。
いまのところ、異常は感じませんが、気をつけておきたいところです。

最近、あまりニュースで報道されなくなってきて、街の薬やさんでも
マスクの在庫が見られてきた矢先のことでした。

やはり、うがい手洗い、早ね早起きは、予防の一番の対策ですが、
気温が上がってきて、ウイルス活動が低下するからといった、ちょっとした
安心感が、どこか油断を呼んだのかもしれません。

うつ病もそうですが、体の不調を感じたら、とにかく無理をせず休息をとる。
他の人に拡大しないように、アクションをとることが重要です。

病気に対して一番効果があるのは予防です。
風邪も、精神的な心の風邪も、周りにストレスシャワーを浴びせないようにすることを
心がける必要があるでしょうし、周りの理解も重要です。
過剰な対策で、周りから心無いストレスをばらまくのは論外です。

2009年8月23日日曜日

毎日が運動になりました。

夏休み明けに、オフィスの引越しがありました。
なんと、今までの2階にあったオフィスが、10階建てビルの10階フロアに移転したのです。

お陰で、早朝の出勤時間が少し早くするようになりました。
その理由は、出勤時エレベーターが混雑し、会社に入ってからフロアに到達するまで時間がかかるためです。


 試しに一度、10階まで階段で上がってみました。 感想は

うっ!とにかく足腰がキツイ、
同じ運動方向が続くため目がまわる。ってな感じです

 今度は別の時間に10階から、階段で降りてみました。

これもまたまたキツイ!、
のぼりのとは違う筋肉を使うのか、結構ひざに来るし、やはり目が廻ります。

ここまで体力が落ちたか?、、、。

この状態では、災害時避難が厳しくなると、改めて感じました。

運動不足の生活を見直さなければ、、、。
まずは一日一往復を目標に一週間続けてみようと思います。

友人からのアドバイス:朝の一杯

 暑い日が続きます。
暑さしのぎで、冷たいものが多くなり勝ちですが、
胃腸に堪えると食欲低下から、夏バテに至ってしまいます。

 お盆休み明けになり再び仕事が始まります。


外の暑さと、室内の温度差は、私にとって、見えないストレスの温床でした。

古いビルの空調では、どうしても送風位置近くにいることが多くなると、
常に冷風を直に当たってしまうため、余計に厳しいです。

 室内では、体の温まるように、冷たい飲み物はできるだけ避け、
熱い紅茶や、中国のプーアール茶、韓国の生姜茶等を口にしておりました

 
それでも何か、手足の末端にまで血流が悪いためか、ダメなのでした。

 最近、家庭科の教員をしている友人から、
朝、スプーン一杯の酢(穀物酢でも黒酢でも可)を、水やお湯で薄めて
飲んでみること
を、勧められました。

 非常に口当たりは悪いのですが、飲んでみると体の中から温かくなり、
血流が良くなった気がします。
 事実、最近、仕事場の空調からのストレスをあまり感じなくなりました。

 実際、酢の物は食欲増進になりますし、鶏肉などに加えると、
肉が柔らかくなり、食べやすくなるといった効果や、
しめざばのように、殺菌の効果もあることは、主婦の知恵から実績があります。
また、化学的にもわかっております。

最近は、飲みやすいように、りんごジュースを加えて飲むようにしております。

 そういえば、以前、愛知県の半田市に宿泊した時、
ホテルの朝食では、りんご酢などが選べるようになっており、ためしに飲んだ
記憶があります。

 知多半島にある半田市は、中埜商店こと、ミツカン酢の本社と工場があります。
工場の近くは、酢の強い香りがしていました。

 愛知県の名古屋市や、岡崎市など三河湾や伊勢湾沿いは、
夏は非常に暑いところでもあります。

 同様に、南国沖縄でももろみ酢や酵酢等を口にする習慣があります。

名古屋や沖縄は、暑いところですが、長寿の方が多い地域であります。
完全な根拠ではないですが、自然と人類の知恵から生まれた、
酢酸というものの優れた力を感じます。

夏バテで食欲がちょっとと言う方は、どうでしょうか?
きゅうりや、白菜の酢の物というのもお勧めです。

2009年8月22日土曜日

否定形から肯定形へ変えてみる。

街中では衆議院選挙が公示され、各立候補者が論戦を行っております。

最近気になるのが、アメリカでよくやられている、比較材料のネガティブキャンペーンを
日本でも、やられていることが目立つことです。

うつ病に陥る思考パターンとして、All or Nothing の完璧主義が強く、完璧を求める理想との
隙間が埋められない自分に対して、ネガティブな思考が強くなるパターンが挙げられます。

会話でも、だんだん否定形が目立ってきますし、更にネガティブ思考なってしまいます。
特に極端になると、被害妄想が強くなったりします。

ここで、同じ考えや事実を、言ったり書いたり表現するときに、あえて否定形を使わず
肯定形や、可能性を含んだ肯定形で表わしてみてはどうでしょうか?

これは、決して、事実を捻じ曲げてまで、屁理屈を考えよとは、言っているのではなく。
客観的な事実から、「~できない。」「~ない」と考える要因に対し、相反する事実から
考えられる解決策の可能性を示す思考をしてはどうでしょうか?と言っているのです。

コインを正面から見ると、裏面に何が書いてあるかわかりませんね。
だから、見ることができないと考える思考があったりします、
だけどちょっと考えてみてコインに裏面があり、何かが書かれていることは事実ですし、
見方を変えてみれば、表裏両面の一部を両方みることができ、
書かれてあることを推測できますね。

私も含め、世の中ではマイナス思考が目立ってきている状況なのではないでしょうか?
現実を認めなければならないことは事実です。でも自棄になるのではなく、
ちょっと見方を変える努力と勇気があれば、前向きな思考が生まれる可能性もありますし
長所も短所も、お互い認め合いながら人付き合いができるのではないでしょうか?

2009年8月17日月曜日

お盆休みも一段落です。

お盆休みもピークを迎えました。
それぞれ故郷へ帰省して、先祖供養とか、自然の多いところで家族団欒といったところでしょうか。

お陰で、都内は、いつもより空いていましたが、今年は混雑を避けてこの時期に帰省しない人も
結構いるそうです。
 高速道路も、東名高速での地震の影響や、通行料引き下げのこともあって、いつもながら交通渋滞が目立っておりました。
 いつもながら、十分な休みにはならなかったのではと、危惧しております。

私は、東京都出身なので、故郷に戻るという部分は、あまり実感がないです。
でも、自然の多い地方に出かけると、何かと心落ち着くものであります。
不思議なものです。
 例えば、砂浜で本を読みながら横になるとか、堤防で釣り糸を垂れるとか、ゆっくりと山を登り、見晴台の光景を楽しむとか、ゆっくりした時間の流れのありがたさを感じます。

ただ、これだけ混雑すると、車の運転は堪えますし、なかなかリフレッシュも難しくて苦労しております。

やはり、一度四国のお遍路を歩きまわることや、禅寺の修行などやってみたいものであります。

2009年8月16日日曜日

8月15日に思うこと

今年も8月15日がやってきました。
甲子園球場でも、正午に黙祷をする行事が行われました。
それは、62年前に、日本が太平洋戦争を降伏宣言し、終戦となった日であります。

 私は、亡き祖父祖母から、戦時中の悲惨な状況や、空襲から逃げる日々の様子を
以前から聞いておりました。
 私が現在住む市にも、空襲があり、その形跡がきちんと残されております。

 戦争に至った経緯や、戦時中のプロパガンダの状況からすると、日本国民は加害者でもあり、被害者でもあるとも考えられます。

 当時を目の当たりにされている方も、高齢で段々少なくなりつつありますが、
少なくとも客観的な事実としてあったことを、きちんと伝えることは生涯の責任と考えて欲しいです。

 原子爆弾も、アウシュビッツも、南京で行った迫害も、人道的観点からも、人権を無視した行為を認めてしまった人類の過ちの行為なのです。


 その結果、国と国との間での利害対立の手段として、戦争することは、何も良いことがない、二度と同じ過ちを繰り返さないことと、後世に伝え続けることは、特に日本国民にとっては必要なことだと感じます。

2009年8月13日木曜日

暑い! だけど何処か冷めている討論会

 暦ではすでに立秋ですが、連日台風一過の高気圧によって、毎日30℃を越す暑さに見舞われております。

 政治の世界では、代議士の皆さんが、8月30日の選挙戦に向けて、連日熱い街頭演説で、支持を訴えております。
 
 昨日は党首討論会もありましたが、何処か、目くそ鼻くそを笑うとか、揚げ足取り合戦のような気がしてなりません。
 各党が選挙公約としているマニフェストという形を作ったことは、一流経済、三流政治と呼ばれる部類の方では、進歩があったことだと思いますが、私の意見として、国家をどうしたいビジョンはよしとして、良いことだけでなく、ネガティブなことも正直に表現されたほうがよいのではないでしょうか?

 現実に政府や代議士連中が、見てみぬふりをしていたがために、取り返しがつかなくなった問題があるわけですから、忙しいそばやの出前のように、今やります。っていっても、簡単には信頼を得ることは
難しいと思います。

 良い営業の方と言うのは、決して嘘は言わないし、良し悪しをきちんと説明して、お客様への選択権をきちんと作り、相互信頼を得ていくといわれます。

 有権者と立候補者への提言として、

 (1)現在の国の政策がよくないことについて、不平不満があるが、その人を選んだのは、
有権者の責任で選んだのですと、認識すべきです。
  だから、代議士とは有権者の代表であるわけですから、有権者は、代議士に必要であれば訴求し、また代議士は、有権者の現実に耳を傾けなければならない。選挙だけお願いしますと威勢がいい議員さんには、信頼をえることは難しいでしょう。

 (2)代議士や政府の方は、問題の断片的な面を取り上げて議論されていますが、それはマスコミの取り上げるネタには都合はよいかもしれません。
ただし、有権者に対しては、もう少し全体と詳細の客観的事実と、主観をきちんと区別して説明してほしいです。
 私が先生だったら、立候補者と、小中学生への夏休みの自由研究として、「なぜ日本は不況なのか?」「日本政府の借金が減らないのは?」「これらをどうしたらいいか?」というテーマで宿題を
与えたいです。
 特に重視したいのが、結果だけでなく思考プロセスがわかる、マインドマップや、QC7つ道具、
決算時のキャッシュフローを、貸借対照表や、時系列での流れで、わかりやすく図示してもらうことです。 これらは、プロセスが深堀できてなかったり、事実に虚偽があると、図に矛盾があることが
はっきりわかります。

 とにかくレベルの低い争いと、他人事では済まされない事態ですので、強い意志をもって投票に行きましょう。

三度目の正直(甲子園の熱い対戦)

甲子園球場で、全国高校野球大会が始まりました。
毎日、一戦に集中した熱戦が繰り返されております。

 ここ10数年見て感じるのは、チームの力の差が殆どなく、
攻守にわたりレベルが高いことです。

 中学から高校になると、軟式から硬式のボールになるわけですから、
打球の速さは全く違いますが、イレギュラーバウンドがあっても後逸しない上手さが目立ちます。
 大人の草野球の守備とは全く比べ物になりません

 かつて、野球は、豪腕投手や、怪力バッターなど、個人技の要素が強かった気がしましたが、
やはりWBC等での見本があるように、チームプレイがきちんとできるチームが目立ちます。
これは、普段から、考えてきちんと練習している証拠だと思います。

 さて、今年は天候に恵まれず、なんと同じ対戦が2日連続で、雨天ノーゲームになってしまい、
3日目で勝敗がついた といった試合がありました。

 広島県代表の如水館高校と、高知県代表の高知高校の対戦でした。
一回目、2回目も降雨の中、点の取り合いで、ノーゲームになったときは、いずれも如水館高校が
リードしていたのですが、仕切りなおしでの3回目は、高知高校が勝利となる皮肉な結果となりました。

 高知高校の選手は、2度の対戦の中で、相手を攻略する作戦を考え直した結果だそうですが、
試合は完全に終わるまで、何が起こるかわからないと言ったことでしょうし、3日連続試合の中で
両チームの選手が、冷静さを失わなわずに対戦したことは、素晴らしいことです。

 両チーム選手は、他のチームでは味わうことのできない、貴重な経験だったと思いますし、
3日間連続で、応援してもらえるなんて、苦しい時であるからこそ、嬉しいものだと思います。

 勝ち抜いた高知高校の選手たちは、次の試合に向けて心機一転ですし、
敗北した如水館高校は、後輩がいる来年に向けて頑張って欲しいし、敗北で得たことを前向きに考えて後輩たちに伝えてもらえばいいと思います。

 かつて、早稲田実業の斉藤祐樹投手と、駒大苫小牧の田中将大(現楽天イーグルス)投手の
延長18回、引き分け再試合という暑さの中での熱闘がありました。
 今回は、降雨で、マウンドやグランドが荒れた中での、選手の集中した熱闘というのも記憶に残る
ことでしょう。

2009年8月11日火曜日

今日は、朝から堪えました。

昨晩から、台風が接近することによる大雨で、なかなか良く眠れない状況でした。

更に、それにも増して、早朝に地震による大きな揺れで、完全に目が覚めてしまいました。

最初のドスンというゆれから、しばらくして長い周期で大きくゆれるといった、

早朝の静けさの中で、恐怖感を感じ、テーブルの下にもぐりこみました。

日本各地で、大雨や地震など自然災害に見舞われておりますが、水害も地震も、逃げるまでの
冷静な行動をとるというのは、いかに難しいことかと感じました。

 たまたま何も被害が無かったのが幸いでしたが、やはり普段から、ものだけでなく、心の備えも
重要であると、改めて感じさせられました。 

 最後に、水害で被災された方々へ、お悔み申し上げます。

2009年8月9日日曜日

のりぴーに一体何が、、、。

昨夜、同年代の主婦であり、芸能人である酒井法子さんが、麻薬所持法違反の疑いで
警視庁に逮捕されるといった、ショッキングなニュースがありました。

麻薬は、一度手を出すと、禁断症状が強く、常習性を持つ場合が多いと聞いております。
合法ですが、煙草のニコチンも、程度は違いますが、同く常習性をもつものです。

芸能活動と、ご子息の母を両立させ、同年代として勇気を与える存在の一人でしたので
動揺は隠せません。

犯行の有無は確定しておりませんが、タレントとして有名人であるが故の、心の隙間を埋める難しさがあったのかもしれません。
 主婦として買い物に外に出るだけでも、周りから見られるわけですから、場合によっては
あたかも、かつて独裁政治で弾圧したナチスドイツの、諜報機関ゲシュタポに追われているような
感じだったのかもしれません。
 本人もそうですが、ご子息たちも、心のどこかにそういった目でみられていたのかもしれません。

今いえることは、とにかく容疑の有無に関わらず、正直に事実をさらけ出すこと。
もし麻薬常用が事実だとしたら、まずは罪を受けることと、二度と陥らないようにするにはどうすべきか、長い時間をかけて家族全員で話しあって欲しいです。

 完璧症で潔癖症の人には、うつになりやすいタイプの一つです。
完璧を追うがために、生まれる、理想と現実との隙間に絶えられなくて、時には、対処方法として、酒に溺れる人もいますし、クスリに手を出してしまうこともあります。
 人は、自分が思っているほど強くはない、自分の弱さを知ることと、特にはさらけ出すことも必要なのでしょうか、それをお互いに知り、補うのが家族だったり、友人だったり、仲間の輪ではないでしょうか? とにかく、いずれにしろ残念というより、悔しい気分です。

2009年8月8日土曜日

コンビニ食品の値引き規制要請について思うこと

 コンビニエンスストアで売っている食品のうち、賞味期限が近づいたものを、見切り品として、
店が独自判断で値引きして売ることに、コンビニ商社が規制をかけていたことについて、公正取引委員会から排除命令が下りました。

 街中のスーパーでは、生鮮食品の見切り品販売や、加工品の材料に使う等の対応は、よく見られていました。

 ところが、規制に従ったコンビニでは、見切り品については自主廃棄とし、仕入れ代金は自腹を切っていたようです。
 世論では、もったいないとか、不況だから安く買える機会を与えてもいいじゃないか、という意見も多いかと思います。

 食料品のように商品サイクルの短いものではないですが、私は、半年に一度モデルチェンジを頻発する家電業界に関わるものでありますので、コンビニ本社の規制については、苦しい事情に多少は同情したい気持ちはあります。

 なぜならば、メーカーと販売店との力関係で、家電業界は、販売店の方が強く、ある大手量販店では
メーカーのものに対し、「売ってやるから、売れる商品をよこせ、その代わり売り上げの3割を販売店がとるよ!」といった状況です。
 だから、店頭でちょっとでも売れ行きが悪くなると、ものの展示スペースを更新しなければならないので、価格を下げ、出血価格になる場合もあり、それでも処分できないと、メーカー返品要請といったことにまで行われております。

 コンビニ店舗での、商品仕入れは、店独自で決定権がどの程度あるかによりますが、おそらくどの店舗も同じものが置いてある状況から言うと、フランチャイズ契約でのコンビニ本社の権限が強いのでしょう。家電量販店とメーカーとの関係や、食品メーカーと大手スーパーとの関係とは、ちょっと異なるようです。
 コンビニ店舗のオーナーは、もともと個人商店を経営されていた方が多いですから、商品を廃棄することに対して、損失が増え経営を苦しめるというよりは、売れる可能性のある食べ物を廃棄することへの罪悪感を強く感じられたのではないでしょうか。
 中には、廃棄をやめて、個人料理店に、材料として提供し、収入の少ない人に低価格な定食として振舞っているところまであります。
 
 日本の食糧自給率の低いこと、異常気象によって、飢餓に苦しんでいる人類が、地球上で100万人近くいることは事実です。
 大手コンビニ商社は、世界中に店舗を構えるグローバル企業でありますね、だからこそ、この現実をきちんと受け止め、ものが不足しているところに、食料を再配分することが、真の世界的信頼を得られるのではないでしょうか!
 

2009年8月7日金曜日

天空に視点が向かった日々

こんばんは、一日の行動で、視線はどのあたりを向いていることが多いですか?

8時間睡眠をとっている人であれば、寝相が良ければ、一日の3分の1は正面か、上向きでしょう。

最近、起きている時間内で、正面より下を向いていることが、多くなったと思いませんか?

私は仕事上、ノートパソコンを使う関係で、どうしても目線が下向きになることが多いです。
そのほか、本や資料を読み書きする際の所作として、下向きになります。
それでも、大体8時間勤務だったとすれば、3分の1です。
 最近は、目の疲れや肩こりなどから、中古の液晶ディスプレーを借用して、
なるべく、正面をみるようにしています。

 ちょっと気になるのが、携帯電話のメールやWEB機能の操作、ポータブルゲームで、
電車の中で長時間下をむくこと。
 また街中で歩きながらや、自転車に乗りながらといった所作で下を向いている人が多いことです。
前を見ていないので、前方不注意でぶつかる危険があります。
これにはちょっと異を唱える気分になります。

視線が下に集中したりすると、どうしても姿勢が悪くなり、肩こりやめまいなどで、最悪は
精神的な疲れに陥ってしまうこともあります。

 そんな不思議な時代ですが、先月あたりから、皆既日食や、若田光一さんの国際宇宙ステーションでの活動、あるいは、梅雨明けの待望や、天候の急変などで、上空で起きている話題に注目する機会が
多くなってきました。
 国際宇宙ステーションは、人工的なものですが、そこから見える地球の姿は、人工では容易に作れない美しさがありますし、そのほかは、人類が生まれる前からある自然現象であります。

人類は、お金や頭を使って何でも、思い通りにすることが可能であると、考えられる方々も一部いますが、そういう人の最終的な目的は、独占欲だと思います。
 なぜならば、本来の科学者や研究者は、自然におこる物事の本質、つまり客観的事実を追求することにあるためです。
 地動説を訴えた科学者、ガリレオ・ガリレイは、天動説を絶対とする宗教団体の圧力に対して、
「宗教の信仰は信じるが、事実としてそれでも地球は廻っている」という言葉が有名ですね。

 身近には、人類が制御できない天候によって、人類の生命線を左右する事態があります。
だから、いろいろな歴史書等には、天空の話題が多いのです。

 空よりもメールのほうが大事というのは、少々つまらない世の中だと思いますが、最近日食などで
再び上向き目線の機会が増えたことは、嬉しく思います。
 最近の急激な天気の変化による、集中豪雨や雷鳴は、ある意味、自然から人類への訴えなのかもしれません。

2009年8月5日水曜日

改めて考える、うつとは一体

今年は、梅雨明け宣言から、あまり夏らしい気分良く晴れる日が少ないようです。

今年2月半ばから、正式に会社に復職して、いろいろ大小の波を乗り越えてきたと、思っています。

 でも、担当医師や、経験者や精神科医が必ずおっしゃるとおり、
このうつとは、ものすごく複雑で、回復するのに長い時間を要することと、
自分で回復したと思って油断すると、再発に陥りやすいということを、最近特に実感いたします。

 というのは、ここ最近気候の変化や、職場の空調による体感温度変化もありますし、
つい仕事も夢中でやってしまい、長期戦になっていることに後で気がつき、
家に着くと、急に心身が堪えることが多くなってしまったからです。

 また、以前に比べ、朝方に集中力が低下気味になっているのを、感じるためでもあります。

 うつは心の病気とも言いますが、実際に脳神経の活動が鈍ることや、
身体の不調に表れるという事実があります。

 メカニズムは医学界でも、客観的な研究も現在進行中といったところで、
わかっていない部分も多くあります。

 だから、原因を見つけるのに時間を掛けて問診したり、処方も時間を掛けて訓練したりします。

 実際に、脳内の思考活動が疲労で低下していることや、
脳内のある部位では、ストレスを過剰に反応するが、ある部分ではほとんど活動が鈍ると、
いったことで、最悪は認知症などの脳機能の低下を招く、との研究発表もあります。

 ご存知の通り、人間は脳神経により、感覚を得たり、筋肉に動作指令を与えたりします。
その指令は、脳神経回路が、周りの影響によって、逐次プログラムを更新させたり、
回路の繋ぎ変えをしたりして、複雑な系になっております。

 神経回路が複雑であるから、何処か活動に不具合があったときの影響が、
想定しにくいとも考えられます。

 その結果、身体に異常はなくても、理由はわからないが体が不調に陥る、
といった現象が現れるのかもしれません。

私自身は、結構つらい状況なのですが、なかなか 身体の怪我のようなことと違い、大した病気ではないという、間違った見方を持つ人が実際多いのも事実です。 そういう対応には私も、大分慣れてきましたが、もう少し社会全体に蔓延しつつある問題と思って考えて欲しいと思っております。

私の場合は、労働組合と、会社から休業補償を頂きましたが、自営の場合はそうはいきません。
 また、生命保険も、怪我などの入院とは異なり、医療費がかかるのにも関わらず、生命保険の対象にはなっていない事実もあります。
 このことは経験者として、政府厚労省や、自治体などに改善を訴えて生きたい所在であります。

それよりも、まず、同じような人を増やさないように、ひとりひとりに働きかけることが、大事なのかもしれませんね。それは、日々方法を検討しております。

2009年8月4日火曜日

弱い犬ほどよく吠える

昨日、NHKのクローズアップ現代という番組を拝見しました。

 最近、大企業では、社会的責任という目的の一つの手段として、内部統制機能に、費用と時間と人材をかけることが主流になっています。
 これは、エンロン等 アメリカの主要企業が不正を行ってきたことを、企業内で逐次是正できなかったために、不正の内部告発という形で、社会的信用を失ってしまった事例に事を発します。

 但し、アメリカのやり方をそのまま、日本企業に導入しようとすると、リスク回避のためのルールを
作りすぎて、何をするにも杓子定規で、個人の許される権限が皆無になり、自発的創造性が生まれない。
 また、こんなルールを作ることや運用することに、多大なコストを掛けなければならず、不況下においては、さらに企業活動を切迫する事態となっている。
といったことが問題になっております。

 さらに、最悪は、リスク回避の手段として、起こった問題をもみ消すと言ったことになり、本来の目的からすると、本末転倒になる事態もありえます。

 昔、学生時代を思い出すと、学校の校則が厳しいところ、自由な雰囲気なところはいろいろ話題になりました。
 よく言われるのは、生徒の自主性と、教える側のバランスがうまくとれている学校は、本質から逸脱したような規則を考えたりしていないし、そんなことをしなくても、自分たちで良くする様に考えて上手くいっていることです。

 大人になっても、高給取りになっても、自分の肩書きの優位差をたてに、自分の考え通りに一辺倒に押し付け、それ以外には敵意を持つが如く振舞う人は結構います。
 自分だけが都合のよいように、規則を作ることが目的になっている人もいるのではないでしょうか?
 
 かつての独裁者もそうですが、自分の作った規則をすべて是とし、良い報告だけに耳を傾ける者は、いずれ遠からず組織を崩壊する方向にしか働きません。
 
 これは自分に反論するものを恐れ、規則を作って排除することでリスク回避する訳ですが、
問題の本質を全く考えて、対応していないからです。
 いわば、対策の対策を一生懸命つくって、最後は自分のまわりに防御壁を積み重ね、あげくに外に出ることができなくなってしまう愚かなことと、同類であります。

 強いボス犬は、自分の強さと弱点も公開し、仲間の信頼を得ることに尽力するが、
弱い犬は、直ぐに相手を敵視して、威嚇することに、尽力するといったことではないですか、

本当の意味で強い犬が、日本のリーダーや、経営者になってほしいし、どうも最近は弱い犬が
強がってリーダーになっているような気がします。

2009年8月2日日曜日

夏空はどこへ、14年前の様子と似ているのでは

東京は、梅雨明け宣言がされましたが、連日どんより雲に覆われております。

連日テレビで見かける天気図も、日本列島から梅雨前線が見えなくなる日はありません。
気象の見方からは、太平洋高気圧の勢力が、例年に比べ弱いためだといわれています。

 そんな状況だからでしょうか、朝起きても何か寝不足を感じますし、
なんとなくいつもより気力が湧いてこない気がします。
 世間でも、ビアーガーデンが閑散としていたり、不景気に追い討ちを掛けているような雰囲気もあります。

 私が大学の最終学年だった年も、気象庁が梅雨明けを撤回した年で、同じような感じでした。
バブル崩壊のツケで、どこの産業も厳しい向かい風が吹き、就職氷河期がはじまっておりました。
 奇しくも、自民党の一部議員の分裂で、日本新党と新進党の躍進で、細川内閣が誕生し、自民党政権が退散したといった、大きな流れがありました。

 偶然かもしれませんが、歴史は繰り返すのかもしれません。
必ずしも人為的なものだけが及ぼすものではなく、自然現象もそうかもしれません。
世の中の常は移り変わりゆくもの、諸行無常とは言いますが、ただ一つ言えるのは、
「奢れるものは久しからず」と言う結果になることは、不変なのではないかと思います。

2009年7月28日火曜日

ファン太郎の奮起に期待しています。

久々に相撲ネタです。
 大相撲名古屋場所は、琴欧州と白鳳の熾烈な優勝争いの中、
千秋楽に横綱白鳳が、横綱朝青龍を破り、優勝で幕を閉じました。

白鳳の相撲は、体勢を崩しても、土俵をわらない、地に脚がついたような粘り強さが
光りました。相手にまわしを取らせない、差し手を入れさせない、隙をついてまわしをとるといった
相手の動きをうまく封じ込める攻撃と防御で、王道を得ているような気がします。

 朝青龍は、横綱同士の優勝争いが期待された中で、まさかの10勝5敗といった、無念の結果でしたが、千秋楽の白鳳戦は、勝敗は土俵際で投げ返されてしまい土がついてしまったが、長い時間となった熾烈な相撲は、本来の強さを取り戻す切っ掛けとなったのではないでしょうか。

 と言うのも、今場所は途中まさかの黒星を喫した相撲以来、何かと一瞬の隙を相手につかれてしまったような負け方が続いていましたためです。
 黒星を喫した日の表情から、何かスランプに陥ってしまった様子が見えていました。

 本来、隙を与えないスピードで相手を圧倒する強さが、朝青龍の持ち味でしたので、それが崩された
中で、迷いが生じたのかもしれません。
 一部の土俵外の素行で、いろいろ憎まれ口をたたかれることもありますが、
よくも悪くも、この人の上を行かないと、横綱にはなれないといった目標となり、白鳳や、琴欧州、日馬富士等、追ってくる力士のレベルアップに貢献されたことも含め、大相撲を盛り上げた功労者ではないでしょうか。

 強い競争相手が多くなり、ますます熾烈な取り組みが期待されますが、崖っぷちからの意地の強さは
期待を裏切らないと思いますし、やはり、私としても、横綱が優勝争いの大きな壁であって欲しいと思っています。
 次の場所では、是非、ファン太郎の奮起に期待したいところです。

2009年7月26日日曜日

野村語録:「失敗と書いて、せいちょうと読む」

東北楽天ゴールデンイーグルス監督、野村克也監督。
最近、試合後のコメントに、些か弱気な言葉が目立つような気がしますが、
一ファンとして、何とか巻き返しを期待したいところです。

 この人の著書に書かれる言葉は、どのような立場においても、いつも学ぶ姿勢を忘れない。
といった考え方を、実践された中で表現された事なのでしょう、
 私が著書を読んで、いつも感じるのは、短いコラムの中に、野球を例にとって、
非常に説得力のある内容を、的確に示されているということです。

 しかも、ただの野球に限ったこと内容ではなく、人が生きる上での試練としても当てはまることが
多いと言うのも、この人が世間一般から注目される状況の大きな理由なのではないでしょうか。

 語録の中で、「自分の型(かた)を創り、それに血を注ぎ、形(かたち)にする。」、
「欲を知り、欲を制す」と言う内容は、以前紹介しました。

 最近 私が、一社会人として特に気にしている言葉が、「失敗と書いて、せいちょうと読む」
でした。
 私は、物事が思い通りに行かなかったことを、「失敗」というのであれば、一つの新しい「成功」は、
それまでの「失敗」で得られた事実や、課題の発見のプロセスを経て、行き着いた結論だと思っております。
 最近特に感じるのは、仲間の「失敗」を、非難の方向にエネルギーを使いがちな人が多いことです。
中には、「失敗」しそうだというのがわかっていても、見てみぬふりをして、ことが起こった途端に非難することに元気になる人までいますし、無理やりもみ消すようにすることにエネルギーを使う人までいます。
 はじめっからできる確率が高いことばかりやっていては、何も進歩はありませんね。
もちろん、同じ失敗を何度もやるのも、進歩はありません。
同じ失敗をする人に見られるのは、失敗の事実を把握しようとする部分が不足していることです。

 組織戦の場合は、仲間の失敗した事実を、次の成功に向かうための鍵として認識すべきことだと思います。なぜならば、世の中の事柄では、成功する確率が100%のことは稀なのですから。
確率を上げるためには、失敗の事例とよく向き合うことの過程が必要なのです。

失敗の事例を隠蔽し続けると、今の厚生労働省や、国土交通省が抱えている問題のように
ことが取り返しがつかなくなるまで進んでしまう、といったことになるのです。

私が思うには、わずかな人でも、間違いの指摘に「言ってくれて有り難う」という気持ちがあれば、、、。
と感じるこの頃です。
 

2009年7月25日土曜日

自由とは? FreedomとLibertyとの違い

昨日深夜にも関わらず、NHKドキュメント「マネー資本主義」を見ておりました。

 改めて、1980年代に日本で引き起こした、バブル景気崩壊による架空経済が
実態経済を脅かしたことと同様なことを、アメリカ主導で、全世界に影響する形になるまで
再び過ちを犯してしまった事実に、人間の行き過ぎた欲望への憂いを感じました。

 悪いたとえですが、一部のマネーゲーマーによる、濡れ手で粟のような、努力も感じられない手段で、一攫千金を独占したい欲望を、「自由資本経済や、権利の保護」と言う印籠をもって、正当化されてしまったのではないでしょうか?

 これだけ人やものの流通が世界中に、行き渡る状況においては、
一部の利己主義者による過ちのつけが、人類の存亡に関わるとんでもないことになりうることを、資本投機者は再認識し、責任をもって行動すべき。と思います。

 今回の出来事は、軍備や暴力の行使のない、実体のない戦争犯罪ともいえます。

 日本語で、「権利」の対義語で「義務」とあります。 日本国憲法にあるように、「権利」と「義務」は
それぞれ独立したことではなく、市民がお互いに信頼を持って生活する上で必要な、Give and take の一対の関係として、考えるものだと思います。

 英語では「権利」とは right、「義務」はdutyとありますが、私が考える英訳は、前者が、liberty、後者が、responsibity と言った表現のほうが、世直しのためには良いのではと思います。

 それは、権利と義務が、利己主義的な主従関係ではなく、倫理とか人が生きる上での信頼関係を得る前提の上で、必要なことと考えるべきだからです。

 Liberty も Freedom も日本語では、「自由」と訳されますが、前者は、人々が生活する中での従う行動としての自由、後者は、自然界の法則に従って、人含めたあらゆる物が、運動やエネルギーをもつ自由であり、意味合いが異なっております。

 倫理観とか価値観は、人によってそれぞれ異なりますが、人が生活するといった事に対しては、大同小異ではないかと思います。

 ただ、バブル経済崩壊後、「権利の自由」をLivertyではなく、Freedomと混同された価値観を主張する機会が目に付いてきます。
 悪いたとえですが「赤信号、みんなで渡ればこわくない!」ということです。
 そういう者から「義務」とか「社会的責任」とか「信頼」という発言を聞くことはまれです


 利己主義の欲望に埋もれてしまった者は、幾ら資金や資産があっても満足をしない。
それは、独裁者同様に、欲望を隙間を埋めることができないことに、恐怖感をもち、それを回避するために、自分の都合のよいことだけしか考えられなくなるからです。
 
 いわば、裸の王様同然であることに、早く気がついて欲しいですし、自分の資産を人々のために
活用するということが、本当の富を得ることができ、満足になるのではないでしょうか?と思います。

 アメリカのオバマ大統領や、国連が危機感を持ってリーダーシップを発動されることは、誤った価値観の正当化が、人類存亡の危機を起こしたことに対する世直しとして、期待しております。

 それに対して、裏番組で、討論番組をやっておりましたが、与野党の政治家連中のダメだし内容の、程度の低さにあきれるばかりでした。
 課題があるから、建設的な議論が必要なのではないでしょうか?

 それにしても、課題が多すぎる。今まで政府がしてきたことの隠蔽のツケ、一度全部ご破算にして、あった事実を全部出して欲しいですね

2009年7月23日木曜日

日食を見て思う、太陽から受けるエネルギーの強さ

先日、日本で皆既日食が見える機会がありました。

 東京でも、雲り空の切れ目から、太陽が月の後ろに隠れる様子が見れました。
日本以外にも、インドのムンバイ、ブータン王国、中国の上海上空でも、
太陽が完全に隠れる様子が見られたそうです。

 東京ではあまり、日食によって空が暗くなることは感じられませんでしたが、
海外では、太陽が月の後ろに隠れると、日中の時間にも関わらず、日が当たらずに
夕方のような空になっている様子が、見られたそうです。

改めて感じるのは、地球に存在する生物は、太陽からのエネルギーに影響を受けて
生きているということと、そのエネルギーの大きさの甚大さです。

 オリンピックの聖火は、ギリシャ アテネの聖地で太陽光を集光させて火をおこすことで
有名ですね。

 また、夜に見える月は、太陽の光を月面で反射したものが、地球から見えていることはご存知ですが
電灯もなかった時代、満月の月夜の下では、書物が読めるほどの明るい光であったといわれています。
 もっと身近では、人間は朝日を浴びると、目が覚める状態に神経が働くそうです。
だから、時差ボケ解消のために眠るには、日光が入らないようにすることが必要なのです。

 人間がいろいろな活動でエネルギーを消費してきており、最近ではエネルギーの過剰な使い方が
環境破壊へと影響する問題へとなりつつあります。
 だからこそ、太陽からのエネルギーを上手に活用することに目が向けられるのは、妥当なことだと
思いますが、だからと言って、エネルギーを過剰に無駄使いするのはナンセンスです。
 
 世相では、経済、流通、情報のグローバル化によって、昼夜問わず仕事のためエネルギーを使われていることも多くなってきました。 
 だけど、人間の体内時計のリズムは、太陽や月の周期によって影響を受けております。
この際、一番の環境問題への取り組みは、昼間活動し、日が暮れたら活動を止めるといった
本来人間が、先祖から持っているリズムに沿って活動することではないでしょうか?

 と、最近、私は感じております。 このリズムに長い間逆らって無理するから、心身が病んでしまう
ことにつながるのではないでしょうか?だから、自然の恩恵に感謝することが、健やかに生きるヒントではと感じるこの頃です。

2009年7月21日火曜日

国政選挙は、内需拡大と景気対策になる!?

本日衆議院本会議にて、衆議院の任期満了前の解散が施行されました。

 中学での社会科を習った人は、衆議院の解散は、建前上議会が内閣不信任を可決した時の
内閣総辞職の対抗措置として、衆議院を解散し、議員選出するプロセスを、教えて頂いたと
思います。
 内閣が、独断で「解散」を、合法化して初めて実施したのは、麻生首相と血縁がある
故吉田茂大臣だったと思います。「ばかやろう解散」として知られていますね。

それはさておき、代議士の選挙は、国民投票ですが、有権者に支持をえつつ、政治活動をするには
多額の費用が必要と、言われております。
 特に、選挙の際は臨時スタッフを雇い、演説車や、ポスター、事務所など、より顕著です。
実は、ある一部の業界では、選挙があると、事務用品や、空き事務所誘致等の特需があると
言われます。

 最近、与党と野党の代議士が、選挙に勝つ負けると言うことを、耳にたこができるくらい聞こえてきますが、「誰に対して、勝つ負けると考えるのか?」を言う疑問の目を向けたくもなります。

やっぱり極論は、選挙によって、投票で代議士に選出されると、儲かる なのではないでしょうか?
と思ってしまいます。
 確かに、立候補すると助成金が支給され、選挙で支持を得られないと、支持団体の後ろ盾が得られない、更に有効得票にも達しないと、助成金まで取られてしまう。といった資金に対する死活問題は
あることは事実ですが、
 代議士の使命は、国を運営していくために選ばれた、有権者の代表なのではないでしょうか?

結果論で、勝った負けたを言うことよりも、まずは有権者の投票率(参加率)をあげるような
魅力的な取り組みが先のような気がします。

2009年7月19日日曜日

ありがとう!の一言が、救いの一歩

かつて。「もらい泣き」の熱唱で有名になった、一青ヨウ(ウ冠に幼)さんの
「月天心」のアルバムに、「アリガ十々」という曲がありました。
 彼女のCDを聞いたからならば、ご存知だと思います。

「千回も、一万回も、 アリガ十々 アリガとう」 と言う歌詞で終わります。

 日本人は、身近な人に感謝の言葉を口に出すことが、照れくさいと思うことが多いかと
思います。
 一方、外国人からみれば、何で日本人は直ぐに、あたまを下げるのだろうと思われることも
多いです。
 
 私が今思うことですが、たとえ自分にとっては、おせっかいなことかもしれなくても、
相手が、御厚意でしていただいたことには、ひとこと感謝の気持ちを口に出してもよいのでは
ないかと思います。

 今自分には、必要は無いときでも、「あなたがやっていただける気持ちは、感謝しております。
でも、今は、私にとっては気持ちだけで結構ですよ。またの機会にやっていただければ助かりますよ」と言ったことです。

 本当に御厚意を頂いたときには、できの良し悪しに関わらず、努力に対しては認め感謝を表わすべきで、その上で、もし不本意ならば、具体的に不足するところを示して、次に相手が考えさせるような選択示を伝えればよいのではないかと思います。

 親子関係ならば、多少命令口調や、感情がこもってしまう言い方があるのは
心を許す中でのコミュニケーションとして、止むを得ないかもしれませんが、
 会社組織の中では、一方的に頭ごなしで命令口調で言われると、カチンと来る部分が
あると思いますし、かつ、感情的に、人格を否定するように、連鎖反応的に、
お前はいつも、とかこないだも、、」と
 余計なことまで言われると、耳栓でもしない限り苦痛に感じてしまうのではないでしょうか?

 このようなやりとりが、長く続いてしまうと、コミュニケーションもギスギスしたものになり
言いたいことが言えずに溜め込んでしまうタイプの人は、精神的に参ってしまうことにつながります。

 特に、電子メールの仕事のやり取りは、結論をまとめ、手短にが原則ですので、時には、相手が
無感情で命令口調的なものに感じられることも少なくありません。
これは、相手が読む際に 趣旨が明確にするためですが、ひとこと付け加えると、誤解による
お互いの嫌な気分に陥ることも軽減されると考えます。

 一番良い方法は、ありがとうときちんと伝えることです。できれば相手の顔の見えるところで、。

自分はすべてが完璧でなんでもできるという考えを、持ち続ける限りはこのことは難しいですが
一度、どん底に落ちて、それから活路を見出した人は、己の欲と限界をうまくコントロールした
アクションをとると思います。

 具体的には、自分以外に協力していただける仲間を増やすことかと思っています。
それは、押し付けるのではなく、お互いに良い方向をめざして一緒にやってもらえると
いう感謝の気持ちが入ることです。

 今 組織のリーダーに、このような懐の深さがどの程度あるかです。
はっきり言いまして、自分の都合のよい人間(イエスマン)ばかり集めるリーダーは
自分を客観的に良し悪しを言ってもらえる者がいないので、うぬぼれに気付かず成長しない。

 独裁国家が今まで、長続きしなかったのことが証明しております。

オバマ大統領は、なぜ、有権者以外にも支持されるのか?
 彼のメッセージからも、いろいろ考えさせられました。

2009年7月16日木曜日

夏が来ました!

昨日、関東地方で梅雨明け宣言がありました。

 前日の空は、夏に見られるウロコ雲でしたので、そろそろかなとは
思っていました。

 今日は、見事な夏空でした。

いろいろ暗い状況が目立つ世の中ですが、
 目先の手抜きする私欲に、惑わされること無く、一つ一つ地道な努力を積み重ねれば
止まない雨はないと思います。

 不況で、仕事や収入が減ったりしております。
確かに家計を圧迫する事態で苦しいですが、
 心まで圧迫されてはなりません。

 仕事以外の時間があることで、新たに挑戦できることに気がついた、
と考えるべきだと思います。

 私は、家電業界の製造業でしたので、
いままで、クリスマス商戦向け製品開発のために、お盆休みに出社ということも
多かったでした。
 今考えると、先祖様に多大な無礼をしたと思っていますし、
その罰として病んでしまったのだと思います。
 
 だから今年は、きちんとお盆に先祖供養して反省したいところです。

皆様 良い夏をお過ごしください

2009年7月13日月曜日

国民主権:主権者が責任を持って

昨日、東京都議会議員選挙がありました。

有権者への選択肢のポイントが、国政なのか都政なのかが、
今一、はっきりしないところはありましたが、都政の抱えている課題に対して
どうアクションすべきかとの判断をもって、もちろん、私は投票に行きました。

結果はともかく、投票率が50%ちょいと言うのは、いままでより高いとは言うが
国民主権の政治という観点から客観的にみると、ずいぶんレベルが低いと感じられます。

 いろいろな理由はあるかもしれませんが、政治家が、役人が悪いとかでは、ごまかされる問題では
なく、有権者にも問題があると思います。
 今年 アメリカ合衆国で、オバマ大統領が就任した際に述べられたメッセージを覚えられていますか?
 現在、国が抱える問題を、一人一人が事実として受け入れなければならない 
 主権者である国民が、建設的にそれぞれの責任をもって(当事者意識というかもしれません)、一緒に国を良い方向へ建て直していきましょう。と言った内容です。

 一部のお役人が、良い情報しか公表せず、悪い情報に蓋をして隠していたのは事実です。
でも、その背景には、「親方日の丸に丸投げしておこう」といった有権者の考えがあったのも事実です。

 だから落ち度の事実はきちんと認め、公表することは大事ですが、それは、あくまでも役人を敵視するのではなく、これからは、同じ過ちを繰り返さないように、お互いの立場に耳を傾けて、
建設的なアクションを提言していくことです。

 何度も言いますが、人を責めるな、事を責めろです。

2009年7月10日金曜日

マネーゲームの代償 オバマ大統領への期待

わが日本政府は、経済問題で景気が底が見えてきたと、若干安堵のコメントを出しておりますが、

ここ最近、再び対ドルの円高と、原油価格が上昇してきております。
昨年、国民生活を苦しめた2大要因が、再び襲いかかる前触れかもしれません。

一部の資産家によるマネーゲームが再度仕掛けたものだといわれています。

これだけ経済のグローバル化が進んでしまうと、一部のマネーゲーマーのわがままな行動が
世界中の人々に危害を与えることは、昨年末に実証されているはずです。

金銭は、価値の対価との一つの手段かもしれませんが、徳川家の印籠や、スペードのエースの
ようにオールマイティではありません。
 事実、見えないマネーゲームで騒いでいるのは人類だけです。

欲望とは、永遠に満足しないものだといわれています。だから資産家は、100万ドルを持っていても
貧しい人には目もくれず、1000万に増やしたし、独占したい気持ちになるのかもしれません。

日本の金融庁や経済産業省のアクションは、お金の使い道に間違えがあることに、目を向ける必要がありますし、それも期待薄です。

だから、オバマ大統領の演説にある、一部のおろかな行動を憂い、しかるべきアクションをとると
明言されたことは、人類の倫理的価値観への一筋の期待です。

2009年7月9日木曜日

7月7日、夜空に願いを

7月7日、七夕の日を迎えました。

 関東地方は、梅雨入りの最中ですが、雲の切れ間から、満月と星空が見えるときも
ありました。

 二つの星が、一年に一度接近するということで、貴重な時期に、
ささの葉に、短冊に願いを書き吊るす風習があります。

 ところで、皆さんの願いとは、何でしょうか?

私と同年代は、将来の希望に不安を持っている人が多いのは事実です。
昨今の経済事情等を考えると、私も同様に感じる一人であります。

でも、将来に不安があると言う事は、ある意味人生を真剣に考える課題があると前向きに
考えたほうがよいのかもしれません。

昨年は、そんな余裕すらなかったですから、、、。

 短冊に夢や願いを書くのことは、他人の迷惑にならない範囲内では、内容は問われません。
かつて戦前の国家にあったような、偏った思想と権力による、検閲等はありません。

 だからこそ、夢を大きく書き述べても良いんじゃないですか!

 今ちょうど、大小問わず夢を持って、筆をもつ意思があるとき、それが前向きな生き方への
一歩なのではないかと、私は思います。

 蛇足ですが、こんな日に、近隣の某国家では、空にミサイルを打ち上げておりました。
晴天の霹靂とか、真っ白な布に、一点の墨色のしみと言った感じです。
地球からは、人類は簡単に脱出することはできないのだから、つまらない争いは望みませんよ。

国防ミサイルを配備するエネルギーを、もっと平和利用に生かせないかというのが、私の願いです。

2009年7月1日水曜日

マイケル・ジャクソンに想う

先週末、残念な人の訃報を朝一から、耳に入ってきました。

歌手マイケル・ジャクソン氏の訃報です。

私が、小学生から中学生のころに、「スリラー」のヒットで、独特の振り付け含めて
記憶に残る日々でした。

リズミカルなナンバーの他にも、ジャクソン5の頃を引き継ぐ歌声での、スローナンバーも多く
[ I Just can't stop loving you] [ you're not alone] 等の美声はあたまの中に残るものでした。

訃報は、FMラジオ番組で知ったのですが、早速、追悼の意をこめて マイケルのヒットナンバーの
リクエスト曲が流れ始めました。

ここ数年、幼児虐待の裁判を受けたり、離婚、ネバーランドの負債など、後ろ向きな話題が多かったのですが、改めてヒットナンバーを聴くと、歌手としての実力を感じます。

 年々顔の整形をしたり、顔の色素を、黒人から白人のように変えてみたり、一体どのようなメッセージの本質だったのかは、わからずしまいでしたが、世界や、人種を超えて、一緒に耳を傾けるような存在であったことは、間違いありません。
 今は、とにかく残念の想いしか、言葉が浮かびません。

2009年6月29日月曜日

冤罪事件に思うこと。究極のパワハラ

「全部言ってしまえば、すっきりするぞ!」 って 取調室にカツ丼を持ってくる。
そんな場面が、昔の刑事ドラマにありました。

そんなかっこいいなどのきれいごとでは、済まない冤罪が明らかになりました。

以前から、同様なことは裁判で指摘されていましたが、ここまで理不尽になると
江戸時代の、長崎の隠れキリシタンを処罰する、「踏み絵」のやり方と変わらないと思います。

一連の証言によれば、警察や司法の追及や、検証方法の根本的な問題は、事の事実よりも、一つの事柄の結果だけで、犯人を思い込みで追求し、自白という事実をでっち上げることがまかり通ってしまっていることであります。
 容疑者に向かっていきなり「お前が犯人だろ!、うんと言うまで帰らんぞ!」これでは、事情聴取ではなく、脅迫や迫害であり、かつて旧ソビエトで、レーニン像にそっぽを向いたことで強制収容されてしまうことと、近いものがあります。

 以前からも、訴えていますが、「人格を無視して、人を責めることや否定するのではなく、事実に基づいた事を責めるべきである」 これが本質ではないでしょうか?
 ドラマ刑事コロンボを見て御覧なさいよ。
誘導尋問的な責め方ですが、事実を下に、発言の矛盾を立証しているではないでしょうか?

普段の人付き合いでも、感情を表に出して言うことも、時には大切でしょうが、最初から思い込みで押し付けるのは脅迫と変わりませんよ。

2009年6月25日木曜日

物事のありがたみを実感するには

「苦労は買ってでもしろ」
と、年長者によく言われることばです。

 私が自分を取り戻し始めた時に、なんとなくそのことを実感する
切っ掛けを得た、と思っています。

 ユビキタス社会、いつでもどこでも!といった便利な世の中ですが、便利なものや事が生まれる切っ掛けは、それまで手間がかかり苦労していた事実があってこそだと思います。

 私が休養に追い込まれた時、人間が生きる上で最低限必要な項目、つまり、「衣食住」において、いろいろ苦労させられました。 特に一番億劫に感じたのが、「食」の部分です。


 仕事から離れるわけですから、当然給料など収入は、激減です。
もちろん、会社からは手当をいただいておりますので、収入ゼロではないですので、贅沢はいえませんが、今までとは勝手が違います。

 住宅の返済費用や管理費、光熱費、自家用車ローン返済等を差し引いた中で、「食」と「衣」を賄わなければなりません。その他、通院が必要ですので医療費もかかります。

 うつの症状では、食欲も低下しますし、食べるのも面倒に感じてしまうこともあります。
そんな時は、外食やコンビニの食品は便利ですが、きちんと栄養バランスを考えると、どうしても割高になり、月末に赤字になるケースも目立ちました。

 最初は、以前からの貯金を崩してなんとかしておりました。
このときは貯金の備えをしていて助かったのですが、ずっとこのまま続ける訳にはいけません。
お陰で、外食のランチはどこがコストパフォーマンスがよいか、よく知るようになりました。

 3ヶ月ほどして、気持ちが上向きになったころ、ちょっとでもいいから自炊に挑戦してみようという気持ちになりました。

 料理番組でのちょっとした様子が切っ掛けでした。

 まずはご飯だけでも炊いて見ることにしました。炊飯器でもいいですが、必要な量だけと考えたところ、陶器の鍋釜で作ってみることにしました。

 米を研ぐ、水を吸わせる、吹き零れがないように、火加減の調整など、時間がかかり、面倒なところはありますが、完璧でなくてもいいと思いつつ、やってみると実に奥が深い。
 だから、おいしくふっくらと、かつ底面におこげができるようにうまくできた時は、なんとも言えぬ感動がありました。
 水加減を間違えてしまっても、柔らかければお茶漬けか、梅ぼしや海苔を入れておかゆ、固かったら炒めご飯で何とか対応できるのです。

 おかずは最初は、スーパーの惣菜そのままでしたが、お酒のおつまみのつもりで、野菜や豆腐などと組み合わせて、ちょっと手を入れてみるようになりました。
 主婦の知恵とか、料理人のまかない料理などは、興味深く参考にしていました。

 余った分は、冷凍などで日持ちできますので、結果的に以前に比べて食費は半分程度に節約でき、かつ、不燃ごみの量を減らすことにもつながりました。
 それ以上に、お金に現われない、食のありがたみという価値観の再認識を得ましたよ。

 日本の食糧自給率が低いことに、世間が危機感を持っておりますが、

改めて 「食べ物を粗末に扱っては罰があたる。 」
 「明日の自分があるのは、いろんな人々の苦労の積み重ねがあってこそ。」
と感じるようになりました。

 最近は、独身男性でも自分でお弁当を作る人も、多いようですが、決して悪いことではありません。
今もその心得は、忘れないように心がけします。

2009年6月24日水曜日

蒸し暑くなって来ました。

関東も梅雨入り、ジメジメ、どんより、だけど暑いといった、うっとうしい時期がやってきました。

また、衣替えで半袖やクールビズ(ノーネクタイ)と、幾分風通しの良さを感じられます。

この時期、職場や、通勤電車や、バス車内に、冷房が入ると思います。
実は、私は冷房が苦手なのです。特に冷風が、直接腕にあたるような状況がダメなのです。
この時期は、無意識に自律神経にストレスがかかっていることがあります。

最近の冷房は、湿度だけを下げる動作もあるようなので、それはありがたいですが、古い設備などはそうはいかないのが現状です。

過去の反省から、私は、以下のように対策をしております。

 1)必要に応じて上着、または長袖のシャツを羽織る。

 2)電車などは、弱冷房車に乗るか、できるだけ送風口から離れた位置にいる。

 3)職場で一息つくときの飲み物は、温かいものにする。
   特に、紅茶、プーアール茶、しょうが湯、ミルクの多いカフェオレ等は、身体を温めるので
 よいです。
  ただし、お茶やコーヒーは、飲みすぎると胃がもたれるので注意です。
 冷たいものが欲しいときは、オロナミンCやタフマン、リポビタンDなどは、温かくなります。
 
 4)ある時間毎に、ストレッチや席を離れて外を歩く。

 5)部屋の換気をよくする。

 6)きちんと食事をとる。

参考になるかはわかりませんが、体内の血液循環をよくすることが大事なのかもしれません。


最後に、基本ですが、よく寝て休息をとることです。ビールの飲みすぎには注意ですよ。

2009年6月22日月曜日

昨年に比べて大分よく

昼間も、夜も蒸し暑い日々のこの頃です。

 どういう訳か、睡眠時間はとっておりますが、朝起きると寝足りない気分に
なりがちです。
 やはり季節の変わり目のせいでしょうか?
それとも、どんよりした天気が多いので、朝日を浴びることが少ないためでしょうか。

 それでも、一昨年、昨年と比べると、季節の変わり目に不調に陥る度合いが軽くなった気がします。
はっきりした理由はわかりませんが、少なくとも精神から休息をとったことや、その間に得た
ストレスをうまくコントロールすることの成果なのかもしれません。

 私が特に意識していること、それは何かをやるときの時間のリズムです。

出社して、今日やること(ただし マストではなく したいこととして考えます)を、3つほど書きます。

また、昨日やったことを、時間表に思い出してメモします。

 その後、30分から、一時間集中して、5分ほど生き抜きします。(水を飲みにいったり、身体を
動かしたり、深呼吸します)。このとき必ず椅子から立ち上がることをしています。

途中で席を立つ前には、ノートに途中までのキーワードを書いてメモしておきます。

 3つすべて一日で終わらないときもあります。その時は、今までやったことと残りすることをメモして
おきます。

 これらは、集中と緩和を、うまく使い分けるようにする手段として心がけています。
途中で、割り込みが入って中断しても、すぐに復帰できるようにするためです。

 前日の時間メモは、大体のどのくらい集中できたかがわかるので、仕事の計画を立てる際に
役立てています。 
 
 どうしても忙しくて時間に追われると、エンドレスに根つめて物事に取り掛かるようになって
しまいます。
 結果として、良い成果が得られればよいですが、それは、心身のスタミナが切れるまでの間だと
思います。
 
 野球で、9回まで完投する投手は、100球全部、全力投球では持ちませんね。
時には、全力で三振を取る場面もありますが、打者のタイミングをはずして、打ち損じることを
ねらうことも必要なのです。

 若いときはエンドレスの体力勝負で乗り切れますが、だんだん体力の衰えと共に、やり方を
変えていかないと、そのうち壊れてしまいますよ。

2009年6月19日金曜日

同世代の人から受けた影響

 私が心がけていること、それは、相手の年齢や立場に関係なく、自分がわからないことがあったら、謙虚に教えに耳を傾けること。また逆もそうです。
 そのときには、相手の価値観が理解できなくても、自分の価値観を無理に押し付けないことです。

例えば、私は飲酒が好きですが、飲めない人に無理に勧めたりはしません。

十数年前は、社会人一年生で、期待と不安に入り乱れた時期がありましたが、いつの間にか、中堅となって人の関わりが複雑かつ広い立場になりました。
 そんな時に、仕事は違うけど、同年代の人、特に一度挫折を味わって復活された方々の意見には、考えさせられるものがあります。
 
 特にプロのスポーツ界という厳しさを極めた同年代の方は、今リーダー的な存在で、自分の技を磨くことと、チーム全体を考えて指導することを両立させる難しさを共感します。
具体的には、野球の宮本さん、角界の貴乃花親方等が相当します。
それぞれ年齢は一歳年上と年下です。
 私が冒頭で書いたことは、特にこの二人の姿勢や意見に影響されたことでした。

そういえば、野村克也さんも、私と同じ歳で、南海ホークスの選手兼監督をされて活躍を
されていました。その時も選手だけでなく、スタッフや裏方さんを大事にされていました。

ある意味では 世渡り下手の部類かもしれませんが、苦しんだときの一瞬の光明を受けたような気がします。

2009年6月18日木曜日

そろそろ復職して半年になります。

「一日一歩、三日で三歩、三歩進んで二歩下がる。」
「ワン・ツー!、ワン・ツー!走らないで、歩け」

子供の頃よく聞いた「365歩のマーチ」です。
 どんなに落ち込んでいても、焦らずとゆっくり、自分のペースでいうことで、私の療養への支えとなっている歌です。
 
 私は復職し始めて、来月で半年になります。療養前のペースと比較すると、まだまだ完全復活とはいえませんが、一日何とか、普通に業務をこなしてきております。
当然、周りの忙しさに対して、自分のペースの差があるのは認めております。
だからと言って無理に焦って追いつこうという欲を出しては、元の木阿弥です。

 理解の無い方から見れば、まわりの空気が読めていないとか、自己中心とか、怠けているとか思われることもあるかもしれません。
 でも、私が自信を持って言えることは、なんとかしたいという欲は意識している。だから理性をもって、現在の状況の中で無茶しない範疇で、欲に応えているのですよ。
 単にやる気を持たないこととは、似て非なるものであります。
 
 うつ病は、気持ちの問題と思われるかもしれませんが、実際に、科学的検証によって、意欲に対する脳神経の働きが弱くなり、不安を感じる神経が過敏になっていることがわかっています。
 だから、休むことで不安やストレスから回避させ、脳神経の働きを元の状態に順応させる療養を取ります。
 薬もその回復をアシストする方法ですが、根本治療で完全に回復するのには1年近く時間がかかりますし、好調、不調の波を繰り返しながら、少しずつ順応していきながら回復していくのです
 
 スピード最優先で、目先の結果至上主義とは、私からみれば、度が過ぎて理性を失った欲の亡者のやることだと思っています。
 まずは自分の器の大きさを認識した上で、目標達成に向けた戦略を立てることが本当の賢者だと思います。大器晩成という言葉も昔からありますね。

まずは、ちょっとずつ、失敗してもいいからできることからやってみようですよ。
365歩のマーチの歌詞、そのものですね。

2009年6月17日水曜日

最近心から笑っていますか?

「笑ってよー 君のためにー。 笑ってよー、僕のために、、、。」

 いきなり、さだまさしさんの歌詞で始まりました。
歌手としてのさだまさしさんは、関白宣言などのヒット曲を歌っていたころ、
銀縁めがねで、表情をあまり出さずに歌うイメージがありました。

 でも、実際テレビで拝見するさださんは、とても表情明るく、表現豊かなユニークな方です。
だから、「精霊流し」などの、実体験に基づいた小説等も執筆される程の実力を発揮できたのも
うなずけます。(少年時代は、バイオリンの奏者をされていたそうですね


 それはさておき、最近心から笑っていることはありますか?
天気の関係もあるかもしれませんが、なんとなく表情も曇りがちになっているかもしれませんね。

 自分では気がつかないことが多いですが、普段会う顔見知りからみれば、なんとなく雰囲気で
わかるのですよね。
 顔が見えなくても、電話の声や喋り方もそうかもしれません。

無理やりに明るく振舞う必要はないですが、ちょっとした笑顔を不快に思うことは滅多にありませんし、
一緒にいる相手も、なんとなく明るく接してくると思いますよ。

 そのうち、自然にぼけとつっこみ、会話のキャッチボールになっていけばいいのだと思います。
まさに、最初に書いた、さだまさしさんの歌詞そのものなのかもしれまえん。
 自分も、他人も面白く思ってもらうことは、お互いに心のエネルギーを充電していることだと思います。


 私のように、閉じこもってしまったときは、面白いことでも笑えないとか、無表情になってしまうそうです。
 そんな時、周りの人の協力を得て、自分が子供の頃に楽しかったことやものを、思い出したり、見たり、触ってみたりしてみては、どうでしょうか?


 私は、未だに「やすしきよしの漫才、ドリフターズの全員集合の映像」が大好きです。

 故いかりや長介隊長の最後の締め、「だめだこりゃ!」 たまらんですよ

2009年6月13日土曜日

NHKドラマ「ツレがうつになりまして」を視聴して

昨日まで、3回にわたり、NHKドラマ「ツレがうつになりまして」を視聴しました。

 これは、反響が大きかった、作者の実際の経験を綴った原作漫画を、ドラマ化したものでした。

 主演の原田泰造さんと、藤原紀香さんのキャストも自然な感じでしたが、

 実際にうつ状態で働く気力を失った夫の心情は、私も同じような経験をしましたので
共感を持って視ておりました。

 うつの夫を持つ妻の接しかたの難しさ、これは、自分から視ると他人の支えと、理解する気持ちがなければ、うつからの回復は無かったのではと、改めて感じております。

 原作の作者(妻)は、漫画本と言う形で、身内の方が鬱状態になったときにどのように接していたか
等を、実体験に基づいて、多くの人に伝えられました。

 私はどうかというと、つたないブログを書いておりますが、やはり、同じような問題を抱えてしまった方や、その周りの人々へ、何か解決の手がかりになることができればという気持ちは持っております。
 
ただ、それは義務的なものではありませんし、できるとこから「無理をせずに」できるとこからやっていこうと考えておりますよ

2009年6月8日月曜日

驕れる者は久しからず ベルリンの壁崩壊の時

昨日天安門事件のコラムを書きました。
 私が学生時代に、世界で起こったことで、一番印象に残った事件は、やっぱりベルリンの壁崩壊とソビエト連邦の崩壊でした。
 
 当時、アメリカを中心とした資本主義経済国家(西側)と旧ソビエトを中心としたレーニン主義国家(東側)で、特にヨーロッパは2分されておりました。
 その象徴が、ベトナムであり、朝鮮半島であり、ベルリンの壁で分断された東西ドイツでした。
90年代は、東側のレーニンマルクス経済が破綻しかかってきておりましたが、ソビエトのイデオロギーの状況からは、東西ドイツの分断は、数世紀もずっと続くものだろうと思っておりました。

私は第二外国語は、たまたま独語でした。が、お陰で、西ドイツの国名は Bundes Republik(BDR)、東ドイツは、Deutsch Demokulatik Republik(DDR)とか、いろいろ興味を持って授業を受けることができました。
 崩壊の発端は、東側のハンガリー国が、経済の自由化のために、西側諸国との行き来を開放したことでした。
 それからは、堰を切ったように、事が進みました。
ホーネッカー議長の失脚、その後の政権のミスにより、ベルリンの壁を開放することになり、東ドイツの自動車、トラバントに乗って国境を渡る人々の姿が、今も印象に残っています。
 その後、ソビエト連邦も崩壊し、レーニン像を取り外す映像が象徴的でした。

さて、占領分割当時のベルリンは、西ベルリンと東側との鍔迫り合いの話しがありました。
それは、西ベルリンへの兵糧攻めを仕掛けたソ連に対し、アメリカやイギリスが空輸作戦で、流通の孤立を防ぐために、対抗したこと。
 西ベルリンに、強力な電波塔を建て、東側の人々に届くように、西側のテレビやラジオ放送を使って、東側のプロパガンダに対抗したことなどです。
 今も朝鮮半島の国境では、同様のことが行われていると聞いております。

 今や、統合したドイツは、環境先進国、ポルシェやメルセデス、BMW、ボッシュ、ツァイスやライカ、シーメンス、ヘンケル等、高い精密技術でも世界に知られる程の、経済大国ですね。

 ほんの10数年前あった事、紙製の車体の自動車(トラバント)が、労働者が10年待ちでやっと購入することができた事実が、今や信じられない位になってしまいました。

 諸行無常、栄枯盛衰、驕れる者は久しからずですね。

 

20年前のある思い出

今週、中国北京の天安門事件から、20周年が過ぎたことを知りました。

私が学生時代に、鮮明に覚えている、世界で起きた大きな事件は3件ありましたが
その一つが、天安門事件でした。
(ちなみに他の2つは、ベルリンの壁崩壊から始まる、東西国家冷戦の終結と、アメリカがイラクに侵攻した湾岸戦争です)

 事件があった当時、私の学友には、中国からの留学生がいました。
私は、彼にチューターという相談役の学生として、付き合いをしていました。

 当時中国からの留学生は、国から選抜された国費留学生でした。
母国で工科系の大学を終了してから、一年間日本語学校で、言葉を学び
それから、日本の学校へ編入という形でした。

彼らからは、私はいろいろな事を学びました。
彼が、私に最初に言ったことは、「日本語の漢字は、書くのが難しい!」でした。
 現在は、中国で使う漢字は、簡体字という、もともとあった漢字を簡略化した文字を
使っていることは、よく知られております。
(ただし台湾では、繁体字とよばれる、当時の文字のまま使われています。)

 私が学生の頃学ぶ漢字は、新日本字とよばれるように、簡略化した漢字でしたが、
漢字の発祥地の人が、漢字が難しいと言うから驚きでした。
当時私は日本と中国で使う漢字の違いすら知らなかったのでした。

 彼とはよくいろいろ話しをしましたが、ちょうど一緒にテレビを見ていたときに、
天安門事件の様子が映し出されたことを、よく覚えております。
 暴動を鎮圧する軍隊の様子が映るその時、なんとも言えぬ言葉にならない様子だったことを思い出しました。
 彼曰く、民主化を求める学生達に対しては、「余り勉強しないで政治活動ばかりやっている連中」とは
言っていましたが、母国から派遣された立場から、政治批判ができないため、建前だったのかもしれません。
 私は、それ以上は言葉を求めませんでした。

その後、卒業する頃には、鄧小平主席の出現により、自由経済化に大きく政策転換し、
国の様子も大分変わりました。
 ただ先日知ったこととして、残念に思うのは、未だ政府は天安門事件の事を、触れられたくない出来事としてプロパガンダの検閲対象になっていることでした。

 私が海外で一緒に働いた中国の方々は、彼や私と同じ位の年齢でしたので、どうしても20年前の出来事を思い出してしまうことがあります。
 それでも、片言の言葉しか通じない不安の中で、いろいろ一緒に考えて教えてもらった仲間として、大事な人です。  


 
たとえその国の政治が嫌いでも、その人の人格を嫌いになってはいけない。
よく思い知らされました。

2009年6月3日水曜日

省エネルギーのため、24時間サービスは最小限に

IT化、そして経済のグローバル化のお陰で、世界の時差を乗り越えて
昼夜問わず、がんばっている人達がいます。
 
 ご苦労様といいたいです。

 でも、会社でITのサーバー室をご覧になられたことのある方ならば、思うかもしれませんが
ネットワークサーバーは、一日中動作させると、かなりエネルギーを消費し、熱を発生します。
 そのため、多くの大企業では、省エネで冷房の設定温度を上げても、コンピュータに対しては
十分な冷却をさせています。

この不況の中で、効率化を求めるのであれば、一度ITを使う時間を制限してはどうでしょうか?
もしくは、24時間体制の規模を縮小してはどうでしょうか?

どうしてもというのであれば、昼間太陽光発電し、充電した電力で、必要最小限の動作だけに
抑えてもいいのではないでしょうか?

私が思うのは、ITが何でもやってくれる便利なものと勘違いされている方々も多いのではないでしょうか? 所詮 ITの動作は人間がある決まったルールでプログラムされたものの範疇で、計算などの
動作がすばやくできるものであり、未来を勝手に考えてくれるところまでは至ってはないのです。

 現在は、高速通信のお陰で、多くの情報量が瞬時に発信、受信することができます。
ただし、どこまでが重要なものであるかと言う尺度を持つと、30%程度は、余計なものか
あってもなくてもよいものかもしれません。

 日本で、ITが本格的に導入されてそろそろ10年経ちます。そろそろ目的と実績の格差
見直しの時期に入っているのではないでしょうか?
 PCの文字ではなく、心のこもったコミュニケーションや、人間らしさを生活に取り戻す時期だと
思います。
 

2009年6月1日月曜日

どんより、じめじめ、嫌な季節ですね!!

今日から6月、ここ最近、関東では雨か曇りの日が続きました。

気温も上がり、じめじめと外はどんより、なんとなく気分が落ち込みがちになりそうですが。

こんな時こそ、何かじっくり打ち込んでみるのもよいかもしれません。

思い切って、掃除をしてしまうのはどうでしょうか?
あまり張り切らないで、できるところまでやってみる。そして次回にやることを
決めておけばいいと思います。

身の回りを清める = 精神を清めること なのかもしれませんね。

2009年5月31日日曜日

中古品の魅力

最近のIT家電などは、半年ごとに新製品がでると言った情勢ですが、
 一方、お陰で一つ前の型落ち品が、お徳な価格で手に入れることができるといった
メリットがあります。

 型落ち品と最新機種で、日常使用に当たっては、さほど大きな差がない訳ですから、
保障期間も同じであれば、徳なのですよ。

 私の基本的な考えは、長く使えるもの、使えば使うほど良さがでるものが、本当の良品。
だと思っています。

 さて、私が最近注目しているのが、中古市場です。日本語では中古と言いますが、
英語ではSecond Hands(略してセコハン)とも呼ばれます。
もともとレコードやCD、本、カメラ、自動車などは中古市場がありました。 

 本やCD等は、たまに、懐かしいとか?ずっと昔に読んでいたものなどが目に入ってしまうと、

衝動買いに走りがちです。

 最近は、衣料品、電化製品、スポーツ用品などいろいろなものが中古市場にあります。

 私の近所にも、中古専門店がある訳ですが、とにかく新品よりもいろいろなものがあって
かつ、価格も抑え目なので、見ていて購入意欲が湧いてきます。

 何よりも、一度きちんと使われた実績がある(初期不良がおきていない)、保証書が付く物等
あれば、実質上新品よりお徳かもしれません。

 事実、新品でベストセラーとなったものは、中古品でも人気があって在庫なしと言った現象が
起きています。

 メーカーに対して思うことは、アメリカ発の大量消費型のやり方は限界が来ている訳です。
むしろ、むやみに過剰にものを作るのではなく、自動車の車検のように、一部ユニットを、最新のものに交換、または改造して使う。

 新しいもので、買い替え需要を狙うなら、
下取りを積極的にすることで、
ユーザーを長く一つのブランドへ信頼を、持ってもらえるようになる
のではないでしょうか?


 政府のエコポイント制度の対象も、新しいものだけに注目していますが、
きちんと買い替えリサイクルが
できるものや、中古品の一部を、環境対応に改良したものにも注目すべきなのではないでしょうか?

私も一メーカーの開発者として、最近特に、ジレンマに感じることです。